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「マージナル大学に対して遠くとも確固たる目標をつきつける芦田氏の論考」― 『努力する人間になってはいけない ― 学校と仕事と社会の新人論』書評[新刊『努力する人間になってはいけない』]
(2013-10-01 08:58:31) by 芦田 宏直


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 芦田宏直氏の論考がついに書籍になった。様々な理由から私は芦田先生のブログや講演の書籍を待ち望んでいた。著者の論考は、大雑把に言うと、「学生に向けられた言葉」「大学関係者に向けられた言葉」「社会人全体に向けられた言葉」「機能主義批判」の4つに分けられる。本書はそれらをすべて盛り込んだ内容になっている。哲学的な難解な文体が後半になればなるほど濃厚になってくるが、その合間合間にも、哲学の門外漢にとってもはっとさせられる箇所がたくさんある。特に、学生や大学関係者、そして職場で若い人を育てる立場にある人達に読んでもらいたい。特に、「大学全入時代の学生を人材として育てる(17頁)」という困難な課題に立ち向かおうとしている大学教員にとっては、必読である。

 私は2008年から20012年までとある大学で法学部長を務めたことがある。2010年だっただろうか、当時の私が調子よく学生に体験学習を行うことの大切さについてツイートしていたところ、何の前触れもなく「突如として」本書の著者である芦田氏のリツートが飛び込んできた。

「こんな教員が増えているから大学がだめになっている」

 この言葉は私にとってかなりショックだった。思わず、「変ないちゃもんをつけるおっさんが現れた」とブロックした。しかしどうも気になる。本人のプロフィールを見ると、専門分野はドイツ哲学・現代思想だという。ああ、昔ながらの頭の硬い変人なのかとおもったが、どうも気になり、芦田氏のブログを読みだした。

 しばらく読んでいくと、この人は単なるいちゃもんをつけている人ではないことに気づいた。哲学→専門学校の校長先生→大学教授→大学の副学長&様々な専門学校の理事、という不思議な経歴と、硬軟取り混ぜたブログの記事、そしてツイッターの乱暴な語り口が相まって、すぐには芦田氏の人となりを理解しづらいのだが、よくよく読んでいくと、現在の大学の状況と課題をあらゆる面から鋭くついている。たとえば、本書の第七章に収録されている「<シラバス>はなぜ機能しないのかーー大綱化運動の経緯と顛末」はその一つである。私は、現在の大学が置かれた状況を説明し、問題をえぐり出すものとして、これほど説得的な論考は他に見当たらないと思った。八〇年代後半の中曽根臨教審路線とともに浮上した個性教育・自主性教育路線と、少子化による大学全入の動き、そして「特色化」による大学の教育力の低下、ハイパー・メリトクラシー教育の前面化等々が相まって、現在の大学の深刻な状況が生まれていることを見事に説明していた。

 こうして、私は芦田氏のブロックを解除しただけでなく、芦田氏の発言を注意深く追うことにした。他方、芦田氏は私に目をつけたのか(笑)、私の発言に対して、たびたび鋭いリツートを送ってくれるようになった。その中で、大学の教育目標は学生の現状を追認した「とりあえず」なものであってはならないこと、偏差値の低い大学ほど教育力の高さでもって学生の「階層移動」を実現させなければいけないこと、知識を積み上げるためのカリキュラムとそれを実現するためのコマシラバスおよび授業ごとの丹念な形成的評価が必要であること等々、私自身が「組織的な」教育改革を行ううえで、まさに必要としていた考え方を丁寧に教えていただいたのだ。

 著者は、大学とは「一生続けていける知識や技術の深みに出会えるところ(122頁)」であり、「若い奴らの自尊心を破壊するところ(真の専門性の気高さを感じさせるところ)(123頁)」であるべきだという。「どんな大学であっても」教員の専門性こそが学生を救うことになるというわけだ。これらの考え方は、第七章の「学校教育の意味とはなにか」に収録されている。(マージナル大学やFランク大学を含めた)大学の社会的意義をここまで純粋で本質的な考え方をもとに議論している人は少ない。「<学校教育>の<教員>とは、その意味で社会的な<親>である(212頁)」という一見、大学教員に対する挑発的な言葉も、我々は「第二の親」として学生を引き受けるべきだという、(多くの教員が忘れかけている)学校本来の役割を改めて問うているのだ。はたして、我々の卒業生は、卒業後、我々の大学を「母校」と呼んでくれるだろうか。それは我々の教育内容とその成果にかかっている。

 その後、私自身、著者の考え方に影響を受けつつ、学部教育改革、特に専門課程の教育改革を進めた。それは2014年度から導入される新カリキュラムにつながった。新カリキュラムでは、専門科目を半減し、自由履修をなるべく少くして、否応なしに専門科目を段階的に学ぶしかないカリキュラム、すなわち「積み上げ型カリキュラム」に近づいた。また、初年次の専門導入科目(入門科目)は単位数を半期で4単位とし、インプットに加えて知識の理解・定着を十分にとるための時間数を確保した。要するに、入学時の偏差値を乗り越え、卒業時には上位の大学を上回る学力を持たせられる教育の仕組みを目指したのである。

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