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211 10/13(月)
00:43:37
 講演内容 ― 「教育改革としての自己点検・評価」  メール転送 芦田宏直  No.207  4940 

 
平成3年に文科省が、大学の「自己点検・評価」を言い始めて、平成14年に専門学校も「自己点検・評価」を行いなさい、ということになった。「自己点検・評価」では先輩格の大学では、ここ10年間この「自己点検・評価」の成果は何もない。ろくなものがない(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=92)。文科省もしびれを切らして、「第三者評価」を言い出し、「大学基準協会」なんて組織が生まれている。たぶん、専門学校も「第三者評価」の波にのまれるだろう。しかし、第三者評価は、「自己点検・評価」が基盤にないと何一つ成果は生まれない。点検・評価の本来の意味は、学校が個性(コアコンピタンス)を持つこと、その個性を内外に証示することにあるのだから。

この「自己点検・評価」で、大学も含めて世界で一番進んでいるのが、私の東京工科専門学校だと思う。平成14年に「自己点検・評価」が法律化するまえ、平成10年を前後して(死にものぐるいで)取り組んでいたわれわれの「履修改革」(http://www.tera-house.ac.jp/profile/ashida01.htm)が、丁度、この「自己点検・評価」の社会的運動に対する回答に重なってしまった、というのが私の実感。専門学校や高等教育全般の信用回復、教育再生のためにも、この「自己点検・評価」の道筋は必須のものである。昨年の軽井沢セミナー(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=41)の参加者であった神戸電子専門学校(http://www.kobedenshi.ac.jp/new/index.html)の福岡先生(青年懇話会事務局)が「感銘を受けた」(ありがとうございます)とのことで、今回の研修で講師をすることになりました。

以下がパワーポイント原稿。●単位でスライドです(これとは別に27枚の資料がついていましたが、それは割愛しておきます)。あくまでもスライド原稿ですので、すべてがわかるわけではないとおもいますが。あしからず。

参加者の多くの方から、講演後、私の学校にも来て講演をやって頂きたいが講演料はいくら出せばいいのか」との“質問”を受けましたが、「ここ数年、私の講演料は交通費とどちらがそうなのか、わからないくらいしか出たことがない。現にこの青年懇話会もそうだ」と言っておきました。大笑い(受けました)。私は笑えませんでしたが。


●2003年度・全国専門学校青年懇話会
経営戦略セミナー
「自己点検・評価」とは何か
― 教育改革としての「自己点検・評価」
テラハウス東京工科専門学校:芦田宏直     
ashida@tera-house.ac.jp


●専門学校「経営」と教育
専門学校経営指標の傾向
「募集」と「退学率」
「設備投資」と「人事評価」
「就職率」と「資格合格率」
「認定校」と「官許資格」
「新科設立」と「カリキュラム改革」

(上記指標には)実質的な教務指標が皆無、これが危機の内実                        


●「自己点検・評価」=授業評価
@学校の教育評価の基本は、カリキュラム、設備、教員でもなく、ましてや募集でもない。
Aカリキュラム(履修表)が存在することとその教育が存在することとは全く別。また科目が存在することと、その科目目標が遂行されていることとの間には千里の径庭がある。
B設備はそれに見合う能力育成ができているかどうかがその存在だけではわからない。
C教員は、専門性の業績や人気、“学生指導”力だけでははかることができない。
D募集もまた、短期的には科の内容抜きに上下動する。
E結局、学校の教育が〈そこ〉にあると言える場所は、〈授業〉活動にほかならない。そここそが、カリキュラム、設備、教員が評価されるもっともリアルな場所だと言える。
Fつまり「自己点検・評価」の教育的な内実は授業評価でなければならない。


●授業評価の前提と方法
@授業〈評価〉を行うためには、授業〈目的〉がなければならない。
A授業目的を参照しない授業評価は、単なる個人干渉(主観的な授業法の押しつけ)か授業法改善運動(相対主義)に終わる。
Bところが、肝心の授業目的を表示する資料が学校のどこにも存在しない。
C従来のデータでは、存在しても「シラバス(講義概要)」どまり。「科目名」どまり。
D「シラバス」では、“この授業”がこれでいいのか、悪いのかの判断(授業評価)ができない。
E “この授業(この90分の授業)”の日常的な累積が「シラバス」を実現するとすれば、“この授業”の目的が、シラバスとは別に示されていなければ、授業評価は不可能。
Fコマシラバス(90分単位のシラバス)のないところに授業評価はない。
「学生アンケート」という名の授業評価


