イチローはよかった ― 世界野球大会によせて 2006年03月21日
今回のWBCは、イチローがすべて。大リーガーでも第一人者のイチローが、日本チームの代表としていつにもない表情で戦う。イチローがこんなにも興奮する大会、というのは、よほどスゴイ大会なんだ、とみんなが思い始めた。それがこの大会の盛り上がりの全て。もともと野球の世界大会なんありえないと覚めた思いで見ていた日本人にとって、このイチローの態度は異常に見えた。
いつもは冷静で、コメントさえ出さないイチローが素直に試合への執念を毎日毎日語る。特に決定的だったのは、韓国戦でイチローが場外のライトフライを取り損ねたシーンだった。自他に耐えきれない怒りをよせて、フェンスを蹴ろうとしたが、その足を我慢して蹴り留まったシーンは、感動的だった。口先だけで盛り上げているだけではなくて、心底この世界大会にかけているイチローの気持ちがよく表れた瞬間だった。私もこのシーンはジーンと来た。“日本チーム”を応援すべきだ、と思ったのは私だけではあるまい。たぶん、これが今日の優勝を呼び込んだシーンだった、と思う。
誤審騒動もメキシコのがんばりも、すべてはイチローがそのことについて語る、その語り口に日本の国民は一喜一憂した。すべてイチローの毎日のコメントが巻き起こしたひろがりだった。アメリカは早々と脱落していったが、イチローが野球の国アメリカが育てた大リーガーであったからこそ、日本人はこんなにも盛り上がった。イチローはすごいし、アメリカもすごい。
残念なのは、そのイチローが帰国(凱旋帰国)せずにそのままアメリカに留まるということだ。帰ってきたイチローを直接祝福したり、帰国後のコメントも欲しかったが、それはできない。残念だ。大リーガーイチローが帰国しないというのは当たり前のことだが、真のヒーローはいつも遠いところにいる。その(遠い)イチローが今回一生懸命、近くへと語り続けてくれた。ありがとう、イチロー。
(Version 3.0)
※このブログの今現在のブログランキングを知りたい方は上記「教育ブログ」アイコンをクリック、開いて「専門学校教育」を選択していただければ今現在のランキングがわかります。
この記事へのトラックバックURL:
http://www.ashida.info/blog/mt-tb.cgi/697
日本の世界一は当然うれしいです。そして、私もイチローの背水の陣のような姿勢で臨む姿には感動しました。
やっとの思いでつかんだ栄光だと思います。そして大会自体も成功したと思います。(日本的には・・・)
しかしこの大会の審判には疑問を感じます。
日本対アメリカの試合でアメリカ人の審判がいるとは、公正なジャッジが出来ないのではと思います。
サッカーのように第三国の審判が行うのは普通だと思うのですが・・・。
ドクターペッパー様
私は、どんな誤審も、誤審に巻き込まれたら、もう負けだと思っています。そういった細心の注意やビデオカメラまで持ち出さないと判定できないような“セーフ”や“ゴール”は、そういった事態に至った時点で、本来はもう負けです。
選手の日々の修練とは、そういった判定の技術(“高度な”技術)に依存しない“セーフ”や“ゴール”を獲得するためのものであって、せっぱ詰まった“セーフ”や“ゴール”のために存在しているのではありません。
だから、“誤審”などというものは存在しない。誤審とは誤審と思わせる可能性のあるプレイの存在を意味するのであって、それはプレイとしては(わくわくさせるにしても)三流のプレイなのです。だから、誤審には真剣に怒ってはいけません。