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578 re(2):マンション大規模修繕計画10箇条 |
2002/3/19(火)00:06 - 芦田宏直 - 50999 hit(s)
私が「素人」という言い方をしたのは、大規模修繕について無知という意味でのことではありません。理事に建設会社の社長がいようと一級建築士や有名なデザイナー、工学部の大学教授や民事訴訟専門の弁護士がいようと、それらの人は〈素人〉です。
私が言う〈素人〉とは、案件を決めたことに対して責任が持てない人のことを言います。理事会の決定が間違っていた場合、その理事会はどうやって責任をとるのですか? 真鍮にクリアコーティングした玄関表札がクリアーは剥離しやすいからといって、焼き付け塗装にして(質感を落として)しまったり、モルタルの笠木の、10年目のウレタン塗装について、グレーじゃ芸がないといって茶色に変えて、工事が終わり足場を外して再度マンションの全体が露呈したとき、(たとえば)失敗だなと認められる場合、その決定について理事会はどうやって責任を取るのですか。もう一度、やり直す費用は誰が出すのですか? こんな責任は誰も取れませんし、追求もできません。住民同士で訴訟なんて、よほどのことがない限り不可能です。理事会に楯を突くというのは、大変なことなのです。
なぜ、そうなるのか? 理事会はボランティアだからです。つまり善意、善人の集団なのです。善意の行為ほど修正するのに苦労するものはありません。したがって、反対意見が内外から聞こえてくる場合、この集団はきわめて自閉的な体裁をとることになります。“善意でやったことなのに、なぜ、そこまで言われるのか!?”というように。だから、まともな人は、誰も理事会に楯を突きません。“村八分”にされることを嫌うからです。専門的な意見が尊重されているのではなく、近所付き合いが前提されており、その本質は善意の集団ということなのです。
それは、対立を覚悟してまで意見を言う人がいないということです。専門性は、しかし、専門的であればあるほど対立する場合もあります(私は一昨年、専門的であろうとして理事長を一票差で解任されたことがあります)。善意の共同体を形成する理事会(=嫌われたくない理事会)は、だから専門的な議論のできない集団なのです。その意味で素人の集団なのです。要するに、理事会のトークとは、そこでどんな深刻な、あるいは知的な議論がなされようとも、その質としては、世間話を一歩も超えないものなのです。世間話に責任などあるはずがありません。
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┣【578】 re(2):マンション大規模修繕計画10箇条 2002/3/19(火)00:06 芦田宏直 (1975) |
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