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 今年も蓼科へ行ってきたが、やはり自然との闘いは厳しい(9枚の写真付き) 2006年08月19日

今年も14日から4日間蓼科へ行ってきた。今年はお盆と微妙に重なっているので、渋滞が気になったが、14日の中央高速下りでは約2時間、17日の中央高速上りでは1時間50分で往き来できた。私の記録は1時間30分というのがあるが、マイカーで普通に走っても蓼科まで2時間前後で行くことが出来る。

愛車のサマーチェックも完璧だったので(http://www.ashida.info/blog/2006/08/post_161.html#more)、クルマの調子はいつにもまして調子が良かった。行きの最初は、3速(サードギア)が伸びないのでカストロールの新オイルの相性が悪かったのかと気分がのらなかったが、よくよく考えると行きはすべて上り勾配だから加速が鈍るのは当たり前、と気づいた(気づいたのは帰り道だったが)。中央高速下りはずーっと長い、長い上り勾配だ。

ログハス駐車場.jpg
200キロの長丁場を駆け抜けてきた我が愛車(アルミホイールが格好いいでしょ)と我がステーションログハウス(玄関側からのアプローチ)。


蓼科は昨年よりは暑かったが、東京に較べればはるかに涼しい(夜は寒いくらいだ)。最終日の17日、いつも行く蓼科湖湖畔のそば屋『やまなみ』(http://www.iweb.ne.jp/yamanami/)で(今年も昼食は3日間このそば屋に通った)、巨人の元監督川上哲治さん(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E5%93%B2%E6%B2%BB)に出会ったくらいが唯一のトピック。


蕎麦屋「やまなみ」.jpg
これが川上監督に出会った蕎麦屋『やまなみ』。今年も3日間昼食のために立ち寄った。店の前にクルマを止められるのも車椅子同伴者としてはありがたい。


蓼科湖湖畔.jpg
これが蕎麦屋『やまなみ』の真ん前の蓼科湖湖畔。これをバックにして皇太子と雅子様が収まっている写真が『やまなみ』の店内に飾ってあった。意味不明。


どこかで聞いた声が聞こえてきたと思ったら川上さんが『やまなみ』に、奥様を同伴して私たちの席の隣に入ってこられた(ちょうど私の向かい側だった)。「ここのそばはおいしいいんだよ」と友人2人に話している。川上監督が「おいしい」と言うほどにはここのそばはおいしいとは思えないが、でも川上さんの矍鑠(かくしゃく)としたトークは今でもまったく衰えていなかった。奥様もお元気そうでしかもこの奥様にして川上哲治あり、といったふうだった。お似合いのカップルだった。

ところで、毎年この知人の別荘(ログハウス)を借りているが、ここに来ていつも思うのは、一軒家の“生活”。

私は東京へ出てきて30年以上経つが、それ以来ほとんどはマンション暮らし。毎年蓼科のこのログハウスへ来て思うのは、マンション暮らしと一軒家との生活感覚の違い。ざっと思いつくその違いは以下の3点。

①一軒家はマンションに比べて周囲が開放的であるために、怖い(誰が押し入ってくるのかわからない)。窓を一枚破れば中に入られてしまう。その分マンションに較べて用心深くなってしまう。あるいは闇の夜であれば、窓のそばに立たれれば中に押し入らずとも中で何をやっているのか簡単にわかってしまう。一軒家の闇の向こうはいつも“犯人”が立っている! 特に夜中などに奇才マーカス・ニスペル監督の『テキサス・チェーンソー』(http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0002IE2GS/503-9103993-2365509?v=product-description&n=489986&%5Fencoding=UTF8&n=489986&s=gateway) ― この映画は暑い夏に見ると必ず涼しくなりますが、決して一人で見ないようにしてください(とんでもない映画です、しかも実話です) ― を見ていると怖くてトイレにも行けない。この窓の外がそのままもう外か、と思うと怖くてしようがない。マンションの窓はそれ自体中空にあるために、地面からは無縁。その分外部からの侵入とは無縁な窓であるために、戸建ての窓の“危険性”はマンションの窓にはない。マンション生活がいかに安全なことか、と思ってしまう。

