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今頃『篤姫』を見た ― 40年ぶりのNHK大河ドラマ鑑賞(徳川家定の堺正人の「インテリジェンス」論と自民党とリーマンショックと)[TV・芸能・スポーツ]
(2009-01-13 03:47:47) by 芦田 宏直


今頃『篤姫』を見た。年末に録画撮りした5回分の総集編を今見終わった。5時間半もかかった。


私が大河ドラマを全部見たのは(総集編も含めて)、『源義経』(1966)以来、なんと40年以上経っている。評判がいいと聞いていたので、少しは気にしていました。

いやー、真っ先に言いたいのは「徳川家定」役の堺雅人の存在感だ(先のYouTube画像参照のこと)。サイコーでした。堺雅人なしには『篤姫』の成功はなかったのではないか、そう思うほどでした。視聴率の半分は堺雅人でしょう。

ちなみに私が堺正人の演技を認めたのは、篤姫との最初の夜、「何か昔話しでもせよ」といい、篤姫が「夫婦(めおと)のネズミ」の話をしようとしていたところ、そのまま篤姫が(初夜の緊張の余り)寝てしまい、「えぇー(大声で)、続きはどうしてくれるのじゃ」と叫んだところ。この演技は圧巻でした。

残りの視聴率を稼いだのは、たぶん徳川幕府の末路が自民党政権の末路に重なったのではないでしょうか。その上、リーマンショック以後は自分の会社の末路に似ていると思った人が多かったのではないでしょうか。

徳川家定や徳川家茂の短命は、私には安部政権、福田政権にかぶって見えました。幕府末期は家定も家茂も毒殺されたのと同じくらいに組織が停滞していたのではないでしょうか。会社の末期にもそういうことはよく起こるものです。リーマンブラザーズ(=金融主義)の崩壊はペリーの黒船みたいなものです。

徳川家定の「うつけ」解釈も経営者やサラリーマンにとっては耳の痛い話だったでしょう。トップは〈本心〉を部下や周囲の人間に見せてはいけないという手嶋 龍一+佐藤 優ばりのインテリジェンス論が徳川家定の「うつけ」論です。

なぜなら、手嶋たちが言うように、トップが〈本心〉を見せてしまったら、部下たちはそれに都合のいい情報しかトップに上げなくなってしまうからです。組織全体が見えなくなってしまう。いつのまにかイソギンチャクのようなお調子者の部下しか周りにいなくなる。組織の舵取りを誤ってしまうわけです。

組織のトップはどんなときにでも「うつけ」でなくてはならない。つまりトップは孤独なわけです。家定にとっては篤姫に対してさえも「うつけ」でなければならなかった。これも昨年後半の経営者やサラリーマンにとってはきつい話しだったと思う。堺雅人はそこを上手に演じていた。

何が違うのかと言えば、肝心のドラマの主人公、篤姫=天璋院が今の日本にも世界にもいないということです。オバマがそれに代わるのかもしれませんが、麻生首相が篤姫になるはずもなく、民主党政権も一枚岩ではあり得ない。そんな思いで、昨年一年『篤姫』を見続けていた人が多かったのでしょう。納得の5時間半でした。今頃季節外れのこんなこと言っているのは私だけか(苦笑)。でも40年ぶりに見たのだから許されてもよいでしょう。

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