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 家内の症状報告(77) ― 根拠のない治療と症例研究(写真付き) 2006年05月17日

本日17日退院してきました。しかし退院する度に“行動力”は落ちており、今回は、トイレの前に椅子を置くことになった。

一息でベッドからトイレまで移動が不可能。この椅子(下記写真参照のこと)でひとまず休憩ということだ。

トイレ前の椅子.jpg

退院のたびに悪化しているが(わけのわからない“退院”だが)、要は再発までのインターバルが充分取れないための当然の結果ということだ。普通の人間ならば、退院は病院とおさらば、だが、家内の退院は病院にいても何もすることがないというもの(それならば自宅に戻った方がいいというもの)。様子を見るしかない。

今回はこれまでと違い3年以上服用してきたステロイドを止めることを決定。ベータフェロンを増量して(600→800)、ベータフェロンのみで“治療”を続けることになった。その結果入院中何度も白血球の値が上下し不安定になったが、もともと家内は白血球が少ないこともあって、何とかなるのではないか。とのことだったが、白血球減少を気遣い続けた生活を送るのも“問題”とのことで、元のベータフェロン量(600)に戻すことになった。それで今日の退院。

以前からベータフェロン600(注射)+ステロイド10ミリ(経口)を自宅で続けていたのだから、今回の退院は、以前よりもさらに薬物“武装”状態を解いたことになる。

この“治療”の選択は、ステロイドとベータフェロンとの併用が、両者の効果を相殺するという判断がなければありえない。あるいは、ステロイド服用の副作用が、その効果よりもはるかに大きいという判断がなければあり得ない。そしてまたベータフェロンの効果は(家内の場合の最大の副作用である)白血球減少を凌ぐことができれば、(少しは)効果があるという前提がなければあり得ない。

現在のところ、最後のベータフェロンの効果については唯一の実証的な“根拠”があるらしいが前者の二つは「色々な意見がある」(担当医)ということで「根拠はない」。

家内が広尾の日本赤十字でお世話になっていたときに見たベータフェロンの資料では、使用しないときとしたときとの効果の差(要するに再発防止率)は20%という数字だったような気がする。10人の患者がいて、10人がベータフェロンを使用した場合2人は再発しない(かなりの期間再発しない)ということだ。ただし日赤ではベータフェロンをなぜか使用しなかった。「体力がまだ付いていないから」と、駆け出しの女医がわけのわからないことを言っていた。

したがって、ベータフェロンの“効果”さえ、最大で20%、その20%の効果について約2割減の投与で再出発するのだから、今回の退院はほとんど根拠のない退院にすぎない。

全体に免疫系の病気には科学的な根拠が薄弱。もちろん医学はもともとが実証的な分野だから根拠なんてないだろう。否定する根拠(こうすれば人間は死ぬ)はいつでも存在するだろうが、肯定する根拠(こうすれば治る)なんてものは、どんな分野でも存在しない。すべては結果論だし、それ以前に、スピノザは規定はすでに否定だと言っていた。

大概の医師は、「患者さんそれぞれで違いますから」ということになる。そう言う割には、ベータフェロンの投与量、白血球の量については、“基準値”を持ち出す。基準値は大概の場合、“平均値”だから、それを言うのなら「患者さんそれぞれで違いますから」と言うことも禁じられているはず。両者は矛盾している。

こういった病気の治療で大切なことは、症例研究をどれくらい重ねているか、に関わっている。外科医でもないかぎり、この分野の医師は弁護士に似ている。法律判断もまた真理に関わるよりは判例の変化を機敏に読み取ることが鍵を握っている。おなじように症例研究が治療法の決定や薬物の投与量の決定に大きな影響を与えている。

多発性硬化症の場合、日本人全体で1万人しかいないから症例研究と言っても他の病気と違って資料はないのかもしれない。また資料はあっても病院を超えた(研究のための)資料開示は、(専門医が少ないということもあるが)この世界の場合思うほどには進んでいないのかもしれない。

一般的な資料開示というのは、専門家の集団がかかわる資料になればなるほど、なかなかしないものだ。そんなことしたら〈論文〉の価値がなくなるからである。大学の業績評価は依然として論文評価だから、本来の治療ネットワーク(症例開示のネットワーク)の形成はできそうでできないのだろう。

