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「大学の『教育』か、『研究』かは、博士課程(後期)を持っているかいないかで決まる」 ― 2009年11月10日(火) 93 tweets[Twitter]
(2009-11-14 19:12:00) by 芦田 宏直


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大学が「教育」か、「研究」かという問題は、その大学が博士課程(後期)を持っているかどうかで決まる問題。博士課程もないのに「研究」なんてあり得ない。
posted at 00:39:01

その理由は、自分が面倒を見ている学部学生を、博士課程まで引き上げる(将来の自分の大学での教授候補となる)という可能性なしに「教える」というのは、本来の大学ではないからだ。「研究」の大学というのは、博士課程を持っている大学ということでしかない。
posted at 00:42:41

博士課程(後期)を持っていないということは、その大学の学生は「学士課程」(バチェラーではなくて、ディプロマ)で終えるということなのだから、教育目標は職業人育成という目標でしかない。
posted at 00:45:00

「研究」か、「教育」か、という場合の「教育」とは、博士課程への接続のない教育であって、したがって、その教育は「職業教育」(あるいはキャリア教育)ということになる。
posted at 00:46:37

三流大学か、二流大学か、一流大学かの違いは、したがって、偏差値や教育設備・施設で考えるべきではなく、博士課程(後期)の有無で決まる。つまり自分の大学の教員を自分の大学の学生(卒業生)で構成することができるかどうかだ。
posted at 00:49:02

だから、「教育も研究も」という選択?はあり得ない。それは「教育」をやる気がない大学の逃げ口上。
posted at 00:50:17

というか、ろくに論文業績もない教授たちが、なお、業績の上がらない論文を書き続けたがる大学ファカルティの無能力に過ぎない。
posted at 00:51:27

今こそ、博士課程のない大学の教員は、自分の担当する学生が卒業後、どんな仕事に就くのか、というイメージを取り込んでカリキュラムを作る必要がある。シラバスを全面的に書き換えなければならない。
posted at 00:53:39

昨年12月24日の「学士課程教育の構築に向けて」(文科省答申)で言う「ディプロポリシー」とは、博士課程(後期)を持たない大学へのメッセージと取るべき。
posted at 00:56:02

全入時代の大学とは、博士課程のない大学がたくさん存在するようになるということと同じことを意味するのだから。
posted at 00:57:01

とりあえず、ここまで。疲れた。
posted at 01:01:14

その問題は、博士課程後期修了者を10年間は自前の大学に入れないというルールを作ればいいだけのこと。あるいは博士課程のカリキュラムの中に海外大学への留学を組み込めばいい(修了後の採用条件でもいい)。RT @kitakyudai: 純血思想は「日本」というコップの中で争ってるとしか見
posted at 01:04:13

その通り。RT @Mia_Karlsson: 授業が職業的ではなく教授の研究/関心に沿った内容であり、しかも学生を博士課程まで引き上げることを目標にしていなければ、学生が大学に通う意義がほとんどないように思います。RT @jai_an
posted at 01:04:34

サンキュー。RT @Mia_Karlsson: 大変勉強になります。RT @jai_an: 今こそ、博士課程のない大学の教員は、自分の担当する学生が卒業後、どんな仕事に就くのか、というイメージを取り込んでカリキュラムを作る必要がある。シラバスを全面的に書き換えなけれ

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