2000/10/14(土)15:50 - 芦田 - 256 hit(s)
書店によったら、『文芸春秋』が「なぜ人を殺してはいけないのか?と子供に聞かれたら」という特集を組んでいた。
私はこの種の雑誌を滅多に買いませんが、気になるので久しぶりにお金を出して買ってしまった。やっぱり、買わない方がよかった。
山折哲雄(宗教学)、野田正彰(精神分析学)、岸田秀(精神分析学)、矢沢永一(国文学)、三田誠広(小説家)など一冊くらいは自分の書棚にある人たちの名前が並んでいたので、意見を聞いてみたいと思って買ったのに、期待した方がばかでした。
この人たちは、結局は凡庸な“ヒューマニスト”にすぎないのです。
私であれば、自分の子供に、「人間は殺しうるものだけを愛しうる」と教えたい。
人間の歴史は、殺すこと(否定すること)の対象を拡大することにあったわけです。
自然が驚異(あるいは恐怖)の対象であった時代には、自然を愛することなどはあり得なかった。
自然から自由であることが自然を愛することの根拠であったわけです。
そのようにして、人間の歴史の“進歩”というものがあり得た(自由の拡大は愛するものの拡大でもあったわけです)。
一人の人間を愛することができる、という根拠も、その人間から自由に離れうる(その究極の形態として殺しうる)ということなしにはあり得ないことです。
人間が武器や戦術を持ちうるというのは、人間が自然的な諸条件(子供、女性、病者など)を超えて、どう猛な動物や強者から自由であるということです。
つまり人間は自由に殺しうるからこそ、自由に愛しうるわけです。
「なぜ人を殺してはいけないのか」。バカな問いを発してはいけません。殺すこと(殺しうること)は、人間の最大の自由です。
2000/11/6(月)00:15 - 芦田 - 231 hit(s)
ザウルスの新製品が出ると、手持ちのザウルスを安く売って、新しいものと買い換える。ノートパソコンの新製品が出るとまた手持ちのものを売って、新しいものと買い換える。ローンが終わるとまた別のローンが始まる。
消費は欲望の充足というのが経済学の原則だが、むしろ消費こそが、欲望の充足を延期している。消費が生産を喚起している。買えば買うほど欲しくなる。それが「消費社会」といわれるゆえんだろう。この社会の特質は、〈終わり〉が見えないということだ。いつまでたっても充足することがない。ローンがずーっと続くということだ。もともと近代経済は信用(ローン)の経済であり、信用の本性は破綻を先延ばしするということである。つまり信用の本性は延期ということにある。
そういえば、ずーっと続くということの始まりは、冷蔵庫だった。電気をつけっぱなしの家電の最初が冷蔵庫だった。それまでは、外出するときは、電気メータの停止を確認して出るくらいに、付けっぱなしということはなかった。今では、まずテレビのブラウン管に低電流が流れっぱなし(テレビがすぐ付くというのは最近のできごとで、昔は2〜3分かからないと画面が出なかった)。ビデオデッキやその他の家電に潜んでいるタイマー表示の液晶が付きっぱなし(もちろんタイマーも動きっぱなし。まるで時間が永遠に続くかのように)。ようするに家の中では、いつのまにか目に見えぬ消費の慢性化がおこっていて、誰もスイッチを切ろうとしない(=終わろうとしない)。
付きっぱなしという現象は、時間や空間を支配する仕組みだった。冷蔵庫は、都市化現象(生産地である農家と消費地である都市との分離)とともに登場した。隣の畑に野菜があった頃は、保存冷蔵の必要はなかったのである。冷蔵庫のために、新鮮な野菜は犠牲になったが、この分離のおかげで、日本中、世界中の食べ物を食べられるようになった。あるいは、冬でも夏の食べ物を食べることができるようになった。
食べっぱなし、食べることに終わりのない現象。
つまり、食べることが自然(的な時間や空間)からの制約としてではなくて、意識的な選択の結果として生じるようになったということ。ビデオが登場して、テレビの時間(テレビの昼と夜)が意識的な選択の対象となったように、ここ数十年の近代化は、すべて選択性(=意識)の増大という動機を原理にしている。というより、近代化は、選択性の増大こそを主題としていたのである。「自由」「平等」「主体」といった近代的な諸概念は、すべて選択性の増大なしには成り立たない概念である。
そうして、情報化は、その選択性の増大の極限の現象である。大型コンピュータが、「パソコン」になり、「パソコン」は「モバイル化」され、「モバイル化」されたパソコンは「携帯電話」になった、ということだろう。こういったコンピュータの進化は、「いつでもどこでも」を動機にしており、それは世界大の情報受発信、世界大のデータベースの形成と利用を目指している。これほどまでの選択性の増大はありえないだろう。〈情報〉という装置はあらゆる自然的な差異を中性化し、DNA操作によって〈身体〉も選択の対象としつつある。
選択性の増大は、意識の増大を意味している。無意識、偶然、歴史的な所与を嫌う。携帯電話をもった恋人たちが、その破綻の瞬間に(彼や彼女の浮気を予感して)病的なくらいに(秒刻みで)「リダイヤル」ボタンを押し続けるのは、意識が関係を規定しているからである。自然な壊れ方ができなくなっている。別れるときにも〈選択〉しなければならない。別れるときにも〈理由〉がなければならないのだ。
結局、〈意識〉はいつまでも死なない、ということだ。ずーっと電気が付きっぱなしのように、意識もその本性からして連続的なのである。〈都市〉が24時間生き続けている、そして今では〈サーバー〉が24時間生き続けるように、〈意識〉が極限まで拡張されつつある。すべては終わらない(かのようである)。
人間の死も、同じようにDNAの解読(情報解読)によって相対化される。それは、身体を情報化する技術であって、人間も終わらない。〈ローン〉を払い続けなければならないからだ。死ぬこともできないかのように、〈終わり〉が退却し続けている。
休息のない日常。
それに疲れた人たちが、〈宗教〉に走る。〈ローン〉に終わりが欲しいように、〈終わり〉がほしいのだ。死にたいということだ。
終末論と情報化社会は対局のところにある。情報化が進めば進むほど、宗教化(宗教的な逃走)も進む。膨大な〈終わり〉のストーリー、この世をあの世から分け隔てるストーリー、死のストーリーができあがる。
しかし、こういった〈終わり〉のストーリーが〈終わり〉を忘れるためのもうひとつのストーリーだとするとどうであろうか。情報化も宗教も、結局のところ〈終わり〉を根源的に隠蔽するストーリーだとするとどうであろうか。
2000/11/8(水)14:18 - 芦田 - 130 hit(s)
要するに、「消費者ニーズ」というのは、マーケティング学者の幻想だということです。そんなものは存在しない。売れたものが存在する。それは確かです。そして、その事実から売れたものの「ニーズ」が存在していた。それもありえるでしょう。要するに、「ニーズ」はあとから作られたものにすぎないということです。したがって、売れる前に「消費者ニーズ」をつかむというのは、結果と原因を転倒させた事態なのです。そういうことに経営者や担当者が必死になるというのは、ただ単に自分の企画力に自信がないからだけなのです。要するに“決断”の物語をほしがっているだけなのです。うまくいってもマーケティングというのは、読ませる物語どまりです。
ところが、e-コマースやe-ビジネスは、このマーケティングの物語をますます冗長化させて、あたかも「消費者のニーズ」が実体的に存在するかのような幻想をふりまいています。というのも、売れた商品の情報のタイムラグが極限まで短縮化されるからです。マーケティングは所詮結果論だと言っても、その結果がでるのが秒単位に縮まれば、マーケティング主義が蘇生するのは目に見えています。そうやって、マーケティングバブルが、10年前のバブル時代以来(10年前にマーケティングがはやったのは、10年前は何を言ってもモノが売れたからです)、また復活してきているというのが、e-コマースやe-ビジネス現象です。
もちろん、それはさらに大きな幻想です。モノを買うというのは、ニーズにあったものを買うということではない。“こんなものがほしかった”というときに存在しているのは、消費者のニーズではなくて、そのモノの喚起力です。あとから、消費者はそのものの機能を発見しているのであって、自らのニーズを、そのモノに見込んでいるわけではないのです。つまりモノ(商品)の存在の方が「消費者ニーズ」よりいつでも大きいということです。それを私はモノを買うときの“驚き”と呼んだのです。
経営学やマーケティングをやっている連中は、この現象をいつも見落としています。
2000/11/9(木)23:42 - YW - 68 hit(s)
消費者のニーズは必ずしも普段目に見えたり心で感じられたり言葉で表されたりする必要はありません。
私たち消費者には潜在ニーズがあるからです。
だから「こんなモノが欲しかった」と思えるモノが少ないのではないでしょうか。 芦田さんのような消費者なら、「驚き」とともに消費したいというのがニーズだと思います。 もしくは購入後に「驚き」を感じて満足したものが潜在ニーズだったとか…。
いつも面白い考え方を教えてくれる芦田さん、私への反論を期待しています。(でもあまり難しい日本語で書かないでくださいね。)
2000/11/10(金)13:33 - 芦田 - 89 hit(s)
「潜在的ニーズ」というのも、商品が売れてから(あとから)生じているものです。
たとえば、「ウォークマン」なんて最初売れるわけがないと思われていました。それ以前(今から約20年前)は、「テープ」メディアは「テープレコーダー」という概念しかなく(つまり音を録音するということにしか関心がなく)、録音できない再生専用のメディアに関心は全くなかったのです。新しいモノ好きの私もさすがに(最初)買いませんでした(何でも発売日に買うのが私の悪趣味なのですが)。ソニー内部でも賛成したのは社長の盛田だけだったといわれています。またカップヌードルのアメリカ進出もアメリカでかなり念入りにテストマーケティングを行い、結果、アメリカ進出は意味がない(成功しない)、との調査結果を得た社長は、「そうか、それでは進出しましょう」と決断したと伝えられています(どこまで本当かどうかは別にして)。
しかし、両者の「ニーズ」は今では歴然としています。どちらも、潜在的ニーズすら予想がつかない状態で出発したのです。売れてから(売れた後で)、そういった「潜在的ニーズ」があった(ニーズが顕在化した)、というわけです。「ニーズ」はいつでも過去形です。
アサヒビールや日立の静御前(洗濯機)でも、マーケティングの成功例のように語られていますが、神戸大の石井淳蔵が『マーケティングの神話』で明らかにしたように(この左翼崩れの学者は『マーケティングの神話』でシャープな論陣をはりましたが、最近の『ブランド』(岩波新書)で、結果論を整理するだけの従来のマーケティング論者になりさがりました)、それらの開発過程はジグザグで、成功した後に脈絡がたどられているだけだということです。
後から見れば、どんな試行錯誤も一本道です。それは、人の人生に似ています。たとえば、黒柳徹子は、『窓際のトットちゃん』というベストセラーの“自伝”の中で自らの就学時代の、むちゃくちゃないたずらをして育った様子をあけすけに語っています。そして、そういった自由な気風が今の自分を作ったということが言いたいのでしょう。こういうことが自伝(他人様の前)で書けるには、ひとつの前提が必要です。それは、今の自分を肯定しているということです。今の自分は自他共に認められている存在だということです。だから、欠点も美化されるのです(つまり「自伝」を書いたとき、その人の人生=成長は終わったということです)。それは数学でノーベル賞をもらった人が「自分はむかし算数の成績はさんざんだった」と言えるのと同じです。あるいは、(野球選手の)落合は生まれたとき(物心つかない頃から)からバットを握っていた、と「母の談話」がもっともそうに伝えられるのと同じです。
それらは、〈結果〉の方から(=あとから)たどられる〈原因〉です。そして“失敗”は、成功したときにしか語られないものなのです。誰が、失敗した人の失敗話を聞くでしょうか。
そうやって、数々の「潜在」性が作られていくのです。黒柳徹子の今は、自由な気風の学校の中に「潜在」していたとかいうふうに。
もちろん、こんなものは幻想です。もっときちんとした教育を受けていれば、黒柳徹子は、もっとまともなタレントになっていたかもしれません。つまり、こういった幻想の物語が真剣に語られうるのは(そういった人の話を真剣に聞く人がいるのは)、その人やその商品の現在の威力や勢力を肯定しているときにだけなのです。黒柳や落合の今を否定している人にとっては、何の意味も持ちません。
それは、どういうことか。要するにマーケティングというのは根本的に保守的なもの(現状肯定的)だということです。それは、マーケティング関係者が有名人や有名なものばかりにすり寄っていくプロセスを見ていればわかります。つまり、彼らを信じて商品開発をする企業に〈新しい〉ものは作れないということです。
2000/11/11(土)02:06 - YW - 65 hit(s)
なぜ「潜在」が幻想だと言い切れるのでしょうか。
「潜在」がジョハリの窓でいったら"Unknown"の部分だとすると、過去形になるからこそ「潜在」なのではないでしょうか。私は「潜在」が後から作り上げたものだとは思いません。もとから存在したものだと思います。結局「潜在」が本当に存在したかどうかを肯定するか否定するかによって私と芦田さんの意見は分かれるのですね???(私の芦田さんのコメントに対する解釈、あっています???今回はとてもわかりやすくてよかったです。「書物の時間」のような口調だったらどうしようかと思っていたので。)
もし芦田さんが言うように「喚起力」がモノの売れる理由だとしたら、その「喚起力」というのはどのようにして作られるのですか。(前の方のコメントでこの質問に答えていたらごめんなさい。それでももう一度説明してください。)
2000/11/11(土)03:16 - 門外漢 - 75 hit(s)
消費者のニーズなるものは確かにないにしても、たとえば、テラハウスにおける理念?なるモノを形成していく場合にある種の「確信」はあります。
すくなくともこの「競争」は熾烈をきわめます。この「見つけた」は単なるモノの喚起なのでしょうか?
つまり私の言いたいことは「ウォークマン」にも取り下げられたたくさんの「ウォークマン」があると言うことです。この「競争」のレベルがよくわからない。
2000/11/11(土)23:20 - 芦田 - 92 hit(s)
過去が“後から”やってくるということをこういうふうに言い換えたらどうでしょうか。
過去は、将来からやってくるというふうに。あるいは、人間の今・現在は、過去からの累積の結果として存在するのではなくて、将来から照射されて存在しているのだというふうに。あるいは、もっと別の言い方をすれば、人間にとっては生きることが先にあるのではなくて(つまり生の拡張として今・現在があるのではなくて)、実は死ぬということが先にあって、人間の生自体は幻想。人間が生きていることは死にはじめていることのメタファーだとしたらどうでしょうか。
人間にとって最も確実なことは、生きていることではなくて死ぬことです。必ず生きるのではなくて、必ず死ぬというのが人間です。そうすると、この世に生を受けるというのは死にはじめるということであるわけです。生きてから(その結果)死ぬのではなくて、そもそもの生のはじめから、死にはじめているということです。つまり人間の生きることは、まだ死んではいないことの結果としてのみ生きることなのです。生きることは、死ぬことの間延びとしてのみ存在しているということです。死は、終点としての点ではなく、空間です。むしろ生こそが、死ぬことの影であって、生の影が死ぬことではないのです。
そのように、人間の今・現在は、過去からの連続的延長、つまり生の実在生(生きることの因果)としてではなく、死の将来性からの結果、つまり自らの死の贈り物として考えられるのではないか。もしどうしても「潜在」性ということを言いたいのなら、人間の今・現在には、死が潜在している、つまり死という将来が潜在しているということです。
それはどういうことでしょうか? たとえば、黒柳徹子にとっての「自由学園」(黒柳の就学小学校)というのは、彼女が一タレント(“自由”業)として成功している(かのように見えている)という(自由学園就学時代にとっての)未来からはじめて生じる過去だということです。〈過去〉とはその意味で実在するものではなく、これから自らがなすことから将来するもの(やってくるもの)だということです。講壇哲学では、存在論的な先行性(実在的な先行性)と認識論的な先行性(認識にとっての先行性)との2種類の先行性がある、などとくだらないことを言ったりしますが、要するに人間の生の時間性は、物理的にリニアな(線的な)ものではなく、むしろ曲がっているということです。
要するに、〈歴史〉とは、今・現在の解釈の一形態だということです。そして、今・現在が解釈であるのは、それがたえず将来する死の淵だからです。死の振動が〈現在〉だからです。したがって、歴史解釈は、連続性(因果関係、あるいはあなたの言う「潜在」性)を解釈することではなく、〈ウォークマン〉が登場したときの違和感(こんなもの絶対買わない、と私や私の周囲が思った違和感)を浮き彫りにすることでなければなりません。歴史的感覚の使命は、心理学やマーケティング主義の安易な因果論とは無縁であって、既に勢力のあるものの断層を見出すことにこそあるのです。
もし『窓際のトットちゃん』を読んで、「自由学園」の教育を優れた教育だというひとがいるとすれば、それは単に黒柳徹子の〈現在〉を評価しているだけであって、「自由学園」を評価しているわけではないということです。「自由学園」の存在は、単に拡大した黒柳徹子にすぎません。それは、黒柳徹子の〈現在〉=プレゼンス、つまり〈権威〉が拡大しているだけなのです。要するに、黒柳徹子は、自らの伝記を書くことによって、自分は偉い、とうぬぼれただけのことです。
私の大学時代の恩師は、サルトルは、ドイツ語もできないし、ハイデガーの勉強を一年くらいしかやっていないと言って批判していました(突然、そう言いながら授業が始まったのです)。また同じようにフッサールもまともに哲学を勉強した経歴がないといって批判していました。そのこと(サルトルはドイツ語ができない、ハイデガーをまともに読んだことがない、フッサールは哲学史についての素養がないなど)をサルトルやフッサールの数々の生涯的(歴史的)事実を指摘しながら、〈だから〉サルトルはだめなんだ、フッサールはだめなんだ、と言いたがったのです。その授業が始まって(サルトルやフッサールの〈過去〉をあばく事実の指摘が始まって)、かれこれ一時間くらいたっていましたが、私は、そのとき、「先生、まだ続くんですか?」と言ってしまいました。「なぜだ」と先生は言いました。「だって、くだらないもの」と私。「なぜだ」と先生。「だって、その同じ事実を、サルトルの擁護者であれば、ドイツ語ができないのに、あるいはハイデガーを一年しか勉強しないであれだけの立派なことが言えるのはさすがサルトルだ、というふうに言うでしょう。フッサールについても同じじゃないですか」と私。「でも(先生の言っていることは)少しは役立つだろう」と先生。「まったく意味がありません。FOCUS・FRIDAY的ゴシップにすぎません」と私。そのゼミ室は学生が7人しかいない。一瞬シーン…。先生は激怒。机をたたいて出て行かれた。「おい、この授業、来週からどうなるんだ」とみんなウロウロ。なつかしい思い出だ。
ここでも、問題はただ一つ。要は、サルトルやフッサールの〈現在〉をどう評価しているかだけのことです。私の先生はただサルトルやフッサールが嫌いだったということにすぎないのです。そのことが〈先〉にあって、サルトルやフッサールの〈生涯〉が存在しはじめるということです。あらゆる伝記(=あなたの言う「潜在」性)は、そういった転倒の上に成立しています。「unknown」も「known」の拡大された形態だということになぜ彼らは鈍感なのでしょうか。「ジョハリの窓」のマーケティング心理学(あるいはマーケティング全般、心理学全般)がまったくでたらめなのは、彼らがこういった転倒性に無知なままでいるからです。むかし、レベッカのノッコがNERBOUS BUT GLAMOROUS(私が大好きな歌の一つですが)の一節で、「星の巡り合わせなんて簡単なものね 落ちればみんなそう言うわ」と歌っていたのを思い出します。マーケティング主義や心理学は、レベッカ以下なのです(と、書いたら急にレベッカが聞きたくなって、今、我が家ではNERBOUS BUT GLAMOROUSが大きな音で鳴り響いています。「ポイズンツアーコンサート1988」のレザーディスクまで棚の中から探しはじめています)。
ところで、「YW」さん、私の『書物の時間』をご存じだったのですね。あれは、私の80年代の仕事の総決算です。いまでも基本的に間違ったことは書いていないと思っています。悲しいのは、むしろあれから一歩も進めていないということです。
2000/11/12(日)00:45 - 芦田 - 63 hit(s)
「競争」という概念は、マイケルE.ポーターがいくらがんばってもほとんど意味のない概念です。マーケティング学者は、なぜ、こうもとんまなやつばかりそろっているのでしょうか。「競争」という概念は、「ニーズ」や「マーケット」という言葉を信じるから出てくるのです(消費者を実体化するということ)。「ニーズ」という考え方の前提にあるのは、商品の存在が消費者の要望や存在に“一致する”ということです(あるいは厳密に言えば、“一致”を目指すということです)。
しかし私に言わせれば、それはせいぜいのところ一致するだけです。数々の商品生産はこの枠内での縮小再生産を繰り返すことでしかなくなります。つまり「競争」です。相対的な勝利(と敗北)を繰り返すだけなのです。「広告屋」は、相対的な勝利と相対的な敗北を再生産しているだけなのです。「ニーズ」を目指すビジネスは別の「ニーズ」に(必ず)負けます。そしてそうやって「広告」や「競争の戦略」が必要になるのです。私はそういうものを〈経営〉とは思いません。
2000/11/13(月)21:57 - 芦田 - 84 hit(s)
ところで、「ニーズ」や「共感」に基づくマーケティングが、なぜ生じてしまうのか?
それは、「個人の(としての)自由」を求めてきた「近代化」が、自由になったとたん自己を失ってしまう、という背理を背負うことになったからです。
かつて、丸山真男は、極端な自由主義は、専制主義と同じだといったことがありました。生まれ育ちに偏りがあるからこそ、われわれは、安心してコミュニティ(「国家」「地域」「集団」「友人」などの)を形成している、つまり数々の先入観とともに、われわれのコミュニティが成立しているのであって、もし、そういった先入観のない(先入観を持てない)丸裸の人間が露呈するような社会は、お互いにお互いが監視しあう(たえずゼロから認識を築しなければならない)警察国家になってしまうだろう、というのが(たしか)丸山の言いたいことだった(『現代政治の思想と行動』:私が18歳の時に読んだ本でうろ覚えだが、しかし政治学の話をこんなにおもしろく書ける人は当時も今でもいないと思う)。
丸山の言いたいことは、たとえば今日で言えば、公開メール(たとえば、この「芦田の毎日」のような)でやりとりするコミュニティを想定すればすぐに理解できることだ。そこでは内容そのものが丸裸で露呈するという環境が存在している。記名も根拠がない、どこの誰ともわからない、まして所属もわからない、つまり「自由な主体」=「近代的な自由」が実現している。そこでは、しかし「誰だ、この人は?」という警察的な視線がたえず注がれ続けている。自由であるとともに専制的であるわけだ。
というより、近代において、国民教育(教育の大衆化)が発生したということは、人が個人として自由になる分、警察的なスペキュレーションの必要性がともに生じたと言える。人々が〈思考〉を持ち始めたということは、人々が、自由になり始めたということと同じ現象だったのである。要するに、帰属性の形態が猜疑心(=近代的な思考力)にとってかわったのである。
それが、〈再認〉という事態である。自由である分、「僕って誰?」「あなたって誰?」という問いかけを経由してはじめて、自他の関係ができあがるというものだ。
そうやって、ものを買ったり、消費したりするプロセスが反復的に増強される。『DIME』や『モノマガジン』といった(カタログの集積か批評か)わけのわからない雑誌が存在したりするのも、自らの買おうとしているもののコミュニティ(自らの帰属性)を再認するためのものだ。「潜在/顕在」や「共感」といった同じ事態を二重化するマーケティングが登場する。そうやって、モノを買うことにおいて、共同体を、そして自己を再生化しているのである。モノを買う消費の主体が実体的に存在しているのではなくて、モノを買うことによって自己を後追い(=再認)しているのである。
2000/11/26(日)23:00 - 芦田 - 152 hit(s)
労働省の研究会(これについては、「芦田の毎日」7番、108番で言及)が19:10(11/24)に終わったので、このまま帰っては、新橋に来た意味がないと思って(もちろんキムラヤでは30分ほどうろうろしていたが、アルマーニのネクタイはドンキホーテの方が安かった)、銀座の広告社(老舗の広告代理店)のメンバーに連絡をとって、夕食でも食べながら情報交換でもしようと思った。場所はもちろん「天狗」。何を隠そう、私は「天狗」の大ファン。特にネギトロ巻きの品質管理は大したもので、どこの「天狗」に行っても、味がかわらない。すごいと思うのは海苔の新鮮さ。下手なすしやよりもおいしくて、これには他の居酒屋はかなわない。
さて、そこで問題になったのは、広告代理店の「代理」という言葉。「最近は広告代理店とは言わず、広告会社と言ったりもするんですよ」と担当者。「ネット時代、これからの広告“代理”店はどうなるのでしょうかね」。老舗の広告会社も悩んでいるんだなぁ…。
そういえば、この間、テラハウスに、バナーズなんとかという会社の営業が来ていて、インターネット上に広告を出さないか、という提案をしていた(こういった提案は、テラハウスにいると月に何度かある)。その提案は、ネット上でテラハウスについての質問を3問与え、それに答えたら、そのサイトの会員はポイントを獲得し、ポイントを加算しながら、そのサイトに登録するショップでポイント分の減額サービスを受けながらショッピングできるというもの。
広告主のメリットは、質問に答えなければならないため、テラハウスの情報を周知しやすい、その周知の延長上でクロージングに持っていくための機会が増大するというものだった。
広告料は、サイトの会員が、一問回答(正答)するたびに100円(3問で300円)。この金額は加算式ではなく、最初のロットは3000件回答の先払い。つまり最低でも30万円分は先払いしなければならない。この金額が切れたら(3000件の正答が生じたら)、また再契約の判断をせまられるというものだ。
私は、こういった先払いの広告掲載は、古いメディアの形式だと思う。こういった30万円は、たとえば、紙のメディア(たとえば、『ケイコとマナブ』や『仕事の教室』)のページのある部分を買い取って広告を打つという形態と同じものだ。
何が同じなのか? 成果報酬型ではないということである。これまで広告会社(広告“代理”店)は、こうすればお客様がこられますよ、と様々なメディアを紹介し、実際には来るか来ないかわからない内にメディアコストを先徴収してきた。実際、前もって言ったとおりにお客様が来る場合もあったし、来ない場合もあった。来ても来なくても、先払いしたコストは同じ。広告主は、来たら得をし、来なかったら損をする。損をした場合に特に損害賠償があるわけでもないし、得をしたから広告会社がその分儲かるわけでもない。せいぜいのところ、広告会社への信頼感がまして広告主のリピータ率が若干高まる程度のことだ。こういった広告主と広告会社(広告“代理”店)との曖昧な関係の中で、「費用対効果」というもっともそうでわけのわからないマーケティング用語が飛び交っていたわけだ。
なぜ、媒体費用は、先払い(先契約)になるのか? 媒体にお金がかかるからだ。制作費(デザイン、印刷、放映費用など)や流通コストなど、さまざまなコストがその効果測定ができる前にかかっているからである。だから、その分、先払い(費用の先契約)になるのである。
しかし、ネットメディアは、そういったコストはほとんどかからない。今、多くの広告会社は、コストがかからないネットメディアを使って、安易な思いつきの企画を乱発している。他のメディアと違って、準備期間やプロジェクトスタッフの組織化、あるいは先投資が(他のメディアに比べれば)ほとんど不要。その分、安易な企画も通りやすい。稟議の上長も金がかからない分何も考えずにはんこを押してしまうのである。
一方、クライアントも従来のメディアの延長で費用を考えるため、先払いのコストをそのまま払ってしまう。そうなると広告会社は大儲けだ。元手がほとんどかかっていないからだ。ますます図に乗った企画が蔓延する。
しかし、誰でも参画できる(安易な)企画である分、競争が激化する。そして多くのネットメディアは生き残れない。これが現在のE-マーケティングの実態だ。
お金がかからないところで、お金を取ろうとするからいけないのだ。制作費や流通コストがかからないにも関わらず、従来通りの先払い(コストの先契約)を強要するのがいけないのだ。先の例で言えば、まだクローズィングしていない、質問に答えただけの段階で100円の金を取るな、ということだ。しかも減点制で先に3000件分30万円の“掲載費用”を取られる、そんなバカなことはない。今、安易な広告会社は、利幅が大きいこのネットメディア“粗利”に目がくらんでしまっている。
メディアにコストがかからないということの意味は、ネットメディアは成功報酬型のメディアだということだ。
そんな子供だましのようなクイズの正解で、広告主から金を取るのではなくて、広告主の目的そのものであるクローズィングの件数で費用を取ること(たとえば契約高の10パーセントをペイバックするというように)をなぜ考えないのか?
