やっぱり小椋佳は「さらば青春」 ― さらば、青春(写真付き) 2006年03月29日
さらば青春(1971年)(http://www.yamaha.co.jp/himekuri/20010118-01m.html)
作詞・作曲:小椋 佳
歌:小椋 佳
JASRAC作品コード000-7244-3
僕は 呼びかけはしない
遠く すぎ去るものに
僕は 呼びかけはしない
かたわらを 行くものさえ
見るがいい 黒い水が
抱き込むように 流れてく
少女よ 泣くのはお止め
風も木も 川も土も
みんな みんな
たわむれの 口笛を吹く
僕は 呼びかけはしない
遠く すぎ去るものに
僕は 呼びかけはしない
かたわらを 行くものさえ
見るがいい 黒い犬が
えものさがして かけて行く
少女よ 泣くのはお止め
空も海も 月も星も
みんな みんな
うつろな 輝きだ
ラララ……
なぜか、私のiPod(http://www.ashida.info/blog/2004/05/hamaenco_4_49.html)から懐かしの「さらば青春」(小椋佳)が流れてきた。この歌については、やはり一言言っておかなければならない。「さらば青春」は私が高校2年生のときの歌だ。
私が、小椋佳を知ったのは、高校を卒業するかしない頃、高校の部活の後輩の女生徒(大槻明美といい、みんなでは「明美ちゃん」と呼んでいた)が、町にバスで出かける(この言い方が田舎っぽいが)のを偶然目撃した。それを翌日の学校で、「どこへ行こうとしていたの」と聞いたら、「三字屋へLP(LPレコード)を買いに」と教えてくれた。
「三字屋」(http://www.kyoto-gakkisho.com/kumiai/sannjiya.html)と言えば、当時我が町では文化の中心の“レコード屋”。30年前の地方の近代化の拠点は、大概の場合“レコード屋”だった。今、その「三字屋」をGOOGLEで検索したらトップで表示されたのを感激しているが、まだつぶれていないだけでも大したもの。
当時の「三字屋」の長女はわたしと小学校時代からの同級生(たしか「小林マリコ」という名前だった)。当時は、小さな町では「LPレーコード」を買うだけでもハイカラな種族だった。「LPレコード」はそのとき一枚3500円くらいしたから、高校生であっても高額出費だったのである。
しかも「明美ちゃん」は魚座生まれ。田舎の子にしてはちょっとハイセンスな女の子。そんな二つ年下の後輩がわざわざ休日に「三字屋へLP(LPレコード)を買いに」行くくらいだから、よほどお気に入りの、才能ある歌手に違いない。「誰のLPを買ったの?」としつこく聞いたら、「小椋佳(おぐらけい)」とはずかしそうにぽつんと答えてくれた。
「小椋佳? 知らないなあ」「いいの」「私はいいと思います」「そう」「どこで知ったの?」「FM聞いていたら」「そう」。
私は、後輩に先を越されたかもしれないと急にあせり始めて、次の日から早速小椋佳のアルバムを買い集めはじめた。「明美ちゃん」は何となく変わった感じの女の子だったから、そのセンスに私も賭けていた。
小椋佳のアルバムは当時2枚のLPが出ていたと思うが(「青春~砂漠の少年~」1971年1月、「雨」1971年11月)、予想通り珠玉の名作揃いであっという間にファンになった。
「さらば青春」はその小椋佳の最初期の代表作。最初期と言っても、小椋佳はこれ以上の作品は書けていないと思う。その意味でもまさに代表作だ。最初自分の買ったLPを聞いて、この「さらば青春」がながれてきた時には、「この曲なら知っている」という感じだった。
当時、フォークソングへの関心からギターを弾くようになった連中は、必ずと言っていいほど、この曲を練習していた。その意味でも、この曲自体は有名だった。
その後も、私の母方の実家の懐石料亭(http://www.kibune-fujiya.co.jp/#)に小椋佳が綺麗な女性を1人同伴して訪れたこともあった。私の母が、食の席を挨拶代わりに訪れ、「私の息子も大ファンで、私も大好きです」と言って、よりにもよって本人小椋佳の目の前で歌いはじめたのが『白い一日』(http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/shiroiichinichi.html)。しかも「真っ白な陶磁器を」と始まる歌い出しを「真っ白な陶磁器が」と間違って歌い続け、恥ずかしい初対面だった(らしい)。でも、小椋佳にサインをもらい「心の中で戦闘機を飛ばすんだ、しず子さん」と走り書きされていた(私の母の名前は「しず子」)。なかなかの色紙だ。その色紙は今でも大切に“保管”されている。
そう言えば、『白い一日』はあの武田鉄矢も大好きな曲らしい。彼は「陶磁器」を「掃除機」と長い間、聞き間違えていたらしく、さすが小椋佳さんともなれば、掃除機を一日中見つめ続けても飽きもせず、それを詩にまで歌い上げることができるんだ、と思いこんでいたらしい。「真っ白な掃除機を眺めては飽きもせず…」が武田鉄矢風『白い一日』。そんなバカな…。
