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41 8/25(日)
21:15:52
 「全国専門学校情報教育協会」軽井沢夏期セミナー  メール転送 芦田宏直  3875 

 
 8月23日(金)、「全国専門学校情報教育協会」(http://www.invite.gr.jp/)の夏期教員研修会(今年のテーマは「専門学校における自己点検・評価」)に講師として招かれて、(久しぶりに)軽井沢まで行って来た。

 会場が「中央工学校」(http://www.chuoko.ac.jp/03/index.htm)の軽井沢研修所「南ヶ丘倶楽部」だったからだ。軽井沢プリンスよりもこちらに泊まる方がいいくらいにすばらしい施設だった。講師は、私の他に、学校法人静岡精華学園 平井利明氏(「自己点検評価の概論−専門学校にとっての点検評価とは−」)、神戸電子専門学校 福岡壯治氏(「神戸電子専門学校における職員自己点検評価」)の二人。全国の自己点検・評価に関心のある(特には管理職)関係者が集まって盛会だった。

 文部科学省は、「自己点検」「自己評価」ということを最近、特に言い始めている。文部科学省は、90年を前後して「大綱化」で、大学教育の「規制緩和」を行い始めたときから、すでに時代を後追いし始めていた(正しいかどうかは別にして、特に世の中の体制と違ったことは言わなくなり始めていた)。文部科学省はふつうのことを言い始めるようになったのである。

 たぶん、それは“左翼運動”(日教組)の衰退と共に始まっていたことだとも言える。警察力の衰退が、左翼運動の衰退と共に始まったのと同じように、文部科学省も日教組の運動の衰退と共に、時代を制する思想をもてなくなってきた。「大綱化」の思想は、一言で言えば、文部科学省は今後カリキュラムも含めて大学教育に口出ししません、どうぞ自由にやって下さい、けれどもその自由な大学がつぶれても文部科学省はいっさい責任はありません。何も口出しはしていないのですから、というものだ。

 もちろんこの思想は、90年以降急速に進む少子化を見越してのものだった。少子化は、学生を「選ぶ大学」から、学生に「選ばれる大学」への転換を意味していたが、これは単なる物理条件ではなく、少子化という事態ほど、文部科学省が(もちろん日教組よりも)教育に内容的に口出すよりラディカルな教育改革契機はなかったということを意味している。

 「自己点検評価」もそれと同じ軌道でのことだ。「撰ばれる」ための学校になるためには、何が必要なのか。そんなことをもはや文部科学省は考えもしないし、干渉もしない。というより、そんな段階で文部科学省が何かを言ったとしたら、“倒産する”学校の責任を直接文部科学省が背負うことになるのだから(「撰ばれる」学校ということは、つぶれる学校が存在するということと同義であるのだから)、もはや文部科学省は何も言わない。だから、この「点検」は「自己」点検になっている。学校の責任において、自己点検、自己評価しなさいというものだ。文部科学省は、点検・評価を言いたいのではなく、自己において、ということを言いたいのである。そう言うことによって、生き残り競争を加速させたいわけだ。学校間格差をすみやかに露呈させ、“学び”の犠牲者の発生を早期に減退させたいわけだ。

 私は「自己点検評価」なんて単純なことだと思っている。その学校の講座や授業が落伍者を出していないかどうかということだ。それ以外にない。それ以外に「シラバス(講義概要)」を詳細化したり、教員の「「研究活動」や「自己目標(やその達成度の自己評価)」をいくら書き連ねても意味がない。

 さてもちろん、この「落伍者」ということの意味は厳密化されねばならない。何を「落伍者」というのか。つまりどんな履修判定(=試験)を行っているのか。その履修判定に「落伍者」をださないためのどんな教育を行っているのか。それが、自己点検評価のすべてだ。

 ところが、世の中の高等教育機関(大学、短大、専門学校)の中でこの種の自己点検評価を行っているところは、皆無。なぜか。答えは簡単。授業や教育の中身に具体的に入らなくては、この評価は不可能だからだ。しかし、どんな自己評価・自己点検でも受け入れるが、授業の中身にだけは足を踏み入れて欲しくない、というのが教員たちの(特に高等教育機関の教員たちの)実感。ここ(授業評価、授業点検)は、外務省改革の言葉で言えば、教育組織の“伏魔殿”なのである。

 そもそも高等教育は、履修判定が一番ずさん。というのも上位の進学先がないからだ。大学の格付けが存在するかのように見えているのは、高校生の進学判定のための偏差値序列が、長い歴史の中で実績化されているからである。つまり日本の“大学ランキング”は、大学入学時(高校卒業時)の学生能力のランキングであって、大学教育(大学卒業時)のランキングではない。大学卒業時の学生能力格差を示す指標(自己指標)は、皆無である。せいぜいのところ、官界も含めた“優良”企業への就職率や“社長”の学歴分布といった間接指標しかないことになる。

 そういった状況の中で、教育目標を自立的に形成し、その教育プロセスと成果判定(履修判定)を内外に自明な形で表明していくことは、決定的な課題だった。そのための不可避な評価・検証対象が授業評価(授業検証)という課題だったのである(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=5http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=28)。

 そういった認識に立って、当日の私のレクチャーは、私のつとめる東京工科専門学校(http://www.tera-house.ac.jp/)での授業評価の実際を披露したものとなった。この内容の全体は、後日文字を起こしてここに報告します。今しばらくお待ち下さい。


41 「全国専門学校情報教育協会」軽井沢夏期セミナー by 芦田宏直
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