ネットメディアこそが、成功報酬型の広告を可能にする。広告主が儲かれば儲かるほど広告会社も儲かる。広告と経営の垣根がネットメディア上では低くなり、より経営的な感覚のある広告会社が生き残る。これは広告の健全な発展だ。
媒体コストが広告会社にとっても(とってこそ)負担にならないということは、広告会社は、直接顧客を組織し、またその顧客を直接広告主に結びつけることができるということだ。これは別に新しいことではない。この商品を(本当に)必要としている顧客はどこにいるのか、という広告会社本来の仕事がますます先鋭化するだけのことである。したがって、広告会社にとって、ネットメディア事業にどう参加するべきかなのというのは、選択の問題ではない。成功報酬型は、広告そのものの本来の形式なのである。ここで生き残れない広告会社は、本質的に広告の意味がわかっていない会社だということだ。要するに「費用対効果」などということを未だに言い続けている広告会社もそのクライアントも、消滅するしかないということである。
もともと広告主は、広告評価(「費用対効果」検証)などしたくないのだ。してもほとんど気休めだからである。広告主が広告評価をせざるを得ないこと自体が、広告営業の失態(広告会社の無能力)なのである。従来は、広告会社(広告“代理”店)のこの怠慢を、営業マンの営業力(=ウソを本当らしく見せる能力)が補ってきた。しかしネットメディアでは、営業マンの(広告主にコストを先払いさせるための)セールストークは、必要がなくなる。成功報酬型の広告掲載を拒む広告主はいないからだ。掲載しない方がおかしいのである。
そう言って、私は、先のバナーズなんとかという会社に、100円とは言わず、クローズィングしたらお客様の契約額の10%を出すから、そういった契約ができないのか、と持ちかけた。社長にそういいなさい、と。「それで社長が首を横に振るなら、あなた達の会社もそう長くはない。ネットビジネスが何であるのかを何もわかってはいないのだから」と。
さて、どんな返答が来るのか楽しみだ。
2000/12/1(金)00:23 - 芦田 - 196 hit(s)
HONDAが作った2足歩行のロボット「ASIMO」が最近話題になっている。70年代80年代に流行ったのは、人工知能論やロボット開発だった。ところが90年代、そういった人工知能論とロボット開発の陰に隠れていたネットワーク技術(通信技術)が一気に前面化する。インターネットだ。そして10年の“潜伏期間”を経て人工知能論やロボット開発がまた流行りそうだと巷での噂。
実際に、人間が歩くように“歩く”ASIMOをみていると、中に人間が入っているような気になる。機械が人間をまねているのではなくて、人間が機械をまねているように見える。これは、思想的には、行動主義(behaviorism)の勝利と言える。
行動主義というのは、人間というものを実体化するのではなく、刺激と反応の関係(あるいは機能)の編み目の中で見出そうとする。
なんらかの〈心〉〈精神〉〈思考〉〈人格〉などが、まず存在していて、それが〈人間〉を構成していると考えるのではなく、ある刺激(INPUT)に対して、その被刺激体が、どんな反応(OUTPUT)をするのかが、その被刺激体が何であるのかを決定する、というのがワトソンが提唱した「行動主義」の思想である。
この立場からすると、人間とは、人間らしいOUTPUTをもつXのことである。身体(からだ)の中に血が流れている、というのは人間の証には必ずしもならない。血が流れていても、場合によっては、植物以上に反応の薄い人間もいるかもしれない。
行動主義は、人間をある意味では形式的に差別しはしない。温かい血が流れている、というのは人間にとっては形式的なことで、だからといって、その人間を人間的であると見なすべきではない。そのことと温かい心を持っていることとは、まったく別のことだからだ。
では温かい心を持っているとはどういうことか。それは、温かいこころを持っていると判断できるOUTPUT(行動)が存在するということだ。ということは、ロボットが温かい心を持つということは可能ではないか、というのが行動主義の核心だ。温かい心を持つということは、温かい心を持つと判断できるOUTPUT(=表現)がそうさせているのだから、「温かい心」が先にあるわけではないのである。「温かい心」というのは行動や表現の結果なのである。
つまり人間が歩くかのように歩くことができるASIMOは「人間である」ということである。
脳死=人間の死と日本政府がみなしたのはつい最近のことだが、これも行動主義の立場に日本政府が立ったということを意味している。脳死が人間の死と同じだというためには、機能しない(反応しない)ということは、存在しないことと同じだという前提に立つことだからである。ちょうど社会主義が「働かざる者食うべからず」と言ったのと似ている。現に社会主義国では、昔から特権階級(共産党幹部)への臓器移植が横行していた。
人間の存在が、機能的(ファンクショナル)な存在であるとみなすかぎり、ロボットは、どこまでも人間的な存在になり得るだろう。しかし、はたしてそうなのだろうか。もし脳死が人間の死ではないとしたらどうだろうか。
2000/12/11(月)23:40 - 芦田 - 50 hit(s)
行動主義は、〈心〉という〈内部〉は存在しない、と考えるわけではない。〈心〉とは、(反応的行動)の効果(effect)だと考えているのである。
たとえば、「男は外見じゃない、中身よ」という女の子がいたとする。もし、この言明が本当なら、この娘は誰とでもまず(無条件に)交際を開始しなければならない。
ところが、そんな娘に限って、交際を申し込むと「忙しいから」と言って断られる。これはどういうことだ(何度そうやってだまされたことか)。
結局、その娘は、外見(behavior)で選んでいるのである。彼女の言う「中身」は、交際の結果生じた「中身」であって、「外見」と対照される「中身」ではない。「外見か、中身か」というふうに対照される「中身」ではない。
「外見じゃない、中身よ」というのは、「付き合ってみると外見から思ってたほど悪い人じゃない」ということだろうが、そすると、その最初の「付き合ってみると…」の付き合いは、どうやって始まるのだろうか?
この「付き合ってみると…」の開始は、むろん「中身」が動機にはならない。「中身」は、付き合わない限り見えないからだ。最初に出会えないものは、したがって選択の対象ともならない。したがって、付き合いの開始(の“動機”、あるいは“選択”)は、それ自体「中身」ではなく、「外見(behavior)」である。
つまり、交際を開始する段階で、すでにある種の選択 ―「外見(behavior)」に基づいた選択 ― が終了しているということだ。要するに「外見」が二重化しているのである。
ちょっと整理してみよう。
「付き合ってみると外見から思ってたほど悪い人じゃない」と言う場合の「外見」は、付き合ってから生じた「外見」、結果としての「外見」である。これを、〈外見A〉と呼ぼう。
その「付き合ってみると…」の付き合いを開始する気になるかどうかをその娘に判断させている外見。これは文字通りの外見。この外見に基づいて、〈外見A〉と「中身」が二重化されている。この外見を〈外見B〉と呼ぼう。決着 ― ハイデガーという哲学者は、この「決着」を、ドイツ語でAUSTRAG(「決着」はもちろんのこと、(新聞・郵便物などを)配達する、持ちこたえる、耐える、調停する、([リストなど]から)自分の名を消す、守り抜く、保留する、などの意味があります)と呼んでいました ― は、いつもこの〈外見B〉においてついている。つねにすでに〈外見B〉において、“人間関係”は終わっている(つねにすでに終わっているし、そのようにつねにすでに始まっている)。この〈外見B〉は、いわば、「コミュニケーション」における原初の《外見》とでも言えるものである。
行動主義が「行動(behavior)」と呼んでいるものは、この〈外見B〉のことである。〈外見B〉が「人間である」ものは、〈心〉から「人間である」のである。
この〈外見B〉は、フッサールが「現象」と呼んだものに限りなく似ているように思える。事実、行動主義は、フッサール現象学の直系の(あるいは傍系の)弟子であるかのように振る舞ってきた。しかし、果たして、行動主義が現象学のあだ花だとしたらどうであろうか?
2000/12/6(水)01:32 - 芦田 - 188 hit(s)
ワイシャツがそろそろなくなってきて、教え子の勤めている小田急ハルクに(久しぶりに)行って来た。私は、首周りが44.5pもあるので、既製のワイシャツが駄目。情けない。いつも教え子割引のきく小田急でワイシャツを作っているが、電話で頼もうと思ったら、いつもの色がもう絶品になっており(私は、いつも少し濃いめのグレーを愛用しており、みんなから飽きられている)、行って再度色を決めるしかなかった(もちろんまたグレー系にしようと思っていた)。
帰りにせっかくハルクに来たのだから、と思って(魔が差して)、スーツ売り場に行ったら、これがいけない。気に入ったのがあって、どうしようか、と迷う。店員がよってきたので、「これ、糸の数、多いですか?」と尋ねる。私は、スーツ選びには、必ず糸の数を聞くことにしている。スーツが良いか悪いかはほとんど糸の数できまるからだ。夕方、帰路につくサラリーマンの後ろ姿を見て下さい。膝の後ろの部分がしわになっているスーツ(パンツ)があるでしょう。あの原因(のほとんど)は、糸の数が少ないからです。手を机の上に置いて肘を曲げたときにできる折れ皺が何とも言えないまろやかな(?)ループを描けるのは、糸が多いスーツを着ているときです。朝から、深夜の飲み会を経て、帰路でどしゃ降りの雨に見舞われても、パンツの線が消えないのは、糸が多いパンツをはいているときです。スーツは、糸の数がすべて。形でも色でも値段でもありません。
この糸の数を着る前(買う前)に見破るのは難しい。よく、おやゆびと人差し指で袖口を挟んでこする人がいますが、これではなかなかわかりません。私も必ずやりますが、5万円以下と10万円以上のスーツでも、この“診断法”では難しいと思います。
まず、店員に「これ、糸の数、多いですか?」と聞きます。それで、何のこと(そんなこと聞いてどうするの)? と戸惑いをおぼえる店員がいたら、そんな店のスーツは全部、糸が少ない、と思った方がいいです。すぐ立ち去ること。
この質問にのってくる店員がいれば、その店はまとも。すくなくともその店員はスーツ選びのパートナーになり得るということ。小田急の、その店員(岩井弥生さん!)はきちんとのってきました。「糸の数って、どうやってわかるの?」と私。「こうするんですよ」と言って、その彼女は、袖口より少し上のところをつかんで両手でもみくちゃにしました。「皺の戻り具合でわかりますよ」と。「なるほど」。これは「普通かな」。それでも、この「普通」は79000円もする。10万円以上のスーツを横に並べてもらったが、見かけでは(私には)わからない。「糸の数という点では、ここにおいてある10万円以上のスーツは、スーパー1200の数になります」と言う。「何、そのスーパー1200って言うのは?」。初めて聞いた言葉だ。「糸の数(細さ)を示す、業界の指標で、数が多ければ多いほど、糸は細く多くなります」と言う。「でも10万円以上でも(他店や他のブランドでは)1000以下のものもあります」。「10万円以上では1200はないと」とも付け加えてくれる。いい勉強をさせてもらった。しかしそうは言っても、「やっぱり金をかけないと駄目なのかな」と暗い気持ちになる。
でも私には、こういうものにお金をかける気がしない。靴と時計と洋服に金をかける人の気がしれない。いくら大切にしても必ず傷が付くからです。この3つは、時間がたつと駄目になる(傷んでいく)というよりは、使ってすぐにでも傷がつく、という宿命をもっている。これにお金を使うというのは(基本的にけちな)私にはわからない。
とはいえ、お金持ちというのは、こういったすぐにでも傷がついて使い物にならないものにでも、お金を使える人たちのことを言うのだろう。それを「ステイタス」というのだ、と(ついこの間)教えてくれたのは、テラハウスのDTM系の講師をして下さっている桐谷浩司(元ズーニーブーバンドリーダー)氏だった。なるほど、「ステイタス」というのは、そういうときに使う言葉なのか、とヘンに納得してしまった。
82000円のスーツでさえ、教え子の社員割引セールで59000円で買う私に「ステイタス」はほど遠い。嗚呼…。
2000/12/10(日)04:06 - 芦田 - 216 hit(s)
ジョージ・クルーニの『ザ・パーフェクトストーム』、デンゼル・ワシントンの『ザ・ハリケーン』、ジュリア・ロバーツの『エリン・ブロコビッチ』を最近、立て続けに見てしまった。この三者の映画に共通することは、すべて「事実」に基づいているということだ。実話なのだ。実話映画というのは、大成功か大失敗かどちらかだ。この三者とも大失敗。
『ザ・パーフェクトストーム』は、とんでもない映画。「史上最大の暴風雨」にジョージ・クルーニ船長(4、5人の乗組員がともに乗船)の漁船が遭遇するのだが、最後まで見て、唖然。船長も乗組員もみんなその「史上最大の暴風雨」で最後には死んでしまうのです。いったい、この話はどう実話なのか。「史上最大の暴風雨」との船上での戦いがほとんどを占めるこの「実話」映画は、いったい誰がそういった戦いを伝えたのか。一人くらいは生き残ってくれないと「実話」ではない。「史上最大の暴風雨」のすごさよりも何よりも、それが一番のショックだった。
『ザ・ハリケーン』は、黒人差別による冤罪事件。最後には無罪を勝ち取るが、絶望的な差別的冤罪から、新しい隠れた事実を探り当て、勝訴に持っていくその過程が、映画の中では一番粗雑に描かれていて、むしろ周囲の励ましや熱意、正義感といった抽象的な要素に映画全体が甘えていた。これでは「実話」の意味がない。
『エリン・ブロコビッチ』は、最初から最後までジュリア・ロバーツの胸のふくらみにしか目が行かなかった。元々彼女はそれほど胸が大きいわけではないから、きっと寄せてあげて大きく見せていたのだろう。ときおり、胸の大きさが違ったりするので、それはよくわかった。エリン・ブロコビッチという実在の人物が、そのように胸の大きな人だったらしい。しかし、少し知的な顔立ちのジュリア・ロバーツに、あの上げ底の胸は似合わない。なぜ、そんな「胸」の「実話」にこだわるのか。エリン・ブロコビッチの「事実」とはこの映画では結局のところ「胸」の大きさでしかない。
むかし、江藤淳が村上龍のデビュー作「限りなく透明に近いブルー」を評して、主人公の実在性に作品が甘えていると言っていたが、この三者とも、同じように「事実」に甘えて、作品としての仕上がりが低い。
「実話」という意味では、夏休みに見た『遠い空の向こうに』(ジョー・ションストン監督)の出来の方がはるかによかった、と思う。主人公の「僕はお父さんと同じ道を目指しているから、違うことをやりたいんだ」と叫ぶシーンは、ジーンときました。
ところで、トヨタのマークUのTVコマーシャルに出ているジョージクルーニは最高ですね(ジョージクルーニが漁船の船長なんて、ミスキャストもいいところだ)。というより、マークUをジョージクルーニのイメージにつないだCMディレクタがすごいと思います。まったくぴったり。
この“ぴったり”というのは、両者に共通のイメージがあるという意味でではない。ジョージクルーニだけを見ても、マークUをイメージすることはまったくないし、マークUだけを見てもジョージクルーニをイメージすることはまったくないけれども、トヨタのこのコマーシャルを見るとジョージクルーニは、マークUだったんだ、マークUはジョージクルーニだったんだ、と思わず納得してしまう。そこがすごい。
マークUなんて、私は車としてはまったく認めないけれど、この両者が結びつくといい車に見えてくる。要するにマークUに乗る日本人は、みんなジョージクルーニなんだ、このコマーシャルを見て以来、私はそう思うようにしている(そう思うようになった)。あり得ないことが起こる。それがCM(広告)というものだ。
2000/12/11(月)23:40 - MASASHI - 106 hit(s)
『ザ・ハリケーン』見ました。あのような人種差別があった(ある)ってことを伝えるという目的においては、非常に大事なことであると考えます。
デンゼルワシントンが、この映画でゴールデングローブ最優秀主演男優賞か何かを受賞した時をTVで見ていたのですが、ハリケーンさん本人も登場し、この映画の存在意義を強く感じました。
実話に基づいた映画は、ツマラナイものが多い。 それは、まぎれもない事実なんですけど、(例えば、『ジャンヌダルク』)いいものは、とてもいい。 (例えば、『シンドラーのリスト』、『ブレーブハート』)
来年、公開の『パールハーバー』。。。 日本人がどのようなカタチで描かれているか不安です。『パトリオット』のイギリス人のように、悪者になってなければいいなぁと。。。ちょっと、ここ(アメリカ)で見に行くのが恐い感じもします。
2000/12/12(火)01:20 - 芦田 - 122 hit(s)
〈事実〉ほどくだらないもの、危険なものはありません。同じように〈実話〉が優れているとすれば、それが〈事実〉を超えているときだけです。〈事実〉は仮託の対象ではなく、乗り越えられるべき何かです。というより、〈参照性(仮託性)〉は〈真実〉を弱めることはあっても強めることなどないのです。
かつて、社会主義リアリズム論というものが流行ったことがあります(今でもこの残党はたくさんいますが)。
それは、芸術は表現の大衆的な形態で、それは真実(あるいは観念的な空想と対立する意味での〈事実〉)に奉仕する(従属する)ためのものだという思想です。
たとえば、黒人差別解放論というのは硬質な〈論文〉として発表すると誰も難しくて読まないが、「ザ・ハリケーン」のように映画(映画芸術)にすると“わかりやすくなる”というものです。そうやって、「プロレタリア文学」という概念、あるいは、知識人同伴者論(知識人は労働者階級解放のために啓蒙的にその階級に同伴するべき存在だ、という知識人論)が登場したわけです。根深いにしてもばかげた思想です。
「ザ・ハリケーン」を見て、黒人差別はいけないと“わかる”ような人は、何もわかってはいないのです。そんな人は、逆に黒人差別の映画を見れば、ふたたび、その理由が“わかる”人でしかないのです。認識とは、一つの格闘であって、媒体の問題(=わかりやすさの問題)ではありません。言い換えれば、一つの認識が、〈表現〉になるのではありません。〈表現〉自体が格闘であるわけです。どんな〈表現〉も、それとは別の目的に従属するものではないのです。
たとえば、未だなお、社会主義リアリズム論の立場にたつ日本の左翼は、民主主義を達成した“後に”社会主義だという“段階”革命論の立場に立っています。
突然、「社会主義だ」と言ったら「誤解」されるから、とりあえずは、同意を得やすい「民主主義」を唱う、という“段階”革命論です。ここでは、社会主義が真理であることが、無条件に信じられていて、民主主義自体は仮想性でしかありません。本来ならば社会主義だが、いまのところは民主主義だというのは、自分の認識は正しいが、間違っている人(=民主主義を信じている人)たちの多いこの段階では「誤解」される恐れがあるから、そのことはあまり表に出さないようにしようということ。
でも、間違っている人(=民主主義を信じている人)たちの多いこの歴史段階で、なぜ、自分だけが正しい人であったのか(なぜ、自分だけが〈前衛〉として超越し得たのか)という問いかけ(=格闘)が、この“段階”革命論には欠如しています。言い換えれば、『資本論』を書いたマルクスは、資本主義の〈内部〉にいたのか、〈外部〉にいたのか、という格闘がこの“段階”革命論には欠如しているのです。
「民主主義は間違っている」と一言言えば、とんでもない格闘(国会での議席がなくなるほどの)になることを、“段階”革命論は回避するわけです。この回避が、社会主義とは何か(あるいは民主主義とは何か)の本来の検討を延期させてしまうのです。その結果露呈するのは、底の浅い社会主義(底の浅い自己認識)、あるいは底の浅い民主主義(底の浅いリアリズム論)なわけです。
かつて、太宰治は次のように書いていました。「自分でしたことは、そのように、はっきりと言わなければ革命も何も行われません。自分でそうしても(この「そうしても」には傍点がついている:芦田註)、他のおこないをしたく思って、人間はこうしなければならぬ、などとおっしゃっているうちは、人間の底からの革命がいつまでもできないのです」。
2000/12/12(火)07:28 - MASASHI - 101 hit(s)
アメリカには、日々の何でもない生活の中に、人種差別が存在します。黒人しか働いていないマクドナルドがあれば、白人しかいないコーヒーショップもあります。
また、黒人社会内でも差別があるわけです。
例えば、 “「ザ・ハリケーン」ってつまらなかったね?”などとは、パブリックの場で下手には言えません。 少なくとも、そのMr.ハリケーンが、デンゼルワシントンに、紹介されて感無量といった表情をしたのを見た私には、とてもできることではありません。
>「ザ・ハリケーン」を見て、黒人差別はいけないと“わかる”ような人は、
> 何もわかってはいないのです。
それは、日本のような国(ほぼ単一民族の国)だけに起こることでしょう。私の経験から言えば、みんな(アメリカにいる人たち)、"人種差別はいけない"なんてことは、分かっているんです。なぜなら、先ほど言ったように、日本と違って日々の何でもない生活中に、 人種差別が存在するからです。 歩けば、人種差別にぶつかる。。。 それは、すべての人に言えることです。事実、白人がマイノリティーである地域も急速に拡大しています。
そういったところに日米間の人種差別に対する温度差を感じます。
2000/12/13(水)00:54 - 芦田 - 84 hit(s)
私の高校時代の同級生で、東京の大学を卒業して地方公務員になり、地元の市役所の社会体育課に配属されて、部落問題に取り組むことになった人がいます。高校時代まともに部落問題に取り組んだこともないくせに、この間、同窓会であったら、私に部落問題とは何かを(「差別はいけない」などと言いながら)切々と語り続けていました。何をいまさらと思って聞き流していました。
この彼にとっての「社会体育課」とあなたの「アメリカ」(アメリカ体験)とは全く同質のものです。こんな奴の「差別はいけない」を信じてはいけないのと同じように「ザ・ハリケーン」を見て、「差別はいけない」と思ったり、わざわざアメリカまで行かなければ、「日々の何でもない生活の中に」差別が存在することに気づかない自分をこそ反省すべきです。
「例えば、 “「ザ・ハリケーン」ってつまらなかったね?”などとは、パブリックの場で下手には言えません」とあなたは言います。言えないということは、「ザ・ハリケーン」についてあなたは批評する資格(能力)がないということです。逆にそういった歴史的事実を背後(前提)にして、なおかつ「Mr.ハリケーン」まで動員しなければ、その映画の圧倒性を表現できないような映画は映画としては三流だということです。要するに映画とは別の要素を加味しなければ何も言えないような映画は映画ではないのです。
あなたの135番の発言で「来年、公開の『パールハーバー』…。 日本人がどのようなカタチで描かれているか不安です。『パトリオット』のイギリス人のように、悪者になってなければいいなぁと…。ちょっと、ここ(アメリカ)で見に行くのが恐い感じもします。 日本人がどのようなカタチで描かれているか不安です」というのがあります。
MASASHIさん、あなたはいつから日本人の代表になったのですか。日本にいるときは、ただの日本人、つまり〈日本〉を無意識に受容しているにすぎない日本人であったのに、アメリカ(外国)へいくと、まるで日本人を代表するかのように「禅」について、「空手」について、「無宗教」について、「漢字」について答えなければならなくなる。同じように黒人差別に全く無関心であったのに、その差別のアメリカにおける日常性に驚いて、なんて自分は無頓着であったのか、と“反省”する。その自己反省ですめばいいものを挙げ句の果てに、自分の無研鑽を棚に上げて、“日本人は”なんて無頓着な、になってしまう。これは思想的な悲惨というものです。
私の専門の分野は、みんなドイツ(やフランス)へ留学します。フライブルクやハイデルブルクの大学のあこがれの研究者(教授)に会いに行くわけです。自分が学んだヘーゲルやハイデガーについての見識を世界的なレベルで検証してみたい、世界的な水準までブラッシュアップしたい。それが留学の動機です。しかし、大概のドイツの教授たちは、「日本人であるあなたはなぜヘーゲルをやってるんですか、ハイデガーをやっているんですか」と聞いてきます。この問いは、文化や伝統も深い日本からわざわざヨーロッパへ来てドイツ哲学を研究をする意味を教えてほしい、という批判的な(シニカルな)問いです。逆に言えば、ドイツ語もまともにしゃべれない極東の研究者に、ヘーゲルやハイデガーがわかってたまるか、という気持ちも幾分働いています。それならば、西田(幾多郎)について教えてほしい、禅(鈴木大拙)について教えてほしい、というのが、彼らドイツ人の素直な気持ちです。
逆にヨーロッパの哲学者が日本に来るときもそうです。私は、15年ほど前にフランス人のJ・デリダ(ポストモダンの“国際的な”思想家)が来日したとき、10日間ほど昼夜同行しました。彼は箸の持ち方が大変うまい。日本食も大好き。10日間ずーっと純日本食。もういやになって、デリダと離れてやっと10日後、“王将の餃子”屋へ飛び込んだときの安堵は忘れられません(デリダには何の恨みもありませんが)。日本人にとって、日本食はもうすでに他者なのです。
極東の日本人研究者にとっては、〈国際性〉とは、“国際的な”ヘーゲルやハイデガーについて、ヨーロッパの言葉で留保なくコミュニケーションすることであるわけですが、むしろ日本文化や日本思想についての研鑽こそが、〈国際性〉であることに遅れて気づくわけです。
そうやって、その研究者がドイツ語に堪能な場合には、ドイツの教授に対する日本文化の紹介者にならざるをえないため、比較文化論か日本文化研究者に“転向”します。あるいは、遅れてきた西田研究者になるわけです。日本の哲学研究の程度もたかがしれているといえます。むろん、こういった相対的な外国―母国論が底の浅いものであることは目に見えています。
どうか、MASASHIさん、たかだか数年のアメリカ体験で、アメリカ通ぶったり、日本通ぶらないで下さい。今時の“国際”時代、そういう“通”は捨てるくらいいます。それは、「社会体育課」の地方公務員が決まって「差別はいけない」と「差別問題」通になるのと同じことです。
2000/12/13(水)02:37 - MASASHI - 84 hit(s)
> どうか、MASASHIさん、たかだか数年のアメリカ体験で、アメリカ通ぶったり、
> 日本通ぶらないで下さい。今時の“国際”時代、そういう“通”は捨てるくらいいます。
非常に残念です。海外に住まれたことのない人に、何か外国のことを言うとこのように反応されてしまう。
日本通ぶるな!
