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増補(ver.3):シラバスとは何か ― 大学のシラバス主義には何が欠けていたのか[これからの専門学校]
(2009-02-02 01:17:17) by 芦田 宏直


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〈シラバス〉には、私の考えるところ3つのタイプがある。

一つは日本型シラバス。これは、学生サービス型シラバス。学生は学年当初、期首当初の科目選択のための便宜としてこれを使う。

二つ目には、アメリカ型シラバス。これは、教材型シラバス。毎回毎の受講に必要な情報が盛り込まれている。苅谷剛彦は、アメリカの大学のシラバスには、?授業の基本情報 ?担当講師情報 ?講義の目的、スケジュール、読むべき文献 ?成績評価の方法  ?文献の入手方法 ?履修条件(授業を選択できる条件)などが含まれており、「事務的連絡文書」「法的契約書」「学術情報」「指導文書」の四つの側面(『アメリカの大学、ニッポンの大学』苅谷剛彦)があると言っている。

日本の大学も91年の大綱化以降、「自己点検・評価」の努力義務化とともにアメリカ型シラバスへの移行を始め、大学改革と言えば、シラバス改革とまで言われるほどにシラバスの教材化が進んだ。シラバスの正常進化だったと言える。

シラバスが大学(教員)と学生との「契約文書」だという議論は、こういった苅谷の紹介などと関連しているが、これはくだらない紹介だ。

「契約」だとすれば、学生と教員は対等の立場でなければならない。もっと言えば、授業は学生の「消費」対象、学生は消費者=顧客の立場に立つことになる。

そんなことがあるわけがない。そもそも学生がその授業の中味を勉強する前に、その授業情報を評価できるくらいなら、学生ではない。せいぜい、試験のやり方が、自分が単位を取りやすいものかどうかくらいだけが、「重要な」情報になる程度。しかし、もちろんそれは、授業内容からして、この試験情報が適正なものなのかどうなのかの評価ではない。

シラバスが学校の組織的なカリキュラムやそれに基づいた科目設置、授業運営であるならば、そういった評価は学生開示前にすでに済んでなければならない。それが教授達の専門性・教育性が問われるFD最大の仕事。

教育の内容開示は、商品のスペック表示とは意味が異なる。授業は消費の対象ではなくて、人材を育成(生産)する実体なのだから。学生は、受講する授業を通じてその目標と授業評価の柱を学んでいくのであって、その意味で授業は(授業受講前の学生にとって)手段でも利用する対象でもない。授業の外部には授業の目的や評価は存在していない。

三つ目は、業務文書としてのシラバス。これは、教材型シラバスの欠陥を補正するものだ。大学のシラバスは、いくら詳細化され、分厚くなってもほとんど改革に繋がらなかった。先生達も未だにいやいや書いているのが文面から痛いほどに伝わる。

なぜそうなるのか。それは大学には〈カリキュラム〉が存在しないから(それと共に専門外接続、学外接続の方法が曖昧で未経験なため本来の授業評価も存在しない)。自分の担当する科目が他の科目とどんな関係にあるのかを配慮する必要がない。東大型の講座主義が未だにはびこっている(せっかく准教授制になって〈教授〉から解放されたのに)。その分自己内で完結している大学の科目群では、シラバスの意味は自己内で完結している。何を書こうが自由(専門性が高いために、文字数くらいしか他者の批判が介在しない)、せいぜいのところ、学生サ−ビスのための便宜にすぎないという日本型シラバスへの(不毛な)回帰(=講座型シラバス回帰)が未だに生じている。

したがって、90年初頭以降のシラバス詳細化運動は、分厚くなりすぎて持ち運びに不便、詳細化しすぎて返ってわかりづらい、などなどのアンケートによってふたたび簡略化する反動も出てきた。日本のシラバス運動はどこまでも学生サービスでしかなかったのである。

大学のシラバスの優劣を判断することは簡単なこと。文字数が科目担当者によってバラバラな大学シラバスは、ほとんど儀礼的なシラバスにすぎない。各教員が勝手に書きまくっているだけ。文字数が揃っていてもその書きまくりの特質は、学生への負荷メッセージにすぎないということ。教員が自らに課した教育課題、授業目標というニュアンスは一切ない。ちょうど「学び会い」教育の「課題学習」的な色彩に色濃く被われているのがこの種のシラバスの文体。書式が統一されているのに、文体や文字数に差異があるのは、組織的な教育チェックが弱い(書式ルールチェックに留まらず)。まともなFDが機能していないということ。

カリキュラムは、一つの教育目標に向かって、科目間の横連携+縦連携、つまり科目ヒエラルキーが厳密に組み立てられている場合にのみ存在する。またそういった組織性がない場合でも、一つ一つの科目の意義(教育的な意義における目標と評価)がシラバスに詳細化されていなければならない。

その場合には、シラバスは学生サービスでも、自己確認書でもなく、他の科目との接点を求めて科目のinput(受講前提)とoutput(学生仕上がり)とを明確に記したものになる。単独科目の場合には、他科目の評価がない分(孤立する分)、余計に詳細な達成評価指標が記されていなければならない。

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