[一覧へ戻る

 番号 日付  題名 投稿者 返信数  読出数
299 5/23(日)
23:04:17
 校長の仕事(14) ― わが学園の〈授業評価〉続編  メール転送 芦田宏直  6168 

 
もちろん、われわれの授業評価(AG評価)は終着点なのではない(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=297)。不合格者をどうするのかという課題は依然として残ったまま。G評価だった、と結果を公表するだけでは何もしたことにならない。そのため〈AG評価〉とは別に〈課題発生評価〉を行っています。

これは、みずからの授業の“犠牲者”でもある不合格学生に対するフォローをどうすすめたかをはかる体制です。

学校の負の要素の最大のものは、退学。これは、もっとも強い形で在学生から学校体制全体を批判された形態です。次には、長期欠席→欠席と続きます。欠席は退学の日常的な形態です。欠席要因の最大のものは、「授業がわからない」ということ。学校関係者はこんな当たり前のことをこれまでなかなか認めませんでした。「退学」も「欠席」もほとんどが学生の個人的事情を前面化させて、校側の教育体制の反省にはほとんどつながりませんでした。たとえば「退学」の「理由」に挙げられるものはほとんどの場合、家族の「経済的事情」か本人の「進路変更」です。

しかし、こんなものは理由にはなりません。「経済的事情」について言えば、「それでは彼(彼女)よりも経済的事情の悪い者はひとりも校内にいないのか?」と担当科長に問い返せば、「そうでもない」という答えが返ってくるに違いないからです。「進路変更」の場合はもっと理由になりません。それは、勉強を積み重ねはしたが、結局のところ、学校側が学生本人に自信と将来展望を切り開かせることができなかったことの表れにすぎないからです。

結局、つまらない授業を改善もせず放置しているか、「わからない」と学生が授業に躓きかけたときに即座にフォローの体制が取れるかどうかが、これらの「退学」を防ぐ最大の課題になります。

出席しても授業が「わからない」(授業カルテを不合格なまま終えてしまう)。これが「欠席」を呼び、「欠席」を繰り返し、当然のように試験に落第し、最後は「退学」する。すべては90分の授業の中で起こっていることです。

われわれの授業シート・カルテ体制は、何を学ぶべきか(「今日の授業」シート)、何を学べたのか(「授業カルテ」)を90分単位にくり返すことによって、「わからない」授業の最初の発生に目を向けることができるようになっています。

どう目を向けるのか。

これについては、われわれは、課題ポイント制を取っています。「課題」ポイントというのは、教え損なった課題を学校側が背負ったという意味で、そういった名称を付けています。最初の頃は、履修「負債」、つまり学生に教え損ねた“借り”を作ってしまったという意味で「負債」ポイントと言ったりもしていましたが、それではあまりにも露骨すぎるということで、「課題」ポイントという名称に落ち着きました。

「課題」ポイントは、三つの指標で構成されています。

1)まず、欠席者対応について

欠席者が1人でもいたら、1課題ポイントが付きます。というのも「欠席者」というのは、聞くべき授業を全く聞いていないという意味で、カルテ「不合格者」の極限指標と考えるべきだからです。2人いれば、2課題ポイント付きます。これらは「AG評価」のように「率」でポイント化するのではなく、実数でポイント化します。個別学生への早期対応が求められているのですから、実数でなければ意味がありません。

2)カルテ不合格者について

これは小テストである「授業カルテ」で59点以下を取った場合。1人不合格であれば、1ポイント。2人不合格であれば、2ポイントというように、これもまた実数でポイントが加算されます。

3)カルテ未提出者について

出席しているにもかかわらず、カルテ(あるいはカルテ点数)が回収(記録)できない場合。こういった未回収学生は、ほとんどの場合、59点以下の不合格者であると見なしてよい。未回収学生=潜在的な不合格学生。したがって、これもまた未回収者(点数未記録者)1人に付き、1ポイント。同じように実数でポイントが加算されます。

以上、実数3指標によってフォロー課題数が一授業(90分)毎に算出されます。たとえば、私の先の授業の場合、

1)欠席者が2名で、2ポイント
2)カルテ不合格者が7名で、7ポイント
3)カルテ未提出者が2名で、2ポイント

計11ポイントの課題が発生したことになります。つまり11名のコマ未履修学生(潜在的な退学者)を発生させたことになります。

この総数(11ポイント)を「課題発生数」と呼び、各科目内での累積、各科内での累積、各学校内での累積を毎日集計して学内公表しています。一日で、どのくらいの未履修学生(のべ学生数)を発生させたのかが、学校単位、科単位、科目単位、教員単位ですぐにわかるようになっています。

さてこれらの「課題発生数」はそれをわかることが目的なのではなく、学生のフォローに回ることが本来の目的です。

たとえば、11ポイント=11人のフォロー対象者を集めて、授業時間外で補習する必要がある、ということを促しているのが「課題発生数」の本来の意味。したがって11人のフォロー学習が時間外でなされた場合は、この発生数は消えていきます(教員がフォーロー学習を終える度に教務データベースに自己記入することになっています)。

たとえば、11人を一挙にフォローできなくて、8人に留まっている場合は、3人(3ポイント)が未処理ということになり、それを「課題残数」という概念で指標化しています。「課題発生数」と「課題残数」の発生の仕方、残数の残り方を見ていれば、学生の履修状況が把握できることになります。特に期末試験を前にした履修状況把握には効果を発揮します。

「AG評価」と「課題ポイント評価」が異なる点は、「課題ポイント評価」は変動するということです。「AG評価」は確定評価、「課題ポイント評価」は動体評価。どちらもが授業評価では必要になります。