アメリカ通ぶるな!
結局、日本人でもなければアメリカ人でもない中途半端なところに置かれてしまう。 きっと、今、こうして説明していても、多くの人は、理解できない。自慢か何かをしていると思われてしまう。
あなたが、日本で『パールハーバー』を見に行く時、"誰かに、文句を言われるかもしれない"とか、"水などをかけられるかもしれない"とか、"殺されるかもしれない"ということが、頭をよぎるでしょうか? そこに、本当に、身を置かなければ、経験できないことがあるんです。あなたが道を歩いている時、誰かが誰かに銃を突きつけているところを見たことがありますか?
芦田さん、あなたの知識はすばらしい。うらやましい。尊敬しています。
きっと、私が、芦田さんと同じ歳になったとき、私には、その足元にも及ばないほどの知識しかないでしょう。でも、きっと、あなたは、『グッドウィルハンティング』のウィル(マットデイモン)に似ている。
あなたに、"ボストンってどんな街ですか?"と誰かが尋ねたら、きっと、あなたは沢山の文学、歴史、芸術的説明ができるでしょう。でも、あなたは、ボストンの夏の海辺の匂いを知らない。 独立記念日のお祭り騒ぎを知らない。
あなたに、"スタンフォードってどんな大学ですか?"と誰かが尋ねたら、きっと、あなたは沢山の文学、歴史、芸術的説明ができるでしょう。でも、あなたは、スタンフォード大学内の売店を知らない。 大学内のカフェテリアのコーヒーの味を知らない。
あなたに、"モニュメントバリーってどんなところですか?"と誰かが尋ねたら、きっと、あなたは沢山の文学、歴史、芸術的説明ができるでしょう。でも、あなたは、そこの朝日を知らない。 ナバホブレッドのおいしさを知らない。
勘違いして頂きたくない。私は、アメリカ通ではありません。 アメリカには、まだ私の知らないことが沢山あります。そして、世界には、もっと。"自分の知らないことが世界には沢山ある"そう思えることが、国際化です。"たまたま、日本に生まれただけだ"そう思えることが、国際化です。
2000/12/13(水)23:38 - 芦田 - 82 hit(s)
MASASHI> 日本通ぶるな!
MASASHI> アメリカ通ぶるな!
MASASHI>
MASASHI> 結局、日本人でもなければアメリカ人でもない中途半端なところに置かれてしまう。
MASASHI> きっと、今、こうして説明していても、多くの人は、理解できない。
私は、あなたのことを「理解できない」などと言っているのではありません。異国のアメリカに行っても誰でもが理解できそうなことしか(おみやげ話程度のことしか)言わないあなたのことをダメだといっているのです。
あなたは、自分が思っているほど孤立なんかしていません。4〜5年程度アメリカにいれば、誰でもそういうことぐらいは言うだろう、ということをひたすら凡庸に語っているだけです。つまりあなたは圧倒的な多数派なのです。
MASASHI> そこに、本当に、身を置かなければ、経験できないことがあるんです。
MASASHI> あなたが道を歩いている時、誰かが誰かに銃を突きつけているところを見たことがありますか?
あなたの「経験」というのはこの程度ですか。こんな話ししたくありませんが、私は、他人が目の前で殺される恐怖感どころか、自分が殺されそうになったことが(何度か、この“平和”な日本で)あります。家族を含めて覚悟をしておけといったこともあります(この「芦田の毎日」でさえ災い多いことを書きまくっているのですから、それは想像に難くないことでしょう)。
わざわざ、アメリカまで行かなければ(あるいはわざわざアメリカ映画を見なければ)、そういった「日常」における〈亀裂〉や〈死〉を感じられない、というのはどういうことでしょうか。もちろん、私は、「経験」の優劣を競うつもりは全くありません。もともと優劣のないものが「経験」「体験」というものです。
MASASHI> あなたに、"ボストンってどんな街ですか?"と誰かが尋ねたら、
MASASHI> きっと、あなたは沢山の文学、歴史、芸術的説明ができるでしょう。
MASASHI> でも、あなたは、ボストンの夏の海辺の匂いを知らない。
MASASHI> 独立記念日のお祭り騒ぎを知らない。
MASASHI> あなたに、"スタンフォードってどんな大学ですか?"と誰かが尋ねたら、
MASASHI> きっと、あなたは沢山の文学、歴史、芸術的説明ができるでしょう。
MASASHI> でも、あなたは、スタンフォード大学内の売店を知らない。
MASASHI> 大学内のカフェテリアのコーヒーの味を知らない。
MASASHI> あなたに、"モニュメントバリーってどんなところですか?"と誰かが尋ねたら、
MASASHI> きっと、あなたは沢山の文学、歴史、芸術的説明ができるでしょう。
MASASHI> でも、あなたは、そこの朝日を知らない。
MASASHI> ナバホブレッドのおいしさを知らない。
この水準の「知らない」は、人の数だけ、一日、一秒単位であります。今日、私がテラハウスに到着するまでに起こったことをあなたは「知らない」。同じように、あなたが今日何をして過ごしたかを私は「知らない」。それだけのことです。
「体験」は、人の数だけ違います。したがって「体験」上「知った」ことを「知識」というのなら、すべての人間の「知識」は同じだけあるのです。何も私の「知識」を「尊敬」する必要はありません。その意味でなら、ガングロで遊びまくっている渋谷の女子高校生たちの「知識」も、アメリカ体験でのあなたの「知識」も、そして私の「知識」も量的にも質的にもみな同じです。
あなたの言う「知識」については、生きている人であるかぎり、みんな同じだけの知識量をもっています。あなたの言う体験上の知識に優劣や特権性などないのです。
MASASHI> 勘違いして頂きたくない。
MASASHI> 私は、アメリカ通ではありません。
MASASHI> アメリカには、まだ私の知らないことが沢山あります。
MASASHI> そして、世界には、もっと。
MASASHI> "自分の知らないことが世界には沢山ある"そう思えることが、国際化です。
なるほど、あなたは学んだわけです。そのことを私は否定するつもりは全くありません。私が言いたいのは、わざわざアメリカへ行かなければ、"自分の知らないことが世界には沢山ある"ということを言えない(理解できない)、あなたの思想的な感受性についてだったわけです。
MASASHIさん、あなたは「赤信号は止まれだ」ということを〈学んだ〉ことがありますよね。そのことを確認するためにわざわざ車にひかれたことがありますか。そういうことをしないでも赤信号で止まることができるのが、《人間》の研鑽というものです。
MASASHI> "たまたま、日本に生まれただけだ"そう思えることが、国際化です。
ここはまったく間違っています。こんなことを言っているから、「日本人でもなければアメリカ人でもない中途半端なところに置かれてしまう」のです。たった4〜5年の海外体験で、「日本人」や「アメリカ人」を相対化できると思っているのが思い上がりなのです。国際化というのは、相対化(=比較文化論)とは縁もゆかりもないものです。
"たまたま、日本に生まれただけだ"というのは、たしかに論理的にはそうですが、これは重い偶然です。
人間には様々な受動性(偶然性)が存在していますが、生まれる、という受動性がその中では最大のものでしょう。赤ちゃんが「オギャー」と叫ぶのは、偶然性の重荷に耐えきれない叫びなわけです。たぶん大人になるというのは(大人が「オギャー」と叫ばないのは)、そういった受動性をある種の必然性でもって受け止め直すという作業なのです。
たとえば、この父でよかったんだ、この母でよかったんだ、そして日本人でよかったんだ(同じように黒人でよかったんだ)と考えられるかどうかです。これは父、母、日本(あるいはアメリカ)を肯定する(好きだ)とか否定する(イヤだ)とかを超えた(大人の)認識です。
ものを考える(大人になる)、ということの最大の課題は自分にふりかかる偶然性をどう受け止めるかにかかわっています。「経験」主義は、個別的な差異に紛れてこの普遍的な課題を隠蔽してしまうのです。
MASASHIさん、大人になりなさい。私が言いたいのはそれだけのことです。
ところで、マットディモンの『グッドウイルハンティング』、私も好きな映画の一つです。
ただし、ロビンウイリアムスは大嫌いです。正義面している奴にろくなやつはいません。
あの映画でいいのは、マットディモン演じる主人公が〈大人〉になって、家を巣立っていったとき、それまでの“悪友”がその家に立ち寄って、彼がいないことを知って、“これでよかったんだ”という感じで薄笑いを浮かべながら「いない」と言って、ラストシーンにつながっていく、あそこが感動的でした。あの映画は、あのラストシーンのためだけにあるのです。教師と幼稚な天才との師弟愛にあるのではなくて、〈知識〉を超えた友達のための、そして〈大人〉になるための映画なのです。
2000/12/14(木)05:27 - MASASHI - 84 hit(s)
私の文章能力は、かなり低いのでうまく説明できるか不安ですが。
ロンドンに4年間住んでいる人(住人)
ロンドンについて日本で4年間研究している人(研究人)
研究人に、“ロンドンってどんな匂いがしますか?”と聞けば、 書物などからすばらしい言葉を引用できるでしょう。 でも、ロンドンの匂いを知らない(嗅いだことがない)わけです。 これが、人種差別などを語る時のあなたです。
一方、住人に、“ロンドンってどんな匂いがしますか?”と聞けば、 うまく答えられないかもしれません。 でも、ロンドンの匂いを知っている(嗅いだことがある)わけです。 これが、人種差別などを語る時の私です。 私は、その差別を生活“現実”の中で触れることができる。 それは、大学や大学院での授業中の黒人や白人との差別に関する討論であったり、 会社内やショッピングモールであったりする。
そこなんです。 つまり、オブラートも何もない直に入ってきているもの。 書物やTVから知ったもの。 そのふたつには、かなりの開きがあります。 あなたに人種差別について誰かが尋ねれば、あなたは、すばらしいことが言えるわけです。 でも、あなたのその語りの中には、“現実性”“生活感”“真実性”が欠けているわけです。 “俺の友達の友達はなぁ、。。。”と、言い争っている小学生と変わりません。 “俺はなぁ”と“俺の友達の友達はなぁ”には、差があります。
芦田さんの友人が、ドイツなどで言われたこともそうです。 直接、言われたあなたの友人とその友人からそのことを聞いたあなたとでは、差があります。 その時の友人の“思い”のすべてをあなたは、知りませんし、絶対に知ることはありません。 人の話は、変わっていくものですから。 三国志なども、話が大きくなってますし。
GT-Rに関して語る時の芦田さんは、住人のほうです。 そして私が、仮に、GT-Rに関して語れば、研究人のほうです。 テラハウスに関して語る時の芦田さんは、住人のほうです。 そして私が、仮に、テラハウスに関して語れば、研究人のほうです。
つまり、たとえ私が沢山のR34GT-Rに関する記事を読んだとしても、 それに乗ったことのない私に、そのエンジンは、本当の意味では分かりません。 それに、GT-Rを批評した評論家は、サーキットでの性能を知っているかもしれませんが、 日常での使い勝手などは、芦田さんほどは分かりません。 同じように、アメリカの生活について何か言う私の言葉には、 “現実性”“生活感”“真実性”があなたのそれよりもあるわけです。 ただ、それはあくまでも相対的なものですから、私より“現実性”“生活感”“真実性”が ある人は、いくらでもいます。そのことは、分かってます。
> MASASHIさん、あなたは「赤信号は止まれだ」ということを〈学んだ〉ことがありますよね。
> そのことを確認するためにわざわざ車にひかれたことがありますか。
> そういうことをしないでも赤信号で止まることができるのが、《人間》の研鑽というものです。
ひかれそうになったことの無い人のことを知っている人
ひかれそうになったことの無い人
ひかれそうになった人のことを知っている人
ひかれそうになった人
ひかれても助かった人のことを知っている人
ひかれても助かった人
ひかれて死んでしまった人のことを知っている人
(ひかれて死んでしまった人)
これら人には、「赤信号は止まれだ」ということに対する意識に差があるということが言いたいんです。
*****************************************************************
"日本にたまたま生まれただけ"。
このように考えるのが、国際化。
この考えは、絶対に譲れません。
これだけ広い宇宙の中で、我々(地球人)は、一人ぼっちなんです。(我々の知っている限り) 今、我々が、“日本人だ”という意識が“地球人だ”という意識に変わることが、国際化なんです。
昔、伊達藩の人が、ある時を境に自分は、日本人だと思ったりしたハズです。 私が、千葉県人だと思う前に日本人だと思うように、日本人だと思う前に地球人だと思えるようになりたいです。 つまり、日本地方出身の地球人だと。
地球上の人がみんな、そう思えることができれば、 この星の争いごとのほとんどが、消えることでしょう。 身内とは、戦争したくありませんから。
*****************************************************************
マットデイモンの『グッドウイルハンティング』、私のフェイバリットです。 事実、ビデオ持ってます。 マットデイモンの長ゼリフには、どの映画でも感動します。 また、ベンアフリックも効いてます。 ただ、あのマットデイモンの恋人役。。。 ちっとも可愛くありません。
サウスボストンは、本当に違います。 恐くてとてもクルマからは、降りれません。
明日の夜、ブルースウィリスの『アンブレイカブル』見に行ってきます。 後日、感想を報告します。 ちなみに、ハリソンフォードとメリルストリープの最近出た幽霊もの、見ない方がいいと思います。 あれだけツマラナイ映画は、なかなかありません。
2000/12/14(木)13:23 - 芦田 - 107 hit(s)
MASASHI> ロンドンに4年間住んでいる人(住人)
MASASHI> ロンドンについて日本で4年間研究している人(研究人)
MASASHI>
MASASHI> 研究人に、“ロンドンってどんな匂いがしますか?”と聞けば、
MASASHI> 書物などからすばらしい言葉を引用できるでしょう。
MASASHI> でも、ロンドンの匂いを知らない(嗅いだことがない)わけです。
「匂い」そのものを聞かれて、「書物」を引用するバカな研究者はいません(ときどきいますが)。それは書物の匂いがするだけです。
嗅いでいれば、その印象を言えばいいだけ。嗅いでいなければ「知らない」と言えばいいだけです。問題は、何を知っていて、何を知らないとき、その人間を「ロンドンについて」の研究者と呼べるかということです。仮にロンドンについて語るには「匂い」が決定的だ、という場合には、その研究者は「住人」になるしかないでしょう。それだけのことです。
何が問題なのかと言えば、ロンドンについて語るには「匂い」が決定的だ、という認識を共有できるかどうかです。この認識の吟味自体は「匂い」ではありません。
「人種問題」については、この吟味は、もっと複雑なものになります。「ロンドンの匂い」→「人種差別」。これは飛躍とすり替えです。
MASASHI> 私は、その差別を生活“現実”の中で触れることができる。
MASASHI> それは、大学や大学院での授業中の黒人や白人との差別に関する討論であったり、
MASASHI> 会社内やショッピングモールであったりする。
MASASHI> つまり、オブラートも何もない直に入ってきているもの。
MASASHI> 書物やTVから知ったもの。
MASASHI> そのふたつには、かなりの開きがあります。
MASASHI> あなたに人種差別について誰かが尋ねれば、あなたは、すばらしいことが言えるわけです。
MASASHI> でも、あなたのその語りの中には、“現実性”“生活感”“真実性”が欠けているわけです。
MASASHI> GT-Rに関して語る時の芦田さんは、住人のほうです。
MASASHI> そして私が、仮に、GT-Rに関して語れば、研究人のほうです。
MASASHI> テラハウスに関して語る時の芦田さんは、住人のほうです。
MASASHI> そして私が、仮に、テラハウスに関して語れば、研究人のほうです。
MASASHI>
MASASHI> つまり、たとえ私が沢山のR34GT-Rに関する記事を読んだとしても、
MASASHI> それに乗ったことのない私に、そのエンジンは、本当の意味では分かりません。
MASASHI> それに、GT-Rを批評した評論家は、サーキットでの性能を知っているかもしれませんが、
MASASHI> 日常での使い勝手などは、芦田さんほどは分かりません。
MASASHI> 同じように、アメリカの生活について何か言う私の言葉には、
MASASHI> “現実性”“生活感”“真実性”があなたのそれよりもあるわけです。
バカな「知識」と「現実」との分類(対照)をして喜んでいる場合ではありません。私がGT−Rの「経験」「現実」を語ったとすれば、それはGT−Rのことを語ったのではなくて、私のGT−Rを語っただけのことです。
したがって、それを聞いた者は、「ああ、そうですか」と聞くしかありません。その人が、同じようにGT−Rに乗ったことがある場合には、「いや、私は別の感想を持ちました」というかもしれない。「いや、全くその通りです」というかもしれない。しかし、それがその人の「経験」であり、「現実」なのだから、否定も肯定もできない(評価の対象ではない)。それがあなたの言う「経験」であり、「現実」というものです。
したがって、GT−Rの「エンジン」について、私の「体験」に語らせることは危ないことです。「経験」「体験」「現実」(あなたの言う)であるかぎり、多種多様だというほかないわけです。むしろGT−Rの「エンジン」の構造や特質についての「知識」の方が、まともかもしれない。
雑誌に書いてある「GT−R」論もウソばかりですが、ニフティのフォーラムで語られている(あなたの好きな)「体験」論もある意味でウソばかり。全く反対のことが「体験」と称して語られています。でもそれが「体験」というものなのです。
MASASHI> > MASASHIさん、あなたは「赤信号は止まれだ」ということを〈学んだ〉ことがありますよね。
MASASHI> > そのことを確認するためにわざわざ車にひかれたことがありますか。
MASASHI> > そういうことをしないでも赤信号で止まることができるのが、《人間》の研鑽というものです。
MASASHI>
MASASHI> ひかれそうになったことの無い人のことを知っている人
MASASHI> ひかれそうになったことの無い人
MASASHI> ひかれそうになった人のことを知っている人
MASASHI> ひかれそうになった人
MASASHI> ひかれても助かった人のことを知っている人
MASASHI> ひかれても助かった人
MASASHI> ひかれて死んでしまった人のことを知っている人
MASASHI> (ひかれて死んでしまった人)
MASASHI>
MASASHI> これら人には、「赤信号は止まれだ」ということに対する意識に差があるということが言いたいんです。
だから何度も言うように「意識に差がある」ということ自体を私は否定しません。それは「ロンドンの匂い」に差があると同じことです。あなたが言う「現実性」「生活感」「真実性」は、すべて差異の徴表なのです。「ロンドンの匂い」と(あなたが)一口に言っても、「匂い」そのものを受容する仕方は千差万別。国対国というより、場合によっては個人対個人との差異の方があるいは共通性の方が大きいかもしれない。それでも「ロンドンの匂い」がそれとして存在するのだ(私はそのことを否定する気はありません)、ということを言いたければ、その場合の「匂い」は、感覚や体験ではなくて思想(THOUGT)です。
「赤信号で止まれ」ということについて言えば、あなたのいう「差異」に意味があるとすれば、実際に引かれそうになった人が、本当に「赤信号で止まる」ことを遵守する場合だけです。つまり、“頭(知識)”ではわかっていても、やはり“実際に”引かれてみなければ、赤信号で止まることをしない場合だけです。
しかし実際にはそうではありません。引かれた人でも数ヶ月、数年たつとそのことを忘れてしまって、再び引かれて今度こそは死んでしまうことは多々あります。いちども事故にあったことのない人でも、必ず赤信号で止まる人もいます(それらは、交通違反の事例を考えればわかります)。あなたの言う「意識の差」が実際にあること自体は認めますが、問題はそれが「止まる」ということに関してどういう関係にあるかということなのです。「止まる」ということに関してあなたの言う「意識の差」は、言い換えれば「現実性」は何の関係もないということです。
同じように「アメリカ」の差別の現実を「体験的」に知っていることと、その人間が「差別的」かどうかということとは何の関係もないということです。「アメリカ」に行かなくても、“実際に”「黒人差別」をしない人はいくらでもいます。逆に「アメリカ」へ行ってこそ、「黒人差別」をするようになった人もいます。「体験」とはそういうものです。そのように、あなたの言う「現実」は差別の現実とは何の関係もないのです。
MASASHI> "日本にたまたま生まれただけ"。
MASASHI> このように考えるのが、国際化。
MASASHI> この考えは、絶対に譲れません。
MASASHI>
MASASHI> これだけ広い宇宙の中で、我々(地球人)は、一人ぼっちなんです。(我々の知っている限り)
MASASHI> 今、我々が、“日本人だ”という意識が“地球人だ”という意識に変わることが、国際化なんです。
MASASHI>
MASASHI> 昔、伊達藩の人が、ある時を境に自分は、日本人だと思ったりしたハズです。
MASASHI> 私が、千葉県人だと思う前に日本人だと思うように、日本人だと思う前に地球人だと思えるようになりたいです。
MASASHI> つまり、日本地方出身の地球人だと。
MASASHI>
MASASHI> 地球上の人がみんな、そう思えることができれば、
MASASHI> この星の争いごとのほとんどが、消えることでしょう。
MASASHI> 身内とは、戦争したくありませんから。
そんなアグネスチャンみたいなことを言ってはいけません。日本人(あるいはアメリカ人やその他の地球人)が“地球人”だと「現実」に思えるとすれば、地球外の生命体(?)が地球をおそってきたときにだけです。つまり地球の外部が「現実」化したときにだけです。「昔、伊達藩の人が、ある時を境に自分は、日本人だと思ったりしたハズです」 。それはペリー(日本の外部)が黒船で登場したときに「現実」化したからこそ言えることです。
〈平和〉や〈差別〉は、〈認識〉の問題ではなくて、〈存在〉の問題です。つまり認識の変革ではなくて、存在の変革の問題です。
2000/12/14(木)00:14 - 芦田 - 259 hit(s)
「番号非通知はカルマ」。仏教用語まで使って、何言ってんだ? と思ったら、その前の節の「マイルドなジオラマ」「ハイなドラマ」「トラウマ」「カルマ」と来る。「マ」で韻を踏んでいたのだ。こんな調子がずっと続くのが「24/7」というドリカム最新の曲。この曲はいい。
「チャンスは24/7 めぐりあいはgiven」。ここでもsevenとgiven。その他にも「リアリティ」と「メロディ」の「ティ」。「ひたる」「はまる」「リアル」「まいってる」「バトル」の「る」。「持ってっちゃって」「まいあがって」の「って」。「タイプ」「ヴァイブ」「ナイーブ」「内部」「ダイヴ」の「いぶ」。「焦がれて」「求めて」の「て」。他にもあるかもしれない。探してみて下さい。
たぶん曲が先にできて、後からつけた詞だろうが、これらの韻が曲調とよく解け合って、ひさしぶりに吉田美和の歌唱力を活かしきるいい歌に仕上がっていると思う。「言葉」がすべて「音」になっていて、詞の意味をくそまじめに考えるのがバカみたいに「声」が前面に出ている。この曲で吉田美和の歌声にぬるめの音(何と言っていいのか、わたしにはそうしか言いようがない。「ぬるめ」あるいは「濡めっとした」声)が加わった。これまで吉田の声にはなかった音が出ている。ひょっとしたら年齢や結婚生活から来ているのかもしれない。
昔、レベッカの土橋が「ノッコの声の高さの一番魅力的なところが前面に出るように曲作りしている」と言っているのを聞いて、そんなものか、と思って感心したことがあったが、中村正人も、そんな感じで、この曲を作ったのでしょうね。