しかし私にとっては、やはり『さらば青春』。私が、この曲を彼の代表作だと思うのは、当時とほとんど同じ気持ちでこの曲が聴けるからだ。他の作品は、こちらが若くて言葉の使い方も知らない、使える言葉の数もない状態で抽象的に惚れ込んでいたものが多くて、今でも聴くのに恥ずかしいものも多いが、「さらば青春」だけはそのまま聴ける。小椋佳にとどまらずどんな場合でも“そのまま”聴ける作品が代表作だ。たぶん今聴いているこの曲の私の聴き方は、当時聴いていた感性と等質なままだ。およそ35年前と何も変わってはいない
この「さらば青春」は、元々は、当時激しかった学生運動への決裂の宣言歌を意味していた。「黒い水」「黒い犬」というのは、左翼運動家やその運動を指している。そしてそういった煽動に巻き込まれていく学生たちや人々の群れを指している。
小椋佳はこの当時の誰でもがかかる青春病=マルクス病から隔離されていたノンポリだった、ということだ。実際にそばにいたら、いやな奴だったに違いない。
僕は 呼びかけはしない
遠く すぎ去るものに
僕は 呼びかけはしない
かたわらを 行くものさえ
これはしたがって、街宣運動する左翼活動家たちの風景に対する訣別宣言。マイクで呼びかけ続ける運動家たちのようには、「僕は呼びかけはしない」。
真理の比喩でもある「少女」は、そういった街宣運動する左翼活動家たちの“勇ましさ”におびえて泣いている。でもそんなにおびえて泣くことはないよ。「風も木も 川も土も みんな みんな たわむれの 口笛を吹く」。時流に流されない周りの〈自然〉も、彼らの挙動や言説を支持しているわけではない。「たわむれの口笛を吹く」程度に彼らに冷めているのだから。だから「少女よ 泣くのはお止め」。
そんなふうに、この歌の直接のメッセージは反左翼運動だった。
しかし左翼も反左翼も関係なく、この歌の喚起力は別のところにあった。それは、同胞を集めることにしか関心のない連中、群れをなす事によってしか“真理”を見出すことのできない連中、群れを為すことが真理の真理性の尺度であるかのように振る舞う連中への決裂宣言でもあったということだ。ここには左翼も右翼もありえない。どこの組織や会社にもある風景だ。
「僕は呼びかけはしない」。「かたわらを 行くもの」にさえ(つまり“味方”であってさえも)呼びかけはしない。
「少女」という繊細な他者や「風」「木」「川」「土」、「空」「海」「月」「星」といった〈自然〉(=無口な他者)の中で、私はもはやノンポリの自己(自己主義的な自己)ではなく、ある世界意識を有した孤独にたたずんでいる。そういった青春の原風景がこの「さらば青春」だ。
さらば青春、というのはそういった孤独を甘受して私は同時代の青春とさらばする、という意味だ。こんなに苦々しい青春はない。というか、本来青春は数々の訣別の原体験の季節なのかもしれない。あらゆる訣別は青春のそんな苦々しい“経験”に基づいているのかもしれない。訣別は再生の別名でもあるからだ。人が、決してあてにならない〈少女〉と〈自然〉を味方(味方にならない味方)に付けて訣別を決意するとき、そのときにこそ人は青春を生きている。たとえ何歳であっても、そうだ。さらば、青春というように。
これを叙情的なメロディーで、しかもあまり感情(抑揚)をいれずにあっさりと歌い上げたところに、小椋佳のなみなみならぬ感性が光っていた。この歌は、何歳になっても一年に一回くらいは聴いた方がいいかもしれない。
※小椋佳の全体については、このサイト=「小椋佳倶楽部」http://www.gfe.co.jp/ogla/index.html がまとまっていて詳しい。
※ちなみに「さらば青春」を含めて小椋佳ベストソングを5曲挙げろと言われれば、以下のもの。私の自宅には、今10枚の小椋佳のLPレコードがあるが、『帰っちゃおうかな』以後はもう聴いていられない。作為が前に出すぎているからだ。今日学校から帰宅してその10枚のLPレコードを一枚、一枚取りだして聴き始めたら、止められなくなった。中には、20年くらい開けてはいないアルバムもある。カビが生えていないか心配だったが、見事に35年前の音がよみがえってきた。「陽だまりの仲間達」が再生されたときには感慨ひとしお。中一で知り合い(同じクラスで)、高校(同じ高校)の入試合格発表の時以来“交際"を開始していて同じLPを同じように持っている家内は「私のLPは今頃どうなっているのだろう」と言いながら、「陽だまりの仲間達」を聴いて泣き続けていた。泣くような歌ではないのだが。
青春(1971.01.15) ― 「さらば青春」
雨(1971.11.01) ― 「この空の青さは」
