番号 | 日付 | 題名 | 投稿者 | 返信元 | 読出数 |
162 | 6/19(木) 00:06:56 |
症状報告(18) ― 〈人生〉を語ってはいけない | 芦田宏直 | No.124 | 11982 |
家内は、幼虫の毎日のように変化している。「左足少し動き始めた。右足かなり上がる。足先の感覚も戻り始めた」(9日)、「鉛のようだった左足が軽くなってきてあがるようになった」(10日)、「左足の支えが昨日より強くなっている」(12日)、「今朝左足先がかなり動いた」(13日)、「今朝、左足が(元気な)右足と同じように寝たままの膝立ができた! これができないと立っても前に踏み出せないから、大進歩」(16日)、「リハビリしました。まだパルス(ステロイド)の昂ぶりが体中に感じられてぐんぐんしています。これから効いてくるはず」というように。何だか、自分の体で遊んでいるみたいで、思わず、「楽しそうだね」と言ってしまいました。 11日の髄液検査では濁りは見られず、MRI検査でも患部は見えないくらいになっているとのこと(ミエリンの“炎症”箇所は、今のところ初発時と同じ箇所にとどまっている)。毎回の入院で同じようなことを繰り返しているから、今となってはどうということもないが、こんな急激な変化は、それ自体、体によくないんじゃないの、とも思ってしまう。この足の回復はすべて「ステロイド」治療の効果だ。「ステロイド」は免疫作用の抑制効果があるから、自己免疫疾患にはよく使われている。三日連続のステロイド点滴(単に「パルス」と呼んでいるが)が、昨日から4クール目に突入した。現在、家内の場合のステロイドの副作用は、免疫力の低下にあるらしい。それ以外には数値はほとんど正常値。風邪が大敵。清潔に保つことも大切だ。「病院」と言えば、ウイルスの集積所のようなところ。そんな病院で免疫抑制の治療を行うというのは背理だが、家庭にしても掃除をまめにする必要があるだろうから、どちらにせよ面倒くさいことだ。 最近は、仕事から帰って息つく暇もなく(息子に)夕食を作る〈生活〉にも慣れてきた。三品以上は用意することにしているから、われながら大したものだ。それに3月の初回の入院以来ずーっと乾燥機で乾かし続けた洗濯物も、最近ではすべて干すようになった。今日も室内干しが続くので「抗菌ハミング1/3」(http://www.kao.co.jp/soudan/answer/cloth/select/ans_03_win/soft3.html)を買ってきた。サラダも素手でレタスをちぎり取ることに不潔感を感じて、自分で作るのがいやだったが、その不潔感にも慣れてきた(たぶん、家内よりも水洗いは徹底してやっているし、私のサラダは世界一清潔なサラダだと思う)。仕事の方も、息子への夕食作りのために職員にゴメンナサイをして19:00〜20:00には学校を後にしているが、逆に自宅では家内が居ない分、土日も含めて仕事に集中できるようになったということもある。それは彼女との会話が減ったというよりは先のようなメール(携帯メール)のやり取りに変わっただけのことだ。自宅で上の空で聞いていた(失礼!)家内のおしゃべりよりは、メールの方がはるかに集中できるという点でも、全体は何も変わっていないのかもしれない。私と息子とでは(男同士では)、家庭での会話はまったくない(もともとない)。特に朝は一緒に食事を取るが、全く無言。5分くらい前後してどちらかが家を先に出るが、私が先に出るときは「電気消しておけよ」。息子が先に出るときは「行ってくるわ」。この会話が朝のすべて。お互いが、自分の時間を黙々と消化している。私は私、息子は息子、そして家内は家内だ。これが、私=私たちだ。 もともと〈生活〉なんて慣れることと同じことを意味しているのだから(〈生活〉というのは、人間が片手でも片足でも世界に順応するという意味で有機体であるというのと同じであるのだから)、それ以上でも以下でもない。恋人を無くして(亡くして)、追って死ぬほど悲しみに明け暮れた娘も、一年も経つとケロッとして他の男に夢中になってもいる。こんな変化(無変化)も、〈生活〉の中ではありふれた風景だ。もともと生きること、死ぬこともまたそれらを〈変化〉ととれば、〈生活〉の一部に過ぎない。 私は、父を18歳の時に急性白血病で失っているが、声も顔ももはや覚えていない。家には仏壇も写真も置いていないからなおさらのことだ。お墓参りももう何十年もしたことがない。「父を失う」ということは、「覚えている」とか「忘れる」という〈生活〉の問題ではないだろう。私に父親がいる、などという問題は、記憶の問題であるわけがないし、ましてや仏壇や写真に向かって手を合わせる問題ではない。私に父親がいる(いない)、ということは〈生活〉の問題ではないし、あれこれの〈変化〉に関わることではない。 