デビュー曲「あなたに会いたくて」(1989)を初めて聴いたときは衝撃的でいまでもはっきりとおぼえている。あれは、春先の夜中の2時くらい。私はTV病で、仕事中でも必ずTVをつけている。そのときも6チャンネルのMUSICビデオクリップ集の番組を流していた。突然、とてつもなくうまい歌手が歌い始めたので、手元にあるVIDEO deckのRECボタンを直ちに押して録画(私はこういうことに関してはいつでも臨戦態勢をとっている)。この曲が「あなたに会いたくて」。10秒くらいすぎていたが、その録画は今でもたいせつにしまってある。新人にはあまり時間が与えられていなくて一番だけしかかからなかった。2分たらずのそのビデオを何度も聞いているとますます興奮してきて、いてもたってもいられなくなり、隣の部屋でねていた家内を、「すごい歌手が出てきた」と言いながらたたき起こして、無理やり聞かせたら、聞き込む毎に目を覚ましはじめて、「いいね」と言ってくれた。それがうれしくて。「やっぱりいいんだ」と私。アルバムがあるに違いない、と思って、CD屋さんが朝開店するまでずーっと「あなたに会いたくて」を聞き続けながら待って(朝10:00まで寝ずじまい)、千歳烏山駅前の「三鷹楽器」に電話をかけたが「ありません」。祖師谷大蔵の「スミ商会」にかけたら「あります」。自転車を走らせて(「Ring! Ring! Ring!」と)、出会えたのが「Dreams Come True」というそのものの名前がついたアルバムだった。
買ってきたアルバムの「あなたに会いたくて」を聞きながら最初にしたのは、最初に録画したVIDEOテープの音声部にCDの音を重ねてHIFI録音することだった。そんな“オタク”っぽいことなどめったにしないが、それほど私には吉田美和のボーカルは衝撃的だった。完璧になったVIDEOの歌を何度も聞いているうちに、この歌の舞台は渋谷だな、と思っていた(渋谷になんか、東京へ出てきて以来27年で4〜5回しか行ったことがないのに)。デビュー1年後のインタービューか何かで「あなたに会いたくて」の街は「渋谷です」とか言っているのを聞いて自己満足に浸っていたりもしました。
誰もファンがいなかった1989年3月の「あなたに会いたくて」以来、「Dreams Come True」(1989.3.21)、「Love Goes On…」(1989.11.22)、「Wonder 3」(1990.11.1)、「Million Kisses」(1991.11.15)、「The Swinging Star」(1992.11.14)、「Magic」(1993.12.4)、「Love Unlimited」(1996.4.1)までアルバムを買い続けた私だが(80点以上の合格曲が一番たくさんあるのは、「Love Goes On…」(1989.11.22)だと思う)、中村正人が吉田美和の初期の頃の曲作りを完全に盗んで緊張感をなくしたところあたりから(最初の3枚くらいのアルバムはほとんどすべて吉田美和が作曲もしていた)、「ドリカム」はダメになっていった(「Magic」1993以後はもうダメだったような気がする)。「ドリカム」を「DCT」と呼び始めたときにはもう完全にダメになっていた。小室ファミリーが全盛期になって、焦ってしまったのかもしれない。「Magic」以降、「ドリカム」的な歌は、「7月7日晴れ」と「雪のクリスマス」(「Winter Song」の吉田の英語は聞いてられない)くらいだ。
でも、この「24/7」はいいですよ。「ドリカム」を見捨ててた人。是非聞いてみて下さい。超初期のファンの私が言うのだから間違いありません。「作家は処女作に向かって成熟する」と言うでしょう。
今、私は、「24/7」のDVD(1500円)を買って― 今日テラハウスの隣の店で買ってきました ―聞きながらこれを書いています(もう2・30回リピートしています)。それにしても美和ちゃん、ちょっと老けてしまったかな。肌荒れが目立ちますよ。
それともう一つ。CDの録音状態が以前のドリカムのCDに比べてすごく悪い。特に「24/7」は低音のアレンジがひどい。昔はイギリスとかに行って録音していて、結構録音はよかったのに、最近はどこで録音しているのだろう。桑田佳祐や小室ファミリーのCDは、これ以上ないと言えるほどに録音が最低で、いつも興ざめしますが(たとえばTRFの「WIRED」は曲は最高だのに、録音がサイテー)、それほどではないにしても、この「24/7」は、録音がよくない。DVD playerをお持ちの方は、CD(1000円)を買うより、DVDを買った方がいいですよ。こんなにCD録音が悪ければ、DVDの音の方がよく聞こえます。500円違いなら充分割安です(DVDも安くなったものです)。
しかし、この「27/4」をカラオケで吉田美和なみに歌える方、いたら自薦でも結構ですがご紹介下さい。カラオケ代(+豪華なご希望通りのお食事?)すべてお支払いしてでも聞かせていただきます(テラハウスを捨ててでも一生ついていきます)。
2000/12/16(土)23:19 - 芦田 - 256 hit(s)
また、ザウルスを買ってしまった。昨日出たMI−E1。昨日買った。私の方が、吉野先生(テラハウスCG・WEB系の先生)より5時間ほど早かった。私の勝ち。値段も私の買値で税込み49800円(世田谷ヤマギワ店)。吉野先生は新宿ヨドバシ店で52290円(税込み)。「どっちが先に手に入れるか、12月15日は勝負だな」とお互い言っていたが、15日夜講座のために、吉野先生が6:00頃、ヨドバシの手提げ袋に新ザウルスを入れて来たときには、私は旧ザウルスから新ザウルスへのデータ転送をすべて終えて、旧ザウルスを宮川先生に売る“契約”を既に済ませているのであった(エッヘン!)。
ザウルスユーザーは、新製品がでると買い換えてしまう病気にかかっている。たとえ、WindowsCEの新製品を4度も買っても、瀬川先生のパームを見ても、高橋先生のクリエ(ソニー)を見ても、ザウルスから見れば、すべて子供だまし。あんなものをPIMと思ってはいけない。PIMとしての性能(ハード的にも)はザウルスの右に出るものは絶対ないと言ってよい。
PI-3000(1993・9)以来、買い続けている私だが、それまでは、私は電子手帳についてはカシオ派だった(90年代初頭の電子手帳マーケットはカシオとシャープとがほぼ拮抗していた)。シャープの電子手帳はそれまで液晶のカバーがビニールだったこととキー配列に癖があったので避けていた。その何年もまえからカシオ電子手帳を使っていて、データも累積していたが、それでも全部打ち直して、シャープ「ザウルス」に変えようと思ったのは、「ザウルス」ではじめてキーで変換することなくペン入力文字がアナログ的に“書ける”ようになったからである。
当時、反電子手帳派の最大の動機が二つあった。一つは通覧性(が電子手帳にはない)、もう一つはメモが取りづらい(文字変換など面倒くさくてやってられない)というものだあった。そのうちのひとつを「ザウルス」がはじめて撃破した。通覧性は、まだ弱いが、電子手帳は基本的にはデータベース。私は通覧性よりはデータベース機能を重視する。
さて、今回の新ザウルス、MI−E1。ほとんど期待はずれだ。旧ザウルス、MI-C1を持っているユーザー諸君、焦って買う必要はありません。
「スタパ齋藤」(ネット上で“有名な”ザウルス評論家)なんかにだまされてはいけません。「絶対買う。予約して買う。新ザウルスMI−E1」なんて記事につられて新ザウルスを買ってはいけません。それ以上に「スタパ齋藤」がいけない。
まず、今回のザウルスの特徴は本体にキーボードがついたということだが、この評価が大変難しい。ペン操作とキー操作との関係が上手に融合していない。ペンだけではできない操作が増えている。
これまでは、ペンですべてできていたものが新ザウルスでは、キー操作一本に限られているものがある。特にたとえば「スケジュール」から「アドレス帳」へ移るには、これまでは一回のペン操作でできたものが、新ザウルスでは「ホームインデックス」ボタンを指で「押す」という作業がかならず介在する。これは大きな退歩だ。かと言ってキー操作ですべてができるわけでもない。両者(でできる機能)をそのつど意識しながら使い分けなければいけない。これは、たいへん苦痛。ペンタッチ操作とキー操作というのは感覚的に融合しづらい。
キーボードがついたということは、キーボードでもすべてができるということでなければ意味がない。ところがキーボード(+7ボタン)がついたために、肝心のペン入力ですべてできていた操作(しかも肝心の操作)ができなくなっている。
旧ザウルス(MI-C1)にもボタンは3個ついていたが、これはまったく使わなくても(ペン入力だけで)、操作のすべてがペンでできたことから考えると、今回のキーボード+7個のボタン操作は、むしろ操作性を阻害しているのである。「(キーボードのおかげで)もうペン入力で肩こりになったりする心配はない!!」(スタパ齋藤)なんて全くのウソである。ザウルスユーザーが、iモード携帯電話のキー操作を自在にこなす女子高生なら、この「キー」は優れたものかもしれないが、30才40才のザウルスユーザーが、どれ一つ自立的ではない、このキーボード+7ボタン+ペン操作を自在にこなすとはとても思えない。
さらに、キーボード操作とは別におかれた7ボタン操作で、2,3言っておかなければいけない。
まず中央におかれた丸い大きめの縦横上下カーソルキーだが、肝心の選択「決定」キーが、この丸い円の中央にあればいいものを、少しはずれた右側にあるため、操作が不便。これは、最初から両手を使うことを前提に作られている。というより、ザウルス全体を持つ行儀のよい持ち方を強制させている。持ち方を操作方法に直結させるというのは、よいインターフェイスデザインの仕方ではない。こういう前提はやめてもらいたい。
次に、電源キーが、このカーソルキーの左側におかれているが、以前のザウルスと比べて、すこし意識的に強く押さないと立ち上がらない(立ち上がりスピードは格段に速くなっている!)。特に消すときには、強くしかも長く押す必要があるので結構神経質になる。たぶん、従来のザウルスような蓋がつかなくなったための処置だろうが、これも退歩である。こういう携帯情報ツールは、立ち上げと終了に気を使わなくてもいいことが最大のメリットであるのに、今回の「ザウルス」は、ここでも駄目。
そうこうしているうちに、もっとショックなことがあった。新ザウルス(MI-E1)は、なんと単語登録ができない。ユーザー辞書がない! そんなばかな、と思って、20分ちかく解説書を前に後ろに読み直したが、どこにもその記述がない。ショック! ユーザー辞書がなくて、「連文節変換を実現」「日本語を軽快に入力」(スタパ齋藤)とはどういうことか。おかげで、私は自分の名前(「宏直」)さえ、歴代ザウルスのように「軽快」に入力できなくなった。携帯電話でさえ、ユーザー辞書があるこのご時世にいったいこれはどういうことか。WindowsCEも長い間ユーザー辞書がなかったが、この新ザウルスは、キーボードを付けて文字入力機能を強化しつつも、ユーザー辞書がない、という奇妙な商品になっている。ユーザー辞書がないということは、単語の羅列の多い「スケジュール」入力などでは、むしろ、使いづらいということだ。もし「スタパ齋藤」「木地本昌弥」「渡辺健一」「法林岳之」といったザウルス評論家(ほとんどちんぴら同然の評論家たちだが)のひとりでも、「今回のザウルスにはユーザー辞書機能がない」と書いていてくれれば、私は、このザウルスは絶対に買わなかったと思う。
あとは、フロントライト設定。旧ザウルス(MI-C1)と異なって、今回のザウルスには、フロントライトがついた。付けると快適このうえない。そうなると、使うときはずっと付けていたいと思ったりもする。ところが初期設定にその設定(フロントライト常時ON)がない。なぜ、そんなわがままを言うかというと、このライトボタンも長押しボタンだからだ。面倒くさい。電源を入れたり切ったりの繰り返しになる携帯情報ツールにとって、そのたびに長押しボタンを繰り返しながら画面操作にはいるというのは苦痛以外のなにものでもない。しかも、その電源ボタンも長押し。いったい、こんなインターフェイスのどこが、「最強」(スタパ齋藤)のザウルスなのか? 歴代ザウルスをバカにしてはいけない。
ついでに言っておくと(結構大切なことだが)、新ザウルスの反射液晶は旧ザウルス(MI-C1)に比べて、反射率が悪い。旧ザウルス(MI-C1)の方が画面が2割くらいは明るい。だから余計にフロントライト常時ON設定が必要になるのである。ちなみに「スタパ齋藤」は、この液晶について次のように書いていた。「液晶ディスプレイもかなり見やすかった。MI-E1にはMI-C1などでおなじみの、非常に鮮明な反射型液晶ディスプレイが搭載されている」。よくこんなことが書けるものだ。フロントライトを付けないのなら、旧ザウルス(MI-C1)の方が絶対に見やすい(反射率が高い)。たぶん、フロントライトを付けた分、液晶平面が深くなり(見たところ2ミリくらい奥に沈んでいる)、その分反射率が下がったのだろう。
さて、その他の新ザウルス(MI-E1)の特徴は、カードスロットをはじめて二つ持ったということ。旧ザウルス(MI-C1)では、CFカード(私は42メガを入れていた)一つだった。今回は、CFカードとSDカードが使える。私は昨日68メガのSDカードを買って装着した。CFの方は、カメラカードやPHSカードなど付加機能の拡張スロットとして考えている(まだ何に使うか決めていない)。
私は、「フォトメモリー」などデータ容量の多いものは、本体メモリーにはいれず、必ずカードメモリに入れるようにしている。というより「本体メモリ」は7メガ程度しかなく、「フォトメモリ」は、カード拡張なしには使い物にならないからだ。顔写真付きの「アドレス帳」も、ほとんど友達がいない人しか使えない。ほとんど友達がいない人は、「電子手帳」など使わないだろうから、「フォト」データは拡張メモリなしには意味がないのである。
そして今回の2カードスロット。これは進歩、といいたいところだが、これがまた問題。このスロットは“同時に”機能しない。つまり、CFスロットでたとえばカメラを使いながら、そのデータをSDカードに落としていくという使い方ができない。一度カメラデータを本体メモリに落としこんで、それからSDメモリにということになる。もし、本体メモリに余裕がない人は(私のことだが)…、この2カードスロットのメリットを享受できないことになる。こういう大切なことが「スタパ齋藤」の記事には何も書かれていない。何が「実用性の高いふたつのカードスロット」(スタパ齋藤)だ。
この問題の本質は、新ザウルス(MI-E1)の本体ユーザーメモリが依然として10メガを切っているということにある。コストダウンの問題はあるにしても、本体メモリが7メガしかないMP3、MPEG4ツールとはいったい何なのか。私のデータは「アドレス帳」と「スケジュール」だけでもすでに本体メモリの8割を占拠している(ザウルスユーザーにはこういったユーザーがいくらでもいる)。これでどうやって音楽や動画を楽しめというのか。「マルチメディア系ファンツールとしてのおもしろみを考えても…ホントにコレは最強だと思える」(スタパ齋藤)なんて、シャープからただで新ザウルス(MI-E1)をもらっても私には書けない。
さらに致命的な問題がある。蓋のことである。新ザウルス(MI-E1)には、液晶保護のための蓋がついているが、これがいけない。この蓋はこれまでのように本体にくっついておらず、物理的に取れてしまう。取った蓋をどこかにおかなければならない(逆さまにして本体につけられるようにはなっているが、きちんとセットするためにはかなり神経質にならざるを得ない)。そして利用が終わればまた付けなければならない(付け替えねばならない)。何度も言うが、こういった情報ツールは、一日の内に、また短時間の内に何度も使ったりしまったりする。弁当箱の蓋なら、お昼時の一回で済む蓋の開け閉めとは違って、そのたびに蓋を取り外したり付けたりしなければならない、この蓋の操作性の悪さは一体何だ? どういうつもりでこんな不便な蓋にしたんだろう。この蓋は許せない。もちろん「スタパ齋藤」は、この蓋についても一切触れずじまい。
他にも細かいことは色々あるが、このザウルスは、「スカパ齋藤」が言うほどの「最強のザウルス」ではない。たしかに処理速度は格段にあがり、爽快にサクサクと動くが、この爽快さが不純な機能や入力系の不整合な組立によって前面に出ない。
パームトップやクリエ、あるいは携帯電話に押されて、わざとらしくマルチメディア機能を付加した駄作のザウルスが、今回の新ザウルス(MI-E1)なのである。ザウルスの本質は、圧倒的な便利さを有したPIM機能(スケジュール管理、アドレス管理機能など)にある。パームトップやクリエは、この点で足元にも及ばない。インターネット機能やマルチメディア機能は、まだ現在の技術では、中途半端なものにとどまらざるを得ない。一番大きな技術障害は、電池の持ち。フル充電で、MP3ファイル再生、2時間30分(カタログ表示)。MPEG4ムービープレイヤーとして1時間40分(カタログ表示)。フロントライトを付けたまま「スケジュール」「アドレス帳」をあれこれ操作していると1時間程度で駄目になる(しかも電池体力が前より駄目になっているのに、ACアダプターが旧ザウルス(MI-C1)より四倍大きく重くなっている!)。要するに使い物にならない。クルーソー搭載のモバイルパソコンの方がよほど優れているのである。これはザウルスが駄目というよりは、こんな機能をザウルスに持たせる方が間違っているのである。変な差別化路線がザウルスを駄目にしている。もう一度、初心に戻って作り直してもらいたい。
それにしても、「スタパ齋藤」さん、いい加減なことを書いて、読者をだまさないように。この新ザウルス(MI-E1)は「絶対に買う」ほどのザウルスではありません。ユーザーインターフェイスは、3年前に出たPI-8000の方が遙かに優れています(私はPI-8000が「最強のザウルス」だと今でも思っています)。この間、新橋のキムラヤで15000円くらいで売っていました。嗚呼、また無駄使いをしてしまった。
P.S. なお、私の他のザウルス論については http://www.ashida.info/ronbun/mobacom01.htm#zaurus にもその記載がありますので、よろしければ参照して下さい。
2000/12/18(月)14:00 - 芦田 - 346 hit(s)
この「芦田の毎日」163番の記事で「12月15日発売、新ザウルス(MI-E1)を買ってはいけない」を読んだ宮川先生から、せっかくこれだけ書いたんだから、ということで「どこかのフォーラムにのせれば」とアドバイスをもらったのがことの始まり。「どこがいいの?」「ニフティでもあるけど、『ざうまがWEB』というのがインターネットでは一番大きいんじゃないの」「あ、そう」ということで、初めてそのサイトに入り、「ダメダメ会議室」(新ザウルスに不満を持っている人のフォーラム)の161番に書き込んだ(「芦田の毎日」163番の5段落目以降をすべてアップした)。
それが土曜日の夜中1:40。その後日曜日の夕方6:00くらいまで、約20通くらいの意見を頂きながら私は対応し続けたが(反応書き込みし続けたが)、突如(日曜日の夕方)「ダメダメ会議室」が『ざうまがWEB』の表のインデックスから消失。
そこで「買った人だけ言いたい放題」という同じ『ざうまがWEB』の会議室に「なぜ、『ダメダメ会議室』は消えたのか」と書き込んだら、その発言自体を(管理者から)削除されてしまった。いったい、何が起こったのか? ただいま、宮川先生、芦沢弟先生、吉野先生などで総力を挙げて調査中。乞うご期待。
2000/12/20(水)00:54 - 芦田 - 245 hit(s)
「ざうまがWEB」事件(「芦田の毎日」163番〜176番を参照のこと)で、私が一番強く感じたのは、「他者」とは何かということです。
この「ざうまがWEB」で(リーダーシップをもって)発言している人たちは、マニュアルなしでもザウルスが操作でき、マニュアルに書かれていない機能も知っている人たちです。もっと言えば、アプリケーションも自分で作ってしまう人たちです。そういう“反応”が、私の意見に一挙に殺到しました。
たとえば、今回の件で言えば、「ユーザー辞書が今回の新ザウルスにはない」という私の指摘に対して「年明けにはインターネット上でサポートされます」などと答えてくる。あるいは、「フロントライトの常時ON設定が初期設定の中にない」という私の指摘に対して、「ありますよ」などと答える。「(嘘をついて)すみませんでした。教えて下さい」と言うと教えてくれるが、それは、“裏技”。「解説書のどこに書いてありましたか」と聞くと、「私は解説書なんて一回も見たことがありません」と誇らしげに答えてくれる。そして、こうして「ものを買うときにはきちんと調べて買うべきです」と説教されて、私は“スミマセンでした”というより他なくなる。
この人たちは12月15日の新ザウルスの発売日前から、今回の新ザウルスの裏情報をかき集めて、“賢い”消費者となっている人たちなのだ。
もっと別の言い方をすれば、商品としてのザウルスの欠陥を自らで補うことができる「消費者」なのである。
こういったインターネット上の「(賢い)消費者」は、〈商品〉をダメにするというのが今回の最大の経験だ。
私が商品コンセプトに不整合があると指摘すると、「そんなのは、こういう使い方をすれば不整合(欠陥)ではない」とか、「商品に欠陥があることは認めるけれど、それは知らずに買った消費者が悪いんだ」というのは、いったいどういう発言なのだろうか。
はっきりしていることは、こういった立場に立てば、〈商品批判〉という観点は出てこないということだ。
〈商品批判〉というのは、メーカーの(主観的)意図とか、あれこれのユーザーの使途とは関係なく、まして裏情報とは関わりなく、商品それ自体に内在している思想を取り出すことにある。それ以外に商品を批判することはありえない。
商品それ自体に内在している思想、というのは、誰でもが公開的にアプローチできる内容ということである。アメリカの良質な消費者運動の一部では、商品が出る前の批評を行わないという原則、つまりそのものを“普通に”買って批評するという原則を守っているところもある(日本で言えば、『暮らしの手帳』の商品テストがそうだった)。
商品についてそれが市場に出る前に「知る」というのは ― 私はその努力をしないから「ざうまがWEB」から怒られたわけですが ― 、自動車批評がそうであるように、かならずメーカーの情報に媚びざるを得ないところが出てくる。またそういった情報の正否は誰も判断できない。なぜならそれはまだ人々が手にする商品そのものではないからだ。
よくAV(オーディオ・ビジュアル)誌の商品批評で、商品完成版になったときには「もっといい色調がでるだろう」(ビデオの場合)などとわけのわからない前情報“批評”を加えている批評家がいるが、これを読者はどう“理解”すればいいのだろうか。
こういった“批評”は誰も(第一にメーカーが、第二に批評家も)責任をとることができない。なぜなら、まだ〈商品〉ではないもの(特定の人間しか知らない特定の商品、つまり私的なオブジェ)を批評しているからだ。
それはアングラ情報で“政治批評”したり、“分析”したりする評論家に似ている。人が知らない、共有できない(容易に近づけない)情報でもって、批評する。それは、私的なことを私的に語っている単なるモノローグにすぎない。だから、少しでも〈他者〉が入り込んでくると感情的になったり、(インターネットの場合には)IPアドレスまで追跡して排除してしまう。
たとえば、昨年ベストセラーになった三好万季の『四人はなぜ死んだのか』(副題:インターネットで追跡する「毒入りカレー事件」)が圧倒的に優れていたのは、新聞や公的研究所の公開情報を当てにして推論を重ねていく、というスタイルを取っていたからだ。
彼女がそのとき中学三年生だったということの意味は、彼女が天才だったという意味ではなくて、中学三年生でもアプローチできる公開性から彼女が出発したということを意味するだけのことである。彼女は、インターネットに定位することによって、批評の健全性(多くの思想家が長年の文体的修練を経てはじめて実現しうる批評の健全性)を、まったく別の形式でもって無意識に実現したのである。『四人はなぜ死んだのか』は、そこがまったく新しかった。
公開情報を基本にするということが、なぜ大切なのか。それは、その反対意見自体が公開的に語られることを意味するからだ。そこではじめて〈議論〉が、そして〈批判〉が成り立つ場ができあがる。公開性は〈他者〉 ― 本来の共同性 ― が存立する基盤なのである。
同じインターネットに定位しながら、「ざうまがWEB」と『四人はなぜ死んだのか』との差異はどうして生じてしまうのか?
