モバイル『芦田の毎日』

mobile ver1.0

八王子・大学セミナーハウスの青春[私の恩師]
(2003-04-20 23:14:34) by 芦田 宏直


< ページ移動: 1 2 3 >

金曜日(4月18日)は、家内を病院に見舞った後(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=145.124.11)、八王子にある大学セミナーハウス(http://www.seminarhouse.or.jp/)に行って来た。東京工科専門学校のFMC(フレッシュマンキャンプ)が今年は「大学セミナーハウス」で行われたからだ(昨年は代々木にあるオリンピック記念青少年センターだった)。毎年、新入生を対象に1泊二日の研修を行う。名実共にこのフレッシュマン研修で新入生はわが学園の学生になる。

このセミナーハウスには、おおよそ25年ぶりになる。感慨深い。早稲田の大学院修士時代 川原栄峰ゼミ(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3aefc10412c880103cc4?aid=&kywd=%C0%EE%B8%B6%B1%C9%CA%F6&ti=&ol=&au=&pb=&pby=&pbrg=2&isbn=&age=&idx=2&gu=&st=&srch=1&s1=za&dp=)の『存在と時間』(Sein und Zeit) 講読(もちろん原典講読)研修がここであったとき以来である。私の20代から30代前半はハイデガーばかりを読んでいたから、このゼミには並々ならぬ印象があった。おまけに川原ゼミは、当時の早稲田の哲学科の教授たちすべてから完全に孤立していたから(早稲田の哲学科はサルトルの松浪信三郎(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3aefc10412c880103cc4?kywd=%BE%BE%CF%B2%BF%AE%BB%B0%CF%BA&search=%B8%A1%BA%F7&aid=&gu=&srch=1&st=&dp=10&s1=za)、ヘーゲルの樫山欽四郎(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3aefc10412c880103cc4?aid=&kywd=%B3%DF%BB%B3%B6%D6%BB%CD%CF%BA&ti=&ol=&au=&pb=&pby=&pbrg=2&isbn=&age=&idx=2&gu=&st=&srch=1&s1=za&dp=)亡き後、誰も哲学している人がいない)、それがまた私には面白かった。私はもっと孤立していたが。

私にとっての大学院時代というのは、一年かけても数ページ、数十ページしか進まない原典講読の面白さだった。中には、2、3行しかない一段落を進むのに1年かかった講読の授業もあった(今は亡き高橋允昭(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3aefc10412c880103cc4?kywd=%B9%E2%B6%B6%B0%F4%BE%BC&aid=&gu=&srch=1&st=&dp=10&s1=za)のデリダ(http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&q=%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80)講読の授業)。

ゆっくりと読む、ということは大切なことだ。あるいは、日本語的に言えば、助詞の使い方の一つ一つに思想の決定的な要素を読みとる訓練は、私にとっては、この時代においてのことだ。

でも、そのことと自分が今後どんなふうに生きていくのかということとは全くつながっていなかった(「校長先生」の今でさえそうだ)。別に大学教授になりたいわけでもなく、かといってサラリーマンになって仕事をしたいわけではなく、そもそも大学院に進学したのも、いい年をして本を読むことについて、言い訳なしに過ごせる環境が欲しかっただけのことだ。

当時、私には、自分の将来のイメージが全くなかった。専門学校の校長になって、この大学セミナーハウスを再度訪れるなんて、神様さえも予想してはいなかっただろう。今、専門学校の校長という職にあって、若い学生たちの進路をヘルプするのが私の役目だが、「進路」なんて、誰がわかるというのだろうか。私にとって、進路とは、進路を考えなくても済む専門性や自立性を身につけることでしかない。

< ページ移動: 1 2 3 >


コメント(1)
TOPへ戻る