モバイル『芦田の毎日』

mobile ver1.0

社会人教育と高等教育(1)
(2002-10-03 13:33:32) by 芦田 宏直


< ページ移動: 1 2 3 4 >

リクルートの『カレッジマネジメント』(大学・短大・専修学校経営者向けの雑誌です)から連載原稿を頼まれました。以下はその一回目の原稿です。

社会人教育から高等教育改革へ ― なぜ社会人教育は停滞するのか(1)

●社会人教育の教育的停滞 ― 高等教育はなぜ社会人教育に取り組めないのか

大学や専門学校で、社会人教育が進まない理由ははっきりしている。それは講座や授業の目標・評価の体制、要するに講座管理や授業管理の体制が整っていないため、〈外部〉の受講者が複雑な仕方で出入りする社会人講座を展開することなどできないということである。

たとえば「シラバス」通りの授業をやれている授業がどれくらいあるのか、「シラバス」通りやれていると言えるためのどういった講座管理の体制がとられているのか、このことだけでも学校関係者からは明解な答えは出てこない。せいぜい学生や受講生の“授業アンケート”どまりにすぎない。そして学生授業アンケートは、結局のところ学生批判に終わり、授業改善には繋がらない。

特には90年代初頭から始まった大学の自己点検・自己評価もここにだけは手を付けてこなかった。というか、まさに授業評価だけは教員の「自己」点検・「自己」評価にとどまっていた。個人的な評価ということである。もちろん自己点検・自己評価と個人評価とは似て非なるものだ。個人評価は無評価にすぎない。〈授業評価〉は、いわば学校の“伏魔殿”だったし、いまでもそうである。

社会人教育は社会人大学院のようなものでないかぎり、講座を単独で“買う”形を取るため講座のパンフレットとも言える「シラバス」通りの授業ができないと〈商品〉として“売る”ことができない。また講座の期間も大学のように通年タイプや前期・後期タイプのものは少なく、単独の講座としては一ヶ月でも長いくらい。期間が短いため、消化のちょっとした遅れを挽回する機会が少なく、内容のスケジュール化も厳密なもの(時間単位のシラバス)が求められることになる。

しかし「シラバス」通りの授業というのは、一朝一夕にはできない。これは、「シラバス」通りの授業が皆無だということではなくて、何をもって「シラバス」通りの授業ということが言えるのかの評価指標が皆無だということである。事実上、それは個々の教員任せになっている。評価の定まった講師や人寄せ的な“人気”講師であれば、“自己評価”も許されるのかもしれないが、そういった教員はほんの一握りの教員にすぎないのだから、個々の教員任せという事態は、評価がないことと同じである。特に大学や専門学校という高等教育機関の授業評価は、その専門性も相対的に高く、“他者”が入り込みづらいという面もあって、評価指標の形成をより困難なものにしている。

●高等教育自身の教育的要因

講座管理、あるいは授業評価が進まなかった要因は、他にもいくつもある。

大学の場合には、

1)講座(科目)と講座(科目)との関係がそれほど緊密ではないために、講座(科目)の教育目標達成について、特にその講座の“外部”から大きな注文や不満が寄せられることがないということ。その意味では大学には〈カリキュラム〉 ― 4年間の全体で仕上げる人材目標からするカリキュラム(科目の前後関係についての思想) ― というものが実質的には存在しないということ。4年間の中で大学の気風に染まるという意味での“深化”はあるかもしれないが、一部の語学教育以外には、1、2、3、4年とリニアに専門性が深化していくというふうには実質化していない(特に文系ではそうだ)。あるとしたらゼミなどの授業形態による深化であって、それはカリキュラム成果ではない。たぶん、今の大学の4年間の全体は、1年間の周到に準備されたカリキュラムの存在で充分代替できるだろう。

2)もちろん講座に対して何らかの批判や注文が寄せられる場合はあるが、あっても最後には学生の「基礎学力」低下といった抽象的な問題などにすり替えられ、その学生に赤点を付けること(=学生批判)によって、解決を見ることがほとんどだったこと。つまり講座批判は学生批判にすり替わってしまう傾向にあったこと。

3)そういった無責任な学生評価であっても選択科目の多さや時間割がそれほどタイトではないという科目履修上の柔軟さが、学生不満を深刻化させない役割を果たしたこと。落第しても他の科目でなんとか代替できるという時間割上の“余裕”が科目履修評価の杜撰さを隠し続けているのである。

4)結局、専門性、あるいは講座の過度な自立性という壁が講座(科目)評価をカリキュラムからさえも不可能にしてしまっており、時間割や履修上のルーズさがそれを放置する体制になっていたということである。

専門学校の場合には

< ページ移動: 1 2 3 4 >


コメント投稿
次の記事へ >
< 前の記事へ
TOPへ戻る