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「危篤なう」 ― 2009年11月06日(金) 98 tweets[Twitter]
(2009-11-07 14:07:02) by 芦田 宏直


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今日から毎日、私の当日のtwitter(つぶやき)をこのブログに再録します。まさにこれで本当の『芦田の毎日』です。

●2009年11月06日(金) 98 tweets

twitterのもろもろのつぶやきは、これが現在(の近傍)で発言されたものでない限り意味を持たない程度の中身しかない。現在を外せばどこにでも転がっているような発言にすぎない。それは発言が陳腐だからではなく140文字以内だから。だから質も問われない。平等。時間が意味を形成している。
posted at 00:12:38

時間が意味を形成するのは、いま・ここが実在性の唯一の証だというようなカント主義が前提になっている。カントは単なる〈表象〉が〈認識〉に変換されるためには、時間性が関与しなければならないと言っていた。RT @jai_an: twitterのもろもろのつぶやき
posted at 00:21:29

短文になればなるほど、〈表象〉ではなく、〈身体〉が露呈する。twitterに人々が参画するのは、身体(の覚醒)を再認しているからだ。情報化社会で相対性の極致に追いつめられた人々は、つぶやきの共有を迂回して自分の身体を再認している。したがってそれは共有ではない。並存だ。
posted at 00:27:17

ハイデガーは、現代社会の本質をGestelll(ゲシュテル)と言った。stellen(立てること・表象すること)のGe(組織体)、つまりGe-stelだ。「せき立て」か。現代人は「退屈」(=ラングバイレ=長い時間)に耐えられない。〈現在〉に向かって「せき立て」られている。
posted at 00:33:29

結局「退屈」なのは、自分の「存在」。自分が(無ではなく)在ることに退屈している。〈存在〉からの逃走が「つぶやき」のGe-stelに〈現在〉化する。とすれば、自分の「存在」はtwitterから限りなく遠い。RT @jai_an: ハイデガーは、現代社会の本質を
posted at 00:38:23

この遠さ(Ent-fernung)は一つの「危険」だが、ハイデガーは「危険のあるところ、救うものもまた育つ」とヘルダーリンの詩を引用している。RT @jai_an: 結局「退屈」なのは、自分の「存在」。
posted at 00:50:24

果たしてtwitterの〈現在〉に「救い」はあるのか? RT @jai_an: この遠さ(Ent-fernung)は一つの「危険」だが、ハイデガーは「危険のあるところ、救うものもまた育つ」とヘルダーリンの詩を引用している。RT @jai_an: 結局
posted at 00:51:50

twitter論はあれこれの社会的な問題なのではなく、存在論的なのだ。
posted at 00:53:04

twitterで、@とRTを使うのはどうも邪道のような気もする(苦笑)。
posted at 01:02:08

twitterはアメリカのテレビドラマ『24』に似ている。あのドラマを見た後ではどんな名作映画もかったるい。『24』は、ドラマのtwitter化だからだ。刺激しかない。
posted at 01:04:36

刺激と言っても現在に収斂する刺激。ほとんど無意味という刺激だ。だからいつまで経っても終わらない。今度はその終わらないことに「退屈」し始める。そうすると今度は死を演出するしかない。死がインフレする。
posted at 01:07:21

twitterの行き着くところは、私の死を公共化し、死の直前までtwitterしたいというものだ。はてさて。
posted at 01:08:31

そうそう。たぶんその前に危篤者の心電図のデータベースが存在するようになるでしょう(苦笑)。RT @mayumiura: 危篤なう、って?RT @jai_an: twitterの行き着くところは、私の死を公共化し、死の直前までtwitterしたいというものだ。

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