番号 | 日付 | 題名 | 投稿者 | 返信元 | 読出数 |
243 | 12/8(月) 22:52:29 |
症状報告(33) ― 拾う神 | 芦田宏直 | No.124 | 4557 |
今日は、例の東京女子医大(http://www.twmu.ac.jp/info-twmu/index.html)の初診日だった。日赤病院(http://www.med.jrc.or.jp/)の病室から直接東京女子医大へ行き(私は朝から抜けられない会議のため、友人に頼んで家内をタクシーで連れて行ってもらい、病院で約束の2時過ぎに合流した)、診察記録やMRI資料などを持ち込んで、神経内科部長の岩田誠主任教授(http://www.twmu.ac.jp/TWMU/Medicine/RinshoKouza/181/staff.html)に診て頂いた。この病院は、「多発性硬化症」患者の会(=「MSキャビン」http://www.mscabin.org/)でも推薦されている病院のため、岩田先生ご自身は脳神経の専門(http://www.hitachi-hitec.com/sapiens/007/ajsa0072.html)のようだが、でも「多発性硬化症」は「珍しい病気でも何でもありません」と言われるくらいたくさん診察例があるようだ。「今日も芦田さんで、二人目です」とのこと。これは頼もしい。MRIの所見も判断が速かった。 いろいろと診察して頂いて、「それで、どうしたいのですか」と言われたときには、どうなることやら、と思ったが、「日赤を追い出されまして」などと言うわけにもいかず、まして「先生を頼って」というのも白々しい。しばらくお話をすすめると、「それでは、入院して治療してみましょうか」と岩田教授自身から言ってくださった。ほっとした瞬間だった。 そもそも岩田教授は、日赤の主治医・武田克彦先生(http://www.med.jrc.or.jp/hospital/shinkei.html)の、東大時代の同僚らしい。「武田先生からの紹介だし」とも言われる。これも予期せぬ出会いだった。そのうえ、入院の手続きで、私たちの住所を先生ご自身が机のパソコンに入力されていたとき、「あれ、南烏山2−31−31のマンションって」(岩田先生)、「プレスティージュですけど」(私)、「私と武田先生の恩師の(住んでいる)マンションですよ。今年亡くなられましたけど」(岩田先生)。「そうですか」と私も家内も、ニッコリされた岩田先生の方を向いて、思わず「奇遇ですね」。二重三重に偶然が重なって、転院の手続きがスムーズに進んだ。 「多発性硬化症は太田先生(http://kiyo.nii.ac.jp/articles/ncid/AN00161368/20001230_70(E2).html)が専門だから、彼に診察してもらって、治療方針を立てましょう。今からだと年内にすべての検査が済むかどうか微妙だけれども、2,3人、入院待ちの人がいるから」とのこと。いずれにしても入院手続きを急ぐ必要がある。すぐに済ませた。 帰りは私が日赤までタクシーで送ったが、病院に戻ったのが、4時過ぎ。新宿河田町(女子医大)と広尾(日赤)とはタクシーで2300円。約30分くらいの距離だが、しかし家内の今の体力ではつらい。特に椅子ならざる椅子に座っているかのような、タクシーの振動の30分はつらいらしい(私のアルピナなら、もう少しましだが)。日赤を出たのは13時すぎ。それから3時間以上。家内の体力は何とか持ったが、やはりかなり疲れていた。今日の朝、「あまり期待しないように。どこであっても医療は医療にすぎない。そもそもこれまで診ていただいた武田先生に失礼」と携帯メールを打っておいたが、今日の診察は120点、というところだろう。後は、早く転院をするだけだ。“拾う神”がいた。 |
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