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幕張新都市は息苦しい。[社会・思想]
(2002-09-21 14:51:30) by 芦田 宏直


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 昨日は,午後から仕事で幕張メッセに行って来た。「東京ゲームショー」だ。東京工科専門学校グループには、ゲームCG科、ゲームプログラミング科、3Dデザイン科、WEBデザイン科、インターネットプログラミング科といったゲーム関連の人材を育成する科がいくつもある。東京工科専門学校(東京テクニカルカレッジ)もショーブースを出していた。その関連でのショー“視察”といったところ。

 金曜日は、関係者だけの日だったので、主力のお客様達は、この連休での参加になっている。金曜日でもしかし傾向はある程度見えた。やはりCGやゲームが好きな人たちといった顔とそういったものには内容的に関心がまったくなくただ巨大がお金が動くビジネスを意識したただのビジネスマンたちの風貌、この二極に大きく別れる。このショーの独自の盛り上がり方のように見えたし、それが異様な“分裂”を形成していた。

 いつものように、お恥ずかしながら初めての幕張メッセ。駐車場が気になっていたが、やはり専用の駐車場はダメだった。何人ものお兄さん達がクルマを誘導し、「前のクルマに続いてその右側においてください」とマイクで言い続けている。私は、会場から一番遠い誰も置かないところ(左右にクルマのないところ)に置くつもりだったので、困った。「指定されたところにしか置けないの?」と聞いたが、時間の無駄。「こりゃダメだ」と思って、「出ます」と告げて、逃走。幕張メッセ周辺を10分くらい走った。ちょうどメッセの隣にニューオータニがあったので、そこに止めた。

 この10分は、私には勉強になった。幕張の都市計画はサイテーだということ。こんな街には住みたくない。一つ一つの建物が大きいため歩く距離がおおきい。しかも区画全体が一つの建物のためのものになっているくらいに大きいので、“隣”といってもかなりの距離になる。というよりこの街には“隣”というのものが存在していない。歩くといっても本当に歩く動作のためのものでしかない。要するに目的(の建物)に向かって、歩かされているという感じでしかない。これは苦痛そのものだ。

 丸の内のビル街のような人工的なところでも、一つの区画には、多くの店舗が入って、色々な目的を持っている人が歩いていて、たとえ目的を持った“通過”であっても、目が、足が多くの寄り道への誘惑の中で動いている。こういった〈誘惑〉が幕張にはない。また一見人工的な丸の内であっても店舗(の倒産)や看板の変化による風景の変貌が見えるが、幕張の風景にそういった変化を見出すのは至難の業だ。せいぜい空き地だったところにまた一区画全体を占有して超大規模マンションが立つという変化でしかない。都市の経済活動を感じさせる〈変化〉(微細な変化)が幕張にはない。

 そういった〈誘惑〉や〈変化〉のない歩行ほど、くだらないものはない。幕張新都心を歩く人はすべて等速で歩いている。こんなことは、新宿や渋谷はもちろんのこと、丸の内でもあり得ない。幕張では、2、300メートルも歩けば、窒息しそうになる。

 私は、凡百の都市論者のように人工都市を嫌っているのではない。この幕張設計でいえば、歩くことを拒否している都市であるのだから、人を歩かせてはいけないということである。すべてを動く歩道にするくらいの根性がなければ、この都市計画は、中途半端な人工都市でしかないということだ。幕張市議会(あるいは千葉県議会)には、どうせかなりの都市計画税(都市ビル業者、ホテル業者、マンション業者などの開発計画に伴う経費)が入っているのだろうから、その1割を使うだけでもすべての歩道を人工化(動く歩道)できるはず。そこまでやらなければ、この都市が新都心として完成することはない。いまのままだと、出来損ないの都市、出来損ないの人工都市でしかない。

 この窒息感は、帰りの湾岸高速でもそうだった。帰りはかなり混んでいて、ほとんど動かない。高速沿いに走る一般道も同じような渋滞で動かない。湾岸沿いで、中途半端な人工都市が続くため、逃げ道がなかったり、迂回したり、寄り道したりする用途が生じない。だから一般道であっても渋滞する。湾岸高速道にも、一般道にも共通することは、それゆえトラックが多いということ。この車種の特徴は、寄り道をしないということ。ただ移動のためだけの車両だということだ。トラック車両がわれわれの“マイカー”を圧迫するのは、ただ車両が大きいということのためだけではない。むしろ、それが移動のためにのみ走っているということだ。それが風景を均質化し、ドライブを台無しにしているのである。要するに幕張新都心が人工都市として成功する要件は、都心へのアクセスをも高速アクセス(渋滞なしのアクセス)にしなければ完成しないということだ(動く歩道と同じように超高速道路なしには幕張は死滅する)。現に、バブルの崩壊で、かつての新幕張の地価と都心の地価とはほとんど同じになっているのだから。歴史的にも(かつての)“新都心”という構想は崩壊しているのである。

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