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『週刊ダイヤモンド』Twitter特集(1月23日号)については、編集部の清水さんがわざわざ取材に来てくれたが、本意が伝わっていないので、補います。
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私の発言は、60頁〜61頁に引用括弧付きで次のように纏められています。
「フォローする人を間違えなければ、検索をかけなくても特定の話題に関するトレンドがはっきりと理解できる。タイムラインの本質はそこにある」。
●第一の間違い。「フォローする人を誰にするかよりは、フォロー数が重要、特に100名以下ではTwitterの面白さはわからない」とは発言したが、「フォローする人を間違えなければ」とは言っていない。
フォロー者が重要というのであれば、たぶんミクシィの「マイミク」設定やRSSの登録をどうするか、というのと同じ悩みをTwitterも持つことになる。結局Twitterは属人的ということになる。
しかし、そういった「選択」や「検索」にそろそろ人々は飽きてきた、あるいは疲れているというのが、Twitter(あるいはTwitter現象)に人々が関心を寄せている大きな理由。
「選択」や「検索」という主題主義的な情報処理、それは諸情報を積分的に丸める、傾向化するということだが、こういった傾向性分析、傾向性的アプローチは、結局のところ、知的で専門的な主体を必要とする。〈検索〉というのは、〈選択〉(例えば「人生の選択」「クルマの選択」「冷蔵庫の選択」といった)が難しいのと同じように、高度に知的な行動なのである。
Twitterにおけるフォロー者は、実はどうでもいい。なぜなら、選んだ途端に、その人は日常的で月並みなことを(をも)言い始めるから。
これはダイヤモンド社編集部の清水さん自身が言っていたこと。「たぶん、自分を選んでくれた人は、私がダイヤモンド社の記者だから、ジャーナルな発言を期待してフォローしてくれたと思うけど、実際Twitterをやり始めたら、全然別のことをつぶやき始めた。たぶん、選んでくれた人は当初の期待からは失望しているかもしれない」なんて清水さんは私に話していた。
「そうなんだよ。それが言いたいの」と、私。twitterのフォロー者設定は、主観的、主体的なように見えて、実は選んだ自分を否定するように働く。ここが積分型の「選択」や2ちゃんのテーマ主義と異なるところ。
これは、典型的なフォロー現象を表現している。なぜそうなるのか。それはTwitterのタイムラインが現在のフローに定位しているからである。現在(瞬間)という時間で人間の心理や行動を切り取れば、傾向性なんて出てこない。
どんなに「賢い」人間も馬鹿なことをつぶやくし、どんなに投げやりで勉強嫌いな人間もまじめになるときもある。だから、フォロー者が誰であるかは、少なくともブログを選別したり、「マイミク」を選別したりするほどの神経を使う必要はない。そもそも有名人、普通の人という「格差」自体を「タイムライン」は解消しようとしているのだから。
私などはフォロワーの多い「有名人」は一切選択していない。「有名人」は「つぶやく」時にも、読者を意識して格好をつけるからだ。格好をつけたら、つまりフォロワーを意識したら「つぶやき」ではない。ふと本音が漏れるのを「つぶやき」というのだから。
その意味でもフォロー者の選択というのは余りこだわる必要のない、Twitterの最大の魅力。この点がTwitterが「新しい」メディアと感じられるゆえん。
重要なのは、フォロー数だ。結局フォロー数が少ないと属人度が増す。だからすぐに飽きてしまう。微分度を高めることがタイムラインが有意義に機能する鍵。初心者はほとんどの場合ここでつまずく。だから、ダイヤモンド誌が啓蒙すべきなのは、フォロー数とはそもそも何なのかということだった。そこがわからないとTwitterはわからない。
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