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「専修学校フォーラム2009」は盛況のうちに終わったが、私は失敗した(苦笑) ― 「教員要件」問題はなぜ問題なのか?[これからの専門学校]
(2009-03-03 02:09:24) by 芦田 宏直


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24日の専修学校フォーラム(http://www.invite.gr.jp/news/2008/forum2009program.htm)は、とんだ発表だった。私の調査委員会の発表はたったの50分。その直後の私が司会するパネルディスカッションは1時間半。そんな時間で発表もディスカッションも出来るはずがないではないか。50分の発表なんてやったことがないし(私には休憩無しに6時間という記録がある!)、公開ディスカッションなら、せめて『朝まで生テレビ』なみに3時間半は必要だろう。

案の定、200人を優に超える参加者を前にして、煮え切らない発表+ディスカッションになってしまった。

そこで今日は、この私がかかわった分の「補講」を行いたい。行わずにいられない(苦笑)。

まず情報教育協会調査委員会の発表について。

今年調査委員会は、教員研修(FD)、職員研修(SD)の現状を調査した。動機は、専門学校の「一条校化」に際して「教員要件」が俎上に上っているからである。

たとえば、「一条校化」について議論している「専修学校の振興に関する検討会議」(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shougai/015/index.htm)では、以下のようなメンバーの発言が議事録(第3回議事録 平成19年12月21日)に残っている。

「アメリカの高等教育では、技術的な分野、例えば理容師や大工はコミュニティ・カレッジで盛んに養成しているが、地域や分野によってはアソシエート・ディグリー(準学士号)は取得できるが、いわゆるユニバーシティ(4年制大学)への編入学ができないシステムになっている」。

「アメリカのコミュニティ・カレッジでは教員の質が認可(アクレディテーション)に際しての大きな課題になっている。全米6地区のコミュニティ・カレッジの認可の状況を見ると、少なくとも8割以上がテニュアシップをとっていなければならないという評価基準が存在する」。

「日本の場合、専修学校の教員の最終学歴では、大学院修了者は6パーセント程度である。大学では、博士号を持っているのは4年制大学で4割程度である。また短大では博士号を有しているのは18パーセントである。その意味では、教員の質確保の問題は大学・短大・専修学校共通の課題かもしれない」。

大学の先生が集まって話しをするとこんな教員要件議論しかできない。結局学歴主義でしかない。この要件を国庫助成無しに満たすとすれば、全ての専門学校はつぶれるに違いない。

しかし、この種の学歴主義教員要件論は根拠のないことでもない。そもそも専門学校の教員が「教員である」と言える根拠は何か?

大学の「研究」主義と並行した学歴主義で教員が選ばれないとすれば、専門学校の職業教育は誰が教員であるべきなのか。この問いかけに端的に答えられる専門学校関係者は(ほとんど)いない。

そもそも実業界から「途中で」リタイヤした教員がどう実業教育を担えるのか、という問題はどこまでも残る。「仕事(の勉強)が面白い」「一生をかけるに値する」と心から思わせなければならない専門学校の「実業教育」を担うにはどんな教員体制が必要なのか。

この答えが、「学歴」のある教員を集めることでないのは明らかだが、お金もない、リタイヤ教員しかいない専門学校の本来の教員はどうあるべきなのか。専門学校の40年以上の歴史でこの問題に取り組んだ専門学校は皆無だ。

なぜ皆無なのか。それは、結局専門学校は「職業教育」などやってこなかったからだ。非文科系の厚労省、国交省、経産省の資格教育をやってきただけのこと。資格教育をやるのに、実務経験は必要ない。教員要件さえ必要はない。受験教科書があれば誰でも教えることが出来る。

ここには一つの矛盾があった。元々受験教育や受験学習が得意なのは、大学生。大学教員も競争性の高い受験勉強をこなしてきたのだから本気になれば受験教育も得意。その点で言えば、専門学校は教員も学生も受験勉強が不得意。「過去問」の反復教育を毎年繰り返すか、「赤線を引いとけ」「覚えておけ」としか言えない。「資格教育」にこだわる限りは、三流の資格教育に留まるほかはなかったと言える。

教員要件問題で「学歴はあるの?」としか聞けない大学の先生達のばかばかしさは聞くに堪えないが、それ以上にばかばかしいのは専門学校関係者が三流の資格教育にすぎない専門学校教育を(教員要件を自ら形成しないまま)「職業教育」と言い張ってきたことだ。

そういった専門学校の「一条校化」における教員要件問題とは別に、昨年の4月大学の設置基準が改正された。誰も注目していないが、私には昨年4月の設置基準は大変大きな意味があると思う。

私がまとめれば、その要点は三つある。

一つは、「体系的な教育課程」の形成、つまりカリキュラム開発(=教育目標の組織的な形成)の必要性を設置基準レベルで定めたこと ― 「教育研究上の目的の公表等 大学は、学部、学科又は課程ごとに、人材の養成に関する目的その他の教育研究上の目的を学則等に定め、公表するものとすること」。

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