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「教員の専門性を尊重しないFDは存在しないし、あってはならない」 ― 2009年11月07日(土) 89 tweets[Twitter]
(2009-11-08 13:18:57) by 芦田 宏直


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「希望格差」(山田昌弘)とか「インセンティブ・ディバイド」(苅谷剛彦)とか言うけれど(それと同類の土井隆義、竹内洋、本田由紀も同じ)、両者とも大きな勘違いをしていると思う。携帯電話、ミクシィ、twitterに走る若者たちは、みんな希望やインセンティブがインフレしているのだ。
posted at 00:17:48

「希望」や「インセンティブ」に「格差」がなくなっているのが、むしろ問題なのだと思う。
posted at 00:18:47

現在の永続的な刺激(ITメディア)の方が、従来の家族や恋人や友人の関係よりも、リアリティがあるように見えてきて、それを社会性と勘違いしている。「(新しい)集合知」とか言いながら。希望はたえず現在に向けて生産されるために、実体としては孤立しているのに、やけに楽観的。希望がインフレ。
posted at 00:25:41

だから、仮にどんなに(外から見て)格差がついても、本人たちは傷ついていない。「やっていける」と思っている。これは啓蒙主義における無知の対象にならない。
posted at 00:28:59

それもこれもtwitter(つぶやき)=現在までもが共有できる(かのような)時代になっているからだ。希望やインセンティブに格差が付いているのではなく、むしろそれらが微分化され蔓延している。
posted at 00:32:11

だから教育としては、自主性の尊重、個性の尊重という80年代後半からの文科省施策(今も続いている)を全否定しなければならない。自主性なんてくそ喰らえ、個性なんてくそ喰らえ、というように。小生意気な自尊心やプライドを決定的に傷つける役目が教育の役目ととりあえず言っておこう(苦笑)。
posted at 00:37:18

「希望」や「インセンティブ」という心理主義的内面が拡大する(インフレする)理由は、近代が「選択性」を増大させるからだ。「選択の自由」は、むしろ「内面」を強化する。科学技術の進展は「選択性の増大」とイコールだから、科学の発展は宗教的なほどに「内面」を強化する。
posted at 00:42:21

山田昌弘や苅谷剛彦の「希望」や「インセンティブ」は、その「内面」の徒花。
posted at 00:43:19

とまあ、ここまで一気につぶやいておこう。疲れた。
posted at 00:43:52

私自身がのめり込んでいますが(苦笑)。RT @NiceUsa: @jai_an なにか私もこころあたりがありますね。Twitterの世界にのめり込むのもよくないです。
posted at 00:45:24

@nmasaki アメリカ型シラバス=学生との契約文書、日本型シラバス=学生サービス型シラバス(双方向型を含)、業務文書型シラバス≡カリキュラム構築型シラバス(私の提案する第三のシラバス)。
posted at 02:11:02

シラバスを授業選択の一助としてしか見られない、という点で、私が双方向型を学生サービス型の一部と考えていることはあなたは理解している。RT @nmasaki: @jai_an ということで、長くなりまして申し訳ありません。。
posted at 04:06:34

そこで、まず、科目選択ということとは何かということ。私は選択科目制カリキュラムに反対しています。選択科目は、カリキュラム目標の放棄だからです。その思想は、目標は学生が決める、という80年代後半からの学生自主性主義の延長にあります。
posted at 04:08:50

しかし、そんなことできますか。何も学んでいない学生に、何を学ぶか決めろ、というほうが無理です。INPUTなしのOUTPUT主義、それが選択科目主義です。

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