家内の症状報告(79) ― 血液吸着法(選択は人間を不幸にする) 2006年07月30日
家内の入院は、6月の中旬以来、まだ続いているが(http://www.ashida.info/blog/2006/06/post_153.html#more)、この約2ヶ月の闘病で少しはわかったことがある。
4月の再発以来(http://www.ashida.info/blog/2006/04/post_137.html)、3年間続いた経口ステロイドを止めて、ベータフェロンのみの治療に専念したが、5月17日の退院以来、自宅で生活できる状態ではなく、返って衰弱するばかり。一ヶ月して再入院となって今の入院が続いているが、この(6月の)再入院は、二つのことを意味している。
一つは、経口ステロイドがベータフェロンの副作用を抑制していたかもしれないということ(ステロイドには消炎作用がある)。ステロイドを止めたことによってベータフェロンの悪いところばかりが表立ってしまった。ベータフェロンは(家内の場合)、①微熱が続き ②からだがだるくなり ③足に強い張りが出てしまい“自然な”体調が維持できない。
二つめには、ベータフェロンは家内には効かないということ。現在のところ、多発性硬化症において唯一「効果がある」とされているベータフェロンは家内には効かない。ベータフェロン治療にのみ専心して1ヶ月で再発というのは、経口ステロイド(経口ステロイドには効果の実証的な「エビデンスがない」とされている)の3年間の服用の中でも最短の再発であり、その意味でベータフェロンは家内には効かないのではないか。
結局、家内には経口ステロイドもベータフェロンも効かないというのが、この3年間の闘病の結論ということか(もっとも、これらの投薬があったからこそ、3年間歩くことができたとも言えるが)。
そこで、医師団は、血液吸着法(http://www.jyouka.com/text/ss11/adso.htm)という、これまた効果の「エビデンスがない」という治療法を今回の入院で提案してきた。血液透析のようなものだが、免疫機能を狂わせている血液中の成分を化学的に吸着して血液を浄化するというもの。日本の長崎医療センター(http://www.hosp.go.jp/~nagasaki/)の医師が始めた治療らしいが、まだ全面的には保険対象の治療ではない。
これを家内は6月下旬にワンクール:三日間(一日2時間から4時間、カテーテルをももの内側から差し込んで行う)続けて行った。この治療の前後から、家内はステロイドもベータフェロンも止めていた。ステロイドを止めて3ヶ月、ベータフェロンを止めて2ヶ月経っている。ここ数年の服用(と自己注射)からすれば、考えられないことだ。
しかし、これで調子がかなりよくなったらしい。
そこで、唯一、効果があるとされている「ベータフェロン」を再開したのが体調が良くなった7月の上旬(医師たちはやはり効果があるとされているベータフェロンを勧めたがる)。一回、自己注射を再開したが、やはり急激に体調が悪くなり、即中止。これで5月中旬の退院から6月の再入院の犯人はベータフェロンだということが(半分は)実証された。ベータフェロンは家内には効かない(家内の些細な経験ではベータフェロンは脳内に病巣のある多発性硬化症の患者に効いているらしい。家内のような脊髄型では効き目は薄いと言う)。
かと言って、血液吸着法が効くとも言えないが体調はよくなりつつある。しかしこの病気は、体調とあまり関係がない。体調がよいと再発しない、というわけではない。元気な若い女の子達が何度も(突然の)再発をくり返している。
これまで体調を崩してきた“原因”がステロイドとベータフェロンだと言い切ることもできない。ステロイドとベータフェロンなしには、今頃寝たきりになっていたとも言えるからだ(政治的な核抑止論と似ている)。何が原因で何が結果かがわからないところが「難病」たるゆえん。結局「やれることはなんでもやりましょう」(医師たち)ということになる。
私はかつて医師たちの一人に「何もしないとどうなるのですか?」と聞いたことがあるが、「危険でしょうね」と答えた後、「でもそんなことしたこと(放置したこと)ないですからね」とも言っていた。
現在の家内は、“治療薬”としては何も投与していない。その状態が現在まででいちばん快適というのも不思議なことだ。医師たちは、不安そうに「芦田さん、大丈夫ですか」などと毎回様子を見に来てくれる。たぶん、専門の医師から見ると、この“健康”状態は単なる偶然でしかないのだろう。