彷徨(1972.03.01) ― 「雨が降り時が流れて」、「小さな街のプラタナス」
帰っちゃおうかな(1972.12.10) ― 「陽だまりの仲間達」
以上がベストファイブ。今これらの曲を手軽に聴こうと思えば、「コンプリート・シングル・コレクション 1971~1976」(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000CD82U/qid%3D1143728719/249-5652218-5969121)がいちばんまとまっている。
アルバム『帰っちゃおうかな』(ポリドールレコード)の「陽だまりの仲間達」をほぼ30年ぶりに再生するわがアナログ再生装置の断片。なかなかの音を今でも奏でてくれる。レコード針が音を出す方が今では不思議に思えてくるが、古いCDを再生するよりははるかに古さを感じさせてくれて、ほこりが被っていたプレイヤーをなぜかやさしくやさしく綺麗にしたくなった。針先がほんのわずか蛇行する様子が何とも言えない。思わず写真に撮りたくなって掲載しました。後、4、5時間くらい聞き続ければ、音はもっと、もっとよくなるはずだが(この小一時間聴いているだけでもグングン音は良くなっている)、平日の木曜日ではそんなことは言ってられない、残念!
(Version 6.1)
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芦田校長。いつも細かいところに(異様に!)気を配って情報を伝えてくださる先生が、写真のアナログプレーヤーに関してはなぜなにも書いてくれなかったのでしょう。
私も巨万のLPを抱えながら、Pioneerの愛機が故障した4,5年前から全然聞けていないのです。よろしくご教示ください(もちろん他のお奨め商品があればそのほうがいいですが)。
おたずねのプレイヤーはデンオンのDP-47(http://denon.jp/museum/player.html)。85年2月発表の製品です。LP版を捨てるのも惜しいので、最後のアナログ出費と思って“買い溜め”のように買ったダイレクトドライブプレイヤーです。だからそれほど高くはありません。
当時安売り店でたしか5万円以内で買いました。今ならYAHOOオークションで20000円くらいで手にはいるようです(http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b62478105)。MCカートリッジが標準で付いている割には安いと思って買ったのが“最後の”動機でした。フルオートプレイヤーでいい音なんか出るわけがないでしょうが、80年代後半、もはや時代はCDの時代でした。現在私が使っているアンプの割には、格違いに安いプレイヤーですが、これも時勢でしょう。
この前に、本格的に使っていたのは、STAXのトーンアームUA-70(http://www.stax.co.jp/OLD/Photo/Ua70.jpg)、SHUREのカートリッジ(http://www.kanjitsu.com/jp/shure.htm)、デンオンのDP-5000(http://denon.jp/museum/player.html)のダイレクトドライブターンテーブルにDK-70キャビネット(http://denon.jp/museum/others.html )をそれぞれ単品で買って組み立てて使っていたものです。SHUREのカートリッジもいい音を奏でていましたが、私が特に好きだったのは、 STAXのトーンアームUA-70。端正で飾り気のないデザインが特に好きでした。何よりもSHUREカートリッジの音を表現するにふさわしいトーンアームでした。
ただし、凝りに凝った70年初頭のこの私のプレイヤーも、実質的な音は10年以上経って出てきた先のデンオンのDP-47の5万円の音にそれほど変わらないのかもしれない。そもそもダイレクトドライブモーターの精度と安定感の向上ははかりしれないのだろうから。
ということです。これで返答になったでしょうか。返事が遅れて申し訳ありません。年度末の理事会、年初の学校見学会、明日(日曜日)は新入生保護者説明会とサクラを愛でる暇もない程あわただしくしています。お許し下さい。
僕は小椋桂の中では「いまさら」「道草」という初期というよりも中期の作品が好きだ。青春の年齢を過ぎた大人になって、芦田氏の言葉で言えば、訣別は再生の別名だから、「さらば青春」の後、少し時間をおいて、直接的な言葉で語ったのが、「いまさら」「道草」なんだと思う。
「いまさら」
「いまさら たてがみゆれて 飛ぶペガサスにつけるひずめもない」
「道草」
「まっすぐに張った糸が あの日 僕は好きだった」
芦田くんも僕も、この歌の頃は、21歳、もう20歳の青春前期を越えた頃だ。
そういえば、東京に来る前、「三字屋」で「アビーロード」を買ったのを良く憶えている。