以下の30講は、昨晩22:47:20から深夜の00:03:12まで約1時間20分にわたって(twitter上に)連続ツイートした内容です(http://ow.ly/2RGK2)。ひょんなことから、女性論の話になり、ちょっと本格的に、女性という性はどんな性なのか、男性とどこが違うのかを論じてみたくなりました。もちろん突然の主題でしたので、充分な準備をしていません(私の議論はほとんどフロイト論です)。しかも書き殴り(笑)。言い過ぎているところは読者の知性で修正しながら読んでみて下さい。※なお、この記事は最初にツイートした文言を、わかりやすさを配慮してかなり修正しています。
【女性について(1)】〈女性〉とは、最初に愛し愛された人間が〈同性〉である者のことを言う。反対に〈男性〉とは、最初に愛し愛された人間が〈異性〉であるもののことを言う。
【女性について(2)】この場合、〈同性〉も〈異性〉も、大概は、〈母親(女性)〉のことを指している。従って、男性は思春期の異性イメージの原型を〈母親〉再生するだけでよい。が、女性は、そう単純にいかない。最初に愛し・愛された者が「同性である」女性だからだ。
【女性について(3)】しかし、これは“定義”にはならない。というのも、同性か異性かがわかっているのであれば、最初から、女性とは、男性とは、と問い返す必要などないだろうから。同性である、異性である、というのは、まだこれからその性が何であるかの問いの答えを先取しているわけだ。だから、これは性器的な差異などを先取しながら形成される構造的な規制、あるいはクリプキ的な共同体の規制と考えるしかない。つまり同性/異性という概念、あるいは男/女という概念は、論理的にではなく、つねにすでにア・プリオリだということだ。経験的・学習的に作られると言っても、作る・作られる作為が、個人的な作為にとどまるものではない以上(個人的に作為しても、対他的には単に〈異常〉と思われるだけ)、同性/異性、男/女という対はいつも循環的な“定義”に陥らざるを得ない。ここでの同性、異性は、対他・対自的にそう思われている〈同性〉、〈異性〉という概念にすぎない。「すぎない」というのは、経験的には乗り越え不能な無力という意味で。
【女性について(4)】さて、その女性は〈同性である母親〉から〈異性である父親〉への移行を通じてしか異性原型が出来ない。同性への愛は基本的には(=対他、対自的には)禁じられているからだ。
【女性について(5)】女性にはもう一つの移行がある。それはクリトリスからヴァギナへの移行。乳幼児期に、女性もまた無意識も含めてクリトリスを刺激してオナニーを行うが、これを思春期に反復する(男子は言うまでもない)。しかし女性の特有性はヴァギナ快感(男性と異なる過剰な性感)。クリトリスからヴァギナへの移行が存在するこの移行性も女性の〈性〉を特長付けている。
【女性について(6)】女性には男性には存在しない過剰な性感が存在している。この意味でも、思春期以降の男性には乳児期の性感の単純で単調な反復しか存在しないが、女性はヴァギナ快感を(ある意味で)一から学ばなくてはならない。乳幼児期にもない経験を新たに経る必要が生じる。
【女性について(7)】このクリトリスからヴァギナへの移行は、基本的に、愛し愛される男性との邂逅以外には達成されることはない。これに失敗するとセックス体験(=挿入体験)は豊富であるにもかかわらず、死ぬまでクリトリス派にとどまる。
【女性について(8)】「処女性」をめぐる諸問題(「最初の男性が大切」などと言われたりする)、は、このクリトリス反復の問題に関わっている。「クリトリスでしか感じない」という問題は、性感について男性の関与を認めないのと同じか、かえって「男性との性交は鬱陶しい」ということになる。つまり男性がペニス快感を女性の身体を道具化する仕方で実現するのと同じようにしか、女〈性〉もまた自らの身体を外面的にしか受容できないのと相似している。つまりその女性は男性的なのだ。
【女性について(9)】女性が、1)母親から父親へ移行すること 2)クリトリスからヴァギナへと快感を並存させつつ移行させること。この二重の移行は男性にはない危うい綱渡りである。というか、移行はいつでも危うい。この危うい移行の〈性〉を〈女性〉と言う。〈男性〉は精神としても肉体(快感)としても単純で安定しており、乳幼児期を反復すれば性的には大人になれる。つまり自分が誰(どんな異性)を愛すべきなのかの〈像(異性像)〉が出来あがっている。
【女性について(10)】〈男性〉が遊ぶ性(遊びうる性)である理由は簡単だ。本命(母親原型)がいつでもあるからである。どんな女性が好きなのかが出来上がっているからだ。だから容易に順番も付けられる。だから遊ぶことが「できる」。が、女性はどこからが遊びか本命かわからない。異性原型が明確ではないからだ。母親(同性)には戻れないからだ。