番号 | 日付 | 題名 | 投稿者 | 返信数 | 読出数 |
101 | 2/9(日) 22:14:32 |
新中学生の進路に悩む親たちへ | 芦田宏直 | 3 | 4220 |
昨日は、住宅の現地説明会(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=100)の後、知人の娘が名門私立中学校(中高一貫教育の女子中学)の入学試験に合格したというので、そのお祝いのための食事会に招待した。烏山の『広味坊』(http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/Kanto/Tokyo/guide/0301/P018331.html)。ここは『料理の鉄人』にも出た有名な店だが、今では「ビーフチャーシュー麺」しかうまいものはない。 私は、中学校で私立に入学させるのは反対だ。まして幼稚園や小学校で私立学校に入れさせるのにはもっと反対だ。私の考えでは、日本の中学生までは、どんなに“不良”であってもたかが知れている。小さいときから、色々な人間がいることを体験させておいた方がいい。悪いこともいいことも含めて、それを概念としてではなく、人間の多様として体験しておいた方がいい。中学までは家庭がしっかりしていれば、不良になっても、勉強ができなくても取り戻せる。単に取り戻せるだけではなく、積極的に(自発的に)経験させた方がいい。中学までは自分の子供の、友達との付き合い方に直接的に親が介入してはいけない。すべては、大人になるための(自発的な、その意味では不可避な)子供の学ぶ過程だ。ここを親が勝手に隔離してしまうと、大人になっても隔離した環境でしか仕事ができない、子供のような大人にしかならない。小学校や中学校から私立学校に通っていた社会人で、まともな仕事のできる〈大人〉に、私は出会ったことがない。この人たちは、概念でしか、多様な人間を語れない。だから仕事の幅や深さにも限界がある。小さな時から、人間との付き合い方が或る階級の内部でしか動いてこなかったからだ。 しかし中学校までは、本当の階級は存在していない。それが、日本の階級のあり方だ。日本の公立中学校には、まだなおトップの階級からそうでない階級まで多くの豊富な体験のできる家族が反映している。ここを通過するかどうかは、子供が成長する過程では大きなポイントだ。 大人になると「社会人」とは言っても、実は非常に小さなサークルの中で動くにすぎない。それは中小企業や大企業という差異にとどまらず、業種や部署の違いによる差異も含めて、出会う人間も起こる出来事も、小さな、同種の経験の繰り返しにすぎないことも多い。「国際的」ビジネスマンで、世界を飛び回るビジネスマンであっても、それもまたそういった小さな経験にすぎない。時間自体を倍にでもできない限り、この種の世界はひろげることができない。「社会人」は、その意味では非社会的(階級的)なのである。 だからこそ、子供時代は大切だ。子供の時代にこそ、人の人生の何倍もの時間を累積させた〈社会〉や〈世界〉(つまり〈歴史〉)は存在している。このときにしか(いい意味でも悪い意味でも)出会えない人間たちがいる。そういった出会いや経験の資産が、社会人になったときに、その小さな〈世界〉を〈変える〉力に結びついていく。会社の組織論や常識を疑う力をはぐくむ。公立中学校の本来の社会性は、革命的なものなのである。 私立中学を出た人たちは、新しいことを言ってもしても少しも新しくはない。概念でしか〈新しい〉ものや〈他者〉がわからないからである。少数の(小種類の)人間の行動しか〈知らない〉からだ。 その意味で、中学校から、ことさらに私立学校に、ましてや女子中学校に入れる意味はない。むしろ害悪だと思う。人間は放っておいても階級的だ。社会人はもっと階級的だ。そんな事実を前にして、ことさらに中学生時代を階級的にする必要はない。そんな子供たちは、自分の階級さえ守れないかも知れない。子育てはもっとドラマティックだし、人間の人生もさらにもっとドラマティックだ。 そんなことを熱っぽく語ったものだから、お祝いの会ではなくなったような気がして、恐縮、恐縮。でも、まだ入学する必要はありませんよ、Hさん。入学金くらい、自分の娘の人生全体を考えれば、大したことはありません。 |
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