番号 | 日付 | 題名 | 投稿者 | 返信元 | 読出数 |
1014 | 2/11(金) 23:56:00 |
返信: 車椅子文化の手作り ― 格好いいレガシーって何だ? | 芦田宏直 | No.1013 | 4996 |
要するに、車椅子は車椅子。格好いいも悪いもない。ちょうど単なるワゴン車にすぎないのに、「俺の車はレガシー(http://www.subaru.co.jp/legacy/index.html)」とか言って威張ってもしようがない。 家内は、あまり車椅子に関心がない。わかる気がする。こんなものをうれしそうに選ぶ方がおかしい。それは自動車を買うのとはわけが違う。 だから、格好のいい車椅子を選ぶというのは、もっと動機が不純。むしろそれは「不自由である」ことのコンプレックスを裏返しに強化するだけのことなのだ。 その意味では、車椅子は格好悪い方がいいのかもしれない。裸の王様が「はだかだよ」と言われるように、レガシーはワゴンだよ、と言われるように、車椅子もあんなものには乗りたくないね、と言われるべきだ。格好いいレガシーや格好いい車椅子というのは、自分自身をごまかす方便にすぎない。 格好いいレガシーに乗りたいのなら、スポーツカーを買えばいい。スポーツカーじゃ機能的ではない、と言うのなら、「格好いい」ということをわざわざ言う資格はない。格好いい車椅子に乗りたいのなら歩けるようになればいい。一番格好のいい車椅子は健脚だ。それだけのことだ。 だから家内も車椅子の営業マンのセールストークを好きになれない。「使いやすいですよ」、「便利ですよ」、「快適ですよ」。どれをとっても、変な言葉だ。「車椅子が使いやすい」ってどういうことだ? 「車椅子が便利ですよ」ってどういうことだ? 「車椅子が快適ですよ」ってどういうことだ? 勧められれば勧められるほど引いてしまう。私は車椅子選びを結構楽しんでいたが、家内は今ひとつ盛り上がらない。 車椅子を買うというのは、自動車ディーラーに日曜日幸せな人たちや家族が集う、というのとはわけが違う。自動車セールスマンの唯一の特権は、“不幸な人”は車は買わないということだ。“不幸な人”が車を買ったり、選んだりはしない。 だから、自動車セールスマンのように(歓談しながら)車椅子営業マンは、車椅子を売ったりしてはいけない。黙っていいものを売る、これが車椅子営業マンの仁義というものだ。「手作りですから」などと言って、障害者を騙し続けている営業マンなんて、耳の遠い元気なおばあちゃん(健全な弱者)を騙すオレオレ詐欺の連中よりもはるかにたちの悪い営業だ。 |
○ 1013 車椅子文化の手作り 芦田宏直 → ↑この記事を引用して返信を書く ┣ 1014 返信: 車椅子文化の手作り ― 格好いいレガシーって何だ? by 芦田宏直 ┣ 1015 返信: 車椅子は、〈外出〉のツールではない。 芦田宏直 |
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