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連載:高等教育・職業教育・生涯教育(4)[論文]
(2001-01-27 01:22:52) by 芦田 宏直


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2)東京工科専門学校(※)の試み

2−1)「カリキュラム改革」か、「履修改革」か

20世紀から21世紀の変わり目の中で、教育組織の最大の問題は、少子化問題だった。「教育の危機」「教育改革」自体は年中行事のように叫ばれていたが、少子化問題は教育内容以前に学校の存在意義そのものが問われるという意味で、それらの問題意識をさらに(現実的に)先鋭化させる契機だった。

私の勤務する東京工科専門学校(以後「東京工科」と略す)でも、事情に変わりはなかった。遅きにすぎたとはいえ、98年末にAプロジェクト(学園の中期戦略ためのAdvanced Project の略称)を、学園グループの(若い世代の)諸科長を中心メンバーにすえ、発足させたが、そこで最初に問題になったのが、いったい何から手をつけるべきか(何を改革するのか)であった。

先に触れた教育評価の問題(特には履修評価の問題)は、実はわれわれの最初からの問題意識ではなかった。むしろ教育改革といえば、カリキュラム改革ばかりが従来から(学内外で)目立っていた。生き残りをかけたマーケティング戦略という意味では、わかりやすい“差別化”や“変化”がどうしても前面化する。そうなるとほとんどの学校リーダーたちが意識しがちになるのは、カリキュラム改革(あるいは新科の設立)という局面なのである。そうやって、専門学校をはじめ多くの大学、短大は中身のない新科、新学部を設立し続けてきた。

しかし、その結果が、経済学部を出ても経済のことがわからない、建築科を出ても2級建築士さえ受からないという評価のない教育だったのである。むしろ評価のない、評価のできない教育をすべてカリキュラムの所為にしてそれを隠すための処方箋が“カリキュラム改革(あるいは新科の設立)”という戦略だったとも言える。脚本(=カリキュラム)は何本も用意された。しかし舞台(=出口評価としての履修評価)は穴だらけで誰もまともに演じようとしない、というのが少子化問題以来の教育改革の中身だったのである。

カリキュラム改革か、それとも履修改革か、というのが、したがってわれわれの教育改革の最初の問いだった。どんなに時間がかかっても、そして目立たなくても、教育力そのものの向上につながる履修改革なしには、これからの学校の存在する意義はないというのがわれわれの出発点だった。この後(99年の春以降)、学園の生き残りをかけた中期戦略を担う改革をわれわれは「履修改革」と呼ぶようになった。

※東京工科専門学校(学校法人・小山学園) ●沿革1969年:小山自動車整備専門学校設立(東京中野・東中野)、1980年:世田谷校開設、1987年:国立校(東京テクニカルカレッジ)開設、1995年:品川校開設、1996年:テラハウスICA(Institute for Career Advancement)開設 ●分野:自動車系、情報系、建築系、デジタルデザイン系、バイオ系 ●全学生数:約2500名

2−2)補習、追再試の全面廃止

東京工科では、2000年度以降、まず、慢性化する補習(補講)、追再試という履修判定サブシステムをいっさい廃止する処置をとった。履修判定を曖昧にする退路を断ったわけである。

従来、東京工科では、授業時間内で理解ができず、放課後など任意の時間で任意の学生の理解を補う授業を「補習」と呼び、資格条件などで出席の足りない学生の出席を補う授業を「補講」と言っていた。今、「言っていた」という言い方をしたが、グループ校が4校ある東京工科では、こういった授業をどう呼ぶかの名称は各校、各科、各教務担当者、各教員の間でバラバラで何も決まっていなかった。これは偶然のことなのではない。用語名称が不統一だということは、その用語を使用する組織の中で、その事柄について問題意識がまったくないということと同義であって、組織的な教育改革は、まず自らの使う用語の統一から取りかからねばならなかった。何を「補習」と呼び、何を「補講」と呼ぶかは、改革時にやっと決めたのである。

同じように、「追試」は、落第点を出した学生に対して再度チャンスを与える試験とし、「再試」は、アクシデントで本試験を受講することのできなかった学生に与える試験とした。

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