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271 3/7(日)
23:43:13
 経済産業省との対話(1)  ― コミュニケーション論の出所  メール転送 芦田宏直  4203 

 
 土曜日の大阪講演(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=270)は、結局4時間も連続で話してしまい。ひんしゅくをかってしまったが、それなりの成果はあった。自宅に帰ってきたのは23:00をすぎていた。今日は家内を昼過ぎに病院に送ってきたが(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=269.124.55)、この週はだから家内との時間はほとんどとれなかった。後で聴くと、家内の食べたものは、土曜のお昼は、息子太郎の作る冷凍チャーハン、夜はボンカレーだったらしい。もう少しまともなものを作れないのかな。

 大阪講演も忙しかったが、先週の木曜日(3月4日)は、経済産業省の官僚たち5人(審議官・調査官・課長補佐から2年目の新人まで)に取り囲まれて(場所は秘密)、大学、専門学校の人材育成政策を経産省としてどう支援していくか、の大議論をやってきた。

 「大」議論というのは、席に座ったとたん議論が始まり、食事をするひまもないくらいに議論が続き、誰からも御勺をされず(もちろん私はいつものようにウーロン茶だが)、「どうぞ食べてください」とも言われない。別に食べる気もなかったが、それくらいに矢継ぎ早に意見をいい、矢継ぎ早に質問と意見が飛び交う。まるで昔懐かしい大学のサークルかゼミのような感じだった。

 例の「産業界から見た大学の人材育成評価に関する調査研究」委員会(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=212)のメンバーの一人として呼び出され、ゲストが私一人だったために食事どころか、息つくひまさえない。それが、19:00〜22:30くらいまで、3時間30分続いたのだから、やはり「大」議論だったのだろう。とにかくこの人たちは、意見をよく言う。いつまでも学生のようによく意見を言う。頭の訓練をするのには丁度いい。

 私の考えでは、〈官僚〉というのは、“大学教授”の上司(マネージャー)だ。もともと国立大学というのは、官僚の直接的な下部組織といってもよい。その意味では竹中(竹中平蔵)なんて、財務省や金融庁の官僚からすれば、サイテーの大臣にすぎない。一方〈政治家〉は、民衆のマネージャーだ。〈国会〉というのはそのマネージャー同士の戦いの場なのである。〈官僚〉と〈政治家〉は単なる上下の関係にはない。

 まず席についたとたん、「調査官」のOさんから(親しくお話をさせていただいたので固有名詞はさすがにすべて控えておきます)、「今日の話は『芦田の毎日』になんかに書かないでくださいよ」と念を押されてしまった。

 あら、読まれている、こりゃまずいと思ったら、もう一人が「そう言えば、息子さん早稲田政経合格おめでとうございます」とのこと。そんな”世間話”を官僚から聞くとは思わなかったから、逆に気が緩んでしまった。それより、「芦田の毎日」が読まれていることの方が驚きだった。「調査」が行き届いているというべきか。

 「審議官」「課長補佐」さんなどが、20分くらい遅れて参加されたが、真っ先に「われわれは専門学校に大変期待しているけれども、何か情報はないか」というものだった。「いや大学もだめなのと同じように専門学校にも人材もお金もない。大学と同じようにほとんど絶望的な気がする」とまず切り出す。

 「何が問題だと思いますか」(Aさん)。

 「たとえば、今回の委員会の議論で言えば、『コミュニケーション能力』『課題発見能力』待望論などが前面化しがちで、企業ヒアリングをしてもほとんど同じ結論になる。仮にこの結論を100歩譲って正しいとしましょう。

 そうなると、それらの“能力”から専門学校生は一番遠いところにいる。足りないと言われているにせよ、大学生の方がはるかに、『コミュニケーション能力』『課題発見能力』を持っています。なぜかわかりますか。

 大学生は学校も行かずに遊んでいますが、アルバイトをしたり、合コンをやって女の子を口説いたりして、人間関係を日常的に学んでいるからです。

 女の子を口説くことなんて、最高の“コミュニケーション”レッスンです。相手のまなざし、振る舞いから、言葉の一つ一つ、そのはしばしにいたるまで全神経を集中して自分の行動を決めていきます。

 また自分の国語力のなさをわすれるほどに、名文を書く事に集中します。そのために古典的名著を読みもする。これに勝る『自己表現技法』授業はありません。成果(評価)も偏差値以上に明確です。”(彼女が)落ちる”と合格、デートに現れなければ、不合格です。

 アルバイト先では、店長や新人アルバイトとの会話を通じて、職場の人間関係を学び、顧客重視については、酔っ払いを相手にすることによって極限の顧客重視を学びます。これにまさる“職業教育”はないのです。

 それに比べ、専門学校の学生は、朝から夕方まで学校で“勉強”しています。合コンする暇もアルバイトする暇も大学生に比べれば、はるかに“足りません”。職業教育の専門学校は、実は高校の授業の延長で、教室教育を行っています。悪く言えば、教室(学校)に閉じこもっているわけです。実習中心の専門学校と言っても教室の中、学校の中に囲われた実習にすぎません。アルバイトや合コンの“実践”性に負けているわけです。

 だからその意味で言えば、専門学校生よりも大学生の方が実は先に社会に出ているのです。

 大学の中でも地方の大学(名門国立大学も含めて)もまた専門学校と同じくらい“まじめ”な学生が多く、大概の調査結果でも企業の中に入ってからの“成長”が、都市の大学出身者(ほとんどは東京の大学)に比べて劣っています。“合コン”や“アルバイト”が田舎では盛り上がらないからです(単調だからです)。

 都市の大学であっても工学部出身者などは専門学校にかなり近づきます。工学部の学生も忙しくて、“合コン”や“アルバイト”をあまりやらない。やっても家庭教師止まり。これでは実践的なコミュニケーション能力は高まりません。都市の文系の出身者が、リーダーシップを持ったマネージメント能力に長けているのは、彼らが“合コン”や“アルバイト”の達人だったからです。したがって、残りの大学出身者(地方の国立大学+全国の工学部)は、専門学校の出身者と同じくらいに『コミュニケーション能力』『課題発見能力』の不足した人材なのです。

 したがって、現状で『コミュニケーション能力』『課題発見能力』の育成をポスト中等教育に望むというのなら、東京以外に学校を作るなということです。あるいは東京であっても山手線の外に大学を作るなということです。郊外に移転して教育力の上がった大学なんて皆無です。〈都市〉はそれ自体が教育なのだから」。

 「なるほどなるほど。でもそういった『コミュニケーション能力』『課題発見能力』を合コンやアルバイトなしにカリキュラム化することはできないのですか」(一同)

 「できるわけないでしょ。そもそも話のうまい“教授”というの自体がセクハラ教授の別名。“教授”というのは、〈論文〉がコミュニケーションの根幹のツールであって、それ以外には、コミュニケーション能力を高める契機はない。大学生は授業をつうじてではなく、論文を通じて教授とコミュニケーションを取るのであって、授業は大学教授にとって、論文の発表場所でしかありませんし、実際そうであるべきです(実際にはそうではありませんが)。通常求められる『コミュニケーション』能力という点で言えば、だからもっともコミュニケーションのヘタな人たちが、“教授”という人たちなのです。そもそも口のうまい教授なんて最初からあやしいじゃないですか。関西弁でしゃべる教授でさえ怪しく思えるわけですから、コミュニケーションは“教授”の本領ではないのです」。(この段階で20:00をすぎた頃だから、まだまだ続く)


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