総回診の岩田教授も「君はいつも不死鳥のようによみがえるね」と言って(励まして)下さるらしいが、私は家内からそう聞いたときに、「不死鳥じゃないとよみがえらないというのも大変だね」と返しておいた。
リハビリのおかげで、両足が上がるようになり、手すりがあれば歩けるようになってきた。手すり歩行の次は杖歩行だ。杖歩行ができるようになれば、自宅で生活できるようになる。
吸着治療は通常三ヶ月に一回の間隔で行うが、これで再発すると(この吸着治療に効果がないとなると)、後は血漿交換法(http://www.nagahama.jrc.or.jp/section/touseki/PE.htm)、免疫グロブリン治療(http://www.ketsukyo.or.jp/yougo/ka/kanzenn.html)、あるいは免疫抑制剤(http://homepage2.nifty.com/KOGEN/Kyoto/kiso/meneki.htm)と続いていく。どれもこれもまともな“治療”ではない。危険性と裏表の治療だからだ。極端に言えば、再発する前に別の病気(たとえばガン)で死んでしまう、というような“治療”でしかない。私ならばこんな場合、何を選ぶのか。
〈選択〉というのは、近代的な自由の代名詞のようなものだが、それは実は不幸の代名詞でもある。幸せな人に〈選択〉など到来しない。
中国からの帰国孤児やボスニア・ヘルツェゴビナの難民たちが母国を〈選択〉しなければならない。あるいは歌舞伎町の女たちが源氏名を〈選択〉しなければならないというのは、ガン患者や難病患者の投薬の選択に近いものがある。
〈選択〉は〈自己〉や〈内面〉への洞察(=ある種の宗教的な洞察)を強化するが、そんな観念的な強化と集中が人を幸せにするはずがない。不幸は宗教の起源であるが、それは不幸の起源が宗教であることを忘れている。〈表面〉を生きること、風がそよぐように(紅葉の葉がわずかに自然に揺らぐように)生きることが必要なのだ。どんな場合でも。健康であっても、病気であっても。
(Version 7.0)
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初めまして。
私は、川崎市内に住む34歳(主婦)のMS患者です。
今年、5月末頃まで3年通院していた病院から「MSをきちんと診てくれる(診てもらえそうな)病院」に転院したいと転院先を探していました。
自分の中で、納得が行かない中、なんとなく通院していたのですが思い切って、転院しようと決めてから、いろいろなサイトを見て東京女子医大が良さそうだと思い始めました。
そんなことをひと月ほどしている中で芦田様のブログに辿り着き奥様に関する記事を読み「やはり、女子医大に転院しよう」と決めたのでした。
5月末に、3年間通院(入院3回)していたS病院からすぐに女子医大のほうへ変わりました。
S病院のほうでは、一昨年夏、ベタフェロン導入を試みましたが副作用の事情で中断。
そして、昨年暮れに喋りにくくなった事を機に頭部のMRIを撮ったところプラークが、素人の私の目から見ても驚くほど増えていました。
そのため、もう一度ベタフェロンを導入という事になり、5月に入院を予定していました。
その入院の前に、転院したい旨をS病院に話し、転院したのです。
女子医大の初診の日、問診・触診の後、「やはり入院してください」ということになりました。
6月26日から、女子医大のほうへ入院となり、昨日(8/1)退院いたしました。
今回は、上手くベタフェロンを導入する事ができ、まだ増量はしますが現在上手く行っています。(・・・と思います。)
発症や、再発などの詳しいお話をすると、長くなりますので私の病状については、このあたりで終わらせていただきたいと思います。
実は、入院中に奥様と出会い、お友達になることが出来ました。
おそらく、お聞きになっているかと思います。
あの日は、洗濯室へ向かう途中のエレベーターで一緒になりました。
「腎の方ですか?」と聞かれたので、「神経内科です」と答えたところその方(奥様)も神経内科だと教えてくださいました。
足を見てなんとなく、直感で「この方、MS?」と思いました。病名を聞くのは、とてもデリケートな問題ですから、気に障ったようならとにかく謝ろうと思い勇気を持って聞いてみました。
「差し支えなければ、病名教えていただけますか?」とお聞きしたところ「多発性硬化症です」と。とっさに、「私もです!」と言いました。
それから、お話をするようになったのですが、お話をするうちに「もしや、あのブログの芦田さんの奥様では?・・・」と思い始めました。
だんだんとお話するうち、その疑問が、確実になりました。
