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 番号 日付  題名 投稿者 返信数  読出数
273 3/9(火)
17:56:39
 大阪講演の質問(返信)と私からの返信  メール転送 芦田宏直  1543 

 
※昨日の質問への返答が不十分だったので、詳細化した返信を再録します。


芦田先生へ

 先日(土曜日)の大阪でのセミナー、”自己点検・評価とは何か”に参加させていただいた、(とある)1級建築士事務所の代表M(すべて名乗られているが、ここではMと匿名扱いします:アシダ)と申します。

 質問の時間に、シラバスの作り方・コマシラバスの連携・実社会への効果について質問させていただいた者です。3時間、4時間の長丁場でありありながら、密度の高い内容と分かりやすい講義に、私自身とても参考になる点やテーマどおり自己点検・評価させられる場面が多多ありとても有意義な時間でした。

 私は、設計事務所として独立した16年前から同時に講師として教壇に立ってきました。現在、修成建設専門学校(計画・デザイン等担当/15年の間には殆どの教科を担当してきました)、大阪モード学園(住宅デザイン担当・雑貨デザイナー学科/レンダリング担当)の2校で講師業についております。

 実務としては住宅を中心に店舗等様々な実施設計監理を実現してきました。今回の先生のセミナーは学校自身の構造意識改革が中心であったと思っております。

 そして、こんな感想を持ちました。私は学生にこんなことをよく言います。

 “学校に入るということは、学生と学校の契約でありそれが履行されなければ、学校側にちゃんと意思を示せ”と。

 実際、馴れ合いの中で学生に対して契約内容を履行していない講師はたくさん居ます。私は講師控え室で、講師同士の学生に対する嘲笑を交えた雑談を聞くたびに、気持ちが曇り自省も含めてどうすればその契約を全員がちゃんと履行できるのだろうかと考えておりました。

 しかし、現実的に学生が講師に対し直訴するようなことはありません。理由は簡単です。講師と学生の中には契約関係ではなく、上下関係があるからです。芦田先生のお話はそれらの問題を、私が考えていた角度とは全く違うところからのアプローチにより解決しようとする試みであり、目からうろこでした。ほんとうにすばらしいと思います。

 ただ、これは一非常勤講師の意思ではなかなか動くものではなく、今回のセミナーを期にいろんな立場からの意見が出てくることを望む次第です。以上が私の感想です。

 最後に二つほど質問があります。

 1)自己点検・評価システムは、日常の部分を集合させていけば自然と全体が見えてくる。それを、教える側・教わる側とも評価していこうというものだと思います。日々の積み重ねですね。講師側にはとても効果的だと思います。もちろん学生にも。ただ、最近の学生は克服していくことはとても苦手なのですが、与えられた仕組みをこなすことにとても長けているように思います。出席・課題提出・期末試験等、とてもうまくこなす学生が多くいるように感じます。

 私の経験ですが、そういう要領の良い学生には専門業の意識が低く、卒業後点数で評価されない社会ではなかなか続かずに転職を繰り返す学生がよく見られます。それは、日々の細かな数字の積み重ねの影に、大きな目で評価することを講師がおろそかにしているからではないかと思います。

 その辺りの学生への対応は先生の学校ではどのように考えておられるのでしょうか? このあいだのセミナーでは、資料10(日々の小テストと期末試験の点数との相関を示す資料)の辺りがそれを示す内容だと感じましたが。これは、以前勤めていたある専門学校の経験から感じていたことです。そこもとても細かな評価システムを持っていました。ただ、学生も講師もそのシステムのグラフを右肩上がりにすることに神経質になり、就職の時期になると講師と学生の間に、常に見えない内申書が浮かんでいるような。そんな学校でした。

 2)もうひとつの質問は、私が東京工科専門学校に非常勤講師として応募の意思がある場合、どのような方法があるんでしょうか? ホームページは拝見しました。建築インテリア関係は募集されておられないようでしたが。現在とても興味をもっております。

 以上、少し長々と書きすぎました。お許しください。これを期に、私自身の15年間の自己点検・評価を行ってみようと思います。
                                                                
 ご返事いただければ幸いです。
 
 すばらしい講義、本当にありがとうございました。

 ※大阪市天王寺区在住 Mより。


●質問にお答えします(芦田)

 早速のご感想ありがとうございます。

 質問の1)は大変重要な質問だと思います。あなたの教育への本格的な取り組みを感じさせる質問です。従って、私もうまくこたえられるか不安ですか、あなたの情熱に負けずに答えたいと思います。あなたの質問と不安は以下のセンテンスに集約されています。

★「ただ、最近の学生は克服していくことはとても苦手なのですが、与えられた仕組みをこなすことにとても長けているように思います。出席・課題提出・期末試験等、とてもうまくこなす学生が多くいるように感じます」。

 この問題は、私たちの90分毎の「授業シート」(90分授業の内容の10ポイントをA4シートにまとめたもの)を導入する際にも議論されてきましたし、今でも納得しない教員がたくさんいます。授業シートシステムは、学生への過剰なサービスではないのかと。もっと自立的、自主的にものを考える学生を作る必要がある、というように。

