< ページ移動: 1 2 >
今日の祝日(勤労感謝の日)は、快晴だった。こんな日は、きっと散髪屋は空いているだろうと思って電話をかけたら、やっぱり空いていた。「5分後に行きますから」と“予約”して、いつもの散髪屋さんに行った。
私は東京に出てきて、約30年、6回引っ越しているが、散髪屋は2回しか変えていない。学生時代を含めた前半の10年くらいは、実家の京都に帰ったときにだけなじみの散髪屋に行き(というより、散髪するためにのみ京都に帰っていた)、中盤の10年は家内によるカット、残りの10年が東陽町の散髪屋と今の世田谷・粕谷の散髪屋さんだ。
散髪というのは、今時珍しく身体を介在させる作業であって、私はまず女性にカットしてもらうのが耐えられない。指先の感触が“愛撫”の連続のように感じるからだ。どんな“おばさん”にカットしてもらってもそうだ。今日(こんにち)の仕事や生活において、代理の効かない行動は、たぶん散髪という行為であって、第二に通勤という行為だ。満員電車の中では、いやおうなく、人間である自分が身体を有しているという“自覚”をせざるを得ないし、散髪は合法的に自らの身体に他人を介在させざるを得ない。第三には“病気”(診療と治療)があるが、これは健康である限りは日常的ではない。
仕事なんてものは、自分がいなくてもいつでも代わりがきくと思っておいた方がよい。これは、自分と同等かそれ以上に能力のある人間が職場にいるという意味ではなく、経営の本質は、自分が退いたときでも、組織が同じように(あるいはそれ以上に)回転する状態を作り出すことにあるからである。「こんな会社なんて俺がいなくなったら、直ちにつぶれるんだから」なんてほえている限りは、その管理職は無能な社員である。むしろ、経営(=管理職)の本質は代理にある。だけども、散髪だけは管理職であろうがなかろうが自分で行くしかない。秘書に任せるわけには行かない。会社を休むことはあっても散髪に行くことは休めない。
私は、この代理の効かない“散髪”という行為がいやでいやでしようがなかった。こんなに近くに人が寄ってきて好きなだけ髪の毛をさわり、切るなんて、恋人であっても、家内であってもここまでは近づいたり、さわったりはしないだろう。なんと“エッチ”な行為なのだろう。
だから、散髪屋を何度も変えるなんて、それは恋人を取り替えるのと同じくらいスリルがありすぎて、とんでもないことなのだ。散髪屋を平気で変える人間は、自らの身体を上手に受け入れることができていない。
私の行く世田谷粕谷の散髪屋は、60代のご夫婦が営んでおられる。どこから見ても普通のご夫婦だが、お子さんがおられない。普通どころか、最初の頃は、奥さんは無粋だし、ご主人のぎょろっとした目が怖くて、「この夫婦、何が楽しみで生きているのだろう」といつも思っていた。
たしか、7,8年前、ご主人が胆石か何かで入院されて、1,2ヶ月お店を不在にされたとき、「主人を看病に行っても、店を閉めるな、帰れ、と言うんですよ」と話しかけられ、なんで? と聞いたら、「だって、お客さんが他の店に行っちゃうと困るじゃないですか」とさりげなく答えられたのが印象に残っている。なるほど、なじみの散髪屋が店を休んでも、髪の毛は伸びるのだから、いくらなじみであっても“我慢”できることではない。他の店に行かざるを得ない。散髪屋というのはうまい下手というよりは、“なじみ”かどうかが決め手なのだから、店を不在にするというのは致命的なことなのだ。というか散髪を機能だけで選べる人は(うまいか下手かだけで店を転々とすることのできる人は)、自分の身体の受け入れ方が間違っている。
そう思うと、「店を閉めるな、帰れ」と言われたご主人のコトバとそれを守って店の開店を死守しようとしたご夫人の緊張感がひしひしと伝わってきた。ご主人不在の入院中ちょうど店を通りかかったときに店じまいのカーテンをとしようとしていたご夫人を見て、“頑張っているな”と思わず応援したくなったものだ(そう思っても毎日髪を切りに行くわけにはいかない。毛が薄くなりはじめている私にはとんでもないことだ)。こんな超平凡な(少なくとも私にはそう見えていた)日常の中にも重い日常があるのだと思ったら、急にこのご夫婦がほほえましく思えてきた。
今日の勤労感謝の日、このご主人からいい話を聞いた。
ここのご主人は青森県出身で、東京に出てきて修行され、粕谷に店を構えたのが昭和30年代。ところが、最初は、東京は修行の場にすぎず、一人前になったときには、青森に帰り、そこで店を構えることになっていた。青森で農業をされていたご主人のお父さんは、それを楽しみに、土地や店の資金を用意して待っていたらしい。たぶんそれがご自身の老後の最大の楽しみだったのだろう(地方出身の私にもよくわかる話だ)。
< ページ移動: 1 2 >