②一軒家は地面に接しているために家の中であっても虫に出会うことが多い。夜(の室内の明かり)などは虫の餌食。網戸に虫がとまる音が一晩中響き、眠れない。床には蟻が自分の家のように歩いていたりする。涼しい蓼科でさえそうだから、少しでも暖かい地域の一軒家であれば虫の量は倍増するだろう(沖縄や九州には私は絶対に住めない)。考えただけでも狂いそうだ。これには、私は耐えられない。マンションで虫に出会うなんて、それだけで“事件”になるが、戸建てではそんなことを言っていたら生活できないだろう。夜眠りにつくときもじっとログハウスの大きな丸太の天井を人生を思案しながらじーっと見ていたら、あやしいテントウ虫みたいな虫が歩いている。これがまた許せない。ひょっとしたら私の枕元では別の小さな蛾みたいな虫が音も立てずに迫ってきているかもしれない。そう思うだけで背中がかゆくなってきたりもする。この世の中から虫を絶滅させたい。

③上記①②の問題と関連するが、したがって一軒家では自宅内にいながら、他人の声が聞こえたりする。蓼科のこのログハウスの別荘地域であっても、たまに散歩する人の話し声が聞こえてくる。これもマンション生活ではほとんどあり得ない。誰が来た? 何してる?とついつい気になってしまう。今回も家族連れが楽しそうにわがログハウスの前を歩いていたが、森の中なので歩くこと自体が目的、だからなかなか通過しない。10分くらいは我がログハウスの前で遊んでいた。これがまた気になる。マンション暮らしではこんなこと絶対あり得ない。特に私のマンションは左右に住戸が並んでいないし(テラスからの侵入や騒音はあり得ないし)、エレベータエントランスも私の住戸しか使用しないので住民というか人間に出会うのは一階の共有玄関だけ。虫からも人間からも完全に隔離されている。そんな住環境が私の“自然”だから、虫からも強盗からも自らを防げない一軒家は怖くて、怖くて暮らせない。


道路際ログハウス(3).jpg
ログハウス前面の道路(写真左上方)。このように、このログハウスには垣根も塀もない。この『三井の森』のすべて別荘は、あっけらかんと“外部”に開かれている。昼間はよいが、夜は何が起こってもおかしくはない。

道路(犯人側)から見たログハウス.jpg
これが、上記写真とは反対に道路側から見たログハウス。完全に見張られている。まるでジャック・バウアー(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%83%BC)が木立の中から出てきそうな気配だ。頼むぞジャックバウアー、われわれを守ってくれ!

テラスから見た木立.jpg
これは玄関側の反対側のテラスから見た木立。高原なので地面には生い茂る草があるわけでもない。それが高原別荘の避暑性のすべてだが、逆にドロボーはどこからでも入ることができるということだ。昼は冷風も吹いて本当にすがすがしいが、夜はドロボー解禁状態になる。ただし別荘に大金や貴金属を持ち込む人間などいないだろうから、実際の被害は少ない。

テラスからの木立.jpg
テラスを降りて地面から(“犯人”の立場に立って)見た木立。ご覧のようにテラスは敷地から少し高台にあるが、上ろう思えば上がれない高さではない。しかも木立の地は落ち葉が幾重にも重なってまるで深い絨毯のような柔らかい感触。これも“犯人”の忍び足に貢献している。

霧ヶ峰高原の花.jpg
ステーションログハウスからクルマで20分くらいのところにある霧ヶ峰高原の花。こんな「自然の美しさ」なんて安易に信じてはいけません。現にこの花の背後の葉っぱは虫にやられている!

