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あけましておめでとうございます ― 往き道と帰り道の年頃[日常]
(2017-01-01 10:57:51) by 芦田 宏直


一昨年の引っ越し=全額住宅ローンのマンション購入の大事(還暦越えの二〇年ローンの大事)に次いで、昨年はもっと印象に残る大事が年末に起こりました。

現在刊行されつつある吉本隆明全集(晶文社刊全38巻)第3巻「月報」の原稿依頼があったのです(発刊日は昨年の12月30日)。※http://www.yoshimototakaaki.com/

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全集「月報」というのは、図書館の本ではもはや消えてしまう全集のチラシのようなものですが、そこに記事を執筆できるのは、著者の薫陶を公私ともに受けた人たち。

一冊の、大部の吉本論を上梓するよりも(少なくとも)私にとっては光栄なことでした。

何よりも、高校時代ふと手にした『芸術的抵抗と挫折』『言語にとって美とはなにか』以来、今日に至るまで私の読書・研究体験の核を形成していたのが吉本隆明の諸著作でした。

20代から40代に渡る、高橋允昭のデリダ研究、川原栄峰のハイデガー研究に集中した時でさえ、吉本の諸著作が私の手許を離れることはなかった。

名前が並ぶのが恥ずかしいくらいの月報執筆者たち(高橋源一郎、磯崎新、鹿島茂、北川太一、岡井隆、加藤典洋、蓮實重彦、吉増剛造など)ですが、それでも恥を忍んで執筆依頼を受けたのは、これらの人たちにも負けないくらいに、私も吉本から大きな影響を受けていると思ったからです。

たぶん、この執筆は私の最初の、遅ればせながらの恩返しになりそうです。

毎年、恩返しすべき人が増えていく年齢になりましたが、「恩返し」というのは自分で評価できないもの。ほとんどの恩返しは迷惑なものだから。

そういうことを教えてくれたのも吉本でした。往き道はなりふり構わず、還り道は全てに配慮して、と(※)。評価が手を離れるものに、思いをめぐらせることも、大切な仕事になってきた私の年代の今日この頃です。

※「…親鸞は『人間には往(い)きと還(かえ)りがある』と言っています。『往き』の時には、道ばたに病気や貧乏で困っている人がいても、自分のなすべきことをするために歩みを進めればいい。しかしそれを終えて帰ってくる『還り』には、どんな種類の問題でも、すべてを包括して処理して生きるべきだと。悪でも何でも、全部含めて救済するために頑張るんだと」(2011年03月20日の吉本の発言)

平成29年 元旦

<画像:年賀状簡略版.jpg>


私の月報の一部(タイトルは「転向について」)
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