●授業評価=学生アンケートという錯誤
@授業目標が明示されていない学生アンケートは心理主義(人気投票)に過ぎない
Aコマシラバスをはじめとする資料(授業情報:授業目的と授業方法の開示)なしには、学生が授業評価を行うことはできない。
B主宰側の学校にさえ授業評価を行う資料(コマシラバス)が存在していないのに学生が授業評価を行えるわけがない。
C学生による授業評価を成功させるためには、学校は授業目標を幾重にも示す資料を学生の前に開示する必要がある。
Dつまり授業方針・授業目標のない学校(その授業で何をしなければならないのかを学生に開示していない学校)が、学生アンケートを採って、それが「授業評価」だと言うのは、むしろ授業評価の棚上げ、回避にすぎない。単なる広報的な体裁に過ぎない。
E科目単位、教員単位のアンケートは、教員の個人批判に終わり、百害あって一利なし。
F現状で、学生による授業評価があるとすれば、出席率、在籍率。これが一番リアルな授業評価。


●無目標・無点検・無評価の現状
1)実習教育の問題
@評価が難しい
― 〈知っている〉が〈できない〉、〈できる〉が〈わかっていない〉
A手作業が伴うため個人差が著しい(〈カリキュラム〉になじまない)
B時間管理が難しいため、カリキュラムや授業評価に対する意識が希薄になる

2)資格教育の問題
@“結果(合格率)がよければすべてよし”でそれ以上の目標に向かおうとしない。
A受験教育(受験テクニック教育:暗記教育)になりがちで、息の長い人材能力の形成につながりづらい

3)無目標・無評価の教育、あるいは反復教育(=訓練)
あまりにも主観的な評価(実習評価)、あまりにも客観的な評価(試験合格率)に挟まれ、教育力の向上につながるカリキュラム改善や教育指標が見出せていない。スクールカラーも実習カラーか資格カラーに過ぎない。   


●コマシラバス・授業シート体制(資料1〜4)
この90分で何をしなければならないのか、何がしたいのか
1)授業計画(カリキュラムリーダーの作成管理)
@シラバスとコマシラバスの明示
A履修判定試験の先行作成(シラバス・コマシラバス・履修判定試験)
Bシラバス・コマシラバス・履修判定試験の三位一体を「授業計画」と言う

2)実行評価:授業シート体制(科目担当者の作成管理)
@「今日の授業」シート(90分の授業目標提示)
A「授業カルテ」シート(90分の授業目標達成評価)
B「模範解答」シート(カルテの模範解答用紙)


●授業評価の二重性
その科目の今日のコマ時間の評価と累積評価
 @その日の落伍者の発生
 Aこれまでの落伍者の累積
 B落伍者のフォローと未フォロー
 C日々の履修欠損の発生と日々の履修フォロー
 D試験までの履修欠損の判定と履修フォロー

〈その日評価:AG評価〉と〈累積評価:課題ポイント評価〉
 @ その日評価( AG評価):起こってしまったことの評価
 A 累積評価(課題ポイント評価):対策評価


●コマ授業評価の4指標(AG評価@)
1)出席率
@5%未満(マイナス1点) A10%未満(マイナス2点) B15%未満(マイナス3点) C20%以上(マイナス4点)

2)カルテ落伍率
D5%未満(マイナス1点) E10%未満(マイナス2点) F20%未満・以上(マイナス3点)

3)カルテ点数分散
G60点台の学生数が受験者数の20%を超えた場合(マイナス1点)
Hカルテの平均点が85点以上、あるいは70点以下である場合(マイナス1点)
Iカルテ点数の最低点と最高点との乖離率(最低点数÷最高点数)が、ワースト10%の学生が取った最低点を除いて、75%以上である場合(マイナス1点)

4)教員自己アンケート
J80点以下である場合(マイナス1点)                       

以上4指標、11のレベルにおいて、毎コマ毎(90分単位)の授業評価を行う


●コマ授業評価(AG評価A)資料5〜6、27
A評価:該当課題点 なし(標準プラス授業)
B評価:該当課題点 マイナス1点(標準B授業)
C評価:該当課題点 マイナス2点(危険授業)
D評価:該当課題点 マイナス3点(危険授業)
E評価:該当課題点 マイナス4点(危険授業)
F評価:該当課題点 マイナス5点(危険授業)
G評価:該当課題点 マイナス6点〜11点(危篤授業)

先の4指標、11のレベルのマイナス点を合算して、A〜G評価をコマ単位に、毎日行う(処理はコンピュータ)

                                                                           
●課題ポイント評価(資料6〜7)
履修判定試験全員合格を目指した、科や教員の指導課題ポイント
1)履修課題の発生状況
@欠席課題発生(欠席1名につき、1課題ポイント)
Aカルテ落伍課題発生(落伍者1名につき、1課題ポイント)
Bカルテ未提出課題発生(未提出者につき、1課題ポイント)

2)履修課題の消化状況
C「コマ補習」による履修課題消化(上記履修欠損に対する補習)

3)履修判定試験に向かっての履修状況の把握
D今日の履修課題の発生
E今日までの履修課題の発生
F履修課題の消化状況(「コマ補習」の実施状況)  


