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93 | 1/17(金) 11:00:40 |
『カレッジマネジメント』原稿(その2) | 芦田宏直 | 0 | 2014 |
リクルート『カレッジマネジメント』(http://websearch.yahoo.co.jp/bin/query?p=%a5%ab%a5%ec%a5%c3%a5%b8%a5%de%a5%cd%a5%b8%a5%e1%a5%f3%a5%c8&hc=0&hs=0)で連載中の記事「社会人市場をいかにして取り込むか」の第二回(『カレッジマネジメント』118号)が発表されました。昨年の12月6日に書き上げたものですが、ここに掲載します。もう次回の原稿締め切りが今月の27日に迫っています。連載原稿は地獄です。なお第一回の記事は、「芦田の毎日」61番(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=61)で掲載されています。 ●社会人教育マーケットの固有の問題 学生教育と社会人教育とのマーケット要求の違いは何だろうか。 まず第一に、学生教育の場合は、すべてをゼロリセットで始めることができる、つまり体系的に開始することができるが、社会人の場合は、年齢も違う、経験も違う、学ぶ目的も違う、というように同じ講座であってもそれを評価する観点は、学生受講生に比べはるかに多く、複雑になるという点を上げねばならない。 もちろん、学生の場合も偏差値格差や基礎学力格差に悩まされ続けているということはあるにしても、それは“学力”上のリニアな格差であって、社会人の受講格差に比べれば、はるかに単純なものである。 この違いが、社会人の場合には長いスパンの講座を組めない一番大きな要素である。時間が長くかかり、その分内容量が大きい講座ほど、受講の前提が狭まっていく。その講座にぴったりの年齢、経験、目的を有した受講生を見つけるのは大変なことになる。そのために受講料単価を上げざるを得ない。受講料が高いと誰も来なくなる。単に受講料が高いため誰も来なくなるのではない。時間的にも内容的にもボリュームが大きくなると、その内のいくつかの内容は「すでに知っている」ものも多く含まれていることになり、より一層の割高感を生んでいたのである。 ボリューム的な割高感だけではない。長い期間の講座は、大学人(教授)が学校で日頃開講している授業をいくつかのフェーズで焼き直したものがほとんど。社会人(実務家)が講師を務める場合も、いちどどこかで使ったパワーポイントを焼き直したものがほとんど。要するに“書き下ろし原稿”はほとんどない。そもそも、長い講座を教材を含めてすべて書き下ろしで構成していたら、講師料をいくら払っても誰も引き受けてくれないからだ。したがって長い講座はどうしても内容が陳腐になる。今日の変化の早いビジネスや社会が要求する学習の内容からはほどとおいものがほとんど。この意味でも割高感が一層増すのである。 第二に、学生の日常は講座の時間割に従属するが(勉強することが“仕事”であるが)、社会人は、大概の場合、仕事をしながらの学習になる。したがって時間の自由がきかない。突然会議が招集されることもあるし、顧客から呼び出されることもある。そうなると、長い期間の講座受講は不可能になる。長い期間の講座は体系的な場合が多い。体系的ということは、先の受講の内容が前提されて次の講座が展開するということだ。したがって、たとえば、20回20日の講座があるとして、単に18回出られたから90%マスターしたということにはならない。その2回の欠席が前半に集中しているとすれば、全体の理解にかなりの障害になっていると言える。長い講座の理解の階層性は、前半の受講の出席にかなりの緊張を強いることになる。 第三に、講座単位にあつまる社会人は、その講座ではじめて出逢う人たちばかり。しかも先にも触れたように年齢も経験も目的も異なる。仮に講座が同じ講座であっても、その集まった人たちが、どんな基礎知識や経験をもっているのか、何のために(趣味・教養のためか、職務上の必要か、再就職のためかなど)その講座を受けているのかによって、教室の風景と雰囲気は一変する。その集団が幼稚な集団であった場合は、高度学習を期待した場合には幻滅の連続だろうし、その集団がプロの集団であった場合には、初心者受講は、質問も遠慮せざるを得ない不安な受講の連続だろう。こういった事態は、受講する前にはわからない事態だ。