前者だけでは評価しておしまい。後者だけでは人間的なフォロー努力に埋もれて、カリキュラム評価や授業運営上の諸問題が見えてきません。不合格者が出ることの問題は、単に教員担当者だけではなく、シラバス、コマシラバス、シート類の全体を見ないと判断できません。単に評価すればいいというものでもないし、ひたすらフォローして「合格させさえすればいいんだろ」と“実践的”であればいいわけでもありません。評価主義は、形式的な管理主義になりますし、フォロー実践主義(=補習主義)は何年経ってもカリキュラム改善や教育改善に繋がらない。

わが学園では、この教育改革を機に、いわゆる「補習」というものを禁止しました。これまでは、試験前に試験対策授業をまとめてやったり、あるいはひどいものになると本試験後、不合格学生に再試(あるいは追試)をして(再試補講をしながら)合格させるというわけのわからないことをやっていました。

大学に比べて必修授業が多く時間割がタイトな専門学校では、一科目の未履修は留年を意味し、それはほとんど退学を意味しています。したがって、試験を落とす学生を作るわけにはいかない。そのために大概の専門学校(大学も例外ではありませんが)では、補習、追再試などを繰り返し(繰り返すたびに試験水準は低くなります)、履修評価体制の破綻をごまかしてきたわけです。

補習や追再試は、学生サービスのように見えますが、それは二つの点で間違っています。一つは、まじめに本試験を通過した学生の努力や達成の水準を踏みにじっていること。もう一つは、カリキュラムの破綻や教員の授業運営上の破綻を覆い隠してしまうこと。この二つです。

なぜ、この体制は長らくの間、改善もされずに続いてきたのか。それは、期末の履修判定試験と日常的な授業との関係とが全く不透明だったからです。このまま授業を進めると、落伍する(=試験に不合格の)学生が出てくる、という把握ができない。場合によっては担当教員さえわからない。学校の誰もがそのプロセスを把握していない。

試験で不合格者が出てきたときには、“後の祭り”だから、追再試や補習が必要になり、評価のダブルスタンダードを生み、評価の信任を得られなくなる。それとは逆に、試験で不合格者が出ない。その場合は、担当教員が“現状”を鑑みて、相対的に試験レベルを下げ、事なきを得る。どちらも、学内の授業現場(日々の授業)で何が起こっているのかを誰も把握していないことから生じています。

この問題を解決するには、日々の授業目標、一時限毎の授業目標を明確化すること(シラバス+コマシラバス+授業シート)と、その目標が計画通り達成できたのかどうか、を評価する体制(AG評価+課題評価の体制)を構築する以外にはありません。組織的な取り組み以外に、今日何が起こったのかを把握する方法はなかったのです。補習や追再試の横行は、組織的な破綻(秘密主義)を個人主義的に解消する最悪の事態だったと言えます。

しかし、補習はいけないとしても出来なかった学生を放置するわけにもいかない。補習がいけないのは、試験前や試験後にまとめてやるからです。コマ単位の問題点を「AG評価」や「課題ポイント評価」で発見できるわれわれの体制では、コマ単位の補習ができるようになっています(何がわからなかったのかがわかるようになっています)。

補習のもともとの意義は、授業復帰です。わからなくて悩んでいる学生を早期に発見して、もういちど通常授業に復帰させる。「課題発生」と「課題残数」の推移を見守ることによって、その早期の発見、復帰体制を形成する。このための補習を避けるわけにはいきません。

いくら精緻にカリキュラム、シラバス、コマシラバス、授業シートの授業計画を形成しても、授業は生き物。失敗もつきものだからです。結果オーライの補習ではなく、授業復帰のための補習を、われわれは特に「コマ補習」と呼び、「課題発生」した場合は、直後の補習(=コマ補習)をするようにしています。「課題発生」と「課題残数」の推移を見ていると、授業の安定度(あるいは不安定度)が手に取るように見えてきます。履修判定の期末試験を前にして学校側が何をしなければならないのかがわかるようになっています。

結局、これまで学校が忘れ続けてきたものは、@教育目標の明示 A教育目標の達成方法の明示 B達成評価(実績)の明示 この三つです。この三つは、当たり前のように見えて、学校(特に大学、短大、専門学校)が全く踏み入れてこなかった領域です。わが学園グループ(東京工科専門学校3校+東京テクニカルカレッジ)はすべての授業で、コマシラバス+授業シートで@Aの課題に取り組み、AG評価+課題ポイント評価でBの課題に取り組んでいます。校長が授業をやっても「G」評価と科長コメントが付く、この学校の授業をぜひ一度見学に来てください。

※すでに時折ふれているように、これらのAG評価と課題ポイント評価とは、各時限毎に用意されたノーツ(=ロータスノーツ)上の出席簿に記入するだけで自動的に生成されるようになっています。教員が入力する作業は、@出席チェック Aカルテ点数の記入 Bコマ補習の記録(対象者の特定とコマ補習に要した時間の記入)、この三つです。この三つを記入するだけで、AG評価と課題ポイント評価が即座に生成するようになっています。

 ITを使った授業に文科省は毎年かなりのお金をつぎ込んでいますが、このようにバックヤードで働くIT支援は地味で目立たず、毎年の派手なプロジェクトの陰に隠れています。しかし、IT支援の眼目は組織性と情報公開にこそあると私は考えています。それ以外のIT教育支援はほとんど税金の無駄使いです。文科省も反省すべきです。


  返信を書く [一覧へ戻る]

299番まで読んだとして記録しました。[新着]モードで未読を表示します。