 しかし、これは、与える=受動的、という不毛な形式論にすぎません。自主的に考えるように与えればいいのですから、それは与え方の問題であって、与えることそのものの問題にあるわけではないからです。私は、「授業シート」は教員の努力のミニマムだと思っています。いずれにしても、教員が精一杯努力することなしには、学生が自主的に考えるようにはなりません。

 そして教員が努力することとは、教材(=考える機会)を「与える」ことでしかありえません。自主的か、受動的かは、「与える」ことそのものの問題ではなく、やはり与え方の問題なのです。最近は、初期の頃よりもかなり考えさせる「授業シート」や授業カルテ(小テスト)が増えてきました。与え方が、変化してきたわけです。要するに自主的に考えさせる、というのはそれ自体放任を意味しはしない。あなたの言う「出席・課題提出・期末試験等、とてもうまくこなす学生」に(これでもかこれでもかと)うまくこなさせないような仕掛けを何重にも組み込むことが教材を「与える」ことの究極の目標なのです。


★「卒業後点数で評価されない社会ではなかなか続かずに転職を繰り返す学生がよく見られます。それは、日々の細かな数字の積み重ねの影に、大きな目で評価することを講師がおろそかにしているからではないかと思います」。

 この問題は、逆のような気がします(おっしゃる気持ちはよくわかりますし、そういった良心的な意見が多いというのもよくわかりますが)。つまり、学校が「科目」単位の“小さな”目や形式的な「数字」「点数」で甘く、そのために、実「社会」での「大きな目」からは、その卒業生が「評価」されない、という意見に対しては、私は、むしろ、学校こそが、点数の付かないところに点数をつけて、実社会では、見落とされたり、直接的な顧客要求や経験からは外れていく分野までをも段階的に覆い尽くすことをすべきだと思っています。人が考えるほど実社会は、厳しくない、と私は逆に考えます。

 作り手が不満であっても、顧客が満足を得る場合はいくらでもあります。特に建築の場合はよくある話です。だから、そんな満足に満足する学生を作ってもしようがありません。学校が教育でなすことは、現実の社会以上に厳しい基準を設け、そこで純粋に知的に(つまりは、もっとも顧客要求の水準の高い=現実には存在しない顧客を頭の中で想定して)人材水準を設定することです。その表現がカリキュラム(分節的なヒエラルキー)だと思います。

「点数で評価されない社会」というのは、あなたにとっては、「社会」より甘い学校の反対徴表でしょうが、その意味では、「社会」ほどいいかげんなものはないといっても良い。だましだまし仕事をしている人はいくらでも現実にいます。それが〈現実〉というものです。だからこそ、学校こそが厳しくなくてはならないのです。学校の方が遙かに妥協のない勉強をしてきた、と卒業生に思ってもらいたい、それが私の究極の野望です。


★「これは、以前勤めていたある専門学校の経験から感じていたことです。そこもとても細かな評価システムを持っていました。ただ、学生も講師もそのシステムのグラフを右肩上がりにすることに神経質になり、就職の時期になると講師と学生の間に、常に見えない内申書が浮かんでいるような」。

 これも重要な問題です。あなたのご指摘の通り、「右肩上がり」の形式主義を防ぐためにこそ、毎日のコマに定位するという方法をとっています。〈全体〉は抽象態ですが、今日の、この授業はどうだったのかという具体的な自己反省へ学校全体が集中していくことこそが、その種の抽象的で形式的な議論(つじつま合わせの「内申書」作成)を避けることができると思っています。

 私の実感では、一コマ90分の授業時間は、“作業”に追われている教員にとってはあっという間の短い時間のように思えますが、授業の諸課題や評価に関しては、充分長い時間であって、ほとんどの問題点が実際の授業の10分や20分のなかに顕在しています。

 逆に言えば、それほどにも学校ということころは、誰も実際の授業を見ようとしなかったのです。私の学校にも、こういったシステムを“管理主義”と呼んで批判する者がたくさんいます。その人に限って、実際の授業を見たことのない人、見ても授業評価のできない人です。だから、数値が一人歩きする(ように見える)。実際の授業を見ることなしには、どんな柔軟なシステムも管理主義(形式主義)になります。

 だから、私はいつも定性的な授業評価を重ねて走らせています(たとえば、http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=197)。あるいは、この「校長の仕事」のように明文化しなくても、毎日のように科長や教員を捕まえて、これでいいのか、と意見を聞いたり、交わしたりしています。

 かといって、このような定性評価だけでは、独断主義になります。定性評価のできない数値主義を管理主義、数値評価のない定性評価を独断主義というのです。どちらにも欠けているのが、授業で何が起こっているのかに対する関心と教育的な洞察です。それが「見えない内申書」の実体です。

 (したがって、あなたの第二の質問の答えも明白です)もしそういったわれわれの教育改革に賛同して頂けるのなら、いくらでもあなたを受け入れる余地があります。いつでも学校へお越し下さい。お待ちしております。でも大阪からどうやって通われるのでしょうか。それだけが気がかりです。


273 大阪講演の質問(返信)と私からの返信 by 芦田宏直
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