そして受講したときにわかっても、受講料は前払いのため、キャンセルするのが難しい。したがって、難しすぎるか、易しすぎる受講の連続の中で失意の内に講座を終えることになる。支払った受講料の半分くらいが無駄なものになる。 こういった受講前と受講後の落差は、どんなに講座内容を詳細化しても解消しづらい社会人講座の宿命とも言えるものだ。学生の場合であれば、偏差値的な基礎学力以外は、年齢や世代の共通性、あるいは学部の共通性の中である種の共同体が形成されているが、社会人講座にはそういった共同性さえ皆無だ。これを講義内容(いわゆるシラバス)の共通性だけでフィルターにかけることなどほとんど不可能に近い。そして長い期間にわたる講座ほど、この落差の失望感は拡大していくことになる。 つまり、学びたいものだけを学ぶという〈消費〉型の学習 ― 学生教育のようなゼロリッセト型の教育を教育主宰側が主導権を取るという意味で〈生産〉型の教育と言うとすれば ― には、受講単位のスパンはできるだけ短く、選択度の高い講座体制を取る必要があったと言える。 もちろん、この体制にはいくつかの壁があった。一つには、短いスパンの講座管理を〈学校〉は苦手だということ。〈期〉や〈学年〉というタームでしか授業管理できない〈学校〉 ― 悪く言えば、科目評価を時間単位に評価・管理できない〈学校〉 ― には、短い講座の構成や管理のノウハウはなかった。 選択制を導入するというのも、結局はコスト高になってしまう。カリキュラムは複雑になる、受付(受講予約の処理)も複雑になる、教室の管理や講師の管理も複雑ということになると選択制は受講生に都合は良くても、主宰側にメリットはほとんどない。コスト高ですべては頓挫する。 しかし、長期講座のデメリットは遥かに深刻なものだった。長い講座がマーケットを狭める。長い講座が内容を陳腐化する。長い講座は結局割高感を生む。そうやって、長い間、社会人教育市場、生涯学習市場は拡大する気配を見せなかったのである。 しかし、長期講座は必要のないものだったわけではない。“経験”や“必要”にがんじがらめにされている社会人にこそ、体系的で、原理的、本質的な教育は必要であっただろうし、またそれとは逆に、体系や原理しか学ばない学生にこそ、実務的な教育が必要になるだろう。両者(社会人教育、学生教育)のそういった必要が、〈生涯学習〉と言われ続けてきたものの本来の内実をさしているのであって、“長期”という意味では、社会人教育は〈生涯〉にわたって学び続けることのカリキュラム(学校と職場とを自由に行き来できるカリキュラム)を提供できなければならない。特に今日のインターネット社会では、こういった行き来がますます必要になりつつある。 社会人の場合、したがって長期講座の編成の仕方が問題だったのである。問題は、長期講座を一つの入り口で編成するということにある。たとえば、2月10日から3月10日まで、平日4週間20日にわたって連続展開する一講座がある場合、募集は2月10日に合わせなければならない。そこで、20人を予定していた講座が、損益ぎりぎりの10人しか集まらず、しかし開講日直前まで募集状況を待ってみようといっているうちに、2月10日になってしまった。結果10人。しかし今更、休講というわけにもいかず、赤字覚悟のまま1ヶ月講座が始まる(終わる)、というのはよくあることだ。そうやって、こういった講座をやることは勇気以外のなにものでもないことになり、徐々に縮小、最後には消滅してしまう。 問題は、開始日が一つの場合には、最初からその日が空いている人だけのマーケット募集ということになり、それだけでも募集展開が困難になるということである。これは単に募集力の問題だけではない。 受講生が集まらない内容的な原因を、もう一度整理すると以下のようになる。 1)忙しい社会人には、平日を20日間、連続受講できる保証がないということ。 2)20日間の内容を見てみるとすでに知っている内容が2割〜4割くらいあるということ。 3)また2)とは逆に難しそうな内容が2割〜4割くらいありそうだということ。 4)仕事に都合をつけてでも受講したい講座が3割しかないこと。 5)上記1)〜4)の理由から結局割高感があるということ こういった事情を勘案することこそが、学生ではなくて、社会人を相手にする場合のカリキュラム作りのミニマムの課題なのである。 問題は、20日間が固まったブロックになっており、しかも入り口(あるいは出口)がひとつしかない ― 2月10日が開始日で、3月10日が終了日というように ― ことにある。