1)大規模修繕は管理組合理事会に任せてはいけない。理事会は、マンション管理の素人集団。たまに、建設会社の社長や一級建築士といった中途半端な専門家がいたら、個人的に理事会中を引き回すからもっと大変。ここに任せたら何をやり始めるかわからない。
何をやっても責任をとらせることはできない。理事会と言っても“ボランティア”だから、責任をとらせることなどできない。“ボランティア”ほど高くつくものはない。はやりのNPOとはそもそもボランティア批判なのである。それに、同じマンションの“近隣”住民だから、間違ったこと、悪いことをやっていても指摘しづらい。そんなこんなが重なって、マンション管理組合の理事会の暴走は止められない。だから理事会にマンション管理の最大の仕事=大規模修繕を任せてはいけない。
2)大規模修繕は、どんなに悪徳の管理会社であっても、管理会社のリードでやらせること。管理会社と管理組合(理事会)は、管理組合が管理会社に管理を「委託」する関係にある。「委託」とは、マンション管理について素人である管理組合がその(一応の)専門家である管理会社にマンション管理を“委ね託す”ということだ。専門性のみならず、その良心も含めて怪しい管理会社もいっぱいあるが、しかし、怪しい理事会よりは遙かにまし。なんといっても、その専門性について経費を払って委託しているわけだから、内実はどうであれ、社会的な責任をとらせる関係にはある。
重要なことは、マンション管理について、絶えずこういった“社会性(外部性)”を介在させることだ。理事会は私的な人間の集まりにすぎない。総会においては、理事会で互選された理事長がほとんどの場合過半数を代表する存在になってしまう。つまり理事会が暴走し始めると組合は全く閉ざされた存在となり、しかもボランティアであるため、社会的な責任をとりうる関係にはならない。そんな中でわずかながらも外部との関係をとりうる存在が管理会社。これは管理会社は暴走しない(いつも正しい)ということではない。専門家ほど人をだます者はいないというのも事実だ。しかし理事会の間違いを是正するよりは、管理会社の間違いを是正する方が、遙かに簡単。専門性について経費を払っていること(業務を委託していること)の意味がそれである。特に理事会によって、私的になりがちな管理問題を、是正していくことになりうるのは、管理会社の管理ノウハウ以外にあり得ない(だから管理会社の選択は決定的。場合によっては管理会社は“私的な”理事会のお目付役でもあり得る)。
特に、大規模修繕のようなコストのかかる、専門知識が必要な事業の場合、理事会主導でことを進めると(そして不本意な結果に終わった場合)、「理事会が決めたことですから」と言って管理会社は自らの責任をとろうとしなくなる。そうなったときに、それでは理事会は“責任”がとれるかというととれるはずがない。“自分たち”で決めたのだから。これを自業自得というのである。
決議権(権限)が強ければ強いほど、その組織は社会化しなければならない。特に管理組合理事会のような民間中の民間の私的な理事会の私的な権限(私的な強権)の場合、管理「委託」という(管理会社との)関係が自業自得的な強権の危険性を回避できる唯一の回路なのである。
3)大規模修繕は、第一に“現状復帰”が大原則。“現状復帰”とは、新築時の仕様の機能や性能、あるいはデザインを再現することである。間違っても、施工業者ベース、理事会ベースでことを進めてはならない。工事業者は施工しやすいもの、利幅のとれるものを選びたがる。理事会は好みが前面化する。いつのまにか大規模修繕の趣旨(=資産保全)がずれてくるというのが大概の大規模修繕。前者は問題が見えやすいが、後者は厄介。ほとんどの組合員は、組合活動に無関心。したがって、現状復帰と異なるような変更が行われても問題はおこらない。たとえば、この玄関表札は汚れやすい、さびやすいから、掃除しやすいものにしようなんて“変更”が理事会で決まったりすることもままある。しかし、手のかかったグレード感のあるものは、ほとんどの場合、掃除が大変だったり、さびが出やすかったりするもの。機能性やメンテナンス性を重視すると、質感が損なわれたり、デザイン性(デザイン的な資産)が損なわれたりする。“現状復帰”という中には、そういったデザイン的な資産の保全も含まれている。それを気に入ってマンションを購入した人もいるからだ。したがって、本来は、資産保全のための管理を怠ったという反省やデザイン性を保持しながらの新たなメンテナンス体制の提案をしなくてはならない。そのことを含めての“現状復帰”なのである。ところが、ここでは、業者も理事会も管理会社も手間がかからないこと(機能性、合理性重視)のほうに傾きがちだ。