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学校教育における〈試験(学期末試験)〉の意味について[これからの専門学校]
(2012-09-16 02:05:38) by 芦田 宏直


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この夏休み期間中に、特には8月中にやったFD研修の中で、特に、学校教育における試験の意味について質問や議論があったところを、Q&Aふうにまとめてみました。ご参考になればどうぞ。

【質問1】教えるべき内容の本質は変わらないとして、シラバスの完成度を上げ、教育力を上げて、試験を行えば、結果は100点に近づいてくるのではないでしょうか? もちろん、1点刻みなど、より細やかな評価をしなければならないとは思いますが。

それは違います。みんなが100点取る授業ができるようになったとしたら(それはそれ自体いいことではありますが)、次にやることは、以下の二つ。


1)時間の短縮(授業時間の技術密度の向上)という課題

同じ教育目標・学習目標をさらに短い時間でやるにはどうしたらいいのかを考えること。従来までは1年かかっていたものを半期でできないのか、半期とまでは言わないにしても30%くらい短い時間でやることはできないかを考えること。これを繰り返し続けることがカリキュラム開発です。

たとえ、(たとえば)資格教育であっても、認定校規制上の科目名はそのままであっても、シラバス・コマシラバス(=授業内容)は毎年更新して授業時間の知識密度・技術密度の絶えざる向上を図る必要があります。

そのことによって、空き始める時間こそが、あらたな高度課題の(他校ではできない)シラバス展開につながっていく。この毎年の(あるいは期単位の)更新こそが、資格スクールや職業〈訓練校〉のカリキュラムと、専門学校教育、大学教育との違いです。


2)目標の高度化という課題

みんなが100点取れるようになったのなら、もっと難しい目標を設定することができるのだから、120点の要求、150点の要求を考え、その高水準の要求を100点満点に換算した授業計画を立てることを(次年度からは)考えることが重要。

最初の内は、この高水準の目標においては、全員100点は取れずそれなりの点数分布を示すはず。たとえば全員100点のクラスで、120点の要求を反映した試験問題をまともに作れば60点〜100点の間で分布するはずです。つまり全員100点状態というのは、学生がさらなる高度な課題に取り組める状態になっているということのサインにすぎない。終わりではない。

上記 1)も2)も、高等教育としての高度教育にかかわる組織なら当たり前のこと。中等教育までの教科書教育、生涯学習的な(消費主義的な)資格教育、訓練校的なルーティン実習、ルーティン講義、これらを常に脱皮する志向をもつことが高等教育の課題。具体的には、?の授業時間の質を上げるという意味での時間短縮、?の各科目の試験水準を年々上げ続けていけるような教員の自己研鑽、この二つが重要。


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