このレポートは「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」(中教審「キャリア教育・職業教育特別部会」)には何が書かれているのか(何が書かれていないのか)? ― 【その3】(http://www.ashida.info/blog/2009/10/post_380.html#more)に続いています。
97)91年の「大綱化」以降、日本の大学の「教養課程」は解体の危機に瀕してきた。
98)その間の事情を天野郁夫は次のように概略している。
「一般教育課程の設置と、その具体的な内容を定めていたのは、文部省令の『大学設置基準』である。そこには、一般教育の科目として、人文・社会・自然の3系列にわたる教科目、2つ以上の外国語、保健体育科目の開設と、履修の必要な単位数などが定められていた。
(…)設置基準の改正は、一般教育の開設科目数や履修単位数の削減、さらには自然科学系の「基礎科目」の開設など、一般教育を縮小する形で進められていった。
(…)伝統的な専門教育・職業教育重視の大学の中で、一般教育の課程も担当者も、一段低く見られ、予算面の措置も十分でなかった。また、教育よりも研究重視の大学文化の中で、いわば大学の底辺部分に位置付けられていた。学生の間にも、『一般教育』を、『パンキョウ』などと呼び、軽視する傾向が強かった。
設置基準の『大綱化・自由化』といわれた1991年の大学審議会答申『大学教育の改善について』に基づいて設置基準の大改正が実施されると、あっという間に一般教育課程の解体と教養部の消滅、担当教員の専門学部分属が進んだのは、そうした一般教育の現実があったからである」(「教養教育のリメーク」)。