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 番号 日付  題名 投稿者 返信元  読出数
275 3/10(水)
21:26:22
 返信: 大阪講演の質問(2) ― また返信があった  メール転送 芦田宏直  No.273  1982 

 
ご返事しっかり読ませていただきました。それから、“芦田の毎日(http://www.ashida.info/jboard/jboard.cgi)”他ホームページの内容等も、部分的に拝見させていただきました。

  多分野にわたる文章、楽しく拝見いたしました。全く私の日常とはかけ離れた世界の内容から、“そうそう!”と軽くうなずく内容まで。ひとつひとつの文章に反応する部分があり、可能ならゆっくりとお話を聞いてみたいものです。

先日のセミナーに参加した後、これらの文章を読んだことは正解でした。たぶんセミナーに参加しないままこれらの文章を読んでいたら、あまりにも広い地図を解読するようでどこが大通りなのか、どこが抜け道なのか分からないまま2,3ブロックを辿って終わっていたでしょう。やはり、リアリティというのは大事ですね。

実際に目の前で人の話を聞くということほど刺激的でリアルな情報は無いかと思います。そのおかげで、先生のホームページを迷うことなく読むことが出来ます。”リアリティ”と言う言葉を私は良く使います。たまに”リアリティの本質とは?”みたいな話にはまって、その話自体にリアリティがなくなっていることに気づくことはありますが・・・・。

私も映画や音楽、スポーツ等々、日常的に興味は尽きません。特に10歳の頃から、大人になったら何になりたい? と言う質問に対し“淀川長治さんのような映画解説者”と言い切っていました。学生達にもよく話します。“足を運ぶこと。映画は劇場に、サッカーは競技場に音楽はライブで”と。で、最後に”今のうちに一度は芝居を必ず観にいくように!”と。

話はそれましたが、迷うことなく読めたのは私に対するご返事にも感じました。とても分かりやすく端的に書かれている文章がしっかりと届いていました。
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 少しだけご返事について感想を述べます
 >は先生の文章の引用 *が私の言葉です。

> そして教員が努力することとは、教材(=考える機会)を「与える」ことでしかありえません。

*私は課題力と言う言葉を使ってました。特に演習の授業では、課題が持つ力が学生に理解力を与えるように思っています。しかし、ほとんどの専門学校ではこの教材や課題というものが有名無実で、ひどい時には授業が始まる前日にやっと担当教科が電話で通知され、授業当日に“こんな感じでやってください”と。正直絶句します。

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>要するに自主的に考えさせる、というのはそれ自体放任を意味しはしない。

*ここが教える側の甘えが一番出やすい安住の地ですね。“校長の仕事(12)-(講評)というデザイン教育の問題点(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=262)”に書かれている通りです。私自身、このトラップにはまっていた時期があるのでよくわかります。

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>「出席・課題提出・期末試験等、とてもうまくこなす学生」に(これでもかこれでもかと)うまくこなさせないような仕掛けを何重にも組み込むことが教材を「与える」ことの究極の目標なのです。


*”仕掛け”と言うのはとても上手い言葉ですね。ちょっとした学生の言葉に翻弄されている講師はこの”仕掛け”が出来ない分、”評価をつける側・つけられる側”の関係で優位に立とうとする。そばで聞いていると言葉にもならないです。

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>人が考えるほど実社会は、厳しくない、と私は逆に考えます。
>学校の方が遙かに妥協のない勉強をしてきた、と卒業生に思ってもらいたい、それが私の究極の野望です。

*私もそう思います。私が書いた”大きな目”と言うのは社会が本来持つべき”大きな目”のことです。本当は現実の社会には”大きな目”も”点数で評価すること”も両方とも無いと思います。太古の化石のように古い体質をいまだに徒党を組んで守ろうとする建設業には顕著に見られます。私が教育に興味を持ったのもその辺りに大きな理由があります。黒澤明の”赤ひげ”なんです。あの映画に出てくる”無知と貧困”が建設業の現実です。あの映画では、民衆の立場で放った言葉のように思いますが、不幸なことに現在の建設業は医者、つまり正しい技術を提供する側のことのよう思います。この話は長くなりそうなのでこの辺でおわりますがとても大事なことと感じていました。”究極の野望”賛成です。
追記:関係無いかもしれませんが、最近の世のなかを騒がす事件の容疑者の職に建設関係の職名を見かける度に、同業者としてとても残念に思います。
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> 逆に言えば、それほどにも学校ということころは、誰も実際の授業を見ようとしなかったのです。>

*まさしく現場ですね。このあいだのセミナーでもおっしゃられていました。建築の現場監理などもこれに当てはまるでしょう。日本によくある”本来の技術者”不在の現場には、10時と3時のおやつを出すところから始まる人間関係でなりたっているところがあります。(少なくはなりましたが)こういう現場に限って、クライアントは被害者に施工者は加害者にと言う図式が常に潜んでいる。定量的に判断する方法はいくらでもあるのに。誰も判断できない。(だから弁護士がもっとも嫌がる建築争議が絶えない)で、部屋の大きさや住宅設備のグレードだけが一人歩き。共通するところです。

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文章を引用して、感想を述べることは初めてですが、なかなか難しいですね。
拙い文章で申し訳ないです。

ついでに、ひとつだけ質問を・・・

芦田先生は、建築の資格についてどう思われますか? 私は、受験に実務経験が必要な資格というのはどうも納得がいかないし、とてもおかしいことだと思うんです。
さらに、最近建築士以外の二つの資格が出来ました。(登録建築家)と(専攻建築士)と言うものです。(ご参考に2003年12月号の建築ジャーナルに詳しく書いて有りましたので)。学校ではどのような形で指導されているんでしょうか?他の職種の資格のことはあまり詳しくありませんが、もし何かご意見ありましたらお聞かせください。よろしくお願いします”


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