中之条までは暮坂峠(http://www.fsinet.or.jp/~minoue/tohge2/kuresaka/kuresaka.htm)が長く、退屈なドライブだった。ここには若山牧水の銅像と詩碑があるがそれ以外には面白いものがない。それにしても「暮坂峠」。いい名前だ。日が暮れてしまうほどに時間がかかる長くつらい峠だということだろう。一度走るとそれがよくわかる。名前も忘れない。ここを越えないと中之条方面からは草津温泉へいけないのだから、草津温泉というのはとてつもなく辺境の地にある、と再認識させられた。牧水の詩碑には「枯野の旅」(http://www.aozora.gr.jp/cards/wakayama/htmlfiles/karenonotabi.html)が刻まれていて、その中には「上野(かみつけ)の草津の湯より 澤渡(さわたり)の湯に越ゆる路 名も寂し暮坂峠」とある。
中之条に近づいてからは、小渕事務所に連絡を取って秘書さんに中之条を案内してもらった。まず行ったのは林昌寺(http://www.nakanojo.com/bunka/machi/rin.html)。小渕さんのお墓がある。境内にある墓団の先頭に新たなスペースを割いて、立派な、厚さ30センチ近くの一枚ものの石板を何枚も重ねたお墓があった。ここは、しだれ桜の名所らしい。ここから歩いて数分のところに最近建立された小渕総理の銅像がある(http://www.ksky.ne.jp/~kksunaga/zouenbu/obuchi-douzou.htm)(http://www9.plala.or.jp/v6781kazu/sanada/nakanjyo.html)。「ツインプラザ」という町の文化センターのようなところに銅像は建っていた。彼の左手をつかんで記念写真を取るための高台まで用意されている。銘辞には「天の時、地の利、人の和」とある。待つことをよしとした小渕さんらしい銘辞だ。彼が死んだのは自民党が公明党と組んだことが原因だ。小沢一郎(自由党)が去っていったのも、それが一番大きな原因だった。自民党も、公明党と組むくらいなら民主党と組んだ方が遙かに良かったのに、バカなことをしたものだ。
そうこう思いながら、おそばのおいしい「たけやま館」(http://www.town.nakanojo.gunma.jp/take.html)に連れて行ってもらった。そば屋にしては建物が立派で、そばはそばでそばらしい味がしていた。東京の細工だらけのそばを食べている人にはものたりないだろうが、そばはもともとこんなものといった味だった。ここには日本画家の平松礼二(http://www.gallery-shiraishi.co.jp/hiramatu/)の絵の展示場まである(なかなか面白い色を出せる画家だ)。そば屋にしては建物の構えといい、平松の絵といい、様子がおかしいと思っていたら、何と町営のそば屋だった。公務員が作ったそばなんて、社会主義国の新聞を読むようなものだと食べてから思ったが、もう遅い。ここの町長は、小渕総理のお兄様(http://www.town.nakanojo.gunma.jp/aisatu.html)らしい、ということもそのとき知った。
「たけやま館」をあとにして、次は「薬王園」(http://www.wind.co.jp/yakuouen/)を案内してもらった。ここは、アロマテラピーなどの「ハーブ館」があったり、健康食品などの“グッズ”がそろっている。ちょっとした健康診断ができる園内の「薬王館」に入ったが、そこで眼科検診をしたら、最近の眼科検診は両目を同時に検診できることにまず驚いた。しかし結果にショック。右が0.5 左が1.5。左右の差が大きすぎる。どおりで右の肩がよくこる。最近、小さい字が近くで読めないし、夜は自動車のライトが滲んで見える(なさけない)。遠視か近視かわからない状態。眼でショックだったから、体脂肪率なんてぜったいにはからないようにしようと、さっさと出てしまった。「薬王館」を出たら、健康食品の館があって、目にいい小粒で野生種の「ブルーべリー」が安い。眼科検診があって、まるではかったようにブルーベリーが置いてあるのがにくい。大きな袋いっぱいに入って5000円で手に入れた。一日5粒食べても3ヶ月はもつ。東京なら1万円はするだろう。
ここで、すでに4時をすぎていた。このままでは、練馬インター出口の渋滞にぶちあたる。いそがないと、と思って、「もうそろそろ」と秘書さんに告げたら、「お送りしましょう」といって、「月夜野インター」まで先導して頂いた。「月夜野インター」の方が途中の道がすいていて早いらしい。名所名所で写真も撮って頂いて親切な秘書さんだった。感謝しています。