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『ゆきてかへらぬ』(2025)を観た。監督 根岸吉太郎、脚本 田中陽造。
中原中也と長谷川泰子と小林秀雄が踊るさまだけでもみていてどきどきする。
中原中也の木戸大聖は全然ありだが、小林秀雄の岡田将生はちょっと違うと思う(ただし、煙草の吸い方は似ていた)。広瀬すずは熱演していたが、さすがに長谷川泰子を演じるのは無理。
しかし、小林秀雄に向かって「私の背中曲がっていない? …支え棒なしに歩いているから、かな」と、中原中也の焼却場の煙を背にして語る、広瀬すずのセリフはぞっとするほどの迫力だった。
小林秀雄もこんな女を前にすれば奈良(志賀直哉のところ)へ逃げるだろう。『本居宣長』を書けたのは長谷川泰子のおかげかも。
この作品は、小林秀雄の長谷川泰子への愛は、中原中也の長谷川泰子への愛なしには成り立たなかったという描き方をしているが、そんなに間違ってないと思う。吉本隆明は、この小林秀雄の態度を断罪しようとしていたが、それは勘違いか、単に吉本が小林秀雄を嫌いなだけなことかと。
太宰も吉本も、小林秀雄に相手にしてほしくてしてほしくて、最後まで相手にしてもらえなかった恨みがあるような。小林秀雄は、最後まで、二人に対して?高踏派?にとどまった。
中原中也の女、長谷川泰子を奪った小林秀雄は、ノイローゼに陥った長谷川泰子との関係を維持できなくなって、奈良(志賀直哉邸)に「身をひそめた」※が、以下の中原中也論を書いたときには、すでに二人は長谷川泰子とは距離を取っていた。※「身をひそめた」(『人間の建設』岡潔と、小林との対談)
江藤淳は、「Xへの手紙」以後の、小林の成熟は、女のところから逃げていった男の「孤独な成熟」(『小林秀雄の眼』)にならざるを得なかったと言っている。
が、中也は長谷川泰子と別れた1925年以降もずっと彼女を思いつづけ、8年経った代表作「汚れちまった悲しみに」(『山羊の歌』)でも、深い傷を残している。『時こそ今は…』は、別れて5年目の作品。その中では「いかに泰子」と名前まで。
たしか、中原中也は長谷川泰子の三つ年下、長谷川泰子は小林秀雄の二つ年下だったかな。これもまた微妙な年齢同士の三人。
ついでに言うと、この小林秀雄の詩論の論調であれば、彼が太宰治や吉本隆明の作品を評価しないのは、明らかで、小林秀雄からすれば、この二人(太宰と吉本と)の作品は?わざとらしい?のだ。
「幼児を思い出さない詩人というものはいないもです、一人もいないのです。そうしないと詩的言語が成立しない」(『人間の建設』)と言う小林にとって、中也は幼児そのものだった。
吉本隆明は、小林秀雄の大著『本居宣長』を「戦後精神の全否定だ」とどこかで言っていたが、(小林からすれば)ひねて大人びてしまった吉本と小林とはかみ合わない。
小林秀雄は、どこまでも〈感情〉の人だった。小林は、中原中也に、感情の自然と美とを見たのだった。
私なら、中原中也のことは、こう言う。見える自然が、感情に見える詩人だと。
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●小林秀雄の中也論
彼の詩は見事である、というよりも彼の詩心は見事である。
現代のように言葉が混乱した時に時代の感覚から逃亡せずに純粋な詩心を失わぬという事は至難な事だ。
中原はそれをやっている詩人だ、努めてやっているというより、そうしなければ生きて行けない様に生れついたのでそうやっている。稀有な光景だと思っている。
(…)
僕の眼にふれた限り、新しい詩人の書くものには歌というもの、本来の歌の面日というものが非常に薄弱になっている。
歌っているのじゃない、書いているのだ。
描写しているのだ。
心を微妙に心理的に描写する、物を感覚的に絵画的に描写する、そういう描写が微妙になると一見歌の様に見える。又書いている当人も歌っている様な気持ちになる。そういう傾向が可成りあるのではないかと思う。
現代の日本の詩が西欧の近代詩なしには考えられないものである以上、西欧の近代詩人等がやって来た、心理像と抒情精神との残酷な精妙な戦を思い、僕は、今日の新しい詩人達の問題は自分の歌の息吹きが、今日どういう具合にどういう程度に傷ついているかを鋭敏に自省するところにある様に思う。
そういう自省がなければ百千の技法論は空しいのではあるまいか。
ともあれ中原の詩は傷ついた抒情精神というものを大胆率直に歌っているという点で稀有なものである。
汚れちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
中原の詩はいつでもこういう場所から歌われている。彼はどこにも逃げない、理智にも、心理にも、感覚にも。
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