ご入学おめでとうございます。
専門学校を選択された皆さんは、卒業後の自分についてのイメージを具体的に持たれていると思いますが、たぶん、その想像が追いつかないくらいに社会は大きく変化しています。
一番、大きな変化は、ここ20年、30年後には、30歳、40歳のサラリーマンの年収が500万円台を超えない時代に突入するだろうということ。もはや共稼ぎなしには日本の家計は担えないだろうということです。
この年代の人たちは「中間管理職」と言われてきた人なのですが、インターネット時代において、この人たちの使命の半分以上がなくなりました。ちょうど皆さんのお父さんの世代の人たちこそが、悪くいえばインターネット時代の犠牲者になっているわけです。
もともと、この人たちは、組織の下部の状況を上部の人に伝え、上部の意向を下部の人たちに伝える役目をしていました。そういう仕方でトップの決断がなされやすい環境を作ってきたわけです。
しかし、今日の会社や会社のトップは、内外に張り巡らされているインターネット・ネットワークによって、直に現場で起こっていることを把握できるようになっています。
「中間管理職」と言われる多くの人たちの仕事は、情報収集と情報提供だったわけです。
インターネット時代は、この「中間管理職」という職域を完全に駆逐しました。
コンビニエンスストアを想像してください。ここでは、何が売れているか、売れなかったのかがバーコードによって、ネットワークを介して社長さんにリアルタイムでわかるようになっています。中間に立つ、伝える人は不要なのです。コンビニは早くから「中間管理職」なしの体制を敷いてきました。社長(社長周辺)とアルバイトがいれば、それで、24時間、全国展開のコンビニを運営できるのです。
それがあらゆる業態にまで拡大しつつあるのが、今日のインターネット・ネットワーク時代です。
コンビニを含めて若い人たちがフリータ化していますが、この現象は、若い人たちに限らず、皆さんのお父さんの世代も含めて、仕事の現場全体がフリータ化していくことを意味しています。お父さんと娘がコンビニで一緒に働くというのもありえないことではないということです。場合によっては、そこにお母さんも登場するわけです。
大失業時代は、今はやりの言葉で言えば、「構造的」なものであって、景気循環の一局面ではないのです。
年代を超えた数多くのフリータ(あるいはNPO)と少数の社長周辺だけが存在する。それが、失業者問題の本質です。つまり失業問題は永遠に解決しないということです。
もう一つは、グローバル化ということです。
インターネット時代は、グローバルな時代だといわれています。
グローバル化というのは、20年前にはやった「国際化」とはことなります。国際化は、まだ国という単位が前提になっていました。国と国との“際”がまだ存在したわけです。
グローバルというのは、国際化と違って、世界全体がマーケットとしても、資源供給、人材供給としても単一化されたということです。
このことの一番の打撃を受けているのが、学歴社会です。
学歴は、日本という固有の基盤の上でこそ可能でした。皆さんは、アメリカ人をみるとき、あるいはアジアの人を見るときに、偏差値や学歴を気にすることがありますか。それよりは、その人が内容として何ができるのかということに注意しようとするでしょう。国籍や民族が違えば、学歴という尺度が、きわめて希薄な尺度であることがわかります。
世界で10番以内くらいの、誰でもが知っている大学ならいざしらず、それ以降の大学は、出ていても、ほとんど意味がありません。「知っている」といっても、お隣の韓国では、「東大」より「早稲田」の方が知られていたりします。何が基準だか、何が評価だかわからないわけです。
もちろん、日本の大学は、東大であっても、世界大では番外であって、アジアのベスト100の大学でさえも日本の大学は多くても20校程度しか入っていません。最近報告された、スイスの調査機関によれば、日本の大学は主要49カ国中、最下位でした。
つまりほとんどの日本の大学生は、その学歴だけでは、このグローバルな人材要求の社会において、役立たずになるということです。
マクドナルドは、世界中の肉の中でそのつど一番安い物を絶えず輸入しようとしています。だから100円でもハンバーグを売ることができます。パソコンの価格競争も世界大の市場からの部品供給でもって成立しています。
これらの世界では、〈ブランド〉(=固定された仕入れ先)は存在していません。絶えず、更新され続ける性能と価格だけが選択の基準なのです。
同じように、人材も世界中の中で一番安い、それでいて一番有能な人間を集めようとしはじめます。
大学を出ているから給料が高い、という時代は終わったのです。皆さんのライバルは、塾に通う友達ではなくて、世界なのです。
先ほどお話しした中間管理職がいなくなったというのも、世界中から人材を集めることができるため、長い時間を使って、社員を教育する必要がなくなってきたということでもあります。