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650 re(4):そんなことより、あの犬の小屋が ― そして何もなくなった。 |
2002/4/15(月)21:32 - 芦田宏直 - 49736 hit(s)
いいですか。私は、私が先行しているとは一言も言っていない。私の生死論と世界論より、村上や池沢が遙か後方だと言ったのです。これはむろん、村上や池沢のすべてについてではありません。あなたによると「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」と村上は言ったらしい。しかし、死は、本当に「生の一部」ですか。この場合、「一部」とはどういうことですか? 私なら、そんな曖昧な言葉の使い方はしません。こんな微妙な問題において「一部」なんて気の利かない言葉しか使えない村上のどこにあなたは、「筆一本」の緊張感を読みとっているのですか? こんな生死論で、何があなたにわかっているのですか。
さらに、あなたによると「世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない」と池沢は言ったらしい。この前半の文と後半の文は、どういうつながりですか? (さらに、また)というつながりですか、どういうつながりですか。(さらに、また)だとしたら、池沢は、まだ〈世界〉について、何も言っていません。いったい、あなたはこの引用によって、何を言いたかったのですか。この文章で、〈世界〉についての何がわかったつもりでいますか?
あなたの文章のもう少し読むと、あなたは、自分の引用した文章、あるいは生死論、世界論にはまったくふれず、「筆一本で、生活しているわけだから」村上は「尊敬します」。芦田は、そうではないから、なかなか尊敬しづらい、ということらしい。これも意味のないことだ。「筆一本」が、その人たちの書くことの源泉であるなら、先の引用文はいったい何のためにあったのですか? 要するに有名な作家の書いたもの、というだけのことなら、わざとらしい引用(引用した本人が意味を理解しないままの)を重ねることなどないじゃないですか。村上は有名で、その点で無名な芦田の負け、それでいいじゃないですか。
私の立場は単純なもので、(有名であれ無名であれ)ダメなものはダメ、(有名であれ無名であれ)いいものはいい、というだけです。
あなたの言う「負け犬の嫉妬」という言葉は、誰にとっても無関心ではいられない深刻な問題だと思いますが、それについては、私は、「芦田の毎日」331番「一流とは何か」(http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&v=331&e=msg&lp=331&st=300)と36歳の著作『書物の時間』(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3cbac3c0905f40106273?aid=&bibid=00666692&volno=0000)の“あとがき”「累積について」で精算をつけました。年代的には逆で「一流とは何か」は36歳のときの「累積について」の簡略版です。
私の生死論は、「芦田の毎日」では、58番(http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&v=58&e=msg&lp=58&st=300)、83番(http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=83&e=res&lp=58&st=300)、115番(http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&v=115&e=msg&lp=115&st=300)、146番(http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&v=146&e=res&lp=146&st=300)、234番(http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&v=234&e=msg&lp=234&st=300)、322番(http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&v=322&e=msg&lp=322&st=300)、324番(http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&v=324&e=res&lp=324&st=300)、331番(http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&v=331&e=msg&lp=331&st=300)。
同じく私の世界論(生死論と重なっていますが)は、234番(http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&v=234&e=msg&lp=234&st=300)、340番(http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&v=340&e=res&lp=340&st=300)、439番(http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&v=439&e=res&lp=439&st=0)。
こういった箇所で、私は、あなたの引用した村上や池沢の当該箇所よりは、はるかに具体的に、「一部」の意味、「世界」の意味についてふれています。
私が、あなたの文体を「ポストコロニアル」さん(http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&v=618&e=msg&lp=618&st=0)と同じようにくだらないと思ったのは、あなたが、やはり(「ポストコロニアル」さんと同じように)ヒューマニストだからです。意見を、〈人間〉にいつも戻してしまう。だから「筆一本で、食べている人」なんて言い方が出てくる。〈生活〉がくだらないように、〈人間〉もくだらないのです。
私が批判しているのは、いつも思考のタイプについてであって、人間についてではありません。村上がもし〈生死〉を論じているのでれば、村上についてではなくて、〈生死〉に集中すればいい。池沢が、〈世界〉を論じているのであれば、池沢についてではなく、〈世界〉に集中すればいい。それだけのことでしょ。
私にとっては、〈村上春樹〉も〈石渡智也〉も同じです。私は、あなたの〈内容〉に集中しているだけです。〈内容〉がくだらないと言っているだけです。あなたは、〈ポストコロニアル〉さんと同じように、その内容を回避し続けている。あなたの引用(あるいはあなたの知識)は、単なる〈内容〉からの逃亡の道具にすぎません。大学時代の私にとって、それは自己嫌悪の対象でした。
逆に言えば、あなたの文体もポストコロニアルさんの文体も単に〈生活〉(と人間)が露呈してるだけの文体なのです。人間や生活が露呈しうるという意味では、どんな人間の文章も平等です。村上も池沢も石渡もそして私も、その意味では平等です。だからくだらない。
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