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新郎:ウェルカムスピーチ
本日は、私たち2人のためにお集まりいただき、ありがとうございます。先ほど無事挙式を執り行い、夫婦としての歩みを始めることができました。
今日に向けて、今ここにいらっしゃる全ての皆様が楽しんでいただけるような披露宴にすべく二人で何度も話し合い準備してきました。久しぶりに台本も本気で書きました。
テレ朝の同期と後輩にゴールデン並みの労力でロケと編集もしてもらいました。
皆様の存在なくして、私たち二人は今、ここにはいません。そんな感謝の気持ちを詰め込みましたので、楽しんで頂けると幸いです。
新郎:謝辞
本日は、私たち2人のためにお集まりいただき、ありがとうございました。
改めてこの披露宴を通して、父母のもとに生まれたこと、ここにいる皆様と出会えたこと、そして彼女に出会えたことに幸せを感じています。
私は人生において、大切にしていることがあります。それは、この会場の「ジャスミン」テーブルに座っている世田谷区立千歳中学校で出会った林、岸野カエに30手前のころ、飲みの席で言われた言葉です。
彼女は「太郎の一番いい所教えてあげる」といいました。「それはね、私みたいな馬鹿にも先生にも先輩にも頭いいやつにも、変な奴にも、誰にでも平等なところだよ。態度を変えない。そういう人ってほとんどいないんだよ、だから信用できる。」と。
自分が今まで特に意識せずとも、そう生きてきたことを、彼女が言語化してくれた感じがしました。
でもなぜそうなれたのか? 自分なりに考えてみると、これはやはり、隣にいる父と母の影響だと思います。父は哲学者です。
「お父さんは何の仕事してるの?」「哲学者です。」これ、37年間外さない鉄板の返しです。父から得たものは多く、父も誰に対しても父でした。
私が小学校低学年の時、父の自転車に二人乗りして本屋に向かう途中、警察官に止められ、注意を受けました。すると親父は、「違反したのは謝るけど、あなたいくつですか?」と聞き、その警察官は年下でした。なんで警察官はため口で話しかけていいんだ?失礼だと思わないか?と問い詰めて黙らせていました。
これを無理やりいいように解釈すると、警察だろうと何だろうと一人の人であると。
職業バイアス、学歴バイアス、家柄バイアスなんであろうと関係ないと。世間や人や、たとえ先生でも当たり前だということを、当たり前だと思うな。疑え、自分の頭で考えろ。
四六時中、1行も意味が分からない哲学書と格闘してる父に直接そう言われたことは一度もありませんが、そういった物事に対する客観的視座、みたいなものは自然と身について、人と接するときも偏見なく、フラットに対峙することができる人間になっていけたのかなと思います。
そして、そんなどう考えても普通ではない、奇人ともいえる哲学者と中学時代から交際し続ける母。実は芦田家一番の変わり者だと私は思ってます。
母は、この世間からはだいぶズレたラディカルな親父の言動をいつも笑っていました。「もう〜お父さんったら〜」笑い事じゃねぇよってことも全て。これをキャパあると言わずしてなんていうんでしょうか。
私が出会った人類の中で、最もキャパあるのが母です。でもさすがに肉体は悲鳴を上げたのか、私が高校生のある日、家に帰ったら難病が発症してしまい、突然歩けなくなっていました。
それでも母は、普遍不動な父の生きざまに、今でもおそらく二人が中学生のころと変わらない笑顔で「もう〜」と笑ってます。そんな常に哲学する男と、世界一キャパのある二人に囲まれて育って、人に対して差別する人間に育つわけがありません。そんな特殊かつ唯一無二の教育法で、私を育ててくれてありがとうございました。本当に感謝しています。
そして、なつこさん。
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