20の内容を個々バラバラにしてしまえば、それを必要とする人にとっての開始日と終了日は無限に広がる。講座開始後も募集は続けることができるということだ。 たとえば、「Excel講座」が、一ヶ月間あるという場合、それは通常〈コース〉と呼ばれて募集が行われることになる。たとえば、Excel初級コース10日間、中級コース10日間というように。しかしExcel講座と言っても、パソコンに全くさわったことのない人、Wordは日常的に使っている人、すでに初級程度はExcelを使いこなしている人、経理のためにExcelを使いたい人、マーケティングリサーチのためにExcelを使いたい人、顧客管理のためにExcelを使いたい人、その他その他、一口に「Excel講座」と言っても受講のための能力の前提と受講後に期待する成果はそれぞれまちまち。 とはいえ、たとえば、セルの動かし方、グラフの描き方、データベースの形成の仕方などは、何をやるにしても一定の共通性がある。違いが出てくるのは、グラフ活用に関心がない人がいたり、関数にしても使う関数とそうでない関数との学習要求上の落差が大きいということである。また「初級」「中級」「上級」といっても、先の様々な受講前の受講資格能力と受講後の活用目標とを考慮し始めると、殆ど根拠のない分類にすぎず、混乱は増すばかり。カリキュラムを組む側が想定するいかなる分類をも無効にするくらいの多種多様な受講生が、社会人受講生の実体を形成している。 したがって解決策はただ一つ、(講座提供側からする)安易なパッケージングや分類を止めることである。受講の前提や講座の成果を活用することの判断は受講生に委ねて、講座の受講単位を時間的に短くすること、短くされた講座の受講情報(受講のためにはどんな知識や技術が前提されている講座か、受講するとどんな知識や技術が身に付くのかなどの)をできるだけ正確に打ち出すことである。 ●テラハウスの場合(1:講座の文節化と回転数) 先のExcel講座の場合で言うと、たとえば、私たちがテラハウスで作ったカリキュラムの場合、一回が2時間40分の講座(間に10分くらいの休憩が入る)で学べる内容を厳選し、それを最小の受講単位とする。内容は以下のようである。 「Excel入門」「数式基礎」「書式設定」「ワープロ活用」「文字情報管理」「グラフ」「図形&マッピング」「関数:論理・検索/行列編」「関数:情報編」「関数:データベース編」「関数:配列数式編」「関数:総合編」「データベース」「データシミュレーション」「ピボットテーブル」「コントロール活用」「OLAP活用」その他が並ぶ(資料http://www.terahouse-ica.ac.jp/koza15/yoru2-1.htm#2-2参照のこと)。 従来も目次の内容(シラバス)としてはこれらのものはあったし、こういった内容を含んだ「Excel講座」は存在しただろうが、それらとテラハウスカリキュラムが根本的に異なる点は、これらの項目のそれぞれが独立した一講座として受講単位になっているということである。 この一つ一つの単位を「1講座」と見なし、それを六ヶ月間(4月〜9月、10月〜3月)というタームの中で12回〜5回程度繰り返し開講する。受講生が少ないと予想される難易度の高いもの(たとえば、「OLAP活用」講座など)は、開講数を5回程度におさえ、入門系(たとえば、「Excel入門」〜「ワープロ活用」くらいまでの講座)は、12回程度(月に2回程度)の開講数とし、入り口を大きく取っている。だいたい1ヶ月半〜二ヶ月でExcelの全講座が受講できる(受講しようと思えば)日程構成になる。講座の選択は受講生の能力と目的に応じて自由にできる。受講生の数だけExcel〈コース〉は存在することになる。 もちろん、どういった分野を扱い、それについてどの程度の数の文節化(これを私たちは、「講座メニュー数」と呼んでいるが)を行うか、そして分節化された各講座を一定期間の内、何回開講するか(これを私たちは、「講座回転数」と呼んでいる)は、全体の講座数や受講生の総数を想定しなければ決めることはできない。先の事例は、講座メニュー数800、平均講座回転数7回、10000人(月間のべ受講者)の受講生という実績の場合になる。一般にメニュー数を増やせばリピータが増加し、回転数を増やせば新規契約者が増えるという関係にある。(次号に続く) |
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