何千人、何万人、何億人集めようと、インターネット上の一サイトは、単に一人の人間(管理者)の現前(プレゼンス)にすぎないということ。それは、たとえば、どんな最先端の技術を駆使して人工知能や人造人間を作ったところで、単に地球上に人間が一人増えたにすぎないという事態に似ている。
問題は、〈人間〉を一人増やすことではなくて、〈人間〉を超えることなのである。
重要なことは、人間の数や、それに応じた多数の意見なのではない。そういった併存、〈私(の意見)〉と〈あなた(の意見)〉とか、〈あなた(の意見)〉と〈彼(の意見)〉とかいう場合の〈と(and)〉の場所など《この世》に存在したりはしない。それはインターネットがどんなに発展しても変わらない不変の真理である。
思考は個体にしか訪れはしない。
『四人はなぜ死んだのか』の三好万季は、単独でインターネットに他者(公開性)を見つけたのである。そういった単独性がもつ緊張感がないところでは、インターネットはどこまでいっても、むしろ個体の内閉性を強化するばかりの媒体にすぎない。そうやって「ざうまがWEB」は、内閉してしまったのである。自らの形成した共同体が幻想だったことを自ら露呈したのだ。というより、それは共同体の幻想性というよりは、単に一人の人間が〈世界〉に対峙できなかったということを露呈したにすぎない。つまり、どこにでも自分勝手な奴がいるということが単に露呈したにすぎない。
2000/12/31(日)03:13 - 芦田 - 158 hit(s)
遅蒔きながら、労働省の「IT化に対応した職業能力開発研究会」で発表した内容の概略をレポートしておきます(これまでの私の講演・論文と一部重複しているところがあります。お許し下さい)
職業教育・情報教育・生涯学習
0)はじめに
私ども「東京工科専門学校」ということで都内に4校の専門学校を持っておりまして、30年前に自動車系の専門課程から始まりまして、建築・インテリア系、情報系、バイオテクノロジー系まで、主に工業・技術系の職業教育を自分たちの分野にしている学校であります。
96年4月に東中野駅前に新しい校舎(「テラハウス」地上11階・地下1階)を建てるということで、「キャリア開発研究所(Institute for Career Advancement)」(略称・テラハウスICA)という新しい職業生涯学習の教育組織をつくり、カリキュラムを立ち上げ、脱18才層受講生の募集を始めました。
そのときぼんやりと考えていたことといえば、18歳の人口が減少していくなどということは耳にタコができるほど聞かされていて、専門学校ももっと広いマーケットで学生募集をしていくような、そういった展開ができないかということはもちろんなかったわけではないんですが、そういう仕方でマーケットを拡張して、取ってつけたように新しい組織をつくって生涯学習を展開しても、多分うまくいかないだろうということ。
例えば、私立の中学校が小学校にまで枠を広げて「附属」を作りマーケットを広げるといったのと同じで、専門学校も18歳層にもはや期待しないほうがいいと。「生涯」学習ということになれば、(キッズ層から)シルバー層も含めて広範なマーケットが期待できるというような展開というのが一方であったわけですが、多分そういうことではないだろうというのが我々が考えていたことです。
社会全体が大きく変わろうとしていると。それは子供が減少しつつあるということの問題ではなくて、学習のあり方や知識のあり方、そして仕事の仕方自体が根本的に変わろうとしているのではないかと。従来から「職業教育」を標榜してきた専門学校こそが真っ先にそういった新しい学習のあり方や、あるいは新しい職業人の人材形成について答える義務があるのではないのかとおもったわけです。
1)新知識主義と生涯学習社会
我々がまず考えたことは、〈知識〉ということの意味が最近変わってきているぞという予感についてです。
これまでは〈知識〉といえば、〈現実〉だとか、あるいは〈実務〉だとか、あるいは〈実践〉みたいなものと切り離されて考えられてきて、むしろ対立するものとして考えられてきたわけですが、コンピューターがパーソナル化し、「パソコン」という形をとってどんどんどんどん大衆化していきますと、〈知る〉ということの意味が変わってきて、〈知る〉ということが極めて実践的で行動的な内容を持つようになってくるということがあります。むしろ〈知っていること〉と〈できる〉ことがイコールになるような環境がコンピューターメディアの普及によってどんどん広がりつつある。
お手元にお配りしているアウトラインでは、車の話を例として出しておりますが、たとえば車でも、ブレーキングの技術というのを習得するにはかなりの時間がかかりましたし、特定のセンスを持っていなければ、そういったブレーキを上手に踏むということはできなかったわけですね。ところが、今日のようにコンピューターシミュレーションによるブレーキングシステムの技術が進んできますと、「アンチロックブレーキ」や「トラクションコントロール」、あるいは最近では「ブレーキアシスト」といったようないろんなシステムが車の中に入り込んできて、とりあえず踏めば何とかなるみたいな状況が、まだまだ技術的には未熟ではあるけれども、そういった状況が生まれてきている。〈ブレーキを踏めば車がとまる〉という知識のレベルでの操作で“実際に”車が止まる。知的な操作がそのまま、これまでかなりの熟練技術を必要としたブレーキングの技術に取ってかわりつつあるということです。
そういった分野は、例えば私どもであれば、建築系の大きな科を持っているわけですが、手書きの図面の作業がCADにかわっていくという場面に対応しています。専門学校は、従来2年間(あるいは3年間)何をやっていたかというと、ある意味では、きれいな線(あるいはきれいな図面)を描く勉強を「実習」と称して時間をかけてやっていたわけですね。それは文字どおり時間がかかる学習でありましてなかなかそれは、〈こう引けばこうなる〉ということを知っていても、きちんとしたきれいな図面を描くということは大変難しくて、まさにこの限りでは、〈知っていること〉と〈できる〉こととの間に大きな距離があったわけです。それはあらゆる分野でそういった距離があったわけですけれども、CADであれば、〈操作を知る〉ということと〈線を引くことが(実際)できる〉ということの意味はほとんど同じ状況になってくる。そうすると、実習に長い時間を割いて図面を書いていくというプロセスというのがコンピュータに介在されたシミュレーション技術を駆使するレベルでは、〈知識〉にかわってくる。つまり熟練技術の形成というのが〈知る〉ということの中へどんどん変貌して入ってくることが起こってきます。〈知る〉ということが実践的な意味を持ち始める。
専門学校の職業教育というのは、大きな「実習」時間を割いて、かつ業界なり官庁の規制の中で実習時間何時間というのをあてがわれながら、なかなか融通をきかせにくいカリキュラムの中でやってきていました。その中でやってきたのはほとんどが習得するのに時間がかかる教育、つまり身体(の馴化)に依存した熟練技術の教育というものを専門学校は社会的には負ってきたわけです。そういった馴化・熟練学習の部分というのが、コンピューターメディアを介在させる昨今の技術普及によって、どんどん知的なものに変貌しつつある。その中で、教育の内容が大きく変わろうとしてきているということを我々は考えてきたわけです。
つまり、身体や熟練した手仕事を介在させなければいけない教育の分野がどんどんどんどん縮小しつつあるということです。高等教育における職業教育というものの意味が大分違ってきているということ。
今たとえば「OJT」だとか、あるいは「インターン制」ということで業界との交流をしなければいけないみたいな話が我々の学校の中でもあるんですが、そういう「OJT」や「インターン制」が教育カリキュラム全体の中に位置づく意味は、学校教育が〈知識〉や〈理論〉のレベルでしか物事を教えていなくて、もっと“実践”や“現場”を知らなければいけないというようなスタンスで語られることが多い。
しかし、それは実は間違っているというのが私たちの認識です。そうではなくて、先ほどの私の言葉の続きで言いますと、むしろ“現場”だとか、“実務”だとかというものがかなり知的になり、知性化されてきて、マニュアル化されて、現場が透明なものになって、むしろ現場自体の教育機能がかなり増しつつある。組織の中でも、今、自分が何をやっているのかとか、上の人間がどういうことを考えているのかとか、今この会社全体がどういう仕事をしているのかということが見えやすくなってきて、つまり会社組織自体が知的になりつつある。それはコンピュータによるネットワークだとか、グループウエアだとか、そういったことが企業組織の中にどんどん入り込んできているということと同じ動きなわけです。「社員研修」は何も不況で縮小しつつあるだけではなく、会社の組織システム自体がグループウエア(ネットワーク)によって教育的な機能を持ち始めているということです。仕事をするということと教育する(啓発する)ということとが不可分な状態になりつつあるのです。
それはどういうことかというと、教育の分野にもどんどんコンピューターメディアは入り込んで、知的になる分、実践的になる。つまり〈知る〉ということが〈できる〉ということとイコールになるような状況が生まれつつあるということであって、むしろ教育において「OJT」や「インターン制」が普及しつつあるということは、教育が理論的なまま(実務に無知なまま)であったということではなくて、教育自体も現場と同じような実践性を持ち得るような、そういうチャンスが拡大しつつある状況なんだというふうに我々は思っています。
そういう意味で言いますと、教育現場というものとビジネスの現場、あるいは職場というものとがかなり近接し始めてきているということがあって、これが「生涯学習」といわれているものの基盤なのではないか、と私たちは考えています。
学校がそのように実践的であるとすれば、職場は、したがってその分逆に知的になっているというのが、「生涯」教育の中身であるわけです。つまり社会全体が教育的になっているということです。文部省は、「生涯学習社会」といったわけです。
職場自体がどんどん知的=透明になってきますと、会社全体のことが見えたり、だれがどこでどういった行動をしているのかということがどんどんどんどん見えてきますし、見えやすくなってきますから、自分のポジションと自分が全体の中で何をやるべきかということが見えてくるという点では、知識の総合性というものがかなり要求され始める。これはよく言われることですが、階層的なラインであったり、部門制的な分業というものの垣根がどんどん崩れてくる。そういったことが崩れる根拠というのは、従来であれば、会社に勤めて10年20年というふうに経験を積めば、ある種の専門的な知識や技術が身について、新入社員には負けないくらい知識や技術をもった「エキスパート」、あるいは「課長」や「部長」が生まれ、そういったある種の“熟練”的なポジションというのが存在したわけです。要するに従来の「専門性」とか「マネージャー」というのは、〈経験〉のあるなしを基本に形成されてきたわけです。ある場所に“長くいる”ということが“情報収集”の唯一の武器だったということです。
ところが〈経験〉を積まないとわからないようなこと、できないことというのが、コンピューターメディアに媒介されたグループウエアだとか、あるいはデータベースのパソコン解放(ネットワーク解放)によって解消しつつある。課長や部長の10年や20年の〈経験〉の重さというものが「情報の共有」の中で一気に軽くなってくる。〈経験〉は“共有”できませんが、“知識”や“情報”は共有できるわけです。もともと部門制や階層制は、“経験の重さ”によってできていた体制であって、それらは「情報の共有」 ― 私の言葉で言えば、〈知識〉の実践性 ― が全面化し始めると直ちに流動化する。その都度、知識を更新しなくてはならないような状況が生まれてくる。というより、もともと更新されないような知識(や情報)は知識ではないと言えます。〈経験〉という敷居、つまり部門的な差別や階層的な差別が、知識の本性である更新性を妨げてきたといえます。
コンピュータ(パソコン)というものはそういった意味では会社の階層、あるいは横並びの部門、ある種のスペシャリズムみたいなものの境界を取り払っていく非常に民主的な機械でありまして、それはただ単に専門家と門外漢、部長と新入社員の垣根だけではなく、子供と大人の境界、あるいは男性と女性、会社と家庭などの垣根も同時に取っ払っていく。要するにそれらの従来の境界、垣根はすべて〈経験〉的な差異であったわけです。
こういった社会の、経験主義を越えていく傾向が、生涯学習(「リカレント」・「リフレッシュ」学習)ということの基盤、歴史的な基盤になってきているんだというふうに私たちは考えたわけです。つまり、コンピュータメディアに媒介された、新しい知識主義が社会の流動性を全面化し始めると、学習の「生涯」化は必然的なものになってくる。「学校」教育の“後”は、「“経験”を積みなさい」と言うだけではすまなくなってくるわけです。
私たちが考えたのは、こういった教育の「生涯」化を加速させるパソコンによるコンピュータ解放そのものをカリキュラムの中心に据えるということでした。
2)ユーザーコンピューティングの現在
さて、コンピュータのパソコン化現象の象徴的なものは〈ユーザーコンピューティング〉という領域です。たとえば、かつて〈社長さんが〈秘書〉に手書きの文章をワープロで打たせていたような意味での「コンピュータ化」がコンピュータスペシャリストたちの仕事でした。秘書が自分の仕事のためにコンピュータを使うのでないのと同じように、これらのスペシャリストも他人の仕事に奉仕するためのコンピュータスペシャリストであったわけです。
利用する者自身がコンピュータを使うということは、当たり前のように見えてそうではありませんでした。ワープロも書く者と操作する者とが別の者である限り、単なる“清書機”にすぎません。鉛筆が書くための“道具”であるようにしてワープロもまた鉛筆代わりの、きれいな字を書ける“道具”にすぎないわけです。
しかしワープロは、むろん鉛筆代わりの道具なのではありません。ワープロの数々の機能、「COPY」や「移動(切り取り)」、「挿入」や「削除」、「単語登録」や「語句置換」、「語句検索」といった基本的な機能から豊富な表現能力や書式設定の多彩さは、“人間”がものを考える過程そのものに対応しています。
出来上がった文章(“紙”に“出力”されたことば)は、いくつかの〈章〉から、章の下位の〈節〉から順序よく論理的に構成されているかに見えますが、それは“頭”の中で考えたこと(浮かんだこと)をCOPY(反復)し、移動し、挿入し、削除したことの結果にすぎません。われわれ人間は、文章を〈はじめ〉から〈終わり〉へ向かって書くように(“紙”に展開するように)考えるのではなくて、(“頭”の中で)COPY(反復)し、移動し、挿入し、削除しながら書くわけです。紙の媒体に移された文章(テキスト)は、むしろその結果にすぎない。「起承転結」の論理性の方が、「紙」と「鉛筆」いう媒体に制約された非人間的な性格をむしろ有していると言えます。
〈書く〉という行為がワープロ登場以前に《紙》の媒体に書くことでしかなかったときには、〈ノート〉や〈文献カード〉が思考過程の方を受け持ち、〈原稿用紙〉が(思考の)論理的・構築的な表現を受け持っていました。KJ法はこの両者を紙の媒体で(ありながら)統一的に行おうとしたところに意義がありましたが、ワープロでは特にKJ法をことさらに意識しなくても、書くことはKJ法で書くことだということです。
従来、なぜ人々が〈文章〉を書きたがらなかったのかというと、頭の中に考えが浮かぶことの秩序(思考の時−空)と書くことの秩序(書くことの時−空)が異なり、書く前に考えを整理し、書く秩序に適応させることを頭の中で前もってまとめなければならなかったからです。頭の中に浮かぶことは秩序というよりはむしろ無秩序であり、浮かんだり消えたり、因果関係があったりなかったり、後先が逆であったり、長短がいびつだったりしますが、原稿用紙に書くときは整然と論理的に整理された形を(前もって)強要され、思いつきは許されず、取り消しや訂正にも限度があるというように思考と書記行為との間には落差が生じます。この落差の緊張感に耐えることは修練がいるし、場合によっては〈文才〉というものに神秘的な仕方で依存することもあった訳です。
しかし、コンピュータ(ワープロ)の諸機能は、前もって考えることとそれを書くこととの根本的な断絶をほどいたわけです。思ったこと、浮かんだことをとにかくそのまま書け(打て)ばいい。論理性や展開は、あとでゆっくりと ― 「コピー」したり、「移動」したり、「削除」したり、「挿入」したりしながら ― 考えればいい。ここでは考えることと書くこととが最初から同じメディアの中で生じている。“脳”の中に浮かぶことがメディアの中で展開し、「コピー」「移動」「削除」「挿入」をすることはそのまま〈考えること〉=〈書くこと〉につながっています。
したがって、ワープロは、書く人(=考える人)自身が使わなければ意味がない。ネットワーク(インターネット・イントラネット)がはやり始めたときに、エンドユーザーの「エンド」とは社長(会社のトップ)のことだ、と喝破した人がいましたが、それは、けっきょくのところ、ワープロが清書機ではない、ということが社長にもわかり始めたということを意味しています。パソコンは自分が利用してこそパソコンだということです。
現在、会社のパソコン利用でもっとも深刻なのは、〈システム室〉と〈ユーザー〉との対立です。社内のネットワークやデータベースを管理している〈システム室〉の最大の願望は、ネットワークを使うな、データベースを使うな、ということです。〈ユーザー〉は、勝手な使い方をしてネットワークを壊したり、無理難題を言って(システム室の)仕事を増やすばかりだからです。〈システム室〉から見れば、〈ユーザー〉は単なるパソコン(あるいはコンピュータ)の“素人” にすぎません。ほとんどの会社では、専門家の〈システム室〉、素人の〈ユーザー〉という対立の中でパソコンが使われています。かつては、こういった対立を中和させるために「シスアド」などという“職種”がもてはやされてきました。しかしいまでは、「シスアド」は、概念の中では存在しても、実在したことは一度もありません。今後もあり得ないでしょう。「シスアド」とは、コンピュータのことも仕事のことも中途半端にしか知らない人のことを言います。
仕事のためにコンピュータがあるのであって、コンピュータのために仕事があるのではありません。したがって、コンピュータ活用の鍵は、どこまでも仕事のためにパソコンを使っている〈ユーザー〉が握っているわけです。今日の〈ユーザー〉は、〈システム室〉をあてにしていません。彼らをあてにしていると仕事がいつまでもできないからです。ヒアリングや仕様書作成から仕事を始める〈システム室〉をあてにしていては、本来の仕事がいつまでたってもできないからです。また流れの速い、総合性の高い今日の仕事のあり方の中では、仮に思った通りに〈システム室〉が仕事をしてくれたとしても、すぐに役立たずになってしまいます。変化に対応するためには、〈ユーザー〉が自立的に“システム”を形成するしかないわけです。はやりの〈分散〉型システムとは、結局のところ、〈システム室〉を介在させないで仕事をする方法のことです。従来の〈システム室〉はここで解体したわけです。パソコン活用に〈専門家〉はいないということです。つまり、使う人(=〈ユーザー〉)に学ばせることが、狭い意味での専門家育成よりははるかに仕事のIT化を加速させるということです。仕事を知っている〈ユーザー〉こそが妥協のないIT化を進めることができるのです。
3)生涯学習カリキュラムのあり方について
以上のように、(1)〈知識〉のあり方が変化していること (2)〈ユーザー〉コンピューティングがIT革命の鍵を握るということ、この2点が、私たちが社会人教育に取り組む前提になりました。
カリキュラム作りで、第一に考えたことは、「資格」「免許」カリキュラムをメインカリキュラムとして持たないことでした。「資格」だとか「免許」というのは、私たちが言う意味での知的な軽さといいますか、あるいはスピードに対応できない。今の社会のあり方が先に言ったような意味で知的に軽くなって、日ごとに仕事の性質が変わりつつある状況の中で、資格の内容を教育プログラムとして持つということは、そういった動向に反する動きだということをまず思ったこと。資格問題を作成している“委員”の人たちも、1年か2年で変わるだろう問題を真剣に作ったりはしない。日本語すらおぼつかない問題もたくさんあるわけです。もう一つは、資格講座に依存しますと、これは専門学校の最大の問題だと思いますが、従来、専門学校は資格を取るところだというふうに、いい意味でか悪い意味でかわかりませんが、社会的にそういう仕方で認知されている部分が多かったわけですが、これは教務機能が必ず衰退していく。資格のカリキュラムというのは、(他人が作った)教科書や教材がすでにできあがっていて、何を学べば、あるいはどこまで学べば受かるかということがわかっているわけですから、社会人や、あるいは18歳で入ってくる学生に対して、一体どんな教育をすべきなのかという根本問題を自立的に考える契機を失ってしまいます。いわば、学校の〈頭脳〉とも言える部分を、資格・免許講座体制は衰退させて行くわけです。
そうやって衰退していきますと、学校間の格差、特徴も無くなってくる。つまり教育内容は受かるか受からないかの、極端に言えば、予備校風ではないにしても、“合格率”だけが問題になってきますから、特徴のある学校運営だとか、特徴のある学校カリキュラムというものがでてくる要素が非常に少なくなってきます。そういったことになってきますと、一体何を自分たちの学校の目玉として売り出していくかという部分がなくなってきて、校舎や設備がきれいだとか、駅から近いだとか、名物講師がいるといったようなことだけにしか残らないような状況になってくる。
私どもの学校で、一番大きな世帯は自動車整備系と建築系ですから、私ども自体が今考えている部分では、やはりカリキュラムをつくる能力について抱えている課題がかなりほかの学校と比べて多い。それは、整備士の免許だとか、あるいは建築2級の免許だとかといったようなこととかかわって、なかなか個性的なプログラムを打ち出せない状況が生じていました。たとえば、まだ学内では〈学務〉事務と〈教務〉との区別さえつかない人がまだたくさんいる。
そういった状況というのは、多分多かれ少なかれ専門学校が抱えている問題だと思います。そのためにも、私たちが考えたのは、まず「資格」カリキュラムを外すということでした。「資格・免許」需要は、安定的なマーケットではある(かもしれない)けれども、そういったものに依存することなく、今社会人が本当に必要としているカリキュラムを自力でつくり上げるような体制をとっていかなければいけないんじゃないかというふうに思ったわけです。逆に言えば、資格教育機関は、社会的な変化や仕事のあり方の実際に目をつむることができるし、実際盲目なままになっているということです。試験合格(のためのスキル開発)が至上目的であるのですから、そうなるのは当然のことだったわけです。
2点目は、〈コース制〉のカリキュラムを持たないということ。これは通常のパソコンスクール等の比較で考えていただければいいんですが、社会人教育になりますと、例えば「ワード初級コース」だとか、「エクセル中級コース」だとか、そういったものがいっぱいあるんですが、そういった「コース制」というのも知的な時代のスピードに対応できない。一つは社会人が、5日間とか6日間とか、1週間でも何でもいいんですが、そういった日程を学校側が作った日程どおり来てくれる保証はどこにもない。毎日忙しいですし、いつ何が起こるかわからない。コース制であれば、例えば1日目、2日目、3日目とまあ3日目ぐらいまではちゃんと出たんだけれども、4日目に突然の会議が入って来れなくて、5回目、6回目を参加するのがもういやになってしまう(というかわからなくなる)というようなことは幾らでもあるわけで、リカレントプログラムでコース制を形成しながら社会人の人たちに勉強していただくというのはかなりきついということです。
それと、さらにコース制であれば、例えば「ワード初級」を10人で募集した場合、その10人の人たちが「初級」とはいいながら必ずしも同じ理解力を持っているとは限らない。また、同じ目的を持って「ワード」を使おうと思っているとも限らない。そういったばらつき ― ある意味では、偏差値格差以上のばらつき ― をコース制であればずっと抱えながら、1週間、あるいは2週間教えなくてはいけない。これは受講者にも大変きついことでありますし、教えている教員の負担もかなりのものになる。学生を相手にするのと社会人を相手にするのとでは、ただ単に偏差値が違うというだけではなくて、独特のばらつきを意識しなくてはいけない。わからないまま1週間の〈コース〉を過ごす、やさしすぎるまま1週間の〈コース〉を過ごす、これは忙しい社会人にとって耐えられない学習の仕方です。そういう点でコース制というのは、「生涯」学習にとってふさわしくないカリキュラムのあり方なわけです。
さらに、社会人が何か今現場で学びたいものがあるときに、1週間も学んでいるぐらいであれば、どこか隣の人に聞いた方がいいとか、電話をかけて聞いた方がいいよとか、などと幾らでもコース制の問題があるわけで、ワープロを学ぶのに1週間も時間をかけていれば、もうやらなければいけないことはとっくに過ぎているということが出てきます。
また「ワード」を学ぶといっても、何もワードのすべてを学ぶわけではない。すべてを学ぶというのなら何日あっても足らない。けれども実際に知りたいことは、「ワード」の機能全体からいえば、ほんの小さな部分です。コース制では難しすぎる(多すぎる)ことか易しすぎる(少なすぎる)ことを学ぶ、言い換えれば、自分に必要のないことまでを学ぶという問題も含まれています。学習のスピードの速さだけではなく、何を学ばなければいけないかという学習課題も日毎更新されているということです。その点でもコース制は非常に不適切なカリキュラムの形態であろうというふうに思っています。
あと3点目ですが、我々のシステムは、基本的にはワードで幾らお金をいただくだとか、エクセルで幾らお金をいただくだとか、あるいはJAVAのプログラミングで幾らお金をいただくというふうに、内容主題別にお金をいただくシステムを採っていません。定額制(月謝制)のシステムが基本システムになっていまして、一月5.8万円(受講料)、一年でも34.8万円をお支払いいただければ、毎日来ていただいて結構だと、そういうシステムになっていますので、ワードを受けようが、JAVAを受けようが、ホームページ作成を受けようが、一月6万円弱で済む。あるいは一年毎日来ても35万円で済むだとにしています。一日15講座から20講座、毎日開講しておりますし、一ヶ月で500講座を開講していますので、多種多様な講座を好きなように、広くも深くも受講することができる。オフィス系(Word、Excel、Access、PowerPoint)はもちろんのこと、CG・DTP・3D・WEBデザイン系、ネットワーク系、ホームページ作成系、プログラミング言語系など、それぞれの初級から上級まで現在のパソコンカリキュラムのほとんどを網羅しています。
