今日は、久しぶりに(3、4年ぶり)、H大学のA先生と会ってなかなか楽しいひとときを過ごした。「楽しい」と言っても新宿のシズラー(http://www.sizzler-shinjuku.tokyo.walkerplus.com/)でお昼を一緒にしようということになって、その程度で終わることになっていたが、これが大変。お昼のバイキングの混雑を避けて、11:30に待ち合わせて店に入ったが、何と1500円のバイキング料金で気付いたら夜の8:00までいました(大笑)。8時間半もシズラーにいたことになる(これは記録でしょ)。しかも1500円の食べ放題、飲み放題で。よくもまあ、シズラーは私たちを追い出さなかったものだ。シズラー、エライ!
でもそれくらい楽しいひとときだった。議論の内容は、やはり大学の教育、専門学校の教育。おたがいここ10年以上にわたって悩んできた問題だから、話しはどんなふうにも展開する。また会おう、と言って新宿を後にしたが、夜の10:30にとんでもないことに以下のメールがまた来た。
芦田先生
今日は長時間にわたりお話をうかがわせていただきありがとうございました。久しぶりに時間を忘れたひとときでした(時計をみて長い時間が経っていたので驚きました)。さぞかしご迷惑だったと思いますが,僕の話も聞いていただき,自分の弱点が少しわかったような気がしています。
今日のお話のうち,覚えていることをメモさせてください。
●経営と教学が分離しているのが大学の伝統と思います。僕の過去の経験では,専門学校では経営が強すぎる(教学が弱すぎて教員が経営から自立できない)と感じました。経営と教学が融合する新たな学校像がありえるのかもしれないとは思いますが,過去の僕の経験からすると,経営と教学の融合にはデメリットだけが目立ち,メリットは見あたらなかったように思います。専門学校が一条化されることで経営基盤がしっかりして,その先に教学が自立できるならぜひそうなるべきだと僕は思います。
●専門学校が「大学にはないしっかりとしたカリキュラム,人材育成像をもつ学校」として機能し「企業が学校の成果をまともに評価する」のは一つの理想像と思います。しかし,それはアメリカ的合理社会の中では成立しても,日本的曖昧社会では成立しないのではないかというのが僕の疑問です。日本の企業は学校教育(大学教育)を評価していないというのが僕の実感だからです。ステレオタイプな話になってしまいますが,僕の独断で,ものごとをヨーロッパ型,アメリカ型,日本型の3つに分類させてください。
ヨーロッパ型:手工業的一品生産主義の伝統が根強く残っている。たとえば,フェラーリ。一品生産である建築は本質的にヨーロッパ的。
アメリカ型:階級制(責任分担制=訴訟主義)に基づく効率主義(合理主義)。大量生産に力を発揮する。たとえばマクドナルド。アメリカでは大学(コミュニティカレッジを含む)は「何かができる学生」を育成する。企業は「何かができる学生」を採用する(何ができるかで給料が決まる)。アメリカではハーバードやイエール以外から大統領が出れば教育階級制が崩壊する。アメリカの建築教育は,ヨーロッパ的一品生産主義の建築を志向しない。アメリカの一品生産主義的なメジャー建築(美術館など)はヨーロッパの建築家が設計している場合が多い。
日本型:みんなで力を合わせてがんばろう的家族主義。責任が曖昧。みんなが力を発揮