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「特色ある大学教育支援プログラム」から「質の高い大学教育推進プログラム」へ ― 大綱化施策の大きな転換と「学士課程教育の構築に向けて」答申(2008年12月24日)の意味[教育]
(2009-07-10 03:59:43) by 芦田 宏直


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私は、昨年4月の大学設置基準の変更(http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/07091103.htm)は、ここ20年の大学施策の大きな転換だと考えている。

昨年12月24日の中教審答申「学士課程教育の構築に向けて」(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1217067.htm)は、昨年4月の設置基準の改正をフォローする答申だが、その中に印象的なテキストが二つある(※以後この答申を「12月答申」と略す)。

一つは、「多様性と標準性との調和」(5頁)。もう一つは「学際的な教育活動について、関連する学問の知識体系(ディシプリン)に関する基礎教育が必ずしも十分になされていない」(16頁)というものである。

前者は、「市場化の改革手法のみでは、教育の質の向上について十分な成果を期待することはできない。大学の多様化が単なる無秩序に陥り、日本の大学の国際的な信用や信頼性を失墜させるような結果を招来してはならない」(5〜6頁)という解説付きである。

後者で言う「学際的な教育活動」とは、「コミュニケーション能力」「社会人基礎力」「問題発見・解決能力」「人間力」「創造力」などいわゆる〈力〉能力開発にかかわる取組を指している。

「学際的な教育活動」とは、したがって2003年に始まった「特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)」に代表される取組を指している。それらのほとんどは〈力〉能力開発に関わっている。東京大学でさえ昨年の取組(質の高い大学教育推進プログラム)は「討議力」形成のための取組だった。

「多様性」、「個性」、「特長」は、1991年の「大綱化」以来の文科省大学施策のキーワード。それが10年経って「遠山プラン」の「競争化」施策で加速された。

厳密に言えば、「多様性」、「個性」、「特長」は、競争施策ではなく、共存施策だが、この20年の少子化現象が、「多様化」「個性」「特長」を競うというねじれ現象を生んだとも言える。

その代表格が「特色ある大学教育支援プログラム」だったが、昨年の「12月答申」の二つのテキスト(「標準性」と「ディシプリン」)の意味するものは、この1991年の大綱化から2007年で終了した「特色ある大学教育支援プログラム」の自己否定である。

「多様性」、「個性」、「特長」は、結局のところ、〈力〉教育主義によってローカリズムとオプショナリズムを招来しただけのこと。それらの取組は、メインカリキュラムの周辺に配置されただけのことであって、せいぜいのところ三流のマーケティング活動に留まった。

「12月答申」が「ディシプリン」を「知識体系」の英語として表記したのは、メインカリキュラムの体系性(知識体系)の中に、「特色ある大学教育支援プログラム」の各大学の取組が位置付いていなかったからである。

Inter-disciplineな(=学際的な)取組にもdisciplineがなければならない、というのは、Inter-disciplineな取組もまたメインカリキュラム(=「知識体系」=「カリキュラム」の体系性)との体系的な連関を有していなければならないということである。

平たく言えば、「特色ある大学教育支援プログラム」5年間(2003年〜2007年)の各大学に於ける「教育改革」は、各大学、各学部の理念や伝統・人材目標と大きくかけ離れたものでしかなかったということだ。

なぜ、この取組が抽象的な〈力〉能力開発に留まったのか? 誰もが文句の付けようのない抽象的な目標を掲げて、教員達の外面的な連携を体裁づけたのである。こういった連携は結局のところ、メインカリキュラムに手を付けないための連携だった。要するに教員達は自分自身の担当科目のシラバスの書き換えを拒否し続けたのである。

昨年4月(施行)の大学設置基準の改正(http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/07091103.htm)は、この事態を踏まえてのものだった。この改正の要点は4つある(何度も言われ続けてきたことだが)。

1)人材目標(体系的な教育課程)の学則レベルでの公表
2)成績評価基準等の明示
3)教員の組織的研修(FD)の義務付け

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