すべてのコンピュータがネットワーク=インターネットでつながれつつあることを考えると「ワード」だけやれてもしようがないわけですね。「エクセル」をやれただけでもしようがない。「ホームページ」をやるのであれば、アクセスのデータベース機能を持ったようなホームページをつくっていくことも必要になる。知的な社会の知的な課題というのは、総合性ということがすごく大きい。〈経験〉は〈総合性〉という課題に敵対するところがありますが、〈情報〉や〈知識〉は絶えず全体的な認識を志向します。全体を認識しながら自分の仕事をするということは大変重要な課題で、一つのアプリケーション、一つの機能に縛られたコース制はその意味でも問題が多い。さらにそのうえ、ワープロ講座で3万円、CG・3Dで10万円、JAVAで10万円、ホームページで10万円などと、〈コース〉単位でお金を使っていたらいくらお金があっても足りない。内容的な境界と経済的な境界がコース制の問題を形成しており、それが真に必要とされるトータルでフレキシブルな学習、仕事に対応するIT学習を阻んでいたのです。
以上3点が我々がカリキュラムをつくるところで留意したことであります。 これら3点の問題は、結局のところ、社会人学習(生涯学習)と学生学習(学校教育)との差異につながっています。社会人と学生との最大の相違は、学習動機の軽重です。社会的な経験を大なり小なり経験している社会人にとって、学んだ知識や技術が実際の場面でどんな意味をもつのかということは、(個人差があるにしても)イメージがつきやすい。したがって、講座選択の動機が学生に比べれば、はるかにリアルです。たとえば、Wordを学ぶにしても、社会人はWordの「罫線」が学びたいわけです。Excelを学ぶにしても「財務」関数が学びたいわけです。個別の課題から学習動機を掴むのが社会人です。しかし学生には教育内容の外を指向する学習動機が存在していません。したがって、基礎から順に学ぶことが学生教育のカリキュラム(学年や学部に拘束された基礎−応用カリキュラム)であったわけです。
〈コース〉というのは、その意味で学生教育には馴染むかもしれませんが、社会人には不適応だったわけです。私たちのカリキュラムでは、例えばWordの文字入力だけを勉強する人は、文字入力をもっと効率的にやりたいという人は、「文字入力」という講座があったり、「罫線/表作成」だけの講座があったり、「差込印刷」だけをする講座というものを持っています。社会人が今自分はどういったスキルを身につけたらいいかというときに、その講座にだけ出れば、目的と受講内容とが一致する仕方で勉強することができる。それはExcel、Access、ホームページやネットワークの講座を含めて、すべての講座でそういった一つ一つの講座を自立的に分節化していますので、学習のスピードや、あるいは学習課題の多様化に対応できるようなカリキュラム構成になっています。今日はWord、明日はAccess、日曜日はネットワークというように自分の仕事に合わせて講座をアレンジすることができる〈〈ユーザー〉カリキュラムになっているわけです。
ところが、こういった社会人の学習動機の明確さは、本来〈学ぶ〉ということが持っている知見の拡大という傾向に反する場合があります。学びたいことを学ぶということは、悪くいえば、狭い実益主義です。現状の仕事の延長上に自らの仕事の仕方を描いただけのことなのです。つまり自らの〈経験〉を強化するためだけの学習にとどまる危険性があるわけです。社会人学習のカリキュラムにとって重要なことは、経験からの学習動機を、もっと広い、別の知見へと拡大する契機を持たせることにあります。
これを妨げていたのが、コース単位の料金制度だったわけです。〈コース〉、つまり〈分野〉によって料金を設定しないことによって、どんな横飛びもできるカリキュラムにしておくことが、スピードとともに統合化が要求されているIT学習のもう一方の課題だったわけです。私どものカリキュラムでは、たとえばWordの基礎を受けただけ人が、とんでもないことなんですが、最近JAVAというのをよく耳にするから、JAVA講座を受けてやれといって受ける方もたくさんおられます。講師の人間は大変苦労していますが、しかし私どもとしてはそれは考えていたことで、私どもの学校に来ないと一生JAVAの勉強なんてしない、そういった人たちが十分JAVAの学習を楽しんで、そこでまたある種の関心の花が咲いて、JAVAのどんどん上級まで突き進んでいくというようなことが結構起こっています。そういった新しい知的な交換の形態、経験を軽くする形態、言ってみれば、ホームページのハイパーリンクのように自分の関心の赴くままに自分の知識を自分の理解過程に従って拡大していく形態が、〈経験〉的な社会人に必要な学習形態だろうと思っています。私どものカリキュラムがそういった知的なスキルの自由な拡大の場所になっているということです。
もうひとつ、最後に言っておかなければならないことは、パソコン学習における学習方法の根本的な変化ということです。たとえば、Excelの中上級者になってきますと、かならず、統計の勉強がしたくなります。回帰分析がどうだとかクロス集計がどうだとか、大学時代に文学部に在籍していて太宰治論で卒論を書いた人が、就職後4〜5年後でそんなことを言い始めるわけです。統計の基礎からExcelを学び始めるのではなくて、Excelの実務使用の中から統計学の基礎を学びたくなるということ、こういったことはパソコン〈ユーザー〉の分野で不断に起こっています。CG・DTPのオペレータが〈デザイン〉の勉強を本格的にしたくなる。3Dのデザイナーが、建築の勉強をし始める。つまり、従来の基礎教育から発する体系的な学習は、IT分野ではほとんどあり得ない。教育分野ではそれを〈ミドルスタート〉と呼んでいますが、〈ミドル〉とは、単に学習の順番の逆転だけではなくて、分野と分野との〈ミドル〉(中間)からの開始をも意味します。つまり専門家育成の狭いコース主義では、ITの可塑性の高い技術学習に見合わないということです。
今、文科系の社会人がパソコン学習に嬉々として参加しています。たぶんこの人たちは、〈技術〉ということから疎外され続けた人たちです。勉強の内容も、特に太宰治を読んで、何がどうなったか、ということに関してある種の曖昧さが学習の特質であるような学習を重ねてきた人たちです。この人たちは社会人になると“キャノンの情報革命”とか“花王の情報革命”、アサヒビールの逆襲“といった経営戦略論やマーケティングのビジネス本を(立ち読みで)読んできた人たちです。太宰治論が曖昧であったように、これらの本を読んでも何が自分を変化させたのかは曖昧なままだったわけです。結果論的な経営学者にだまされ続けた彼らは、〈技術〉というものを学習したことが一度もなかった。ところが、パソコンでExcelの関数を知っているのと知らないのとでははっきり差が出る(実感的に差が出る)。Excelを1時間学ぶのと2時間学ぶのとでは、はっきり倍の差が出る。太宰の本や経営戦略論を10ページ読むのと20ページ読むのとでは差は出ませんが、ExcelやAccessを学ぶと仕事の仕方に変化が出たり、次の課題がはっきり見えてくる。こういった実感が〈技術〉の学習にはついて回る。これは、多くの文科系の社会人には、新しい発見だったわけです。〈ミドルスタート〉する「遅れてきた青年」たちの学習意欲が、今日の〈ユーザー〉コンピューティングの隆盛を背後で支えているわけです。そういう意味では最初に申しました新知識主義の時代は新技術主義の時代でもあるといえます。この人たちに定位することが、IT人材育成の鍵を握っていると思います。
現在、月間でのべ8,000名(昼間4000人、夜間4000人)の社会人の方々が私どものカリキュラムを利用されています。とりあえず我々の3点の前提、(1)資格カリキュラムを持たない (2)コース制のカリキュラムを持たない (3)定額制でどんな授業でも受けられる状態にしておくという体制がとりあえずは認められつつあるのかなというふうに思っております。(了)
於:新橋・三和総研会議室(2000年・9月25日)
2001/1/8(月)02:20 - 芦田 - 166 hit(s)
イタリア映画の「ライフイズビューティフル」もよかったが、久しぶりに見たフランス映画の「八日目」もなかなかのものだった(NHKのBSで放映していたものをビデオ録画したものをみました)。
きっかけは軽薄そのもの。大画面にしたために(「芦田の毎日」188番参照のこと)ビデオデッキの画質と音質がたえられなくなり、VICTORの名機HR-X7を購入。その再生力を試すためにたまたま手元にあったのが「八日目」(2年ほど前に録画してまったく見向きもしていなかった)。この映画を見る動機自体はかなり不純だった。ところが、これがとんでもない大作。そんな見方ではばちがあたるほどの大作。
私は、歌も映画もアメリカ派だが、たまに見るには「八日目」のような映画もあってもいいと思う。絶対おすすめです。あまり内容について触れるとよくない映画なので、私を信じて一度見て下さい。
「96年カンヌ国際映画祭に正式出品され、上映終了後には観客が主題歌を拍手と共に大合唱するなど大きな話題と感動を呼んだ」(上記ホームページより)らしいので、既に見られた方もたくさんおられるかと思いますが、私はまったくそんなことも知らずに見てしまいました。“なんだ、この映画は…”と思い続けての2時間でした。
ダウン症の主人公は、映画のなかでよく笑うのですが、その主人公と一緒に大声で笑ってしまう経験は、はじめてのものです(劇場で見ていた人はどうだったのでしょうか)。笑わせるために笑っていないところで一緒に笑えるというのは希有な体験でした。いまだに主人公の笑い顔が心の中に、そして像として残っています。まさに神的な笑みでした。
2001/1/8(月)09:37 - 加藤 - 133 hit(s)
私はかつて「八日目」の日本での劇場公開に関わっていました。観客の反応は、すごく感動した(何度も何度も劇場に来ていた人もいました)というものと、悪い映画ではないが今ひとつだったというものに二分されていたようです。また、それ以外にもダウン症関係者(ご自分の子供がダウン症であるなど)もおおぜい見に来ていましたが、それらの方々は物語の結末に対して不快感を持った方も多かったみたいです(劇場に設置したアンケートには「ダウン症患者にとっては残酷な結末」といった意見がいくつもありました)。私自身は、結末うんぬんというよりも、映画全体にやや物足りなさというかきめの粗さを感じました。もっとも、これは同監督の前作「トト・ザ・ヒーロー」の印象をふまえての感想ですが。
2001/1/9(火)00:05 - 芦田 - 110 hit(s)
「つめの粗さ」と言っても、映画というものはそういうものでしょ。その意味でいうなら、私は映画に満足したことなど一度もありません。毎回、何で?、何で?の連続です。散文なら絶対言い逃れのきかないところで、映像の空間性は存在できる、という特性をもっています。
この映画についていえば、もはやダウン症という事実に定位しているだけで、映画サブカルチャーそのものでしょう。〈事実〉の嫌いな人たちが映画に走るのですから、すでに入り口でハンディを背負っているわけです。でもそんなこといいじゃないですか。映画はそういうものです。あまり深く考えるのはやめましょう。深く考えなくてもよいのが、映画のよいところです。
主人公は、最後には死にますが、自殺とも事故ともわからぬ仕方で死にます。彼にとっては、生/死との境界そのものが意味のなかったことなのでしょう。死んだお母さんに「あなたは私の宝物、天使なのよ」と言われていたとおりです。少なくとも監督ジャコ・ヴァン・ドルマンの思想はそうだったはずです。したがって、なぜ主人公を死なせたのかという批判は、この作品にはあたらないでしょう。私も死んだときに、特にかわいそうにとは思いませんでした。チョコレートの食べ過ぎが原因で、ビルを飛ぶ幻想にとらわれ、落下し、芝生の上に芝生をかかえこむように(芝生と一体化して)死んだ演出がそうさせていました。
私は、この作品がドルマンの最初です。お気づきのように、私はとくに映画が趣味というわけでもないので、失礼ながら、はじめてこの作品でドルマンを知りました。70点くらいの映画作家ではないでしょうか。
2001/1/9(火)02:08 - 加藤 - 111 hit(s)
芦田> あまり深く考えるのはやめましょう。深く考えなくてもよいのが、映画のよいところです。
これはちょっと意外でした。ザウルスに対するメーカーのコンセプトとか、ICAの講座のタイトルとか、あらゆるものに対して「考える」ことを要求するのが芦田さんだと思っていたので。
深く考えなくてももちろんいいけど、深く考えることもできるのが映画です。
日本で公開されるアメリカ映画の大半(いわゆる「ハリウッド映画」)はたしかに深く考える必要まったくなし、というものばかりです。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を見て「つじつまの合っていないところがある」と文句を言うのは野暮というものです。 しかし、ある種の映画は明らかに深く考えるに足るものを持っていますし、制作者が「この映画はハリウッド映画と違って、深く考えるに足るものを持っているぞ」といわんばかりの押しつけがましい作品も多々あります。そういう作品に対しては、娯楽第一の映画とは異なる視点から観て、考え、それなりの批評をするのも必要なことではないでしょうか。 しかし、映画の批評は「散文」の批評より難しいのも確かです。どんなにひどい筋書きでも、どんなにテーマがくだらなくても、どんなに役者が下手くそでも、思わず息をのむような美しいシーン(美しい「絵」というだけの意味ではありません)がたった一つあるだけで、その映画がすばらしい宝石のように思えたりしますから。(余談ですが、淀川長治がすごいのは、そういった(理屈ではなく)感覚的にすばらしい部分をきちんと見つけだして、他の人に伝えることができることです。)
ダウン症の主人公が最後に死んでしまうということ自体は、確かに批判にはあたりません。それが作品の中で必然性があるのであれば。
必然性というのは、筋書き上のつじつまという意味ではありません。観ている人が納得できるかどうかです。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は細かいつじつまは合っていませんが、観ている人はそんなところは気にせず、よくできたエンターテインメントとして納得して観ると思います。
私もこの映画の結末に違和感を持った一人なのですが、それは主人公が最後に死んでしまうのは残酷だとかいうことではありません。「自分を見失ったサラリーマンがダウン症の人間と出会い、人間性を取り戻していく」というテーマで感動させよう、最後に主人公が死ぬことで物語をより感動的にしよう、という「あざとさ」が見えるからです。(芦田さんがその部分で感動したかどうかは関係ないですよ。あくまでも制作側のねらい、ということです。)
そういった「あざとさ」が悪いのではありません。映画をつくる側は、必ず何らかの意味で感動させようと思っているはずですから。
問題は、その「あざとさ」を観る者に感じさせてしまう点です。私は、この映画全体の「きめの粗さ」(「つめの粗さ」ではありません)によって作品にのめりこめず、結果的に「あざとさ」が目立って感じられたのです。
2001/1/10(水)02:56 - 芦田 - 101 hit(s)
加藤> 深く考えなくてももちろんいいけど、深く考えることもできるのが映画です。
そんなことありえません。映画で深く考えたり、人生や人間を考えたりするのは、長淵剛(あるいは尾崎豊)の歌を聞いて、人生を考えた気になっている奴がこっけいであるのと同じくらい意味のないことです(もちろんいい映画のほうが、長淵のいい歌よりずっと優秀だと思いますが)。
それは、映画が空間に依存しすぎる媒体であるからです。だから、淀川も“断片”を語らざるを得なくなるし、蓮見重彦もビデオでしか到達できないような批評を繰り返さざるを得ないのです。そういうものが映画なのです。
「八日目」の主人公の死についてですが、「あざとさ」なんてないですよ。それは加藤さんの誤解です。むしろもっと別の終わり方があったのではないか、という意味では三流の終わり方ですが、「あざとく」はないですよ。別の終わり方があったのではないか、という意味では、むしろそういう相対的な死を選ぶべくして主人公は死んだ。つまり死は選択されたものではないというように主人公は死んだ。それだけのことです。そこまでは、監督の考え方を理解してあげたほうがいいと思いますよ。
「自分を見失ったサラリーマンがダウン症の人間と出会い、人間性を取り戻していく」というテーマ、と加藤さんはこともなげに言いますが、これ自体が、散文的な、みもふたもない理解でしょう。こんなふうに映画を見ると、すべての映画は、散文より劣ります。こういうところでは、映画を“考え”たりしてはいけないのです。それは映画に対するないものねだりにすぎません。
2001/1/10(水)04:57 - 加藤 - 108 hit(s)
ちがいます。深く考えるというのは、映画を見て人生や哲学や差別問題やダウン症について深く考えるということではありません。(そういうことを考える自由ももちろんあります。長淵の歌を聴いて人生を考えた気になる自由があるように。)
どんな映画だって、散文的な、みもふたもない理解をしようと思えばできます。優れた映画も、筋書きやテーマだけ取り出せば陳腐であほらしいものです。
映画でなくとも、たとえば絵画。描かれているものは、女性の裸とか単なる建物とか花瓶とか、どうでもいいようなものばかりです。それこそ、散文とはくらべものにならないくらい劣ります。
問題は、それを「どう描いているか」なのです。ゴッホが教会の絵を描いたとする。描かれている対象である「教会」そのものに意味がないとは言いませんが、むしろその絵にとって本質的なのは、「断片」である構図、色の組み合わせ、筆のタッチ、そういったもろもろの断片の集合から感じられる画家の精神、そういうものです。この点で、絵画は散文をはるかに越える可能性を持ちます。(同時にそれは、批評を難しくさせるような「曖昧さ」もはらんでしまいますが。)
映画でも大事なのは断片であり、その断片の集合である作品全体です。(その意味では、もちろん筋書きやテーマなども一つの「断片」ではありますが。)
「八日目」で私が感じたのは、そういった「断片」の美しさ・おもしろさが感じられなかった結果、散文にも劣るような「テーマ」だけが際立って目立ってしまったということです。(これは「どう感じたか」という個人差のある曖昧な問題なので、芦田さんと私の間で差が出るのは当然だと思います。)
スピルバーグ監督のデビュー作で「激突」という映画があります。傑作です。トラックを追い越した乗用車が、そのトラックに執拗に追いかけられるというだけの物語ですが、映画には数々の「断片」のおもしろさがあふれています。
テーマだけ取り出せば同監督の「シンドラーのリスト」の方が立派かもしれませんが、「シンドラーのリスト」は「アカデミー賞を取りたい」という「あざとさ」だけが目立ちます。この2つの映画を見比べるだけで、映画の表現とは何か、ということについて「深く考える」ことができるのではないですか?
ちなみに私は尾崎豊と長淵剛は嫌いです。人生を考えた気にさせるようないやらしい歌詞も嫌いですが、それをつまらない音楽に乗せて歌うところがもっとも嫌いです。
2001/1/10(水)09:42 - 芦田 - 112 hit(s)
意味不明。
2001/1/10(水)10:58 - 加藤 - 105 hit(s)
もう一度自分の文を読み返したら、確かにちょっと混乱していました。少し整理します。私が「映画は深く考えることもできる」と書いたのは、人生や人間について考えるということではありません。
料理を食べるときに何も深く考える必要はなく、おいしい、まずい、満腹になった、それだけで充分です。しかし、「この店はオリーブオイルの使い方がうまい」「もしかしたら隠し味にあれを使っているのでは」「まずいのは材料が新鮮ではないからか」「味付けをこう変えればなおうまいだろう」などと考えながら食べることもできます。私の書いた「映画について考える」というのはそういうことです。芦田さんの考える「深く考える」とは食い違っているかもしれません。
「太陽がいっぱい」を単純に筋書きだけを追って見ることもできるけど、「もしかしたらこれはホモセクシャルを匂わせているのかもしれない」と考えることもできます。そして、何がそう思わせているのか、監督はどのようなシーンにどのような意図をこめて演出しているのか、などを考えながら見ることで、何も考えずに見るよりはずっと映画のおもしろさを味わうことができるということです。(別に、隠された意図がある映画がおもしろい映画だといっているのではありませんよ。)
「八日目」の場合は(あくまでも私の場合)、そういったこまやかな部分でのおもしろさが感じられなかった。そのため映画そのものに今ひとつのめりこめないまま結末を迎えた。そして芦田さん自身も書いたように、終わり方も三流だった。のめりこめなかった私には、その終わり方が「あざとさ」と感じられた。たとえ同じ終わり方であっても、映画全体にきめ細かなおもしろさがあふれていれば、私はその「あざとさ」にこころよく乗せられ、満足したかもしれません。
さらに補足です。いま芦田さんの発言を読み返したら、やはり芦田さんの書いている「深く考えなくてもよい」は、私の「深く考える」とは別のことです。というか、私が違う方に持っていったのですが。
私は芦田さんの発言(213)の「深く考えるのはやめましょう、映画は深く考えなくても良いのがいいところです」というところだけが気になったのです。いろいろ考えながら見た方が映画をより楽しめる場合がたくさんありますから。ただそれは映画の提示しているテーマについて考えるのではなく(芦田さんはこちらの意味で言ったのでしょう)、むしろそれに隠れて見過ごされがちな部分にもしっかり注目し、評価しようということです。絵でいえば、「何が描かれているか」だけでなく、「どう描かれているか」(筆のタッチや配色など)もきちんと見よう、ということです。
2001/1/11(木)22:11 - 芦田 - 135 hit(s)
加藤> 料理を食べるときに何も深く考える必要はなく、おいしい、まずい、満腹になった、それだけで充分です。しかし、「この店はオリーブオイルの使い方がうまい」「もしかしたら隠し味にあれを使っているのでは」「まずいのは材料が新鮮ではないからか」「味付けをこう変えればなおうまいだろう」などと考えながら食べることもできます。私の書いた「映画について考える」というのはそういうことです。芦田さんの考える「深く考える」とは食い違っているかもしれません。
やっぱり、違いますね。私の言う「深く考える」という場合の「考える」とあなたの言う「考える」とは。
料理を「深く考える」ことなどほとんど不可能です。なぜか。人によって違いすぎる味覚(知覚の一部)に、その本質を依存しているからです。あるいは、場合によっては、素材(素材の新鮮さや素材自身の味わい)に依存しすぎているからです。
したがって、ある料理を「おいしい」と言っている人間にたいして、それは「おかしい」(=間違っている)と言うことができません。日本料理の中でもそうですが、世界の料理ということにでもなれば、いったい「おいしい」とは何かという問題は、難しい話題になります。場合によっては、「おいしい」ものを食べるだけのお金を持っているのかといった、もっと外面的な理由も介在してくることもあります。“キャビア”について「深く考える」にはお金(キャビアの味の本質とは何の関係もないお金)がいります。
「深く考える」というのは、「おかしい」(=間違っている)ということが、外面的な事情に影響されずにどれだけ自由に言えるか、という領域でのことです。私が「深く考える」というのは、その対象が自由な対象かどうかということに関わっているわけです。
たとえば、自動車批評という領域があります。ふざけた領域だと私は思います。どうしてもお金がかかった車が「良い車」になってしまうからです。だから、この領域の批評家達の常套句は、「このクラスの車では」良い車だ、といった、なんだか訳の分からない批評になっています。したがって、私はクルマについては「深く考える」ことをしません。あるいはもっと別のことでいいましょう。この間、私は自分のクルマのタイヤを変えました。変える前の私の車は、特に低速域での直進安定性が大変悪く、専門家達に問い合わせてみると、たとえば、タイヤがもともと幅広だからとか、ホイールベースがかつてより短くなったから、とか勝手なことを言っていました。でも、今回タイヤを変えたら、ハンドルをとられることなど全くなくなりました。こういったことを実際にそうすることなく、指摘できるかどうかが批評の自由にかかわっています。しかし、この場合、直進安定性(の不安要因)がタイヤのせいなのか、サスペンションのせいなのか、それとも別の要因によるものなのかを、見極めることは、かなり難しい(=「深く」考えてもわからない)ことです。つまり実際にやってみないとわからないことが、クルマの世界にはたくさんあるわけです。語の単純な意味で、クルマは“複雑”なのです。たぶん、この意味では料理も同じように“複雑”なのです。この複雑さは、私の言う「深さ」とはまったく無縁です。つまりクルマや料理については、「深く考える」ことがその対象に即して考えることを直ちには意味しない、ということです。つまり、「深く考える」ことについては(相対的に)不自由な領域だということです。
もちろん映画は、料理よりははるかに自由な領域(批評が成り立つ領域)だと思います。しかし、たとえば、文学(や哲学)よりは不自由でしょう。なぜか。たとえば映画は作るのにお金がかかります。だけど、小説や詩をかくのに、お金はかかりません。鉛筆一本あればそれですみます。また、消費過程も映画より小説の方がはるかに単純で、簡易で、公平です。つまり素材的にも、消費過程(受容過程)においても、映画よりは文学の方がはるかに〈自由〉なのです。〈自由〉であること、これが「深く考える」、深く考えることができることの根拠です。
「深く考えるのはやめましょう、映画は深く考えなくても良いのがいいところです」(「芦田の毎日」213番)と私が言ったのは、その意味でのことです。これはしたがって、「深く考えるのはやめましょう。おいしい、おいしくないなんてことを真剣に考えなくてもいいのが(真剣に考えてもなかなか正しいことを言えないのが)、食事をすることのいいところです」というのと同じことなのです。
たしかにあなたの言うように、何についても考えることはできます。それはしかし、考えることについて尊重しているように見えて、そうではないのです。考えることにとって重要なことは、いったい何が考えることに値することなのか、を考えることです。
ピザ屋に入って、タバスコが出てくると、「これって、アントニオ猪木が輸入しているんだよ」なんて、訳の分からない“思考”を披露している人がいますが、こういった知識主義から離れることが必要です。「シンドラーのリスト」が「アカデミー賞ねらい」だというあなたの見解も、このタバスコ・猪木論と似ています。
「シンドラーのリスト」なんて、スピルバーグの作品の中では、最低のもの(の一つ)でしょ。なぜ、シンドラーは、「シンドラーのリスト」を作ってユダヤ人を助けたのか、何もわからないじゃないですか。そこを白黒映画の中で、「赤い」服を着た女の子の悲惨という形で「映像」的に逃げてしまった。そんなことで映画一本作るなんて、あきれるしかありません。あなたの言うように「激突」の方がはるかに映画的でいい作品だと思いますよ。
2001/1/12(金)03:02 - 加藤 - 133 hit(s)
わかりました。