私は文科省の「特色ある大学教育プログラム」の審査員(第三審査部会)を平成16年度(http://www.tokushoku-gp.jp/meibo/h16meibo-sinsabukai03.html)、17年度(http://www.tokushoku-gp.jp/meibo/h17meibo-sinsabukai03.html)と続けてやらせていただいたが、大学医学部の教育改革は他のどの分野(工学系、人文系)よりも活発で毎回提案数がいちばん多いくらいだ。

この改革の熱を治療に於ける情報開示にぜひ向けてもらいたいものだ。アカウンタビリティ(説明責任)なんて実はどうでもいいのであって、今なお謎の多い医療の現場で必要とされているのは、個々の治療現場を越えた日本大、世界大の症例データベースの形成のような気がする。

たとえば、今回の家内の一ヶ月半の入院期間で白血球の上下変動がどのように生じたのかを、世界中のどの治療現場からでもリアルタイムに知ることがなぜできないのか(それと同様に他の患者の白血球減少のデータが症例としてなぜ手に入らないのか)。

最近Googleは、「Googleブック」(http://books.google.co.jp/)検索サービスを始めた。これは世界中の書物のフルテキスト検索ができるシステムだ。これができれば、世界の人文系の“教授”達の半分は(事実上)職を失う。大概の人文系研究者は丸善の文献カードをせっせと何十年もかけて作り続けてきたからだ。

文献カード(たとえばハイデガーが「存在」という言葉を彼の著作の何頁の何行目に使っているかメモったもの)の量は、その教授がどれほど丹念に研究対象である著作を読み込んできたかの間接的な証拠であったわけだが ― 八木誠一や田川健三などキリスト教文献学に関わる研究者なんて、病的なくらいに何頁の何行目にその語やテキストが存在しているかを頭の中にたたき込んでいる! 滑稽なくらいだ ― 、「Googleブック」はそれを物理的に破壊する。しったかぶりをした教授のアカウンタビリティ(それが教養課程の「哲学概論」のすべてだ)よりは「Googleブック」の“情報開示”の方が学生達にはるかに有益なはずだ。

それと同じように、医学の分野でも症例データベースが整備されるべきだ。ベータフェロン、白血球、ステロイドなどと複合検索をかければ、世界大の症例データベースが一気にはき出されるような仕組みはできないのか。結果論の医学であるのなら、症例データベースの形成と整備は必須だし、やろうと思えば技術的にはいつでもできる時代に入ってきている。

(Versin 2.1)


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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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感想欄

またまた失礼します。

奥様の白血球の量のことを読んでいて早くこういう病気に効く新薬が日本でももっと開発されるべきだと思いました。

こんなに医学が進歩していく中で確かに情報の公開があまりにもなされていない、ひどいことです。

ところでわたしの両親はすでになくなってしまっておりますが、晩年父が母の病気の看病をしておりました。わたしは大勢の兄弟の末っ子で両親の病気にはあまり関わっておりませんでしたのでかすかな記憶ですが。父はいつも母に野菜の煮物をへたながら作っていたのをおぼえています。

芦田先生のようにお忙しい働き盛りですと奥様の看病も思うようにできないのではないかと妻と話しております。

またこのように難しい病気ですとせっかく家で過ごせるのに、食事の栄養のことやリハビリのことなども病状にあわせて対応していかなくてはいけないのかと思います。それはおふたりにとってお互いに大変なことだと思います。

最近妻がひどい風邪をひいてしまい、もう子供たちもあてにできなくて、妻が食べたいと言ったたまごとじうどんを作ってやったところすごく喜ばれました。まあ、わたしもそのあと風邪を引いてしまいました。結局二人で寝込んでいたわけです。

夫婦は病気をしていてもそばにいてくれるとほっとするものです。ひとときでもお二人でよい時間を過ごされますよう。と私たち自身も思っております。

投稿者 のんべえ : 2006年05月21日 20:38

「のんべい」さま

暖かい心のこもったお言葉、ありがとうございます。

家内は、17日(水曜日)に退院して来て以来、立ったままの状態がレッサーパンダより短いと言うより、活動時間自体がレッサーパンダの連続立ち時間よりも短くなっています。