●履修総括(評価を評価する自己点検体制)資料8〜12
1)AG授業評価+課題ポイント評価と履修判定試験との関係を問う
履修判定試験(結果)とカルテ点数(過程)
@落伍者(未受験者、不合格者)と合格者の意味を問う
Aカルテ点数と履修判定試験との“相関(相関係数)”を問う
Bカルテの妥当性、試験の妥当性を問う
C相関が試験を試験する
D相関が過程の妥当性と結果の妥当性を検証する

○どういった教育がどういった結果を生むのかを評価するノウハウの蓄積

2)学生授業アンケート(学校方針のモニタとしての学生)

                                               
●授業評価は教員批判ではない
@授業評価は、授業批判、教員批判なのではない
A授業批判、教員批判は〈学校〉の組織的な問題を覆い隠してしまう。
B学校が何を自分たちの教育の目的として集団的・組織的に取り組んでいるのかの責任の取り方=「自己点検・評価」そのもの
Cしたがって、教員に問題があるのではなくて、教員や授業を放置している学校や管理側に問題がある。場合によってはカリキュラムに問題があるかもしれない(ある場合も多い)。
D良い教員、悪い教員は、学校の教育体制の結果であって、良い教員を集めれば良い学校になる、というのは単なる予備校主義にすぎない
Eしたがって授業評価は、終わりの評価ではなく、組織的な目標に向かった改善の契機(=始まりの評価)でなければならない。
 
                      
●「自己点検・評価」の10年間と今後(1)
― 広報戦術にとどまった10年間
@「自己点検・評価」は、あっても「小テスト」・「学生アンケート」の実施どまり。それらもやりっ放しで業績や改善への具体的な方策にまでは進んでいかない。
A“公表”は、一部の経営情報、設備、研究業績、資格取得率、就職率など「学校案内」に類似した情報にとどまっているか、あるいは都合のよい数字だけを「公表」しているだけ。いずれにしても“広報・募集”上の便宜情報にとどまっている。
B結局、大学も(専門学校も)、「自己点検・評価」を募集上の体裁、広報戦略の一部、あるいはせいぜいのところ“情報公開”の一部としか考えることができなかった。
Cしかし「自己点検・評価」とその公表は、そういったものとは無縁。                 


●「自己点検・評価」の10年間と今後(2)
― 「点検・評価」広報論は、内外を欺く
@なぜそういった停滞(後退)が続いてしまうのか?
Aそれは、教育組織が目標を持っていないから。
Bまた仮に目標を持っても、その「点検・評価」を行わないから。
C「公表するとまずい」というのは、目標を持とうとしないか、目標を棚上げにするというのと同じこと。
Dそういった“考え方”は、〈内部〉であれば“だませる”と思っている。言い換えれば、〈内部〉さえも“広報”の対象とみなしている。
Eそうやって、〈外部〉にも有利な情報だけを出せばいいと思っている。
F結局、内外をだまし続けて、最後は自分自身をだましている。何もする気がない(何もやりたいことがない)、と言っているだけ。
G「自己点検・評価」とは、したがって、この時代における新たな「CI(corporate Identity)」運動と考えるべき。何が自らの「コアコンピタンス(core competence)」なのかを発見・形成する努力を意味している。
Hだから、この「点検・評価」には、「自己(Identity)」という言葉が付いている。
I文科省も「多様な」「色々な観点からの」点検・評価と必ず付記している。


●「自己点検・評価」の10年間と今後(3)
― 「点検・評価」指標は学校評価の共通インデックスではない
@したがって、「在籍率」「退学率」「出席率」「就職率」「就職先企業名」などが、「自己点検・評価」指標、「公表」指標として並んでいるような状況が、今後出てくるとしても、それらは、共通指標や共通規格、たとえば、学校選びのためのインデックス(共通インデックス)形成とは何の関係もない。
Aたとえば、「在籍率」の数字が並ぶとしても、それが何を意味するのかの認識がなければ、公表する意味はない。「進路変更」などという文言で「退学」の「理由」を科長が記載しているようでは、数字が高い、低いと関係なく、“公表”する意味はない。
B同じように、「出席率」にしても「アルバイトしているから、朝起きづらい学生がいる」などと平気でそれを欠席「理由」にあげているうちは、「出席率」も“公表”する意味はない。
C重要なことは、それが、高数字でなければ(あるいは良い指標をクリアしていなければ)、あるいはそれを目指すことなしには、自分の科や自分の学校が存在する意味がない指標(アイデンティティの指標、コアコンピタンスの指標)、それが「自己点検・評価」の指標である。


207 明日は神戸へ出張。 メール転送 芦田宏直 ↑この記事を引用して返信を書く
    ┣ 208 ただいま神戸ベイシェラトンホテル ロビーにいます。 メール送信 芦田宏直
    ┣ 209 田中さんと会っていましたが、原稿も書き上げました。 メール転送 芦田宏直
    ┣ 210 神戸の夜とシェラトンホテル メール転送 芦田宏直
    ┣ 211 講演内容 ― 「教育改革としての自己点検・評価」 by 芦田宏直


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