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 番号 日付  題名 投稿者 返信数  読出数
369 12/7(火)
23:35:44
 銀座コリドー通りからのスタートダッシュと人材論  メール転送 芦田宏直  2697 

 
先週金曜日はリクルートの中堅リーダーたち(現役支社長や元大幹部もいたが)と銀座でちょっとした忘年会。盛り上がった話題の一つは、人材論。私が現役のTBSプロデューサーから聞いたネタを少し私ふうに変形して披露した。

人材には4種類ある。
@努力をしないけれども結果(実績)を出す人
A努力をして結果(実績)を出す人
B努力をして結果(実績)を出せない人
C努力をせず、結果(実績)も出せない人

この中で、一番ダメな人材はどれか?

答えはBの「努力をして結果(実績)を出せない人」。こういった人材は、他人(あるいは上司)の指導があだになることが多い。最後には「頑張っているのに、どうしろというのですか。これ以上何をしろというのですか」となる。指導が空回りして恨みを買うだけのことになる。内部告発が起こったりするのも、こういった人材である場合が多い。本人は頑張っている、努力している、能力の限界だということになれば、それ以上指導(=期待)し続けるというのは、形を変えた“いじめ”にすぎない。結局はそういった人材に能力以上の仕事を与えている上長に問題がある、というのが一般的な結論。

しかし問題はそう簡単ではない。何(どんな仕事)がその人材にとって〈能力〉以上かそうでないかは、神のみぞ知ることだからだ。物理的、生理的な筋トレであってさえ、「これ以上はもう無理」といった限界を超える直前、あるいは限界を少し超えたところまでやることによってはじめて効果があがるくらいなのだから、“仕事の限界”“能力の限界”なんて、誰にもわからない。部下人材(の能力)に対する上長の割り切りなんて、むしろ冷たい上長ほどそうであって、部下期待の大きい上長ほど、厳しい指導を積み重ねるという場合もある。こいつはもう役に立たない(これ以上仕事ができない)と割り切る上長(=気づかない間に人事で処理をする上長)の方がはるかに冷たいことはいくらでもある。

結局、努力の部下と善意の上長との悲劇が、組織破綻のきっかけになる。

Cの場合は、はじめからわかっていることだから、“それなり”の仕事を与えておけば、本人からも職場からも不満の声は出ない(いつのまにか退職している)。

@の場合はトップリーダーの資質。余裕のない仕事の仕方をする人には周囲の環境や社会の変化を洞察するきっかけが存在していない。

Aは計画と結果との整合性を追える人。@がリーダーで、Aがその腹心の組織が最強の組織。

なんて、話で盛り上がってきたら、あっという間に22:57。車を「朝日生命日比谷ビル」(日比谷交差点)の駐車場に止めておいたのだが、そこは23:00までしか出庫出来ない。リクルートの裏手(銀座コリドー通り)http://www.ginza.jp/corridor/ で飲んでいた(私は飲めないが)から、結構距離があった。全速で走ったが、後半1分くらいは他人からは歩いているように見えたに違いない。

ところがすでにシャッターが下りている。ショック! 時計を見たらまだ11秒前。私の時計は電波時計だから絶対の自信がある。シャッターを2、3回たたいたが誰も出てこない。しかし気持ちが伝わったのか、少しして警備員が重い扉の方から出てきた。

警備員:「こんな時間困りますよ。せめて10:50までには来てください」
私(心の中):「だったら、11:00まで、って言うなよ(書くなよ)。10:50と書いてれば、その時間に戻ってきますよ」
私(しゃべった実際):「スミマセン。これからは気を付けます」

情けないというなかれ。この警備員は、そうは言っても、私のシャッターをたたく音に背を向けて、扉を開けないという“選択”もできたはず。にもかかわらず(ぶつぶつ言いながらも)、扉を開けてくれたのだから、それは、やはり〈良心〉というものだ。〈良心〉というのは、いつも些細なものだ。些細なものだからこそ、意味がある。“大きな”良心などというものは、ほとんど社会主義か、社会ファシズムだ。

そう思いながら、車に乗り込んだが、実はここからが地獄だった。気づいたら大きな息が止まらない。肩で息をしているという感じではなくて、ひたすら、ハーハー、ハーハー、ハーハー、ハーハー、まるで深呼吸を高速で反復している。しかも止まりそうにない。この止まりそうにない、という感じが恐怖だった。このまま死ぬまでこんな呼吸を続けるのか、それとも死んでこの呼吸を止めるしかないのか、そんな悲壮感が漂う。「霞ヶ関」から「高井戸」まで首都高を走り続けるが、それでも車中ではずっとハーハー、ハーハー、ハーハー、ハーハー。やっと自宅の駐車場に近づいた頃には、安心したのか、今度は、吐き気が襲う。

車の中で吐くのはまずいが、車の窓から吐くのはもっとまずい。酸性の吐瀉物がボディを傷める。駐車場の直前で止めて、素速く降りて吐いてしまった。けれども量は微量だ。呑んでもいないのに、この年末に走って吐いているのは私くらいだ。けれども、吐いてからは少しハーハー、ハーハーの速度が落ちてきた。

家に戻って、サッカー部の息子に話すと「脳が酸欠状態になっているんだよ」と忠告された。「水を飲むと楽になる」とも。なるほど。しかも4日間も経っている今でも、ふくらはぎではなくて、すねの方が痛い。こんな薄いところにも筋肉があるのか。「あるよ」とまだ答え続ける息子。「無理はしない方がいいよ」。スミマセンでした。年甲斐もなく走り続けてしまいました。ところで、みなさん、コリドー通り(リクルートの丁度裏手あたり)から、日比谷交差点まで2分10秒で走れますか。


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