寝ていても立っていても身体の状態が安定しないみたいで、休める時間がないようです。

こんな状態で「退院」と言われても、自宅ではどうしようもありません。

一回の食事の量がそう多くは食べられないようで(私や息子の約5分の一くらい)、その分、おなかの空くのがはやく「食事はまだー?」と叫んでいますが、そんな贅沢な叫びにいちいち応じていられません。

食事を作るなんて、作る側のタイミングというものがありますから、そんな叫びを聞くと気分が悪くなります。それにまともに作ってもろくに食べないのですから、余計に作る気が起こりません。よほどこちらの機嫌が良くないと作る気なんか起きません。専業主婦でもない私の場合は特にそうです。

食事を作るというのは矛盾した出来事であって、おなかが空かないと食べる気(=作る気)がしない。しかしあまりにもおなかが空くと作る気さえ起こらない。作るのが面倒くさいからです。それが日曜日などの(くつろげる)休日だと余計に悪循環になる。食べるのも作るのも自分のタイミングというものがある。それが「食事はまだー?」で台無しになる。

家内の場合は、今、ウルトラマンの3分間自体がベッドから離れる時間とほとんど同じくらいになっていますから(ちょっと大げさか)、もちろん“外食”など不可能。昨日は近くのレッドロブスターが「焼タラバフェアー」をやっていて400グラム1980円の半額サービスをやっていましたが(そうメールが送られてきました)、それも食べられずじまい。とても「ひとときでもお二人でよい時間を過ごされますよう」なんて気分になりません。

私は家内が健康なときも休みの日は断続的に18時間以上寝ていましたから(ほとんど私自身が寝たきり状態)、生活の実体で特に変わるところはないのですが、この食事のタイミング(と気分)は大変合わせづらく困っているところです。

まあ〈生活〉というものは慣れですから、これは退院直後の“混乱”でしかないでしょうが、〈時間〉が介入しないと解決しない(=自力では解決しない)というのもこれはこれで大変なことです。

投稿者 ashida : 2006年05月21日 21:52

その後、いかがですか?

軽々しくお見舞いのような気持ちで書いたのですがかえって失礼だったのではと妻に叱られました。

看病や介護などというようなことはしたこともない私ですから。

ただ、今日またいろいろ読み直していましたら、ふと思いました。校長先生はこのブログ楽しんでらっしゃっる。何のことでも人の何倍も、熱心に楽しめる方だと。

学校関係者の方に先日お会いすることあって校長先生の奥様のことを話題にしてしまったら、「まれに見る不思議な素敵なご夫婦なんですよ」とお聞きしました。

これからの梅雨時にはリュウマチのような病気の方には更に辛い時期だとか。

妻が「奥様には優しくしてあげてください。そしてお二人の楽しいお話しもまたブログで紹介してください」と言っております。

投稿者 のんべえ : 2006年06月04日 17:51

ご心配ありがとうございます。

どの職員にお聞きになったのか、我が職員達の中で私のことを良く言う者など一人もいないと思いながら仕事をしている方なので、我が夫婦が「素敵な夫婦」なんて信じられません。その前半の「不思議な」夫婦と言うのが少し当たっているかな。

家内の症状はベータフェロンの副作用が大きいのか、それとも長い年月のステロイド服用を止めたことによる反作用が大きいのか、なかなか改善の気配が見られません。それに最近の天候の不調も輪にかけて回復を遅らせています。

現在彼女ができることは、洗濯、炊事の後片付け(テーブルから台所までの食器の移動はできません)、炊飯の一部くらいでしょうか(これでもやってもらわないよりは助かりますが)。玄関での見送りと出迎えは20回に1回くらいです。

深呼吸もできないくらいに胸の縛りが強いとのこと。食事も相変わらず食べることができず、1食分で人の五分の一くらいしか食べられません。おなかは空くそうですが、食べられない。リビングに私がいて寝室から出てくるのは数回。出てきても2分くらいで黙って寝室に立ち去っていきます。気まぐれな猫みたいなものです。猫よりは足取りが重いのですが。

今もそばにいて「嵐が来ている」とポツンと言ったので、「どこに」と聞いたら、「身体中に」とか言って寝室に戻っていきました。

三年間、四年間と続けた治療法(ステロイド)を変えた副作用なのか、それとも(単なる)病気の進行なのか、見極めがたい状態です。

投稿者 ashida : 2006年06月04日 23:38
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