それから、芦田さんのいう意味では、私は何も考えない人間だということもわかりました。(多分これからも私はこのままです。)
どうしても絵の話にたとえた方が私自身わかりやすいので、また絵の話になりますが、絵を描くときには一生懸命考えながら描きます。(難しいことは考えずに、感じるままに描きましょう!なんていうのは相当低いレベルでのアドバイスです。)そして他人の描いた絵を見るときにも、やはり考えます。
でもそれは芦田さんの「考える」とはまったく別の「考える」です。ある料理をおいしいという人に対して「間違っている」と言えないように、人の描いた絵を見て「間違っている」ということはできませんから。でも、やはりそれは「考える」ことなのです。芦田さんとは違う意味で。
批評できるかどうかという点で見ればそれは「考える」対象には入らないでしょう。そもそも絵画(美術)や映画などは、論文を批評するのと同じ意味では批評は不可能です。芦田さんは「自由であるかどうか」とおっしゃっていますが、私はもっと単純に、美術や映画は、考える前に必ず通過する「感じる」という段階があまりにも大きなウエイトを占めるからだと思います。「どう感じたか」が、その後の「考える」行為にあまりにも強く影響しすぎます。(美術よりは映画の方がはるかに「考える」余地は多いですが。)
芦田さんが映画について「深く考えるのはやめましょう」と発言したことに対して私が過剰に反応したのは、人によっては「映画は何も考えずに目の前に映し出されるものをそのままながめていればいい」という意味に受け止めてしまうかもしれないからです。 たとえば以前も例に出したスピルバーグの「激突」ですが、主人公の車を追いかけ回すトラックの運転手は、結局最後まで画面には登場しません。これはこの作品の演出の中では非常にわかりやすいものの一つで、わざわざ指摘するまでもないことなのですが、私の薦めで「激突」を見た知人は「最後まで見ても犯人がわからなかったので拍子抜けした」と言ったのです。
芦田さんは「そんなバカ相手にするな」と言うかもしれません。しかし、実際にこのレベルの人は多いのです。私は映画を見せる立場の仕事をしていたので、それがよくわかります。本当に何も考えなくてもいいハリウッド映画ばかり見慣れてしまうと、そうなるのです。そして、少しでも観客に「考える」(これは「ちょっとでも頭を使う」程度の意味ですよ)ことを要求するような映画は客が入らなくなり、そういう映画は作られなくなり、映画はオモチャみたいなハリウッド映画だけになっていくのです。(ハリウッド映画そのものが悪いというのではありません。私もよくできたハリウッド映画は大好きです。)
ところで「シンドラーのリスト」がアカデミー賞ねらいだと書いたのは、知識主義とかタバスコ・猪木論などではありません。見たのはずいぶん前なので、この映画に関してはその程度しか印象が残っていないからです。
最後になりますが、「意味不明」という返信は気に入りました。これから折に触れてこのフレーズを使わせていただきます。
2001/1/18(木)18:12 - 芦田 - 351 hit(s)
身内に不幸があり、今日一日京都に帰ることになった。今、京都駅の喫茶店にいます。死んだのは義理の叔母。おじさんはまだ健在なので(とは言ってもちょうど持病で彼も入院中の出来事だった)、妻に先立たれたことになる。これはショックだろう。
私は、結婚相手が見つかる、結婚生活に入るというのは、結局のところ、死ぬことのみが2人を分かつ唯一の契機であるような関係に入ることだと思っている。
恋人は、世界の〈内〉で別れる。しかし夫婦は世界の〈際〉で別れる。
浮気の原理は単純なものだ。相手の女性がいつかは他の男に移行すること自体が好奇心を惹起し続けているのである。相手の女性に〈他者〉 ― 自分を否定するもの ― を発見するときにこそ、浮気は昂進する。しかし、それは貧弱な他者だ。貧弱な想像力だ。
成長して一人の異性と性的関係に入るということ自体が、生理的には、自らの死を意味している。子どもを生むことができるようになるということは、もう死んでもいいということだからだ。性的関係には、どういう仕方でか、他者=死(の影)が入り込んでいるのである。私の子どもがまだ小さいときに、外出する私に「バイバイ」と言って家の玄関から送ってくれたことがあったが(よくある光景だが)、あれは、「もうお父さんは死んでもいいよ」という意味なのである。あの世へ「バイバイ」なのである。「なるほどね、確かにもう自分はいらないな」と心で思いながら振り向かずに手を振っていたものだ。
そして浮気の場合には、他の異性が、夫婦の関係には、死そのものが2人を分かつ(つまりは結びつける)原理を形成している。死が2人を分かつというのは、つらいことだ。それは好きなまま別れるということを意味するからだ。好きなまま別れるという死の予感が夫婦(の性的)関係を昂進している。これほど“深い”関係はないだろう。それは世界の〈内〉のどんな関係よりも深い。世界の〈際〉(〈世界〉という際)で起こっている関係だからだ。それは死の共同体なのである。
そして、自分より先に妻が死ぬ。それはないでしょう。勝手に男(あるいは女)を生んでおいて、先に死ぬというのは、世の中のどんな暴力にもまして暴力的なことでしょう。どんなに料理がうまくても掃除がうまくてもそして利口な妻であっても、夫より先に死ぬ女性なんて、悪妻の極みでしょう。料理が下手でも掃除が下手でも、そして少しくらい知恵が足りなくても、好き勝手した夫を見送れる女性こそ良妻というものです。
2001/1/19(金)17:58 - 専門学校生 - 243 hit(s)
[「良妻」ということばを聞くと背中が寒くなるので質問です。では女性にとっての「良い夫」とはどのようなものだとお考えでしょうか。生きることと、その延長線上にある「死」というものに相対する重さに男女差があるとは思えないのです。女性は女性の人生の重さに必死で立ち向かっているのです、男性と同様に。その女性に過大な期待をすることができるのはなぜなのでしょうか。それは少々、酷というものです。
2001/1/22(月)02:38 - 芦田 - 190 hit(s)
私は、女性をとんでもない存在だと考えています。妊娠と出産という出来事を経験しうるという意味でとんでもない存在だと考えています。女性は男性を生むことができます。ということは、〈性〉は既にそこで〈対〉ではないということです。男性を生むことができる女性という性を超えた性を分母にして、女性/男性という対ができあがっている。すでにそこで男性と女性は“平等”ではない。
「男の子は、幼児のとき病気になりがちだ、幼児のときは女性の方が育てやすい」と言ったりもします(イチヒメニタロウ)。これはたぶん女性(男児にとっては異性の)である母親から生まれた男児の生態的免疫的不安定性でしょう。胎児の状態でも、最初はすべて女児だったという報告(専門的には「イヴ原則」と言われたりしています)がなされていることからもそれは明らかです。これを生む側から言うと、出産は、一つの超越です。宗教や哲学もある種の超越を主題にしていますが、女性が男性を生むこと、生みうることほど端的な超越はあり得ないじゃないですか。女性のみが他者を許容しうるのです(だから男が女を理解することなんてありえないのです)。そして、究極の他者は、自らの死だということです。少しでも男より後に死ぬことができる、そのように死を許容できるのが女性だということです。むろん、これは勝手な期待でしょう。そんな勝手なことを期待されても困る、ということも(個人としての女性の側からは)あるでしょう。私は、それを個人として否定する気は全くないですよ。
なお、この妊娠と出産とをめぐる性差の問題に関しては、「芦田の毎日」55番に一部言及した箇所があります。その55番を抜粋しておきます。
女性の“問題”(女性の社会的進出という問題)は、根本的には、妊娠と出産に関して自らの身体を介在させるかどうかどうかという問題に絡んでいます。もちろん、妊娠と出産は、男性と女性との根本的差異を形成しています。
たぶん、「女性差別」と言われているものは、妊娠と出産という機能が女性の身体から解放されたときにすべて消滅するでしょう。仕事上の差別は、女性の妊娠(いつ妊娠するかわからない=いつ、誰を愛することになるのかわからない愛の本姓)という雇用不安定要素から来ていると言えなくもありません。会社の中で重要な仕事が与えられるということは、その人にしかできない仕事を与えられるということと同じです。その人がいなければ仕事が進まないという状態に置かれるのが“重要な”仕事につくことの意味です。したがって、妊娠や出産(による長期休暇)というのは、経営者の側からみれば、雇用上の不安定要因にしか見えないのです。この長期休暇が通常の長期休暇と根本的に異なるのは、単純な計画的休暇ではないからです。いつ人を好きになるかわからないし、いつまでも延期できるものでもない。どうしても“自然的な”要素を排除できない。そのうえ、妊娠や出産は人権中の人権ですから、そんなものを(経済原則的な会社ごときが)否定することなどできるわけがありません。よほど大きな会社でもないかぎり(あるいはよほど余人をもって代え難い能力を有していない限り)、妊娠や出産という〈自然〉を乗り越えることは不可能なのです。それ以外に経営者が女性を差別する理由などありえないのです。
女性にだけ適齢期があるのも、妊娠の適齢期という生理的な要因から来ているし、男性の性的な積極性も、男性には妊娠の恐怖がないことが最大の理由です。
これは、女性差別の生理的要因説に私が立つことを意味していません(大概のフェミニズムは、社会的歴史的要因を挙げたがりますが)。むしろ妊娠と出産が社会的なものの起源なのですから(あるいは生理中の生理なのですから)、すべての社会や歴史のあり方は、妊娠や出産(という女性の身体性)をどう解釈するかにかかわってできてきたものだと言ってもよいのです。
しかし試験管ベイビーはもはや夢の技術ではないし、出産の代理もすでに行われている。人工子宮の開発も夢ではありません。こういった女性の身体から妊娠と出産を解放する技術や社会性が育ちはじめると、従来の“女性差別”は、たぶん解体するのです。“女性差別”がなくなるということは、女性(女性/男性)がなくなるということです。もちろん、情報化によるSOHOの進展などは、女性と高齢者の社会参加を加速させるでしょう。
もはや自立的な個人しか存在しない。性的な差異は存在しない。したがって家族も存在しない。自立した個人の自由な連合しか存在しない。子どもはイスラエルのキブツのように最初から社会的な存在であって、社会的にのみ(性的な両親によってではなく)育成されうる。これは、〈近代的なもの〉の極限のイメージであるような気がします。そして、近代的な社会運動のすべては、〈技術〉の問題でしかなかったということです。その意味で、フェミニズムは、単なる科学反動でしかなかったのです(昨今で言えば、エコロジー思想がそうであるように)。
さてしかし、あの東京ドームの男同士の親子の寂しさ(「芦田の毎日」49番で言及した)は、個人として自立化していない、その自立性のなんらかの欠如状態なのでしょうか。家族における寂しさは、個人の自立性と天秤に掛けることができるのでしょうか。 (「芦田の毎日」55番より)
2001/1/25(木)01:31 - 芦田 - 271 hit(s)
私の学部時代の恩師、永坂田津子が昨日15:58分死去しました。67歳でした。自宅23時前に帰ってから今連絡がありました。ショックです。
彼女は、20代30代は西脇順三郎に師事して詩創作、現代詩論を中心に活躍し、研究者としては、ベケットの「マロウンは死ぬ」の日本での最初の紹介者(翻訳者)で ― 今は絶版になっていますが ― 、他にはD.H.ロレンスの研究などでも業績を上げていました。
私は早稲田の学部時代に英語の先生としてはじめて出会い、私の卒論などを当時法政大学で教鞭を執っていた柄谷行人などに紹介してくれて実際に引き合わせてくれたのも彼女でした。私の20代30代はいろいろな意味で孤独でしたが、当時既に“売れっ子”の柄谷が私の手書きの卒論(「へーゲルと〈始元〉論の時代 ― 超越・根拠・弁証法」)を読んでくれて、市ヶ谷のルノアールで2時間ほど「始まり−終わりとは何か」を議論したのが(そのとき、柄谷は、当時まだ日本ではそれほど有名ではなかったE.W.サイードのBEGINNINGSを「君ほど本格的ではないけれどこれも参考になるよ」と言いながらくれました)、私が「東京でもやっていける」と思えた唯一の手がかりになっていました。
永坂は、まだ無名であった若き柄谷やその周辺との交友関係も豊富で三枝和子など文学、思想関係の名手達に私を実際紹介もしてくれて馴染ませてくれました。何かと対立の多かった(こんな私ですから)大学院を修了し、他の大学で教鞭をとる道を開いてくれたのも彼女です。そのように私を大事にしてくれた永坂に、いま何をお返しできているかと思うとやはり「はやすぎる」とつい思ってしまいます。
昨年は、ジャックデリダを日本に最初に紹介した恩師、高橋允昭が死去し、今年は永坂田津子、いったいどうなっているのでしょう。昨週は私の叔母が亡くなりましたが、今週は永坂。年明けから北海道なんてところへ行ったものだから、それに負けじとみんな遠くへ行きすぎます。思想の世界では恩師もライバルです。永坂も高橋もいつあっても心地よい緊張感がありました。しかし、人が死ぬということは、それほど悲しいことでもありません。私にも必ず訪れるのですから、“しばしの別れ”ということでしょう。他人事だと思うから、悲しいと思ってしまうのです。永坂先生、しばしの別れです。同じように仲のよかった高橋先生によろしく。同じように私の結婚式に参加して心のこもった祝辞をくれた高橋先生によろしく言っておいて下さい。
2001/1/27(土)15:55 - 芦田 - 147 hit(s)
今から、お通夜に行って来ます。なぜか、私だけの「お別れの言葉」でお通夜を終わるそうです。青土社の社長が急遽出られなくなったということで、大任を仰せつかりました。でもどうしましょう。とりあえず、原稿は書きましたが、書きながら涙が出てきて止まりませんでした。家内にその涙を隠すのが大変で。無事読み上げられるか心配です。以下はその原稿です。
お別れの言葉
山田先生、外は雪化粧です。メアリー・カーの『うそつきくらぶ』の翻訳がやっと完成したと大喜びで電話されてきたのが、私との最後でした。いつも遅筆で、鶴が羽を一枚一枚むしり取るように、ひとつひとつ言葉をえらびながら作業される先生にしては、すこし出来が速すぎる仕事だな、と心配していました。今日の雪化粧も、そういった先生の、生死をかけた言葉との格闘のあとをうっすらと隠すかのようです。
私が先生とはじめてお会いしたのは、早稲田の学部時代の英語の授業でのこと。高校での英語の講読にあきあきしていた私には先生の授業はとても新鮮でした。この先生は、本当に〈言葉〉が好きなんだということが、京都の田舎から出てきた学生の私でも手に取るようにわかりました。私が、英語を好きになったのも、〈言葉〉に命を吹き込むかのように、そして〈言葉〉に命を読み込むかのように、まるで言葉で酔ったように振る舞う先生の授業以来のことです。ロレンスやエリオットの講読を進める先生の授業は、散文を解析すると言うよりは、一つの歌のようなものだったのです。それは、今この会場に来ている、先生の授業を受けてきた多くの学生たちの一致した印象でしょう。そういえば、先生は、本当にお酒を飲んだときには、よく踊りはじめる癖がありました。私は、なんどそれに付き合わされたことか。酒が飲めない私にはそれが一番の苦痛でした。
なによりも先生は、弟子思いの先生でした。雑誌『群像』で連載されていた柄谷行人氏の「マルクスその可能性の中心」に衝撃を受けながら東京に出てきた私を柄谷氏に直接会わせてくださったのも先生です。しかも当時ではまだ手書きの私の卒論の「へーグル論」を柄谷氏に読ませて、市ヶ谷のルノアールで柄谷氏と話せたときのことは今でもよくおぼえています。「柄谷が他人の生原稿読むなんて、そんなにあることじゃないわよ」と私をおだてるのがうまい山田先生。
当時私は、京都に帰るか、大学院に進学して東京にとどまるか思い悩んでいました。自分に仕事に自信がなかったのです。柄谷が「よくできている」と言ってくれたことが、その後の私の創作の大きなモチベーションの一つになっていました。もちろんこの柄谷の言葉の背後には山田先生の配慮があったのでしょう。そうやって、山田先生は、私を三枝和子氏、蟻二郎氏など、私にとっては雲の上のような人たちと次々と会わせてくれました。山田先生の交友関係の豊かさは、圧倒的でした。20代30代の審美社時代からの精力的な活動力がそうさせていたのでしょう。
大学院進学を決めたのは、その頃でした。私の人生の方向性は、ここで大きく一歩を踏み出したのです。山田先生の陰に陽にの配慮がなければ、私の今は全く考えられません。
そうやって、山田先生の暖かい配慮の中で、人生の転機を救われた学生はたくさんいると思います。雪の今日にもかかわらず多くの弟子達がここに集まっています。何よりも自分の創作を優先させる先生でしたが、そしてそういったエゴイズムがかわいくも見える先生でしたが、ときには、そんなことまでしなくてもいいのにとおもえるほどに世話好きの先生でもあったのです。
そして、何よりも先生は一生現役でした。身体(からだ)が悪いことを承知の上で引き受けられた「うそつきくらぶ」の翻訳。私が「やめたほうがいい」と言っても聞いてはくれませんでした。今年の一月に入ってからもやっと戻って来られた自宅マンションの日当たりのいい南向きの和室の部屋で、「隅田川をテーマにして詩を書きたい」などと言われたりしていた先生。長女の千果さんによれば、最後の一週間は「はやすぎる」「はやすぎる」という言葉の繰り返しだったそうです。「痛み止めの薬の濃度をうすめてほしい」と付添人に千果さんが頼まなければならないほどだったそうです。痛みを犠牲にしてでも意識を覚醒させて、きちんとしゃべらせたいと千果さんは思ったのでしょう。千果さんの気持ちも複雑だったと思います。〈言葉〉を大切にした山田先生らしい、山田先生のご家族らしい最後の闘病と最後の看病だったと思います。
まだやり残した仕事は多かったと思います。というよりやりたい仕事や創作がいっぱいあったのだと思います。最後まで引き際など、先生の頭の中には全くなかったのです。このお通夜やお別れ会の会場の選定や設定もすべて先生ご自身の指示だと聞いていまが、それは先生が自らの人生や仕事をあきらめたのではなく、先生の、ある種の、永続革命に向かっての美学であったのでしょう。
先生、お別れです。先生のお仕事の仕方は、ご自身の死のみがピリオドを打つことができるというほどに壮烈なものでした。やっと言うことを聞いてくれましたね。私は内心ほっとしています。悲しくはありません。死は、最大の共通言語、最も力のある言語です。私にも必ず訪れます。しばしの別れです。昨年は、ジャックデリダを日本にはじめて紹介した高橋允昭先生が亡くなりました。私も山田先生も早稲田の同窓として親しく頼っていた先生です。きっと休む間もなく、高橋先生と仕事の続きの話しをされているでしょう。私の悪口について2人で盛り上がっているかもしれません。
では山田先生、これで、本当にお別れです。どちらにしてもまた天国で私にヘーゲルやハイデガーやデリダの話を、私の大好きなネギトロまきを用意しながら、させるに決まっているのですから、ここではこのくらいにしておきます。私も先生に少しでもお役に立てるよう、思想的な体力を充分蓄えてからそちらへ行きますから、今しばらくはゆっくりと休んでおいてください。
2001年1月27日
弟子を代表して
芦田宏直
2001/3/14(水)01:08 - 芦田 - 313 hit(s)
私の息子の話をして恐縮だが、今度高校に入学する息子のクラス(中学三年の卒業数日前のクラス)では、高校入試が終わったとたんに、入学祝いで携帯電話を買ってもらった生徒が多く、クラスの7分の6の学生が携帯派に一挙に変身したらしい。区立の中学でさえこうだから、私立であれば、12分の11くらいは(まったく根拠のない数字だが)携帯派だろう。
なぜ、世の親たちは、こんな馬鹿な入学祝いをするのだろう。携帯の最大の問題点は、自分の時間、一人になる時間を与えないということだ。これは考える時間を与えないということとほとんど同じことを意味する。特にこれから高校生になってやっと自分で考えはじめる年齢の子ども達に、帰り道でも、自宅の自室でも携帯“コミュニケーション”が横行することになると、もはや“自己”は、忙しい会話(ドイツの哲学者ハイデガーは、この会話をGeredeと呼んだ)のなかに解体するしかない。
大人の仕事の仕方でも、忙しく働いている人に仕事ができるはずがないように、忙しい子どもにもろくな子どもはいない。人間は“ため”がなくなると生活(=自然)の中に解体するだけなのである。仕事が「忙しい」と言う人は、仕事が“生活”になっているだけなのだ。本来、仕事は危うい〈選択〉の連続なのに、不可避なものの連続である〈生活〉が前面化する。これは、大人にとっても大人になる子どもにとっても決していいことではない。
同じように携帯は、“コミュニケーション”を〈生活〉化してしまったのだ。こんな貧相な“コミュニケーション”がかつてあっただろうか。
我が家では、息子(長男)には30才になるまで携帯電話を与えないという「家訓がある」ということにしている。実は、もう一つ「家訓」があって、サンタクロースは本当にいるということを20才まで信じ込ませるというものだったが(別にクリスチャンでも何でもないが)、これはもろくも小学校6年頃から守るのが苦しい「家訓」になってきた。「親がサンタだよ」という友達のアドバイスを反駁するのは簡単だったが(「一年間よい子にしていなかった子どもは、親という偽のサンタにしかプレゼントをもらえない」ということにしていた)、クラスでサンタの存在について多数決をとったとき、サンタを信じていたのがクラスで一番勉強ができない子と息子のふたりだけになったとき(この2人は確信をもって挙手したらしい)、さすがに懐疑しはじめたらしい。
だから携帯電話の30才も果たして守れるかどうか、あやしい家訓だが、持とうとしたときには息子に「勘当」を言い渡そうと思っている。
私自身は、SONYの503iを出たてで買って喜んでいるが(「芦田の毎日」284番参照のこと)、それは携帯電話というモノが好きなだけで、それで“生活”したりはしていない。中年男で携帯で“生活”している人というのは、不倫している男性ぐらいのものだ。
2001/3/15(木)00:24 - 芦田 - 262 hit(s)
親が子どもに携帯電話を持たせる直接的な理由がある。「塾通いなどで遅くなったときなどにも連絡が取りやすいから安心だ」というものだ。「あなた、今どこにいるの?」というものだ。小学生から携帯電話を持たせる、超バカな親がいるが(もっとも私も含めて親というものはみんなバカだが)、なぜそうなるかというのは、この親から連絡が取りやすいというものである。またもうひとつ、子どもになにか事故があったとき連絡が取りやすい(安全だ)というものだ。しかし、携帯電話の〈存在〉は、親から子どもへのためにだけあるのでもなければ、事故のためにだけ存在しているものでもない。一度持たせると求心的、遠心的に自立的な“連絡網”ができあがっていく。忙しい会話(Gerede)のはじまりだ。世のお父さん、お母さん、子どもの要求に応じてはいけません。もし、友達はみんな持っているし、お父さんだってもっているじゃないか」と子どもに言われたら、「そんなにだれでも持っているのなら借りればいいじゃないか」と言っておきましょう。電話での連絡というのは、メール連絡と同じように、“連絡”の中で一番意味のない連絡です。死んだおじいちゃんの口癖は、「本当に必要ならここまで言いに来るよ」というものでした。それでいいのです。
「ライフ・イズ・ビューティフル」という映画で、主人公は自分の子どもにウソを言い続けました。迫り来るナチの暴虐に対してです。そして最後には子どもを救済することに成功します。この映画は反戦映画というよりは、ウソであれ、本当であれ、〈確信〉こそ「希望の原理」だというものです。ブレるということこそが、リーダーの条件にもっとも遠いものだというものです。会社の課長や部長でも、正しいことを言おうと意識する上司に限って、昨日と言うことが違ったりします。これではリーダーになれません。リーダーの条件は、真理を参照することではなくて、確信を保持すること(ブレないこと)なのです。だからこそ、リーダーはいつでも孤独です。「ライフ・イズ・ビューティフル」の主人公はだからいつもおどけていました。それは彼が(子どもにウソを言い通そうと)確信する人として孤独だったからです。であるからこそ、彼は子どもに未来を開いたのです。
したがって、この主人公は死体をさらすことなく、死にました(死んだことになっています)。死においてすら彼は孤独だったわけです。リーダーは死ねない(死体すらさらせない)ほどに確信を保持しなくてはならないのです。
子どもに携帯電話を持たせてしまったお父さん、「ライフ・イズ・ビューティフル」をぜひ見てください。民主的なお父さんというものが、いかにダメなのか、何が子どもにとっての「希望の存在」なのかがわかるかと思います。勇気を出して、子どもから携帯電話を取り上げましょう。
2001/3/16(金)01:12 - 芦田 - 311 hit(s)
考えることができるのは、根本的には一人でいるときしかないのです。かつて都会の夜には駅のプラットホームの思考時間というのがありました。残業で一人になり、深夜のプラットホームで、待ち時間の長い電車を待つとき、人はその日一日あったことや、場合によっては人生のことまでも〈考える〉ことができたわけです(考えすぎて自殺する人がいるのもプラットホームです)。今は一人でも携帯電話で話し続けています。深夜でも一人であっても、忙しい会話でにぎわっているのが携帯電話の蔓延するプラットホームです。サラリーマンの唯一の思考の時間であるプラットホームさえもが、携帯電話によって消失してしまったわけです。
子ども達にとってのプラットホームとは、放課後の帰り道であったり、自宅での初めての自室(独立した部屋)です。そしてこういった空間が、携帯電話によって串刺しのように切り刻まれているのです。
もともとこういった空間は、〈話す〉空間ではなく、押し黙る、あるいは〈書く〉空間だったわけです。そして話すというのは、時間に追われて話すということです。話す=時間なのです。話すというのは根本的に忙しいことなわけです。一方で書くことは、空間的であって、それは時間を累積させます。ためることが書くという行為です。理論とは書くことの成果です。だから、書くことに近い話体である“東京弁”は、賢そうに見えますが、話体の極点である“関西弁”の大学教授の講義はとても理論的には見えません。“関西弁”をしゃべる人間は考えることから最も遠いところにいるわけです(私も京都出身ですが)。iモードメールも、書いているかのように見えますが、ほとんどのメールの文体は限りなく話体です。いわゆる“ため”のない書記行為なのです。時間に追われた書記行為。それがメールを書くという行為なのです。したがって、メールでいくら書いても、考えたことにならないのです。それは関西弁で書く、という矛盾です。明石家さんまのしゃべりを文字にして読んでも笑えるわけがないのと同じくらいに、メールで書くことは話すことの威力にすぎません。
子ども達から一人になる時間や押し黙る時間を奪ってはいけません。話すことが中心になったり、話体でしか書けなくなるような状態に子ども達を追い込んだりしてはいけません。お父さん、「ライフ・イズ・ビューティフル」をまだ見ていませんか?
