吉本のTV放映があったのが、1月4日日曜日の夜10:00。私はその時、ちょうど7日に行われる静岡の専門学校の教員研修会の講師に招かれていて、その準備の真っ最中だった。
ところが、ハイビジョンで鮮明に放映された吉本の表情と語りが頭から離れない。〈自己表出〉について「ほぼ半世紀にわたって頭の中でもんできたものだから、そう簡単には(語れない=終われない)」と言ったのが吉本のこの講演での最後。それはコーディネータ役の糸井重里の2度目の(最後の)制止をまだなお振り切りたいという気持ちがこもった言葉だった。
本人が倒れるまで話させればいいじゃないか、というのが私の気持ちだったが、会場も吉本の先の言葉を聞いたとき、予定外の倍の時間を要した講演にもかかわらず立ち上がって拍手をする人がほとんどだった。
そんな光景を見てしまえば、仕事なんかやってられるわけがない。頭の中にもくもくと入道雲がわくかのように吉本の数々の著作のテキストが浮かび上がってきて、書け、書けと催促している。
最初は我慢していたが、一気に書いたのが最初の感想(http://www.ashida.info/blog/2009/01/post_318.html#more)。これは、我慢するよりは、早く書いた方が水曜日の仕事に集中できると思って書いた感じ。日曜日の深夜(月曜日)2:21にUPしているから、吉本のTV講演が終わって約3時間後のことだ。
この程度のことを書くだけでも、あちこちの書棚から10数冊の本を取り出して書いている。家内が寝ている寝室の書棚にも何度入ったことか(苦笑)。
その2:21以降は、水曜日の講演の資料作りにたしかに集中したが、しかし気持ちは中途半端。もっとここをこう書かなきゃ、あそこは書き足りない、など、特に柄谷のことは、最初にUPしたバージョン(2:21バージョン)にはなく、朝の4:00くらいに書き足したものだ。ところがそれを書くと、蓮実の吉本解釈にもふれなきゃ、とか、また色々でてきて、もう頭の中はバラバラ。実態の仕事は水曜日の講演準備だから、その状態がずーっと続いていた。
講演には原稿用紙で100枚程度の資料を準備して万全の体制で臨めたが(うまくいったと思う)、心理的には落ち着かなかった。それもあって、私も吉本に負けじと4時間半連続でしゃべり続けた。帰りの新幹線で書き始めたのが、昨日UPした記事(http://www.ashida.info/blog/2009/01/nhketv.html#more)の原型だ。
私が書き始めて意識したのは、吉本が「これまでの仕事を一つに繋げる話しをしたい」と言って始めたNHKのこの講演の動機を忖度(そんたく)して、では私もまた自分なりにやってみましょう、というものだった。それが吉本さんへの恩返しというもの。
だから、こまかい大学院生のような引用は一切抜きにして骨太の理論的な骨格だけを描いてみた。
「自己表出」と「関係の絶対性」との関係
「自己表出」と「大衆の原像」との関係
「自己表出」と初期マルクスとの関係(類と個との関係)
「自己表出」と「還相」、「往相」との関係(親鸞論との関係)
「自己表出」と「悲劇の解読」との関係
「自己表出」と「入射角」、「出射角」(=指示表出との接点)との関係
「自己表出」と「ライプニッツ症候群」(柄谷行人)との関係
「自己表出」と「作者の死」(蓮実重彦)との関係
「自己表出」と小林秀雄的な「自意識」との関係