ものすごく、確かめたい気持ちがありましたが、確かめようかすごく迷いました。
ブログで奥様の事が記事になっているのを、もしかしたら奥様は知らないかもしれない、そう思ったからです。
今、自宅に帰ってから拝見したところそれはなかった・・・と思いましたが今日まで私が見ていた記事は、日赤から女子医大へ転院する前後の、いくつかの記事しか、拝見していなかったもので。
奥様に、打ち明ける事を決意し、打ち明けてみると「きっと、主人、喜ぶわ。」と、顔を赤らめていらっしゃいました。
入院する前に見た記事で、きっと素敵なご夫婦なんだろうな・・・・と思っていました。
実際に、お会いした奥様は、思っていた通りの素敵な方で嬉しかったです。
奥様とは、「今度は、できれば病室ではなく、お外で会いましょう」と再会を約束しました。お盆の頃に、ご自宅に戻られるとよいですね。
ブログには、またお邪魔させて頂きますので頑張って更新して下さい。
それでは・・・・。
女子医大にされて良かったですね。
ただし、多発性硬化症に名医なんていません。名医というのはふつう外科的な名医を指すのであれば、なおさらのことです。
この病気は、症例研究と言葉のセンスが全て。たくさんの症例(国内外の)を有し、患者への投薬とその症状の変化(の推移)を神経質なまでに微細な感覚で見守る医師がこの病気の名医です。
患者が「熱がある」、「痛い」、「張りがある」、「しびれる」と言ったときに、まるで国語学者のようにいくつもの問いを投げかけ、その感覚を共有できるかどうかが全てだと思う。月並みな言葉で訴えかける患者の言葉をまったく別の言葉へまで誘導し、それでいて、私が訴えたい症状はそういうことだったのか、と逆に患者自身が納得するくらいまでに言葉を展開できなければならない。そうでないと投薬の効き目やその分量の決定などできるはずがないからだ。
薬の知識よりも先に、言葉についての異常な関心がなければ、この分野の医師はつとまらないのではないか、と私は思う。
歩ける様子や目の見え具合だけにしか強い関心がない(=“物理”にしか関心のない)医師には、投薬の決定はほとんどできない。こんな医師たちに囲まれてしまうと(薬量が)過剰か過小なままに、副作用が更新するか再発を起こしてしまうか、どちらかだ。
「難病」には偏見(先入観)を持たない医師が重要。「人それぞれですから」という医師に限って、通俗的な処方しかできない。あるいは「やってみないわからない」という医師に限って観察が足りない。目に見えない変化を追おうとしない。
そして「やってみてもわからない」ということになる。最後には、この患者は「寛解型」だとか「進行型」だと勝手に決め込んでしまう。「人それぞれですから」と言いながら偏見(先入観)を持ち、「やってみないわからない」と言いながら結果論でしか判断ができない。
こういう医師たちには「難病」は扱えない。女子医大は良い先生に恵まれていますが、言葉に対するセンスはやはりまちまちです。そんなときには、患者自身が言葉を選ぶ必要があります。恋をする人はみんな詩人になる、と言いますが、難病になる人は小説家くらいにはなる必要があります。
あなたのMSが、再発しないよう祈ります。若いあなたが再発するなんて考えたくもないことです。
この病気でいちばん確実に言えることは、再発は必ず症状の悪化をもたらすということです。必ず再発前よりも悪くなります。
私の家内などは、もう2,3回は死んでいるくらいの再発をくり返しています。生きているのが不思議なくらいです。でもそのたびに身体的にも神経症的にも悪くなっていることは確かです。
「退院したらラーメンとカツ丼を食べたい」などと今日も病院のレストランで言っていましたが(私がその二つを一人で食べていました)、しかし、まだまだ元気です。もともと薄味好きの彼女ですが、病院の味けのない食事に飽きているのでしょう(特に野菜系が加熱しすぎですべて同じ味になっているらしい)。
これからも家内の話し相手になってやってください。51歳にもなって一人で泣き続けたりしていることも多いようです。この病気は患者同士にしかわからないことも多いのかな。それとも私の看病が足りないのか。よくわからないのですが、よろしくお願いします。
「退院したらラーメンとカツ丼を食べたい」・・・・
それは、私が退院の前日に奥様に力強く言った言葉です。もしかしたら「食べたい病」が伝染したのかもしれません。
入院中は、私も一人で泣いたことがありました。
そんな中での、奥様との出会いはとても心強かったです。
病状の事だけではなく、世間話もしましたが私のほうが相手をしていただいたと思っています。
こちらこそ、これからもよろしくお願いします。