2001/4/1(日)23:40 - 芦田宏直 - 346 hit(s)
私事にわたって恐縮だが、桜の花の季節になると、2年前の家内の緊急入院を思い出す。2年前の3月初旬頃から、「カゼ気味」ということで、食欲がなくなり、頭痛がひどくなり、食事ものどを通らなくなり、だんだん動けなって、それでも「カゼ」と“セカンドオピニオン”も含めていくつかの町医者に「診断」され(サードオピニオンまで)、気づいたら一歩も歩けなくなっていた。こういうとき、息子と私という男所帯(子供は太郎一人しかいない)は、(心配しながらも)むしろだんだん家内を敬遠し、近づかなくなっていた(何と冷たい男たちだろうか)。会社も5日間連続休むことになってしまいそうこうする内に春分の日を超えてもますます動けなくなって、知人の紹介で松戸の新東京病院(の「名医」)を紹介され、家内を毛布にくるんで首都高を世田谷から飛ばして40分。「点滴を打ちましょう」。「念のため一晩様子を見ましょう。家にいるよりは安心でしょう」ということで、そのまま家内をおいて帰ってきた。
ところが、次の日も衰退状態から脱皮できない。「緊急に精密検査をしないと…」ということになる(CTスキャンからはじまって、ほとんどカラダすべての極限の精密検査をすることになってしまったが、脳も含めて器官的、外科的には何も異常がないことがわかる)。結果、「塩分が身体に残っていない(血液中のナトリユウムが減っている)、その分、脳がむくんで頭痛がひどくなり…」なんて説明され、「とにもかくにも、体内(血中)の塩分濃度を上げなければたいへんなことになる」。「あらら…。だれだ。カゼだなんていった奴は…」。でもどうすれば、塩分濃度を上げられるのか、いろいろ試みても3、4日は、濃度上昇はまったく期待できず、ほとんど絶望的な状況が続いた(162センチの身長のある家内の体重が36キロまでに落ちたというからやはり極限の状況だった)。利尿剤投与をしはじめてやっと持ち直しはじめ、1ヶ月半ほどの入院治療でなんとか退院できるまでになり、現在では以前と同じ生活(や仕事)が出来るようになっている。しかしいまだに原因はわからずじまいだ。「名医」も今頃になって、「あと一日遅れたら危なかったですね」だって。
しかし、言いたいことはそのことではない。この入院の間、私と息子の太郎(当時中1の春休み)は、2人くらし。食事も炊事も掃除もすべて自分たちでまかなうしかない。テラハウスからすこし早めに帰り、私が夕食を作る。学生時代以来の自炊だ(フライパン料理なら誰にも負けない)。こういうとき、男同士というのはなんともなさけない。お互い何も話さない。後かたづけをどちらがやるか、あうんの呼吸とまではいかず、なんともいえない緊張感。家庭が“暗い”。ゴミ捨ても、いつが可燃ゴミか不燃ゴミかさえわからない。それに洗濯。干すのが面倒くさくて、乾燥機に頼る。下着のシャツも乾燥機で乾かすといつもと白さが違う。不健全で後ろめたい乾き方だ。食事、炊事、掃除、洗濯だけではない。買い物。買い物もおもしろくない。食べ物の買い物がおもしろくないのは、必ず得なければならないものの買い物だからだ。スーパーマーケットに「ショッピング」に行くとは言わないのはそのためだ。
なんだか、生活が息苦しい。こういうのを「生活苦」というんだな、と思いかけた。生活は、なぜ苦しいのか。〈生活〉とは、避けられないものの総称のことだ。避けられないこと、必ずしなければならないものをなすことは、とてもつらい。普通、仕事をするということは、選択の連続だが、生活は、不可避の連続だ。作らなければ食べれない。食べるとかたづけねばならない。ゴミを処分しなければならない。しかし仕事にはそういった必然性はない。必然性がある仕事というのは、倒産しかかった会社の仕事以外にはない。あるいはこう言い換えてもよい。不可避な作業の多い仕事が蔓延している会社(あるいは人材)は将来のない会社(あるいは人材)、まもなくつぶれる会社(あるいはダメになる人材)なのだ。仕事上の決断とは、いつでも別のやり方や別の選択もあり得たという決断である。だから「決断」なのである。つまり「決断」とは、いつでも間違いでもあるのだ。「決断」とは悪なのである。〈経営者〉とはしたがって、いつでも〈悪〉をなし得る者のことを言う。経営学などで、「意志決定論」などというふざけた組織論の分野があるが、これは一言で言えば、“できるだけ間違ったことをしないように”と言っているだけのことである。何もわかってはいない。
ところが、〈生活〉には、こういった選択の緊張感がない。むしろ避けられなさの緊張感があるだけなのである。エンゲル係数とは、不可避なものの係数なのだ。「生活が苦しい」というのは、不可避なものに追われる苦しさなのであって、“お金がない”ということと必ずしも同じことなのではない。「生活が苦しい」というのは、単に経済的なことだけではないのである。
生きるということは、だからこそ、つまらないことだ。だからといって、避けられない仕方で死ぬというのはもっとつまらないことだ。人間の死は、不可避であるが故にいつでも自由な死でもある。現にだれも自分の死がいつ生じるか“知らない”。
情報化社会は、選択性を増大させて、〈生活〉(生活感)をどんどん希薄なものにしてきた。避けられないものがないようにするのが、文明の“進歩”だという意味では、情報化は、“文明”を極限にまで押し進めるものであるのかもしれない。「情報化」の対立語は、〈生活〉なのである。選択にあふれている(しなくてもよいことをしている)情報化社会において、〈生活〉は全く“なり”を潜めている。そのようにして、家庭も崩壊しつつある。私もまた、家内の突然の入院によって、〈生活〉がこんなにも重いということについて鈍感になっていた自分に今さらのように気づいた。家庭崩壊とは、生活感がないが故に起こることであって(=フェミニズムの台頭)、その逆ではない。
家庭は不可避なものの〈場所〉である。そして、多く長くは、女性が不可避なものを担ってきた。というより、女性は母であることによって不可避なもの、選択できないものの根拠だ。だれも自らの生(生活)を選んではいない。選べないものが生(生活)なのである。生活に対する不快感は、こういった出生(不出生)を選べない不快感(偶然に対する、意味のないものに対する不快感)にある。しかし一方で、母である女性は、非選択の根拠であることによって家庭を担い、男たちや子供たちからその不快感を解放している。男たちや子供たちを選択する存在に変えている。彼らの、選択する根拠になっている。
スーパーマーケットの買い物に行って、(男が)むなしく思うのは、消尽するもの(生きるための食べ物)への消費、消費的な消費に耐えられないからである。こんなものに耐えられるのは、母親としての女性以外にあり得ない。
若い男どもよ、ショッピング(と旅行)の好きな女たちには気をつけた方がよい。
2001/4/4(水)03:34 - 田中某 - 135 hit(s)
「人間の死は、不可避であるが故にいつでも自由な死でもある。現にだれも自分の死がいつ生じるか“知らない”」。不可避であるということは絶対的な拘束だと思うのですが、にもかかわらず「自由」というのはどういうことでしょうか。
2001/4/5(木)00:09 - 芦田宏直 - 192 hit(s)
人は必ず死にますが、誰も自分が死ぬとは思っていません。いつか死ぬと思っているだけです。したがって、死ぬという不可避性(不可避中の不可避性)は、無関心性や偶然性に必ず転化するのです。人は死ぬことを忘れているからこそ、死ぬことができます。死ぬ用意などできるはずがないのです。というのも死ぬ用意をしている時にも死にうるからです。
たとえば、〈自殺〉は本当に自殺でしょうか。高層ビルから、遺書を残して靴をそろえて飛び降りた人は、本当に自殺したのでしょうか。飛び降りる途中で、後悔することはなかったのでしょうか。しかし落ちる途中で後悔しても死ぬしかありません。後悔したとすれば、それは自殺ではなくて事故死です。ガス栓をひねった後のようにガス栓に向けて手先が伸びて、遺書を机の上に置いて死んでいる人は本当に自殺したのでしょうか。意識が薄れていく途中で、もう一言あの人に言い残しておきたいと思って、ガス栓を止めようとおもったときには息絶えてあとすこしでガス栓をひねり直せた手先の姿だとすれば、それは自殺ではなくて事故死です。もっともこういったことはそう〈である〉ことを証明できません。
しかしはっきりしていることは、自殺の〈途中〉の後悔が生じる可能性を根絶することはできないということです。なぜ、根絶できないのか。それは、自殺という意識とその完遂との間にはかならず時間が介在するからです。私たち人間は、(自殺をしようと)思ったとたんに死ねるわけではありません。意識と存在との乖離の根拠は死と存在との差異にあります。したがって、乖離が大きい死に方ほど後悔が介在する余地(危険性)がおおきくなります。たとえば、意識的に一番楽な死に方である睡眠薬自殺などは死に至るまで時間がかかるため、後悔する可能性や、人に発見される可能性(死ねない“危険性”)が高いわけです。それとは反対にピストルで頭をぶち抜くという瞬時に死ねる方法は、かなり意識にきつい負担(“勇気”)を強います。しかも脳がちりぢりばらばらになっても意識が瞬時にゼロになるかどうかなお不安も残ります。たぶん生理学的には、脳がちりぢりバラバラになっても意識が瞬時にゼロになることなどないでしょう。いずれにしても死ぬということは、点のような瞬間ではないのです。死ぬのには時間がかかるのです。というのも時間の根拠が死であるからです。
結局、自殺(意識的に死ぬということ)などできない。もちろん結果的に多くの自殺者は、後悔せず死んでいるのでしょう。しかしそれは結果的に後悔しなかっただけのことであって、必然的に後悔しなかった訳ではありません。つまりかれらは偶然に自殺できただけのことです。もちろん、偶然な自殺を自殺と呼ぶのはおかしいわけです。つまりは自殺は存在しないということです。
その意味で、死とは永遠の延期です。誰も自分の死を死んだ者などいないのです。あるいは、あらゆる死は不可避な事故死です。意識的に死ぬことなどできないのです。意識とは根本的に〈生〉の別名であるからです。人間は知らぬ間に生まれて知らぬ間に死んでいく。〈生きること〉は、死の陰(死の結果、死がまだ来ないことの結果)であって、生の陰(生の結果、生きた結果の淵)が死なのではありません。つまり生きているということはまだ死んではいないことの結果なのであって、その逆なのではありません。生きるということは死に始めるということです。母としての女性が消尽に向かって生(生活)を遂行できるのは、そういった女性だけが死(つまりは生)を正面から受け止めることができるからです。男性は出来損ないの自殺(というより、自殺とはもともと出来損ないの自殺でしかないのですが)を本能的に遂行し続けているわけです。だから女性(妻)は男性(夫)より一日遅れて死ぬことができるのです。いつも敗北の死(死ねない死)でしかない男の死を看取ってから死ぬのです。
2001/4/11(水)00:16 - 芦田宏直 - 274 hit(s)
先週の土曜日(7日)に息子の高校の入学式に行って来た。入学式が始まったとたんに、君が代斉唱だったが、突然司会者が「思想・信条の自由がありますので、起立、斉唱は強制しません」。びっくりした。父兄も戸惑う。最初にごく少数、数人の父兄が立ったが、その目立ちようが異様だった。緊張感が異様。歌い始めてからも、ゆっくりぽつぽつと立つ人がいたが、その遅れがまた、父兄たちの動揺、不安をあらわしていた。入学式の最初がそうだったから、最後まで不快感が残ってしまった。まずい学校を選んでしまったな、と思った父兄もいたかもしれない。入学式にこんなことを考えさせる学校もめずらしい。
いったいどういうことなのか。なぜ、“国旗”や“国歌”についての取り扱いが「思想と信条」が違うと自由にしていいのか。「思想と信条」が違うと国歌や国旗は“自由”に扱っていいのか。そんなことを言い出すと校歌、社歌の場合はどうなるのだろう(この学校は校歌を唱わせるときは「一同起立」と命令していたが、なんとこの学校の校是は「自主、自立」だと何度も誇らしげに語っていたのに … )。校歌や社歌は、その人が選んで入った学校や会社だから、「思想と信条」に反することはあり得ないのだろうか。それであれば、国家だって、国籍を変えることが絶対的に不可能だということでもない。そもそも「思想と信条の自由」ということ自体が国家の精神であって、「思想と信条の自由」のない国家だっていくらでもある。「思想と信条」が違うから歌えないというのなら、それは「君が代」に反対しているのではなくて、国歌そのものに反対しているのだろう。どんなに民主的に国歌を決めたとしても、国歌というものはその国家にとって一個しかないだろうから、個人的な「思想と信条」の違いは出てくるはずで、となると「思想と信条」で反対する人は、国歌=国家そのものに反対していることになる。それは「他人(女性)のいやがることをすることがセクハラだ」という“定義”とほとんど同じくらいにくだらない理由でもって、国歌=国家に反対しているのである。
こういうこと(国歌や国旗、あるいは国家そのもの)に違和感をもつ人たちがいるということは、誰でもが知っている。たぶん直接には第二次大戦での中国、朝鮮半島を含めた東南アジアへの日本の“侵略戦争”に対する反省からそうなのだろう。国歌や国旗は、その“侵略”の象徴だったからだ。それを否定する気はない。しかし国歌や国旗というもの、あるいは一国の歴史というものはそういうものだ。悪いこと、良いこと含めて一国の歴史だ。何を悪いこと、何を良いこととみなすかどうかは議論のあるところだろうが、悪いことを刻印していないような国旗も国歌(あるいは国家)もこの世には存在してはいない。それは人の名前がそうであるように〈形式〉というものなのである。形式というものは、その意味でもとから暴力的なものだ。自分が決めたものではないという点で。生まれたときにはすでにあったものが国歌や国旗や名前なのであって、それらを自分(たち)で決めることができるのは、歴史のない国家か“水商売”の女性たち以外にはいないだろう。そもそも民主主義でさえ、その決定を民主主義的に(多数決で)決めるということ自体は、民主的に(多数決で)決められないだろうから、形式的(暴力的)なものなのである。
結局、国歌や国旗を自分で決めたい人、国家の犯罪を国旗や国歌に刻印したくない人は、逆に〈歴史〉を否定している人たちなのである。悪いことをした人がいちいち名前を変えていたら、いくつ名前があっても足りないだろう。悪いことをしたことの反省というのは、その変わらない名前を背負ってこその反省なのである。歴史というのは、変わらない名前(変わらない名前というより、名前というのは変わらないから名前なのである)があってこそ、悲劇であったり喜劇であったりすることができる。歴史とは名前のことなのである。良い歴史、悪い歴史などというものがあるわけがなく、良いも悪いも〈歴史〉〈である〉。〈歴史〉とは〈存在〉そのものだ。善悪を超えたものが〈歴史〉である。国家犯罪に対する反省のためというのなら、国歌や国旗を変えたからといって、反省心の表現にはならないし、犯罪も消えるわけではない。むしろその汚辱の表現として長く存続させた方が、反省の契機になってよいかもしれない。無くすことによって忘れることの弊害の方が大きいかもしれない。もちろんそんなこと(存続させた方が反省しやすいということ)は根拠のないことだ。それは、アジアの人のために国旗や国歌は変えた方がよいということに根拠がないことと同じことである。
国歌や国旗の妥当性を議論する人は、むしろ(選択的)意志と国歌、(選択的)意志と国旗とを合わせようとするから、むしろ国家主義的なのである。そうやって登場したのが社会主義国だった。彼らほど国旗と国歌を民主的、主体的に決めた国はない。〈歴史〉を持たない分、国家主義になったのである。ナチスももっとも民主的と言われたワイマール憲法下で生まれたものだった。
国家(国歌や国旗)や歴史は、選択されるものではない。それらが選択されるときには、その民族や個人は、“不幸な”境遇にあるか、“不幸な”境遇になるかどちらかである。それは、自分の親を選択しなければならない人が不幸な人であるのと同じことである。そういう自由は不幸な自由なのである。
国旗や国歌は、形式的に掲げ、形式的に歌うものである。伝統とは(語の厳密な意味で)形式的なものだ。形式に(形式的に)従うことが国家に従うことなのである。かつてヴァレリーは「形式とは高くつくものだ」と言ったが、それは凡百の意志や選択を超えているからこそ、高くつく。意味のない高い買いもの(形式を買うこと)ができる力を持っていること、これが伝統というものだ。
にもかかわらず、都立校の入学式は、国歌を歌うことを選択させた。裏返しの国家主義を強制したのである(サヨクの人ほど国家主義なのだ)。だから会場が気まずい思いに満たされたのである。席を立つ人も座っている人も意志で歌ったり、歌わなかったりするように強いられたということである。これではほとんど難民状態だ。こんな状態になるのなら最初から「君が代斉唱」などやらなければよかったのである。「国歌斉唱、一同起立」と言われて立たない人がいる、「国歌斉唱」と言われて斉唱しない人がいる、それが一番自由な風景だったのに、なんて国家主義的な国歌否定論になったのだろうか。残念でならない。
2001/4/17(火)00:25 - 芦田宏直 - 674 hit(s)
この間、テラハウス生え抜きの講師が某大手ベンダーから引き抜きの誘いを受けた。本人は、結構うれしそうに、「これは芦田さんには内緒にしてね、と言われたんですけどね」だって。なさけないことだ。そう言われてひるんだ瞬間、このテラハウス講師は、本当の意味で「二流」の人間に成り下がったわけだ。私は、なぜ、「あなたこそ、テラハウスで一緒に私と働きませんか」とすぐさま言い返せなかったのか、とその講師をしかりつけた。
私は、こういった問題は「一流問題」と呼ぶことにしている。一人の人間が、こつこつと努力してそれが認められてメジャーになる。いわゆる「出世」。これはよくあることだ。
たとえば、お笑いの西川きよしが「出世」して国会議員になる。お笑いのタケシが「出世」して映画監督になる。同じくお笑いの島田紳助が「出世」してニュースキャスターになる。しかしこういった「出世」はどことなくうさんくさい。たとえば同じ芸人でもタモリや明石家さんまは、こういった「出世」の仕方を拒んでいる。彼らは「出世」したからといって、「国会議員」や「知識人」「文化人」にはならない。要するに芸人としては(あるいは思想家としても)タモリや明石家さんまの方がはるかに優れている。こういった違いはどこから出てくるのだろう。
結局、西川きよしもタケシも紳助も自分にコンプレックス ― 現在の自分を否定的に考える性向。この性向の究極がキリスト教。「原罪」というやつ ― があるのだろう。
自分にコンプレックスがあるということの意味は何か。自分の存在の評価を、他者による評価によって図ろうとすることだ。他人にほめられると自分を過度に甘やかし、他人が非難すると極端に自信喪失する。自分で自分のしていることを評価できない。ほめられても簡単には納得しない。けなされても落ち込んだりはしない。そういった自己評価ができない。自己評価することができないと通俗的な既成の世界秩序(=世間)に頼らざるを得なくなる。最近、島田紳助は、松本人志と深夜番組(日本テレビ)で対談する番組をレギュラー化しているが、紳助の、松本へのこのすりよりは見てられないほど悲惨なトークを露呈している。それはたけし軍団を侍らせ、おもしろくもないトークを連発するたけしと同じ悲惨さだ。漫才師よりは国会議員、知識人、文化人。ジャーナリストよりは大学教授。学歴や部長、重役といった肩書き。小さい会社よりは、大きな、有名な会社などなど。こういった悲惨な秩序は蔓延している。
もちろん最初から社長であったり、最初から文化人であったりすることなどできないから、こういったことを気にし始めるといつもコンプレックスで悩まされることになる。大きな会社から誘いを受けたり、多額の給料を提示されたり、芥川賞を取ったりしたら、急に偉くなったような気になって、態度が変わり始める。いったいこれはどういうことか。
そういった社会性は、一人の人間にとってはいつでも偶然だ。社会的な不遇も、厚遇も理由をつけようと思えば、いくらでも付けることができそうだが、ほとんど嘘だ。人は偶然出世し、偶然落伍する。それが“社会”観の究極の認識だ。つまり社会評価は、評価にはならない。そもそも社会的な頂点というものはいつでも没落の始まりでしかないし、没落は、また新生の始まりでもある。横綱になってから強くなる「千代の富士」みたいな力士もいるし、勝ち続けていても強くない「巨人」のような野球もある。それが「社会」というものだ。
〈評価〉とは、そういった「社会」からかぎりなく遠ざかることだ。「王様は裸だ」と言うことのできる力を持つことだ。何が没落の兆候であり、何が新生の始まりであるのかを見極める力を持つことだ。このことは、〈現在〉の自分の社会性とは何の関係もないことである。というのも〈現在〉とは、没落と新生との交点だからだ。どんな企業も最初から大企業であったことはない。どんな企業も永遠に大企業であることはない。同じようにどんな〈人物〉も生まれたときから天才であるわけでもなければ、永遠に天才であり続けたわけでもない。大概の個人(天才)は、死ぬ何年も(何十年も)前から衰退しているし、逆に死ぬ数年前に「有名」になる人もいる。企業の成長、個人の成長は、どんな生理や有機体とも類似のない仕方で盛衰を繰り返している。
したがって、どんな〈現在〉にも不利、有利、二流、一流ということはない。〈現在〉は、差別なく平等に(没落に向かっても、新生に向かっても)与えられている。この〈現在〉が自己評価の源泉だ。
たったひとりの自分だけが自分の支持者にすぎないことが、世界を魅了する天文学的な支持量となって現れることの始まりであるのかもしれないし、そしてその時点こそが、現在「である」かもしれないことを誰も拒むことはできない。むろんこのことは、憶測であり、経験的な憶測である。憶測ということでいえば、たった一人の自分だけでの支持に終わりそうな無数の世界性が世界史のあちこちに埋もれているかもしれないということも拒み得ない憶測のもう一つである。私の〈現在〉の緊張に耐えうること、これが〈歴史〉というものだ。〈歴史〉とはどんな必然性や因果とも無縁な概念である。私の近傍に、天才や一流を見いだせない人間に、どんな評価が可能だろうか。私の〈現在〉に世界史を見いだせない人間に、どんな上昇が可能だろうか。
2001/4/17(火)16:54 - 田中某 - 246 hit(s)
「世界史」の通俗的ではない意味は何ですか。
2001/4/22(日)03:06 - 芦田宏直 - 250 hit(s)
本格的に理論的な意味での「世界史」という概念が成立したのは、19世紀中葉、ヘーゲルという哲学者を待ってのことです。
「世界史」と単純に言いますが、この言葉は、対立した二つの概念から成り立っています。ひとつは、〈世界〉という空間概念。ひとつは、〈歴史〉という時間概念。〈世界史〉は、空間と時間が融合した、あるいは時間と空間を統一的に考え得る立場が登場したとき、はじめて、可能になったわけです。
猿から人間が進化論的に展開したということは、進化論の言うように単に時間的なことでしょうか。猿が進化して人間が誕生したにもかかわらず、猿は、現在でも存在している。ということは、先祖という時間概念は、現に存在してもいるという意味で、空間に転化してもいるということです。つまり人間も(その人間の過去の)猿も同時に並存して空間的に(現在に)存在している。これはどういうことだろうか、とヘーゲルは考えたわけです。
結局、それは、人間の中に、猿的な人間と非猿的な(=人間的な)人間が存在するということ、あるいは猿の中に、人間的な猿と非人間的な(=猿的な)猿が存在するということと同じことだ、とヘーゲルは考えました。
〈われわれ〉が、上野動物園で、猿を見るとき、同時に〈われわれ〉は、人間に似た猿を見ているわけです。あるいは同時に人間の中に、猿に似た人間を見ているわけです。つまり、この“似る”というのは単なる比喩ではないということです。人間の方でも、猿の方でも人間対猿、猿対人間という分割が行われているのですから、この関係性は、人間は猿「である」、猿は人間「である」ということです。所詮、人間から見た他者(猿)だから、それは人間的な他者だ、人間的に変質された他者だということではなくて、他者の中にも人間的な他者と他者的な他者が分割されているのですから、人間は人間「である」、他者は他者「である」というその規定そのものの中に、他者や人間が入り込んでいるということです。つまり、猿にとどまらず犬に似た人や猫に似た人、魚に似た人や鳥に似た人をよく見かけますが、彼ら(彼女ら)は、実際に犬や猫、魚や鳥「である」のです。それが、犬や猫、魚や鳥と並んで人間が〈世界〉(の〈中〉)に「ある」ことの意味です。
これを個人(私)のレベルで考えれば、私の現在(空間)には、いろいろな他者が並存していますが、それらは、中学時代の私であったり、大学時代の私であったりもするわけです。あるいは、テラハウスICAにかかわる前の私でもあるわけです。たとえば、テラハウスICAに関わる前の私というのは、社会人教育、リカレント教育、学校教育以後の職業教育、パソコン・IT革命などというものについて知らない、関心のない私であったと言えるかもしれない。それは、今現在、テラハウスに来て学ぼうとする(テラハウスの〈外〉の)受講者と同じ立場であるわけです。現在の私とその他者である受講生との関係は、私の(私の現在の)、私の過去に対する関係でもあるわけです。私の時系列(=時間)は、私の現在における他者の実在そのもの(=空間)でもあるわけです。私が他者と対話が〈できる〉ということは、私の想起でもあるのです。テラハウスICAがマーケットに受け入れられるかどうかは、私がカリキュラムを作るときに、現在の私を(私の過去に向かって)否定できるかどうかに関わっています。どんな(現在における、現在の他者との、あるいは現在のマーケットに対する)対話も過去への自己対話であり、この自己対話の中に〈世界〉が存在しています。つまり、私の〈現在〉は〈世界史〉なのです。〈世界〉とは、私が自らの過去を解釈する、その仕方であるわけです。それが〈世界史〉の意味です。
2001/5/6(日)03:27 - 芦田宏直 - 395 hit(s)
ゴールデンウイーク。どこにも行くところがないから、本屋に立ち寄ると、横積みで置いてある立花隆の本が目にとまった。『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてボクの大量読書術・驚異の速読術』。立花隆は、なぜ「勉強家」なのだろう。こんなに勉強して、こんなに本を読んでいったいどうするというのだろう(といっても、立花隆の読んでいる文章量は外務省の役人が一日に読む文献量に比べれば遙かに少ないだろう)。
本を読んで知的になるというのは、若いギャルたちが、渋谷の遊び方を「知っている」というのとまったく同じことだ。立花隆が、宇宙、サル学、遺伝子、エコロジー(その他諸々)の知見をもっているのと若い女の子が男との遊び方を「知っている」のとは何も変わりのないことである。要するに、立花隆が知っていることを若い女の子たちは知らないし、女の子たちが知っていることを立花隆は知らない(なんてことを書くと宮台真司のようなちんぴら社会学者に「いや俺は渋谷の女の子(たち)ともつきあっているぞ」なんて言われそうだが)。
〈知識〉というのは、〈経験〉の近代的なかたちだ。したがって、人の数だけ知識の種類があるし、その中で得られる知識の量も人の数だけ平等に散らばっている。渋谷の女の子と立花隆の知識の量はまったく同じである。
知識それ自体には優劣はないのだ。本を読んだというのは、今日のウンコの色はあまりよくなかったというのと同じくらいに、個人的なことだ。なのに、それを本にして出すのは(たとえ、編集者がすすめたとはいえ)、彼が知識主義だからである。
知識は、いくら積み重ねても、真理(=普遍)には到達し得ない。それは魚屋さんがいくら魚を売っても魚屋さんであることにとどまるという意味でそうである。立花隆は、魚屋が魚を売るようにして、知識を売っているにすぎない。しかも大しておいしくもない魚を(私は、上記の本の「ウイットゲンシュタイン」に関連するページを開いたが、ずいぶんとひどい記述だった。他の私の知らない分野でも知った人が読めば読むに耐えない本なのだろう)。たぶん立花の読者というのは、地方の高校教員か都市の学歴コンプレックスをもったホワイトカラー層なのだろう。
結局、立花隆は経験的にしか知的でないのだ。それは、たとえば弁護士が「世の中所詮利害関係だよ」なんて、“人生哲学”を語り始めるのとおなじだ。むろんこれは人生哲学にはならない。たぶんほとんどの弁護士がそう言うだろうという意味でそれは職業的な、つまり経験的に強いられた思想なのである。同じように、本を「速読術」などといって読んでいる人は、『ぼくが読んだ面白い本 …』なんて本を書き出すのだろう。これも経験的な上昇性(=経験的な成長)にすぎない。それは、本を読むのが好きな大学の先生も、専任講師の次は、助教授、助教授の次は教授、教授の次は学部長 … というように成長するということと変わらない。そうやって、大学の先生も学生たちに「ぼくが読んだ面白い本はね … 」とか言って授業をやっているのである(そういえば、立花隆は東大の特別講師かなんかをやっていた。もうすこし年をとれば地方の大学教授に落ち着くかもしれない)。それは朝日新聞の編集委員や岩波書店の編集者が“成長”して地方の大学教授になるのと同じ知識現象だ。
立花隆は、結局のところ〈教養〉がないのだ。〈教養〉というのは知識の問題なのではない。ふっと、自分の経験を離れる力のことを言う。
世の中には、弁護士もいれば、大学教授もいる。知識人もいれば、芸術家もいる。魚屋もいれば、サラリーマンもいる。それらは、それ自体自立的でまったく出くわす場所がない。共通な言語がない。極端な尊敬か、極端な侮蔑だけが、それらの世界どうしの会話を成立させている。それは、排他的な関係をひたすら強化するだけのことだ。しかしながら世界の真理は、それらの間に共通言語や普遍性を〈場所〉としてもつわけでもない。〈教養〉というのはひとつの領域でもなければ、「勉強」や「読書」の対象なのでもない。あるいは登り詰めれば到達できる頂点(境地)のようなものでもない。
今日、私はファーストキッチンで、フライドチキン、ポテトのS、コーラのM、家内はクリーム白玉ぜんざいを頼んだが(ゴールデンウイークにもかかわらず夫婦そろって貧相なところですごしていたが)、デザートとソフトドリンクは「セットにされた方が100円お安いですよ」と店のアルバイトの女の子に言われたらしい。「じゃそれにして下さい」と家内。ここまではアルバイトもマニュアル通り(=経験通り)。「どうもありがとう」と家内が言った瞬間、一瞬、間があった。どういったらいいのかわからなくなって笑みをこぼしながら「どういたしまして」とその子は応えたらしい。この「どういたしまして」という発言の力は、その子の〈教養〉というものだろう。コミュニケーションというのは(もしそんなものが存在するとしてのことだが)、知識の共有や情報の共有から生まれるものではなくて、こういった〈教養〉からしか生まれない。
「100円安くなった分、コーラのLにしませんか」などというようにして、立花隆は「ぼくが読んだ面白い本 …」をすすめているだけなのだ。立花は、ファーストキッチンの女の子以下なのである。