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660 re(7):そんなことより、あの犬の小屋が ― そして何もなくなった。 |
2002/4/23(火)00:53 - 元受講生 石渡智也 - 44710 hit(s)
いいですか。私は、私が先行しているとは一言も言っていない。私の生死論と世界論よ
り、村上や池沢が遙か後方だと言ったのです。これはむろん、村上や池沢のすべてについ
てではありません。あなたによると「死は生の対極としてではなく、その一部として存在
している」と村上は言ったらしい。しかし、死は、本当に「生の一部」ですか。この場合、
「一部」とはどういうことですか? 私なら、そんな曖昧な言葉の使い方はしません。こ
んな微妙な問題において「一部」なんて気の利かない言葉しか使えない村上のどこにあな
たは、「筆一本」の緊張感を読みとっているのですか? こんな生死論で、何があなたに
わかっているのですか。
さらに、あなたによると「世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみ
を入れる容器ではない」と池沢は言ったらしい。この前半の文と後半の文は、どういうつ
ながりですか? (さらに、また)というつながりですか、どういうつながりですか。
(さらに、また)だとしたら、池沢は、まだ〈世界〉について、何も言っていません。
いったい、あなたはこの引用によって、何を言いたかったのですか。この文章で、〈世界〉
についての何がわかったつもりでいますか?
上記は、芦田さんの文章。
下記は、僕の文章。
確かに、文章には、芦田さん先行しているとは一言も言ってないけれども、芦田さんの
生死論と世界論より、村上や池澤が遥か後方だと言ったということは、相対的には、芦田
さんが先行していると言っているようなものだとも思うけどなぁ。(後方って言葉を使えば、
それは、マイナス評価にならないってことにはならないでしょ。芦田さんは、価値評価を
持ちこむのが、大好きでしょ。僕は、価値評価を持ちこむことは、たいして興味ない)。そ
れとも、自分も後方だけど、村上春樹と池澤夏樹は遥か後方だと言いたかったわけ?(ま
ぁ、こうは思っていないだろうなぁ)。言葉を曖昧に使うのは、嫌いなようだから(別に、
僕も、とりわけ好きではない。ただ、一貫して、言葉をいつでも厳密に突き詰めて使うこ
とがいいとも思っていない。もっと柔軟に言葉とは付き合いたいわけ。クルマで言えハン
ドルの「遊び」。それないと危ないの知ってますよね。僕は、「遊び」に興味が強いって
ことですよ)、カチンコチンに言葉を使いたくなんかない(だから、それほど、言葉を厳
密に使うってことを、別段、尊重していないし、思想とか、考えとかも)。言葉それ自体
に対しても、それは、たんに、言葉だよって、どこか突き放している。言葉が無価値だと
は思ってないけれども(どんなことでも、過ぎたるは、及ばざるが如しってのは、よーく
考察するに、値する文章じゃないの?)春樹と夏樹のことは、また、書く機会にご説明。
僕は、別に、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」という村
上春樹が書いた言葉の意味を、とりわけ、厳密に考察してもらいたいがために、引用した
わけではないなぁ。もちろん、それしたい人は、やればいいとは思いますが。それに、厳
密に考察した上で、評価したりするわけではなく、気になる言葉(言葉によって作られた
思想や考えも)ってのもあるわけだし。だからって、その一文が、そうだというわけでは
ないけれども。感覚的とか直感的な言葉の受けとめ方もあるわけだし。それ分ります?
例えば、自分の大好きな絵画を、厳密に言語化して説明することなんて不可能(全く不
可能ってわけではないけど、だから、美術評論家っているもんなぁ)だし、とりわけ、そ
んなこと必要だとも思えないし、言葉なんか介在しないで、いいと感じるか、なんとも感
じないか、不快に感じるかって、対象への関わり方は、確かにある(映画の場合は映像だ
けではなく、言葉もあるので随分複雑だけれど)。音楽も詩が伴っていれば、相当複雑な
こと(音だけでも、相当複雑だけれども)。ところで、芦田さんは、楽器何かできますか?