この間、息子にカレー(インスタントカレー)を作ってやったが、私のインスタントカレー作りのコツは、材料をオイルやマーガリンで炒めないで充分な量のバターで炒めることだ(バターの箱の半分くらいは一気に使う)。バターの甘みがタマネギの甘みとよく合う(マーガリンには、バターのこの甘みがない)。独特の甘みが出てインスタントでもおいしいカレーになる。ところが、前回は冷蔵庫にはマーガリンしかなく、それで作ってしまいそこそこうまくはできたが、「やっぱりマーガリンじゃダメだな」と独り言のように言って(マーガリンカレーで充分満足して食べている息子のとなりで)食べていた。そのことの意味を、この間の私の力作のバターのカレーを食べたときに、息子は何となく感じたようだ。「違いがわかる」のは何もコーヒーだけのことではない。 私はそのとき、たぶんこの息子は、私が死んだ後(私を忘れた後)にも、自分の子供に「やっぱりマーガリンじゃダメだな」と言って、家族に手製のカレーを作ってやるのかもしれない、と一瞬思った。そういったどうでもいいことくらいしか、私には記憶という点では父の“思い出”がない。たとえば、オロナミン「C」を飲めば元気になる、というわけのわからない確信に満ちておいしそうに飲んでいた父、そんなことしか思い出さない(私においては、リポビタン「D」になっているが)。 だから、思い出というのは忘却の別名である。オロナミン「C」やバターカレーに父親の本質などあるわけがない。「(私が)私である」ことが、父が生きている(=死んでいる)ことの意味であって、そこにしか、父の存在はない。 だから、家内が家にいない(あるいはこの世にいない)、というのもそれはそれでどうということもない〈変化〉にすぎない。そういうことと関係なく、私、家内、息子の「関係がある」、それが家族の本質だ。 最近、何度も入退院を繰り替えすものだから、だんだん家内のことに触れない人も増えてきたが(その様子を見ているだけでも面白いが)、「自炊も大変でしょ、これまでさんざん勝手なことをやってきた罰よ。そろそろ芦田さんも家族(奥さん)のこと考えてあげなきゃ」なんて、世間と人生の代表のような顔をして言う人も増えてきた。 気分が悪いのは、この「そろそろ」という言葉だ。こういう人は、〈人生〉というものが存在していると思っている。〈人生〉というのは、人の一生を空間的に(あるいはリニアな時間のように)表象しなければ出てこない言葉だ。そして人間50歳近くにもなれば、人生のかなり端(あるいは終わり)に来たという認識を持っている。社会的には、校長や社長や理事長、あるいは総理大臣にもなれば、もはや先はないというように。そんな馬鹿な〈人生〉はない。 「未完成の人間であっても終わるし( … )、また他方、人間は自分の死によって初めて成熟に達する必要はないどころか、終わりに至る以前にすでに成熟を踏み越えてしまっていることもありうる。人間はたいていは未完成の内に終わるか、さもなければ崩壊と憔悴のはてに終わるのである」(Sein und Zeit、S.244、1927)。『存在と時間(Sein und Zeit)』http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3aefc10412c880103cc4?aid=&kywd=%C2%B8%BA%DF%A4%C8%BB%FE%B4%D6&ti=&ol=&au=&pb=&pby=&pbrg=2&isbn=&age=&idx=2&gu=&st=&srch=1&s1=za&dp= のもっとも好きな一節の一つであるが(ハイデガー38歳の時の著作だがhttp://www.logico-philosophicus.net/profile/HeideggerMartin.htm、30代後半でこういったことが言えるというのはなかなかのものだ)、「そろそろ」と言い始める人は、その人こそが、終わる前に「成熟を踏み越えてしまっている」人なのである。 人は、死ぬ前に死んでいることもある。〈人生〉は、死んで初めて終わるものではないし、完成するものでもない。あるいは死へ向かってひたすら細っていくわけでもない(小便も大便もたしかに細くはなるが)。私の人生が終わっているとしたら、それは年齢によってではないし、〈校長〉だからでもない。ましてや家内の闘病によってでもない。そういった〈変化〉は、人間が終わる、ということとは何の関係もない。人間が終わる、というのは、そういった〈変化〉とは何の関係もないところでいつも生じている。そういったことが、わからない人に〈人生〉を語る資格はない。〈人生論〉というのは、〈人生〉を甘く見ている人たちの生き損ないの哲学にすぎない。というより、哲学は人生を語りはしない。人生論を超えるのが哲学の思考であるのだから。 |
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