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 番号 日付  題名 投稿者 返信数  読出数
33 8/12(月)
21:13:19
 考えてみたら、今日は私の誕生日。  メール転送 芦田宏直  3969 

 
 考えてみたら、今日(17年前日航機の墜落した今日)は、48才の、私の誕生日。なんという年齢になったことか。父親(大正15年生まれ)は46才で病死(急性白血病)しているから、もう父親より二つも長生きしたことになる。母親は昭和5年生まれ、彼女の生家の貴船で(http://kyoto.kibune.or.jp/fujiya/)まだ元気に働いているが、41才で夫を失ったことになる。当時高校三年生の私には、46才の父も41才の母も、もうそこそこの年齢の大人で、これ以上歳を取っても意味がないような気もしていた。たぶん高校生や大学生の年齢から見ると、48才の私自身が、もう先のない老人のように見えているのかもしれない。息子(同じく日航機が墜落した年に生まれた息子)はもう高校2年生だから、すでに私の意味は熟し切っているのかもしれない。

 しかし自分なりにその年齢を迎えて、超えて、やはり父親の46年間は短い人生だったような気もする。私自身が、まだ何も“解決”していないし、やり残していることは数限りなくあるような気がするからだ。母親にしても、私の家内自身が私と同級の48才(今年の11月で48才)だから、それよりも7つも若い年齢で夫を失った意味は大きいし、やはり大変なことだったのだろう。結局、父親も母親もやり残したことがたくさんあったに違いない。

 歳を取るというのは、不思議なことだ。若い学生たちもあっけにとられるほど情報量が不足していてくだらないことを言い続けているが、歳をとっている大人たちも40才を超えても面白いこと(uniqueなこと)が言えない、普通のことしか言えない人が(私も含めて)たくさんいる。たぶん世間にすれてしまって〈生活〉が露呈しているだけなのだろう。〈生活〉が露呈しはじめると譲れないものが多くなるから、単に頑固になっていくだけだ。若くて情報量がたりなくても、歳を取って情報量が多くてもダメなのだ。惚ける(ぼける)、というのは、単に歳を取ってしまった(単に情報を増やしてしまった)者に対する〈自然〉の報いのようなものだ。

 足りないから行動ができること、多いから行動できないこと。ゲーテが言うように〈行動〉は良心がない証だが、しかし至高の行動は、人間が老いる、死ぬということだ。多くのことを考えさせ、考えてもほとんど意味がないことを教えてくれるのが、人間が死ぬ、老いるということだ。だから歳を取るということは、余分なものと必要なものとの区別がつき始めることでなければならない。死ぬということは、最高に必要なことで、最高に無用なことだからだ。
 
 私の父親は、46才で死んだときに、何を余分だと思ったのだろうか、何を必要なことだと思ったのだろうか。私はもう彼に比べて2年も余分に生きてしまっているが、どんな必要や余分の中にいるのか。早死にした父親にとっては、息子である私こそが、余分で必要な存在だったのかもしれない。46才を超えてからの私の誕生日は、いつも父の死との対話の連続だ。それまでは、ほとんど忘れていた存在なのに。

 ところで、世田谷・ヤマギワ電気のDVDソフト売り場をうろついていたら、なんと『東京ラブストーリー』全11話(http://www.tsutaya.co.jp/item/movie/view_v.zhtml?pdid=10002494)DVD4枚組セットを見つけてしまった。なんと19800円(税別)もする。うーん、と唸る値段だが、「カンチ」こと織田裕二と「赤名リカ」こと鈴木保奈美の顔写真を見るともうダメ。自分への誕生プレゼントと思って買ってしまった。

 『スウィートノーベンバー』(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=32)を見た後、とりあえず第一話「出会いと再会」だけを見たが、あの有名な公園で背中同士になって別れようとする二人が、赤名リカだけが後ろを向かずに「カンチ」の背中を見続けているシーンを見て、また涙、涙(たしか、この有名なシーンは後半でも繰り返される)。『スウィートノーベンバー』の2時間をたった40分で乗り越えてしまう『東京ラブストーリー』。シャリーズセロンはアンジェリーナジョリーには勝ったが、赤名リカには負けていた。お盆休みは、この『東京ラブストーリー』を2話ずつ見続けるぞ(そして泣き続けよう)。はてさて、この買い物は、私にとって「余分」な買い物だったのだろうか。


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