(まぁ、たて笛でも、カスタネットでも、シタールでもなんでもいいですけど)
それが、言葉によって組み立てられた文章や思想や考えであったとしても、その対象へ
の関わり方は、厳密には、それと関わった人間の数だけ、存在していると考えるなぁ(で
も、本当のところは、分らない。僕はあくまでも僕であって、僕以外の人間ではないから
(検証不可能)。だけど、僕が僕であると思っていることだって、揺さぶりかければ、僕
が僕であると思っているほど、僕ではないのかもしれない。僕の中には、今までの記憶も
あるわけだし、その記憶は、純粋に(というか単独にかな)自分ひとりで作られたもので
はないし、僕の中には、僕以外の人間が多量に入りこんでいるし、その入りこんでいるも
のは、はたして、僕だと言えるだろうか? 僕なんて、本当はないのかもしれない(便宜
的に僕はあるとしなきゃ、話し進まないし、あるとしとくかな。僕の考えとか判断とかも、
一応、あるとしておくか)。
僕の考えでは、結局、芦田さんが得意な(まぁ好きなんだとも思えるけれど)、何かの
対象(これは、生死論であろうが世界論であろうが、なんでもいいけれども)を、厳密に
言語(言語を駆使した、芦田さんなりの理論によってであっても)によって、定義しても、
それは、不完全なものであると思えるし、だれ一人として、完全(完全なんて言葉がある
ことが、そもそも、大きな間違いか?)なんてものに到達することなんてないってだけ。
例えば、対象を厳密に言語理論によって定義するとしよう(具体的に、芦田さんのマン
ション大規模修繕計画10箇条だろうが、クルマ購入方10箇条でもなんでもいいけど)。
なぜ、10に限定したわけ?11でも17でも169でも60000でもよかったのでは
ないですか? でも、そんなことできないでしょ。やったら、クルマ購入方だって一生か
かっても終わらない)、とことん、厳密さによる完璧性を追求すれば、最後はどうなるか
っていうと、数値化もできない∞(これがあるかどうかは、時間との関わりがあるし、別
の問題だけれど)ってとこに行っちゃうワケでしょ。ってことは、厳密に対象を言語によ
って定義しようとした行為そのものによって、それは、最終的には自壊することになる
(自分で自分の首を絞めてるようもの)って、僕は考えるな。分りますか? けっこう微
妙なこと言ってますよ。
僕は、芦田さんとは全然違って、自分の考えだとか(対象はなんでもいいけど)を、こ
れは絶対いい(だいたい、絶対なんて言葉を使う人間は、まぁ嫌いだな。経験的にも、そ
の言葉を違和感なくホイホイ使うヤツに、ロクなヤツいなかったし。まぁ、僕の経験なん
てたかが知れているし、経験から導きだされた判断は、まぁ、それなりに意味あるかもと
は思っている程度)だとか、他人に対してつべこべ言いたくないワケ。それに、芦田さん
は、ヒューマニストだと、僕やポストコロニアル(だったっけ?)さんを考えているみた
いだけど(ポストコロニアルさんは、そうかどうか僕は知らない)、そんなに、人間単純
じゃないけどなぁ。僕は、権謀術数使うことだってあるし、「目には目を、歯には歯を」
ってことも、場合によってはある(10倍返しとかだけれど)。それに、ヒューマニスト
と反りが合わない(あるいは、全然価値あるとも考えないのであれば、あるいは、そうだ
と思える人間が大嫌いなのであれば)、徹底して、自分の周りから排除すればどうですか?
それできますか? テラハウスで最も受講生の評価が高いのは(今はどうか知らないけ
れど)、CGの加藤先生なんじゃないのかなぁ。その理由、分りますよね。彼を首にすれ
ばどうですか。受講生も、考えをチェックして、自分の嫌いな人間(ヒューマニスト)を、
全て排除すればどうですか。もちろん、それしたいのであれば、やればいいと思いますよ。
僕は、芦田さんではないから。自分とも全く違う人間に対しても、単に批判するだけでなく
(まぁ、批判なんて簡単なものだけれど、それが思考のタイプであっても、50歩51歩
だと、僕には思える)、嫌だろうがどうだろうが、多種多様な他人と、関わりあって、嫌
いなヒューマニストとかいう相手から(僕のことではないですよ。芦田さんのカテゴライ
ズ、当たってないもの)も、それなりに恩恵こうむって、生きているんじゃないのですか?
僕が興味あることは、芦田さんは、自分の考えや思想や意見を、書く事によって、一体、
読者に何を望んでいるんですか。これ聞きたいなぁ。
それと、人間関係の終わりとは、芦田さんによれば、どう定義してますか?(僕には、
定義ありますけどね。僕の定義は恋愛関係の終わりにも使えるかな)。
ではでは〜♪ 元受講生 石渡 智也
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