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【第二版・PDF版】twitterとは何か(中級) ― 「タイムライン」とは何か(twitter=「タイムライン」は何が新しいのか)[IT社会論]
(2009-11-22 03:44:43) by 芦田 宏直


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【タイムライン論(1)】「タイムラインは」、一個の人間を心理主義的に微分している。一人の人間は、「元気な」人間がいたり、「暗い」人間がいたり、「無名の」人間がいたり、「有名な」人間がいたり、「バカな」奴がいたり、「賢い」人がいたりするが、この「分類」は単に解像度の違いに過ぎない。
posted at 00:15:33

【タイムライン論(2)】そういった分類の心理主義的な解像度(punctuation)は、もっと微分すれば、一人の人間の内部にあっても、バカなときもあるし、賢いときもある。明るいときもあるし、暗いときもあるというように解像度を変換できる。
posted at 00:18:24

【タイムライン論(3)】つまり解像度を上げれば上げるほど、人間は平等になる。「有名で」「堅い」ことしか言わない大学教授も、「寒い」と言ったり「おはよう」と言うわけだ。「私と変わらない」。
posted at 00:20:04

【タイムライン論(4)】この解像度の水準を決めているもの。それが「タイムライン」の〈現在〉という時間性。〈現在〉という水準で人間を切り取れば、論文(ストック)を書くこともあるがウンコもする。「私も変わらない」。
posted at 00:23:20

【タイムライン論(5)】「タイムライン」の現在性は、ブログやミクシィのようなストック文章のOUTPUTでない分、「みんな人間」というセンスを前面化する道具立てになっている。
posted at 00:25:15

【タイムライン論(6)】現在における人間の心理主義的な微分が細かくなるとどうなるか。どんな「エライ」人の発言にもレスポンスできる要素が存在し始める。ストック文章では何を書いているのかわからない、感想を書けと言われても近寄りがたい壁があったが、それがなくなる。
posted at 00:28:07

【タイムライン論(7)】微分が細かくなればなるほど、人間の「社会的な」「階級的な」分類、あるいは実体主義的な個人分類を超えて共通の主題が増えてくる。
posted at 00:29:58

【タイムライン論(8)】この「共通」化度=「平等」度を決定している要素は、フォロー数。
posted at 00:31:10

【タイムライン論(9)】フォロー数を増やせば増やすほど、話題の共通性(書き込みと感想の平等性)は拡大する。「タイムライン」の流れの速さ(フォロー数の多さ)は、どこかに自分が関わることのできる話題が存在する可能性と相関している。それは話題の平等化度と呼んでもいい。
posted at 00:33:47

【タイムライン論(10)】「タイムライン」の生成・消滅の速さが、いつまでもどこまでも(レスポンスできる)話題の存在可能性を顕在化させているわけだ。
posted at 00:37:15

【タイムライン論(11)】フォロー数を増やして微分化すればするほど、関心は連続する。つまり情報選択の主体(特には「検索」の主体)はここでは不要になる。
posted at 01:12:32

【タイムライン論(12)】インターネットの膨大な情報は、インテリジェンスな主体(それ自体がストック情報の成果)なしには、利用不可能だった。何を選んだらいいのかわからない。テマティスム(ブログ、2ちゃん)の媒体はそれ自体が「主体性」なしには成立しなかったのである。
posted at 01:20:59

【タイムライン論(13)】その中間体で成立したのが、SNSとRSS。受動的な選択性の段階として、インターネット情報が利用しやすいものになった。言い換えればニュートラルな情報が少しは(個人の手元に)「現前化」したのである。
posted at 01:23:49

【タイムライン論(14)】しかしSNSとRSSには限界がある。どちらも少なくても多くても意味がない。「現前性」と言っても有限だった。
posted at 01:25:39

【タイムライン論(15)】SNSとRSSの数の問題を解いて登場したのがtwitterの「タイムライン」。フォロー数を増やすことが利用するものの現在を一切犯さない。どんなに増やしても全く困らない。「流れる」からだ。

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