車山高原から霧ヶ峰高原へ.jpg
車山高原から霧ヶ峰高原へと続く「ビーナスライン」。この地帯の峠は、高い海抜状態だのに、いろは坂のような蛇行をくり返すのではなくてなだらかなラインを描くのが特長。格好のドライブコースと言える。


この別荘地帯の木立の優雅な風景とは裏腹に、虫との戦い、夜の恐怖との戦いは、優雅さとは縁遠い。特に今回は、『プリズン・ブレイク』(http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000EWRH3W/sr=8-1/qid=1155910085/ref=sr_1_1/503-9103993-2365509?ie=UTF8&s=gateway)を、この蓼科滞在で一気に見ようとしていたので、余計に大変だった(ちなみに、このテレビドラマは7巻=計13時間を全部見ても解決しない、というとんでもないドラマ)。私には一軒家生活は向いていない、とつくづく感じる。逆に考えるとマンションの生活というものが、いかに〈生活〉というものからほど遠い人工的なものなのかがわかる。30年ものマンション生活が〈大地〉を忘却させたということか。

そう言えば、9・11以来のアメリカのイラク戦争こそは、〈大地〉を忘れた戦争だった。空中戦は物量で済むが(空軍の戦いは文明が高度なほど勝利に繋がるが)、〈大地〉の戦いは物量では勝てない。もともと人間の戦いは〈大地〉の闘いだ。北朝鮮なんてアメリカがその気になれば、簡単、と思っている連中がいるが、そんなわけない。そんなことを考える連中はきっと空中主義的なマンション生活者なのだ。どんなに精緻な偵察衛星であっても〈大地〉は見えない。〈大地〉は〈見ること〉の対象ではないからだ。

〈大地〉は物量よりもさらに豊穣だということを忘れてはならない(ニーチェがそんなことを言っていた)。たしかに、どんなに精緻に組み合わされたログハウスであっても蟻はどこからともなく入ってくる。まるでオサマビンラディンの手下のように。

(Version 7.0)

※参考記事
2005年の蓼科記(http://www.ashida.info/blog/2005/08/hamaenco_5_62.html
2004年の蓼科記(http://www.ashida.info/blog/2004/08/post_1.html

※写真はすべて愛機 RICHO GR DIGITAL(http://www.ricoh.co.jp/dc/gr/digital/) による

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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感想欄

あはは、ぱっと見、優雅でおうらやましい避暑も、戦々恐々ですね?

私も、悲しいほど虫が苦手でした。

しかし、虫好きの友人の影響で、(http://blog.livedoor.jp/zaba105661/archives/cat_50016689.html )この歳になってやっと、「急襲」以外は耐えられるようになりました。

こちらが心臓止まるほど遺伝子レベルで怖がっているのに、やさしく捕まえて、「これは○○。ほらこのおなかのところがふっくらしていて、可愛いい!!」なんてホホズリされ続けると、私もたまにふっと可愛く思えます。

蝶や、我のパタパタパンチや、迷い込んだカナブンをそっとつまんで外に出す事が出来る大人になりました。これも感情移入でしょうか?

虫好きの友人をお薦めします。

投稿者 Anのn : 2006年08月19日 02:44

Anのn様

私にとって「虫好きの友人」とは形容矛盾です。虫好きの人間とは、そもそも友人になりません。動物好きでも蛇好きの友人がなかなか好きになれないのと同じように、そもそも虫好き人間は“虫が好かない”。そう言っておきます。

投稿者 ashida : 2006年08月19日 03:13

 子供の頃、ファーブル昆虫記が好きだった。

ハエの目から見た世界は人間の目で見た世界とは異なっている。人間の目から見た世界と比べると、やたら光が明るく見えて、物体は白黒の世界に近く少々ぼやけている。

そんなことなどが色々書いてあった。蟻も蜂も大好きだった。家の中にいる虫は好きになれない。ゴキブリなどはそのさいたるもの。でも、自然で生きている虫を観察するのは中々面白い。

虫が好かないと思われてしまうかもしれないが。そこで一句。

 イチジクの ねっとり熟れて アブとハエ ライバル多し 吾はファーブル

投稿者 harada : 2006年08月19日 21:24

harada様

私もファーブルは好きでしたが、〈観察〉の美学よりも〈認識〉の美学に走ってしまいました。

投稿者 ashida : 2006年08月19日 22:30

私の家はいつだって虫に囲まれていますよ。

朝は『ヒグラシ』(朝なのに・・・)の声で目覚め

昼間はいろいろな虫が網戸に張り付いています。

縁の下には『アリジゴク』ですかね。

年に1度ぐらいは良い経験ではないでしょうか。私は、毎日ですが。

投稿者 佐倉300坪 : 2006年08月20日 00:25
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