[一覧へ戻る

 番号 日付  題名 投稿者 返信元  読出数
23 7/22(月)
10:47:05
 補論:〈作品〉主義評価の問題点について  メール転送 芦田宏直  No.20  2173 

 
 実習履修(=作品評価)における〈指導〉と〈評価〉とをどう分離するか?

 その問題は、たとえばこういうことである。指導教員が実習での課題作成の途上で或るアドバイス(あるいは評価項目に従って或るチェック)をした。それを聞いた学生は「なるほど」と肯き、その箇所を修正した(つまり先生の言うとおりにした)。ここで教育的には難しい問題が生じる。この学生は本当にそのアドバイスを“理解”したのだろうか?

 この場合、その“指導”に沿って作られた〈課題物〉の〈存在〉は、その“理解”の証拠にはならないだろう。“理解”の如何は〈物〉の〈存在〉に解消されて見えなくなっているからである。実習プロセスにおける教員指導の小刻みな介入の延長上の課題〈物〉評価は、したがってその学生の実力(=自立的な実力)を評価したことには(必ずしも)ならない。偶然の(曖昧な)要素が多すぎるのである。〈知識〉の評価と〈実習〉の評価との違いがそこにある。

 なぜ、従来の課題物評価は、(とりあえずは)提出さえすれば、なんとか合格点(60点)を得ていたのか? 答は簡単だ。先生の指導上の課題物・作品である限り、それを落第にすることは、先生の指導を自己否定することと同じことになるからでる。極端な言い方をすれば、「先生の言ったとおりにしたのになぜ落第なの?」ということになりかねないからである。

 なるほど、〈作る〉ことにつながらない実習評価は意味がない。しかし“指導”によって作られた〈物〉を履修評価対象とするには先の問題が残る。重要なことは、〈物〉を作ることによって何を〈理解〉したか、ということ、その〈理解〉が〈物〉を作ることにどのように影響しているか、ということである。そういったトータルな実習プロセスを評価する方法が考えられなくてはならない。

 従来、なぜ、こういった実習評価の問題が〈問題〉として前面化しなかったのか(あるいは夏期研修のいまだに前面化しないのか)? 

 たぶん、建築系の職人的な徒弟教育が、〈指導〉と〈評価〉とを混在化させてきたからである。徒弟教育の第一の特徴は、親方の指導の元に一緒に物作りに励むという点で、すべては文字通り“共同作品”だということである。ここでは、〈指導〉と〈評価〉とは同じことになる。第二に、一度親方の門下に入り込むと〈生活〉と〈教育〉と〈仕事〉が一体化する、という点で〈指導〉と〈評価〉は、また一体化しているということ。いわば〈そこ〉は〈人生〉そのものだ。自立的な能力など〈そこ〉では問われる必要などない。〈個人〉が〈そこ〉にはいない。つまり〈学校〉が〈社会〉に送り出す卒業生としての〈学生〉という概念は〈そこ〉には馴染まないのである。

 こういった建築系の特徴は、町の設計事務所はもちろんのこと、大学(大学院)の(“物”作りの)研究室でも事情はそれほど変わらない。

 建築系の“教員”が、建築史や美術史系の一部の教員(つまり“物”作りをしない分野の教員)をのぞいて、
 
 @教材を作らないまま(ありきたりの“教科書”で)授業を行ったり、

 A時間割構成にルーズであったり、

 B授業時間中ときとして教室にいなかったりさえするのは、

 先の二つの特徴に見られる徒弟教育に自らが馴染んできたからである。

 なぜそうなるのか?
 @教材軽視の理由:教材を作るくらいなら、目的(まさにオブジェクト)そのものに向かった方がいい。〈制作物〉を作るということこそが生きた教材のあり方だ、という認識。

 A時間割(あるいはカリキュラム)軽視の理由:〈制作物〉作りの時間性は決して等質的ではなく ― つまり、ときには停滞し、ときには加速化しというように、そしてときにはコンセプトメーキングのような抽象的な作業から、ときには手仕事に従事するといった具体的な行動であったり、と ― 、均質な時間割や均質な授業時間の中で構成されるものではないという認識。

 B教場(=授業運営)軽視の理由:努力と情熱のすべては、〈制作物〉としての〈作品〉に集約されているのであって、作品作成のプロセスは、二次的なプロセスにすぎない。したがって、或る場所で或る時間を費やしたり、費やしたというということは、ほとんど意味をなさない。現存する〈作品〉から見れば、それらはすべて終わったことにすぎないという認識。

 今更言うまでもないが、これらの三認識は学校教育の立場からは間違っていると言わざるを得ない。われわれ学校担当者は、〈作品〉を送り出すのではなくて、〈能力〉、つまり〈学生〉を送り出すのである ― この微細にして決定的な差異が〈指導〉と〈評価〉とを峻別しなければならないという〈学校〉課題の根拠である。 (1999・7/26:教員夏期研修会レポートの一部を抜粋)


20 東京工科専門学校の教育改革(4) メール転送 芦田宏直 ↑この記事を引用して返信を書く
    ┣ 23 補論:〈作品〉主義評価の問題点について by 芦田宏直


 [一覧へ戻る]

23番まで読んだとして記録しました。[新着]モードで未読を表示します。