先々日(13日木曜日)は久しぶりに晴れ上がったので、予告したとおり、井の頭公園を経由して小金井公園まで足(自転車)を伸ばしました。総走行距離は約45キロ。
井の頭線の久我山駅あたりまで(南烏山から)北上し、そこから井の頭公園へと伸びる神田川沿いに北上します。神田川沿いに北上すればそのまま井の頭公園。神田川の始点は井の頭公園です。うまくできています。
私の自転車ロードの開発の思想は、とにもかくにも目的地までの道それ自体も快適な道であることです。幸い、私の南烏山近辺には、仙川、野川、玉川上水、神田川とすべてサイクリングロードに最適な川が4つも流れており、そこを辿れば大きな公園がいくつもあります。
自転車を買って、この2、3週間でこの4つの川をすべて走破したことになります。
玉川上水は、井の頭公園までは最悪の砂利道ですが、そこを超えて、小金井公園までは快適なサイクリングロードになります。クルマの通行量もそんなに多くはない。
今回思ったことは、武蔵野台地(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E9%87%8E%E5%8F%B0%E5%9C%B0)は、東京の大きな文化遺産だということです。巨木がたくさん残され、別荘地の白樺樹林のように空いた空間に林立する姿 ― まるでハイデガーの言う「林間の空地(Lichtung)」― は、心が和みます。
私は本来は山手線内派の超モダン主義者なのですが、この武蔵野台地の自然を見ると、このあたりの住宅街に住む人は100年200年単位の資産を有しているなぁと思ってうらやましいことしきりでした。世田谷区も渋谷区も港区も、この武蔵野台地には勝てないのではないでしょうか。
しかしこれは自動車や徒歩では味わえない体験です。私は井の頭公園で、「小金井公園へはどういけばいいのですか」とナビを見ながらもわざと30才前後の子連れの主婦(地元ふうの)に聞いてみました。
そうすると「えっ? 小金井公園? かなり遠いと思いますよ。ここから行かれるんですか(笑)。わかりません」とすっかりバカにされました。土地勘が働かないという感じでした。井の頭公園と小金井公園を短時間で「はしご」する人間はいないのです。
でも両者を(玉川上水沿いに)短時間で走破しないと、この地域全体の「武蔵野」の存在はわかりづらいのではないでしょうか。
私の自宅(南烏山)から、井の頭公園までは15分。井の頭公園から小金井公園までは20分で走破できます。これは自動車で行くよりも、電車で行くよりも早い。しかもすべて神田川、玉川上水沿いを辿ればいいだけです。信号はほとんどない。そうすると「武蔵野」が見えてきます。電動自転車様々です。
始めて行った小金井公園評。やはり井の頭公園に負けている。水のない公園はアクセントがない。「広い」という感じしかない。サイクリングロードなどは高低を上手に取り込んで楽しめるが、公園としては大きな池がない分単調。それに井の頭公園に比べると樹木の造形も単調。常緑樹と落葉樹の案配が見事だが、それでも、井の頭公園は、樹木の立ち上がり方にはるかに個性がある。変化に富んでいる。
小金井公園内の「江戸東京たてもの園」(http://www.tatemonoen.jp/)はそれなりに楽しめる。入場料も400円と安い。ただし私には小金井公園にそんなものがあること自体知らなかった(恥)。「前川圀男」邸はわが学園のインテリア科が毎年見学に訪れているのを知っていたが、小金井公園内にあるとは知らなかった。恥ずかしい。したがって寒くなる前に帰らなくてはいけない気持ちが前面化してゆっくり見るヒマがなかった。
それにさすがにここは自転車で入れない。盗まれるのも心配で駐輪場を探すのに苦労した。幸い「伊達家の門」にはガードマンが立っていて、その前に自転車を置いた。ガードマンに「盗まれないようにお願いします」と念を押して入っていったが、それでも落ち着かない訪問になった。そもそも自転車に乗ることが目的なのに、なんで博物館のような「たてもの園」に入場料を払っているのかが私自身にも意味不明だった。もう一度来ようと思う。
「江戸東京たてもの園」は、実際3分の1くらいしか見てない(下記参照のこと)。その印象でいえば、大正後期から昭和初期の建物は、すでにそれ自体で充分「近代」だったということだ。私が一番衝撃的だったのは「田園調布の家」だ。現代の住宅よりもはるかに近代的だ。明治、大正期の先人が〈西洋〉をむさぼるように学んだことが手に取るようにわかる。戦後の近代化建築とは何だったのか、を自転車が気になりながらも考えさせられた。